ワン・アワー・アゴー

テルミ

ワン・アワー・アゴー

『1時間で書く企画』

 何の気なしに、いつもの癖でネットの海を回遊している中でそれを見つけたのは、今からちょうど1時間前のことだった。

 面白そうな企画だな。と、ゆらゆらと電車に揺られながら思い時計を確認すると、時刻は19時15分を指していた。

 企画なんてものは普段の自分なら気にも留めないはずなのに、それは小刻みに揺れる視界の中でもブレぬ存在感を示して離さない。

 ・タイトルやジャンル決めなどは時間に含まない。

 それは良かった。それすらも時間に含められていたら多分、ジャンルすらも決められないままに私の物語は終了していたはずだ。

 1時間で簡単に書けるものとなるとジャンルは絞られる。とりあえず異世界ものとSFは除外だな。不治の病でもある凝り性がそう語りかけてきた、気がした。

 世界観で軽く時間をオーバーするだろうし、ギリギリを攻めるほどの技量も気力もない。甲斐性なしなのだ。

 恋愛ものなんてどうだろう。改札を出てすぐの公園で見かけたカップルから連想してみたが、これも却下だ。

 題材としては悪くない。なにも凝った設定なんて考えなくても良ければ、馴れ初めから書く必要もないのだから。それでも否定したのは多分、ここ数日前にどこかでみた誰かの呟きだろう。

 ――人は見たもの、経験したものしか表現することができない。

 だとしたら昨今の若者の3人に1人は世界を救っているだろうし、5人に1人は親と別居していて頭脳明晰スポーツ万能なスーパー高校生であるはずなのだから。

 自分は確かにそれを否定できていたと思っていたけれど、その否定派ほんの一部にしかすぎなくて、すべてを否定しているわけではないとも思ってしまっている。

 恋愛なんて片手で数えられるくらいしかしたことがないし、異性の気持ちなんて理解できたことがない。そんな自分が愛だのなんだのを1時間で語るなんて、鼻で笑ってしまう。

 良くも悪くもジャンルが絞られてきた。時刻は19時32分。夕食やら入浴の間に骨組みだけは決めてしまおう。

 いつもならば帰宅してからはしばらく無の時間を謳歌しているけれど、今日は簡単に消毒を済ませてからすぐにキッチンへ向かった。

 適当に余った期限の近い食材を詰め込んで炒めてみる。1人分には少々多すぎるような気もするけれど、明日の朝と昼食で消化できそうだと算段を建てた。傷みそうになるまでそれらを放置した自分への贖罪でもあるのだ。

 いつもお世話になっている鍋敷きを置き、フライパンへ直に箸を進めて口は運んでいく。余計に頭を使っているせいでいつもより食欲は旺盛だ。筆は進まないがその分箸は止まることを知らずにまるでシャトルランのように往復を続けている。

 不味くもなければ美味くもない。可もなく不可もない夕食の原因は相性も考えずに詰め込んだところだろうか。そのせいで舌が忙しい。詰め込めばよいというわけでもないらしい。

 時刻はそんな私を横目に見ながらも勝手に進んでいく。19時52分。仕方がない。入浴もとい心と体の洗濯をしながらジャンルを決めようじゃないか。

 冷たい水のしぶきがここ最近の茹だるような暑さを忘れさせてくれる。爽やかな……そうだ、青春ものなんてどうだろう。

 社会人生活よりも学生生活の方が長いし、なにより経験がある。

 いやいやまてまて、あれは春だったのか? アオハルだったのか? ただ青かっただけなのでは?

 肌で感じたものを頭でも理解できているかという命題はなかなかに難しい。そうであるものもあるし、そうでないものもある。そして多分この場合は後者であるだろう。

 シャワーの水は身体だけでなく頭まで冷やしてくれたというのだ。余計に。

 20時6分。結局書きたいものが見つからないままに1時間が経過しようとしていた。

 まだ焦るような時間じゃない。そう自分に言い聞かせている人は決まって焦っている。そしてそれは今の私だ。

 ベランダで一服する間に思いついてはくれないだろうか。なんて一抹の願いを煙草に灯してみせる。ただ落ち着くだけだった。

 外は暑くもなく寒くもなく、過ごしやすいかと言われたらそうでもない微妙な空気に包まれていた。張り付くシャツに身体を締め付けられているような思いだ。

 思考の雲に包まれている私なんか気にもせずに今日も夜空は快晴で満天だった。

 唐突だが、星の話をしよう。

 流れ星を見たことはあるだろうか。見ることができれば幸運だとか、願い事をすれば叶うとも聞いたことがあるけれど、実はそんなにありがたいものでもないらしい。

 満天の星空の下で1時間も見上げていれば10個20個、運が良ければ30個ほどが見られるらしい。

 何が言いたいのかというと、瞳で捉えられていないだけで案外そこらへんに散らばっているようなものなのだ。星にかぎらず、なんでも。

 ジャンルは自伝にしよう。自伝。

 なにかあったわけではないけれど、何もないわけでもない。たった8文字との出会いで動かされた心をここに記そう。

 20時15分。忘れないようにと筆を走らせる私はいつもより、楽しそうだった。

 

 

 

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