Ta-p-ca-a-ra-i-que tick!
@totto-chang
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田舎では雨がよく降り、都会ではその代わりに人がよく降ったりする。という、ある意味誰かが信じているような風説が実は経験として間違いだと知っている、というのも私の叔父は、高校を途中で卒業して以来慎重に慎重に生き続け、その大いなる助走の次の一歩を部屋の戸口ではなく近所のなんか半分ホテルとくっついたとりあえず地域でいちばん高い駅ビル、屋上のブロックから踏み出して人生を途中で卒業できたので、なんでも尻から落ちてまあ下半身はぐちゃぐちゃになったけど死に顔はそれはそれはきれいで死に水も問題なく取れて、まあ叔父の家族っていうか祖父母とかはいろいろ複雑な感情に苛まれて死期も早まったとか早まらなかったとか、さして重要ではない。都会にも雨などは降る。ただ屋根がない。あるけどタダではない。だから人と水は高いところから低いところに流れていって、それで水は値段設定の不明瞭なココアに変わって、私は自らの子供じみた味覚について嘲り笑う。
で、満たさなければならないという強迫観念に駆られた都市には雨粒の代わりに人が溢れ、似たような街灯の合間合間を切り裂きながら曲がっていく自動車のフロントガラスを鈍く光が滑る。その場合アスファルトの両側にびっしりと敷かれたタイルがまた曲者で、なんというのか角をぴったり四つ寄せ集めたものであればつまらないので無視もするが、互い違いに組み合わせたものは危険で、どのように足を運ぶかと考えるだけで弾む胸の一つも持ち合わせていないわけでもない。すると行き交う人の群れに切り裂かれ、頭を下げた弾みのまま濡れた靴底の残す痕跡を見る。犬は熱い尿によって自らを誇示する、なら人は四角い四角のいくつを自らで占められるかと競っている、なんて町のありようを述べているだけで皮相にすぎる、やはり都市はダメだ。最低だ。
その点田舎はというと、見渡す限り木、山、海、森、川、虫、獣、それからやっと人という感じで、しかしここで気づいたところによると、今挙げた物を組み合わせると私の幼い頃からの知己の名前が二つほど浮かび上がってくる。このグルーヴ感において、やはり田舎は最高だ……などという安易で惰弱な精神が濁った水を世代から世代へと還流させている、などとこれまた皮相の一言に尽きると言うほかない見解ばかりが表出して、どうやら問題は私自身の中にあるらしい。
その点都会はというと、顔、顔、顔、で当然そのような名前の知り合いがいないというのもある。考えてみれば顔は空中にも浮いている。壁一面ガラス張りになっている紳士服量販店の、その中腹辺りにはモニターが四角く切り出されて次から次に見目麗しき顔の数々、当然と言うように笑顔が多いのでなんだかんだとこちらも嬉しくなる。
そう考えると、やたらに充填されているのは地上だけでなく、空中もなのかもしれない。灰色の塔ははるかに天に届かんばかりにそびえているというのに人々は変わらず大気の底、という真実が見える。そしてそんな時代遅れの比喩を真実と言わんとする浅薄を戒めるかのように、と当然そんなわけはないが、寂寞めいた香気をして雨は、タイルの張りあわされた溝から揮発していく。そして今広がっている雨のにおいをペトリコールと敷衍することはできるが、ペトリコールが何というと雨のにおいとしか言えない、その無力を噛みしめながらすれ違う肩また肩、顔また顔の漂わせるにおいが幾重にも混じって気分が悪くなる。でも一番悪いのはココアにまでシロップを入れた私自身だと思う。おかげで糖尿病の蛙を鼻に充填されている気分だ。
当然この場合人々と蛙を何らかの形でアナロジーさせる(正しい意味はよく知らない)のが定石な気はするが、前提としてあまり似ていない。人間は特殊な場合以外四足で歩くことはないように思うし、そもそもそこが人と獣の違いと言わんばかりに、二本の脚で立ち、より効率よく充填された空間の中をすっすっと歩いてまわったりぶつかったりするのだ。
だというのにもかかわらず、そこには有意な空隙が見て取れた。そのスペースは丁寧な清掃が行き届いていることがうかがえる上に、小さな箱に持たせかけられた看板もがしっとりと雨をしみこませて滲んだままそこに置かれている。
「おどり 100」
しかし判別のつきにくい文字だった。いわゆる色の三原色特有の、何色重ねても毛色の違う黒にしかならないものと見え、おそらく橙と緑と茶褐色を重ねている。それは八色とか入っているうちのいらない色のやつなのではと疑問を差し挟むまでもなく、バジルシードというか、蛙の卵というか、有り体に言って点々の模様が、特に「100」の部分には重点的に散らされていた。
立っている人の容貌さえわかりやすいとは言えない。おそらく女なのだろうが、丸いシルエットの髪の毛の上半分を黒、下方は金に染めて、というか上は染まっていなくて、耳という側面から見ればピアスの空いていない面積のほうが少ない。恐ろしくて目を見る気にはなれないが、だらしなく覗いたキャミソールはところどころ色濃くなっていて、気の毒にどこかで雨に降られていたのだろうか。と把握するが早いか、私は一目散にその女の下へ駆け寄っていた。
さぞかし、「100」というからには欠けるところのないものを求めていることだろうと考えて、急いでかばんの中を探したがあいにくのこと、条件を満たしそうなのは百円玉くらいがせいぜいだった。心中というか心臓の内壁に張り付いた粘り気の汗を振り払うようにして、指先に冷たい硬貨を押し当てる。音もなく着地した百円のもとに身を乗り出して、それでようやく箱の中には呪物じみた緋もうせんが敷かれていることがわかった、のでもう一度拾って、今度はちゃんと置く。手首の骨ごと手先が沈んだことからいい布を使っているようだった。
外科医とかのどれとも違うトーンで、女の両手、次いで両腕が斜方に引き上がる。緩やかに捻れたまま天を指すもみじ手には骨と皮を除いて肉がなく、差し金じみた無遠慮さで腱が浮かび上がっている。泣いているようだった。いや、その感想は的を外しているしなにより性急で頼りない。その節穴の私ですら、上体を引き連れて撓う腰の溜め込んだ、違法性のある爆発力は見て取れた、もっともぼろぼろに引き攣った腿当たりのデニム生地の緊張を通してではある。
それに「続いて (1)」リズムは始まったのだった。その場合許容されるのは前と後ろ、はたまた上と下を行き交う二拍子であり、心臓の鼓動とはよく聞くと一回に二つ打っていると教えてくれたのは誰だったか、そうした追想は「付かず/離れず(2) 」伸びきらないまま縮んで、また曲がったまま伸びようとしてを繰り返す膝に蹴り出されてわからなくなる。
流入する血液に合わせて、というわけではない。私はむしろ流速と拍をこの、目の前の不審な女に合わせて、それはいささか「ギクシャク (3)」してはいてもよく考えると心地よい類のものとも言えた。そういうことがあって、蝶の羽ばたきの例を持ち出すまでもなく、有機的に絡み合った動きと動きの官能を味わう、そうした僥倖にあずかることができたのだった。
予感を抱いたまま二度、もしくは三度焦らされただろうか。そんなことはどうでもよく、正中線に向かって斜めに膝が、というより腰ごと回旋したとき、最高になった。このできごとの何が恐ろしいといって、怪しく爪先で支えられたままの身体がなんと、片足を地面から離して、しかももう片足に力のモーメントまでを乗せる。その上腰がちぎれてふっとんだりはしない。それで「隣(4) 」に「いるのに(5) 」「噛み合 (6)」わない、反発しているかわからない力で足先は元の位置に戻ってきて、これが最高になるんだけど、安心させてはくれなかった。両足で踏みしめる地面をそこそこに、今おそらく鷺能あたりに浮かんでいる月の重力に引かれてふわりと、先ほど浮いていたほうの足ではない足がふわりと浮き上がる。最高なのは、浮揚したときには見られなかった力が艶のないタイルを躙り、それで都会の地面は道路に近づけば近づくほど水はけがゴミなのでその力ごと排水口へ流れていくところだ。本当にそうだろうか。
しかし気づいてしまえば止まるよしもない。例えば右足と右脚と同時に踏み出され、突き出される右腕、一瞬遅れて右手はいわば「撞着語法(7) 」的なテイストを醸しながら空を裂く、ということではなく、というのは見た目と違って実のところ「チグハグ(8) 」ではないからだ。考えてみると右から歩き出したら右手を出してはいけない、そういう認識は例えば人体を一枚の板のように考えているから起こる勘違いであって、小指の爪から第一関節、第二関節を経て手首、腕床、肘、腋窩、肋骨、肋間、肋骨、ある程度すっ飛ばして尻臀、膝蓋を経て踝に至る細く美しいワイヤーが一般には存在するとされている。されているが、大人どうしのコミュニケーションで最も重要視される部分といえば言外の部分を読み取るということで、この場合、私「はどうしたい (9)」のか、に対応する答えは、すっ飛ばした部分であると言えるのではないだろうか。つまるところ丹田、近年とみに流行語で言い換えれば体幹がずっと「ドーン (10)」、と「真正面(11) 」を向いたまま定着しているからこそ、この動きをふらつきがちの病と運動神経信号の輻輳から遠ざけ、また他の舞踊と違う相違点を生み出しているのだろう。
一般に言われる、櫓を取り巻き、また円形のフロアにアステリズムのごとく散らばって循環する、始まることと終わることの円環の暗示、などというと私の節穴性はいっそう高まるのだが、この場合それで「遠慮なんて(12) 」していられないので続ける。というのもこれは確信があるからで、そうした「舞踏(13)」とは異なるいわば汽車の、それも蒸気機関車ではなく気動車の、急速な回転のエネルギーを強引に前進に延伸する動きであるからだ。考えてみるまでもなく、いや少しは考えてものを言うにしても、この前進は最高だった。なぜって目の前の女(腰の落とし方と膝の閉じ具合でようやく判然とした)は前に進んでない。
そのことの証左として、女を取り囲む形として群衆が、すでにその場を通り過ぎようとしていた者までもが自らの進行方向に正対して首を捩じり、「横顔 (14)」となってしまいには「振り向 (15)」きそれから足を止めることでまさか足元に散り散りにいる鳩の色を帯びてしまうとは、これは最高だった。ただしその円ではなく、多めに見積もって四分の三円くらいのるつぼは永遠みたいな一瞬をただ分かち合いながらもはぐらかすかのように女を真中心には置いていない。それは女が背にした薄褐色のファサードと、そこに掲揚された陰気な金融系企業の色彩豊かではあっても拭い去ることのできない陰鬱さとによるものでもあったかもしれないし、事実そういうことが影響していたのは間違いない。しかるにそれは女のなんというか陳腐な言葉というか諦めた説明でしかないのだが気の巡りがそういう、大地の龍脈とか諸々を刺激し喝を入れて目覚めさせ「世界(16) 」を「書き換え(17) 」るようなもの、それが前進する踊りの活力と流速をタイルの目地に逃がす女のパンプスの惰長方形の底が石を打つ硬質な音が最高だった。
その場合「そもそも別人 (18)」であるはずの「私たち(19)」は「楽しみも趣味も違 (20)」っていて、「頭の中 (20)」も「心の中(21) 」も「それぞれ(22) 」であるにもかかわらず、ざわつきは一様なまま高まりもせず、ただぼこぼことアスファルトの表面を波立てるばかりではある。そしてそれが打ち寄せる波のように女の足元をすくい、女は想念の水面につかず離れずの様子で足を運び、手の平さえこちらに向け、指先すら開いて閉じてみせる。こういう言い方は誤解を招くのでしないほうがいいのだが、もはや私だけが、先だって差し出した「100」の上につまさきを乗せた一人きりでいる。
この期に及んで、走馬灯を見るような心持ちがした。高架を滑るというにはあまりに耳障りな電車、この場合汽車でなく電車の金属摩擦の破裂する音が笛や太鼓、得てして鉦の顔をいけしゃあしゃあと浮かべて、それにも相まって水位が上昇していく。やはり低いところから溜まっていくものだからそれは、人々は疎を厭ってこのように集住したにもかかわらず、今まで「手を取りあって (23)」いたはずの自分「らしい(24) 」「自分(25)」をこのような大水に際してはぎくしゃくとさせて、他人「を捕まえ (26)」るようにして、でも「ハグしない (27)」くらいの力で再び寄り集まることをただ一つの取り決めとした。
そして空が明けていく。またしても陳腐な比喩が許されるのであれば、たなびいた憂鬱と片頭痛の変奏たる緞帳の灰色をかき分けて青々とした空の青色を露わにする。だというのに、「Blue (28)」と沈痛の並々ならぬ蜜月を推し量ってか、貫くのではなくその「最高」を差し「あげ(29) 」るようにして、天の本分たる透き通った形を深刻なまでに引き出そうとしていると私は思い、人々さえも中空に目を留めてぼーっとしている。
しかし女の所作で私は、自らが節穴であったことを思い出す。伸びきった背筋に続く腕が突如として肘から先を内側に折り曲げ、輪郭に巻きつける。そしてあろうことか指を曲げ、切り取る形を象るようにして、有り体に言えばピースの形で、しかも両手だ。両手でピースをして上下から顎と額を挟んだ。しかも奇妙な表情をした。「噛み合ってな (30)」い眉根を寄せ、目を半開きにして尖りきっていない口の尖らせ方をした、怪訝と言えば怪訝な奇妙なものだ。それだからこそ私は、「それでも(31)」「知りたい(32)」から女というか彼女に問う。
「ご出身はどこですか?」
「あ、高円寺です」
「『…なんで? (say,Why?) 』(33)」
それで、そのピースがピースではなくて「二 (34)」であったことがわかる。ただ問いとして、なんでと問いたいのは彼女の目が前に二つで、後ろにではないはずなのに、なぜ降ってきているのが「二 (35)」とわかったのかということ。それから、これで「日曜日(36) 」が終わることだった。
***
(1)烏屋茶房『O-Ku-Ri-Mo-No Sunday!(JASRAC表記:O-KU-RI-MO-NO SUNDAY!)』(2019) コロムビアソングス株式会社.
(2)同上
(3)同上
(4)同上
(5)同上
(6)同上
(7)同上
(8)同上
(9)同上
(10)同上
(11)同上
(12)同上
(13)同上
(14)同上
(15)同上
(16)同上
(17)同上
(18)同上
(19)同上
(20)同上
(21)同上
(22)同上
(23)同上
(24)同上
(25)同上
(26)同上
(27)同上
(28)同上
(29)同上
(30)同上
(31)同上
(32)同上
(33)同上
(34)同上
(35)同上
(36)同上
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