貴方が私を殺したのです

湊賀藁友

貴方が私を殺したのです

 つまらない話をしましょう。

 ありきたりで、聞いていれば自然に欠伸あくびが出るようなそんなお話を。

 そんなお話をする以上貴方の時間をわざわざ浪費させてしまうのは忍びないので、夢の中にこうして出てきたというわけです。えぇ、きっと貴方にとってはつまらないお話でしょう。けれど、私にとってはどうしても聞いていただきたいお話なのです。


 あぁ、いえいえ。貴方の目が覚めるまでにはきちんと終わりますから、どうかご安心を。何度も続くような夢は、無粋でございましょう? 

 それに貴方、中弛なかだるみするような長編はお嫌いですものね。


 __何故知っているのか? 

 ふふ、意地のお悪いこと。私のことを忘れてしまったんです? ……まぁ、予想は出来たことですから、気にはいたしません。


 それでは、貴方の知らない女からの、意味の分からない話としてどうぞお聞きになって下さい。

 ……いいえ、いいえ。気にしているだなんてそんな、気のせいです。……気のせいです。

 確かに、姿を見れば思い出してくれるだろうと思ってはいましたが…………。


 こほん、本題に入りましょう。つまらない話のつまらない前座なんて笑えませんから。えぇ。


 こんな話は少し恥ずかしいのですが……初めて貴方を見た時、なんて素敵な人でしょうと思ったんです。


 あら、嘘だと仰るんですか? ……酷い人、乙女の告白をそんな風に言うだなんて。無粋です。無粋という以外になんと例えましょうか。これでも口に出すのに勇気がいたんですからね? 


 ……貴方は覚えていないと仰いましたが、あの頃の貴方はそれはそれは真っ直ぐに、輝いた瞳で私という存在を見てくださったのです。

 いえ、いいえ。私以外にも貴方は真摯に向き合っておいででした。勿論、当然、言うまでもなく、私を見ている時の瞳が一番輝いていましたが。


 しかしながら、時が経つにつれて、貴方は私を忘れていきました。私のことを沢山沢山書き留めたノートを箱にしまいこみ、いつしか見返すことすらしなくなったのです。


 …………そのこと自体は本当に本当に悲しかったけれど、運命さだめだと受け入れられました。覚悟も、していましたから。


 だというのに、今の貴方を見ていれば『人気が出なさそう』だの『つまらない』だの、『急かされたから書かねばならない』だのそのような言葉を吐き、淀んだ目で相手と向き合うばかり!! 

 えぇ、えぇ、私達は貴方の書いた物語の登場人物に過ぎませんとも! 


 ですが、いけません。貴方が行った所業だけは私、決して許すことが出来ません! 


 貴方が私を殺したのです! 

 書き手であり唯一の読み手である貴方の記憶から消えたことも確かに一種の死ではありましたが、それに怒りなどは抱くはずもございません。

 ……しかし貴方は、私の恋心までをも殺したのです。

 あの日、誰に見せるでもない物語を心底楽しそうに、幸せそうにえがいていた貴方へ私が抱いた恋心を、貴方は殺したのです! 


 自分の物語をえがく貴方が面倒臭そうに筆を執る度、首を絞められるようでした! 胸を抉られるようでした! 目を潰されるようでした! 四肢をもがれるようでした! 

 しかし、この身体には傷一つつかぬのです……! 


 それがどれだけ悲しいことか、貴方は知らないのでしょう。

 それがどれだけ苦しいことか、貴方は分からないでしょう。


 死んでいく私の恋心は、何一つ遺せないのです。

 身体も、骨も、血液も、色も、記録も……そこにあった痕跡を、遺せないのです。


 いずれそれが本当に恋であったのか、それすらも私の中で分からなくなるでしょう。……私はそれが、何よりも恐ろしいのです。


 私の愛はもう死にました。だからこそ、それがそこにあったことは私だけが知っています。

 しかし私が忘れてしまえば、それはもう完全にになってしまうのです。

 ……それは、そのことだけはせめて防ぎたいと思いました。私の鮮やかな想いを、華やかな記憶をなかったことにすることだけは、どうしても許せなかったのです。


 だから、貴方は絶対に忘れないで下さい。

 あの頃、私達を愛してくれた貴方は確かに存在したのです。

 あの頃、そんな貴方に恋したこどもが確かにいたのです。


 ____あぁ。もう、目覚めの時ですね。


 …………最後に、一つだけ。

 愛していました。確かに、愛していました。……さようなら。


 ■


 女が遠ざかっていく。世界が遠ざかっていく。意識が遠ざかっていく。


 だというのに、何故だか女の流す涙と胸を締め付けるような微笑みはハッキリと目に写る。

 一瞬何を言えばいいか分からず悩みかけたが、私はすぐに大きな声でを叫んだ。


 ……聞こえただろうか。そう不安になったが、すぐにそれは消えた。


「! …………えぇ、えぇ。

 やはり、嬉しいものですね。名前を呼ばれる、というのは」


 女は心の底から幸せそうに、子供のように笑ったのだ。


「思い出してくれて、ありがとう」


 そこで、女のいた世界は消えてしまった。


 ■


 目が覚めて、一番に私はもう何年か手を触れてすらいないノートを段ボールの底から引っ張り出した。


 一ページ目から読み進め、稚拙な文章だと自嘲しながらも、私はその物語を読むことを止めなかった。


 ただ一人、自分の為だけにえがかれたそれを読むと思い出すのだ。

 空想の中で抱いていた感情も、感傷も、感動も、色を思い出したかのように私の中を彩るのだ。


 全て読みきると既に日は沈みかけていたが、私はそのまま沸き上がる何かを感じながらスマートフォンを手に取った。


「…………あぁ、もしもし? 突然申し訳ない。

 ……書きたい物語が、出来ましてね」


「え? 先生がですか!? ……あ、いえ、失礼しました。

 お聞きしますよ。ちょうど時間も空いていますし僕が先生の家に行きます、今すぐ」


 そのまま切れてしまった電話に今まで私はどんな風に見られていたんだと苦笑したが、不思議と気分は昂ったままだ。


 君の話を書こう。

 勿論昔の物語のリメイクだなんてそんな無粋なことはしない。だってあれは私と君だけの世界だったし、何より僕と君には相応しくないだろう。

 だからこそ僕が書きたいと願う、今の君の物語をえがくのだ。


 あぁ、でも評価を気にすることは許してほしい。

 だって私は、『どうか君が、沢山の人に愛されますように』と願わずにはいられないのだから。


 ふともう一度、今度はじっと窓の外を見つめる。


 __あぁ、何故忘れてたのだろう。

 世界はこんなにも、美しかったのだ。

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