3650回目の「死にたい」、

詩一

3650回目の「死にたい」、

 ——1回目の「死にたい」を聞いたのは、駐車場に止めた車の中だった。


 僕はどうしたらいいかわからなくて、ただ彼女を抱きしめた。抱きしめても、それが正しいことなのかどうかわからなかった。初めてのデートの終わりは、そのようなものだった。



 ——2回目の「死にたい」を聞いたのは、彼女からのメールに書かれた文字からだった。


 会社に遅刻したのだそうだ。遅くまで連れまわしてしまったのが行けなかったのだろうか。僕が謝罪のメールを送ると「あなたのせいじゃあない」と返って来た。それで胸を撫で下ろせるほど心は簡単ではなかった。



 ——8回目の「死にたい」を聞いたのは、平日の水族館の休憩スペースで、子供たちが通り過ぎて行ったときだった。


 僕は聞こえなかったフリをして、次はどこに行くかなんて言葉を口にした。先ほどの発言が嘘になるくらい明るく返す彼女の声に、逆に動揺してしまった。



 ——31回目の「死にたい」を聞いたのは、彼女にプレゼントを渡した日の帰り道だった。


 付き合い始めた一か月のお祝いにプレゼントを用意してそれを渡した。最初は素直に喜んでいたのだけれど、次第に彼女はプレゼントを用意していなかった自分自身に苛立ち始めたようだった。



 ——71回目の「死にたい」を聞いたのは、僕の誕生日の前日の電話越しだった。


 僕に誕生日プレゼントを買うためにいろいろ悩んだのだけれど、どれにしたらいいかわからず混乱してしまったようだった。僕は一緒に過ごせるだけで幸せだから無理をしないようにと勧めたけれど、彼女は頑張ってプレゼントを選んでくれた。



 ——365回目の「死にたい」を聞いたのは、僕の転勤が決まったときだった。


 付き合い始めてたった一年で、遠距離恋愛になってしまう。会えなくなるのが寂しいから付いて行くと言ってくれた。彼女はそのときすでに仕事を辞めて、フリーターだったので僕に付いてくるのは難しくないようだった。僕が転勤先でどれだけ頑張れるかはわからなかったが、彼女のためにも無理にでも頑張らないといけないと思った。



 ——782回目の「死にたい」を聞いたのは、バラエティー番組を見ているときだった。


 不意に歌を口ずさむように、なんでもないときに死を口走るのはいつものことだ。だけれども、どうしてその言葉を放つのか考えてもわからず、ついには聞いた。「過去のことを思い出しているだけだから」と言われた。



 ——999回目の「死にたい」を聞いたのは、洗濯物から生乾きの匂いがしたときだった。


 本当に死を渇望しているわけではないことを告げられて、少しばかり気持ちは楽になった。同時に、ならばどうしてそのようなことをわざわざ僕の前で言うのかと言う疑問が浮上した。



 ——1002回目の「死にたい」を聞いたのは、僕が仕事から帰って来たときだった。


 ご飯の準備を面倒くさそうにやり始める彼女を見て、怒りが沸いた。こっちだって疲れているのに。彼女はずっと家に居たのに。目の前に死の言葉を突き刺して、僕の介入をはばむ。便利に使っているだけなんじゃあないかとすら思った。



 ——1986回目の「死にたい」を聞いたのは、彼女がバイトの面接に落ちたときだった。


 彼女が働けないことについて落胆しているのか、或いはいつも通り過去を反芻はんすうしているのかはわからなかったが、僕はゆっくりでいいよと声を掛けた。



 ——2080回目の「死にたい」を聞いたのは、二人でアイスクリームを食べているときだった。


 彼女は、実はずっと昔はその言葉を飲み込んでいたのだと言う。言ってしまってはいけないと思っていた。けれども思い切って言ってみたことで、心が軽くなるのを覚えたそうだ。それからは我慢しないようにした。その方が精神衛生上良いのだそうだ。



 ——2081回目の「死にたい」を聞いたのは、スマフォのゲームをやっているときだった。


 僕の精神衛生はどうだろうか。毎日目の前で死を口に出されて。彼女はそんなことを考えたことがあるのだろうか? いや、どうあれ彼女は言わなければ心が辛いと言うのだから、僕は耐えねばならないのだろう。



 ——2556回目の「死にたい」を聞いたのは、観覧車の中だった。


 その日僕は彼女にプロポーズをした。彼女は「あなたを不幸にしたくない」と言った。僕は一緒に幸せになるんだよと手を握った。結婚がイコールで幸せかどうかはわからない。けれども彼女が抱いている不安を払拭するには、他に方法を知らなかった。



 ——2921回目の「死にたい」を聞いたのは、結婚写真を撮った帰り道だった。


 こんなに幸せなことはないと言っていた。これ以上の幸せはないと。確かに、こんなに嬉しそうな彼女を見ることは、金輪際こんりんざいないような気もしたけれど、それでも毎日彼女と笑って過ごしたいなあと思ったのも事実ではある。



 ——2922回目の「死にたい」を聞いたのは、唐揚げを食べているときだった。


 同棲も、結婚も、写真撮影も、僕にとってはとんでもない決断の数々だったけれど、彼女にとってはどうだったのだろうか。彼女の過去を払拭できるような代物に、なっては居ないのだろう。或いは、もうなにも感じていないのかも知れない。



 ——3104回目の「死にたい」を聞いたのは、猫カフェの帰り道だった。


 僕が聞こえないフリをしていると、「私たち、子供は授からないのよ?」と言われた。責められているようにも聞こえたし、悔いているようにも聞こえたし、おどけているようにも聞こえた。ともあれ僕たちのアパートは、ペット不可だ。



 ——3650回目の「死にたい」を聞いたのは、布団に横になって目を閉じたときだった。


 彼女と歩き始めて早いものでもう10年が経つ。この言葉はあと10年経っても20年経っても30年経っても、それこそ死ぬ直前まで聞き続けるのだろうなあと思った。そう思った瞬間に、今まで抑えていた気持ちが、どんどんと溢れて来た。辛い。辛い。辛い。そんなの辛い。ずっと辛かった。それでも一度も言葉に出さなかった。彼女が困るといけないから。彼女を幸せにするために僕は居るから。付き合い始めたから。同棲したから。結婚したから。記念写真を撮ったから。なのに。それなのに彼女はぬけぬけと、毎日毎日毎日毎日僕の気が狂うまで毎日毎日毎日毎日。ああ。嫌だ。もう嫌だ。もうこんなものは嫌だ。生活が嫌になったんじゃあない。彼女が嫌いなわけじゃあない。これ自体、このが嫌だ。嫌なのだ。そしてそれを受けれいているのにも疲れた。平気なふりをするのにも疲れた。そうして僕は一度も疲れたと言ったことがないことに気付いた。全部あの言葉のせいだ。僕は僕のために言葉を放つことも置くことも出来ない。一生、ずっと、死ぬまで、このまま。僕は僕のために一語も発せられない。それならばもう、いっそ僕だって。僕だって死にたい。死にたい。そう思った。生まれて初めて彼女と同じ気持ちになれた。ようやく一緒になれたのだ。長かったなあ。長かった。でもそれももう終わる。もしも僕が目の前で死んだなら、彼女は泣くだろうか。それとも笑うだろうか。手向たむけの言葉はごめんねとありがとうのどちらだろうか。


 知りたい。


「死にたい」



























 ——3651回目の「死にたい」を聞いたのは、明日のお出掛けに着て行く服を決めているときだった。


 彼女は相変わらずの優柔不断で、決められずに居た。

 それにしても、昨日は危なかった。どうかしていた。しかしそんな僕を、彼女はなにも言わずに抱きしめてくれた。ポンポンポンポンと、背中を優しく叩いて、頭を撫ぜてくれた。心がとても穏やかになっていくのがわかった。涙が止めどもなく溢れて零れた。それらはすべて彼女の寝巻に吸い込まれていった。

 とどまれて良かった。いや、多分なんだかんだ言って簡単に死にはしないんだろうけれども。彼女にお礼を言うと「いつもありがとう」と返って来た。



 ——3652回目の「死にたい」を聞いたのは、駐車場に止めた車の中だった。


 付き合い始めて10年記念デートの帰りに立ち寄ったコンビニの駐車場だった。相変わらず僕にはなにもわからない。相手の心なんて、付き合っても、同棲しても、結婚しても、記念写真を撮ってもわかりはしない。だから……どうしていいかわからないままに僕はただ彼女を抱きしめた。抱きしめたとき、それが正しいことなのだと知った。


 だって彼女は生きているのだから。僕にとっての真実なんて、それだけで充分だと思った。

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