眠らない夜

 1984年、やっと手に入れた女子大生という特権。

世間は女子大生に魅了されていた。深夜のCX《フジテレビ》では女子大生たちが、新進気鋭のお笑いタレントとはしゃいだやり取りをする番組がもてはやされていた。オープニングではレオタード姿の女子大生たちが、オリジナルソングを振り付けを交えて歌う。女子大生ブームの火付け役となったこの番組は、高卒と開き直るそのお笑いコンビと隣に並んだお嬢様大学現役のタレントが司会を務めていた。彼女の少しインテリぶったアナウンサーのような話し方は、ふざけた番組内容をなんとなくハイソなものにしていた。巷の若者たちは時終了時間未定という異例な企画のこの番組に見入り、土曜の深夜、いつになったら寝られるのかと思いながらもたいていエンディングまで観続けるのだった。仲間と飲んで下北沢のワンルームに帰宅する。酔いが少し冷めるころ、番組が終わって時計を見れば、深夜の三時過ぎ。週末に遊びに来る彼女はいつの間にか寝入ってしまっている。彼女の横たわるベッドに滑り込み、日曜日に行く予定の映画のことを思いながら眠りにつく。週が明けると彼らは、学食で月曜日の日替わりランチを食べながらレポートの課題を確認し合うのと、その番組について語るのと同等の時間を割くのだった。この番組の彼女と私は同じ大学だったが、キャンパスで彼女と会ったことはなかった。学年も学部も違えば広い構内では会わないものだ。彼女を見かけたことのある友だちの話を聞くにすぎなかった。タレントの彼女はテレビの仕事が忙しく講義は欠席がちだが、キャンパスではいたって普通の学生生活を送っているらしかった。彼女と同じくらい、その頃の私も学校には不在がちであったが。

 

 雑誌JJでは、素人の女子大生モデル(今で言うところの読モ)が有名大学の名が刻まれた校門の前に立ち、自分の身に着けているものを紹介した記事が多かった。シャネルのバッグ、ブルガリの腕時計やティファニーのペンダントや指輪、そしてマーク2やソアラに乗る自慢の彼氏がよく掲載されていた。メンクラやポパイを愛読する彼氏は流行りのデートスポットを熟知していた。美味しいレストラン、夜景のきれいな横浜の公園、彼女に似合うカクテルを作ってくれる気の利いたバーテンがいるカフェバー、いち早くアメリカやヨーロッパのブランドから新作の服や小物を入荷するセレクトショップなど。彼らは大学の教授に買わされる参考書と同じくらいファッション雑誌や情報誌に投資して、昼でも夜でも彼女のリクエストに素早くこたえられるだけの豊富な知識を整えていた。どこにいてもちやほやされる女子大生たちの要望を満たすためには努力が必要だった。それは、ひとえに彼氏といえども、アッシー君、メッシー君、ミツグ君、この時代の彼氏にはいくつかのランクがあったから。彼らは常に自分の置かれた立場を気にしながら、彼女のご機嫌を取らなければならなかったのだ。本命を確立する必要不可欠な条件は、クリスマスイブの晩に夜景が眺められるシティホテルの部屋で彼女と二人きりで過ごすことだった。早い時期に満室になる人気のホテルを予約するためには、夏が終わるころまでに自分こそが彼女の本命と確定させる必要があった。見切り発車で予約を入れられるほどチャージは安くない。慎重に「よし、だいじょうぶ」と確信して予約をしても、冬までの少しの間に努力を怠ればたちまち本命以外の彼氏に転落する。アッシー君やミツグ君ではホテルの部屋は必要ない。毎年クリスマスの間際には、ホテル付のフリーの男の子たちが彼女探しに躍起になっていた。


 昨夜クリスマスイブにもらったプレゼントの値段を確認するために、私は銀座のティファニーを覗いていた。大学三年のクリスマス、付き合い始めて間もない同級生の彼がくれたのはティファニーのオープンハートのネックレス。みんなが持っていて流行りのものだったけれど、いかにも女子をアピールしているような甘いデザインのオープンハートは、あまり私の趣味ではなかった。でも値段を確認して高価なものならそれなりに大切にしようかと思っていた。オープンハートにはたくさんの種類があった。大きさやあしらわれているダイヤの数など、プレゼントにもらったものはどれだったかしら?!とショーウインドーを物色していると、隣で二十歳くらいの青年がオープンハートのペンダントを購入するところだった。小さな声で彼は言った。「あのぅ…これ、ください」と並んでいるハートの一つを指さした。「はい、こちらですね。ありがとうございます。12万円になります。」店員は丁寧にオープンハートをショーケースから取り出して彼に差し出した。と、次の瞬間「あっ」と息をのんだ青年は突然、顔がみるみるうちに耳まで真っ赤になった。そして、さっと下を向いて、さっきよりさらに小さな消え入りそうな声で言った。「すみません、…値段を見間違えて…」うつむいたまま逃げるようにして青年は店を出た。そして店員と私はちょっと目が合ったが、彼女は何事もなかったかのようにオープンハートを慣れた手つきで元の位置に戻すと他のお客の対応にあたって行った。私は赤くなって去っていった彼の気持ちを思った。無理もない。こんなネックレスが一本、知らない人が見たら誰だってそんなに高価だとは思わないだろう。彼は0を一つ見落としたのだ。街ゆく女の子たちがTシャツの胸に無造作に着けているハート型にくり抜かれたそのネックレスが、一本12万年だなんて。その日は12月25日の午後だった。当時、本命の彼と過ごすのは24日のイヴ、23日は“イヴイヴ”なんてふざけて呼んでいたが、イヴ前夜はたいて仲間内とのクリスマスパーティーで過ごすことが多かった。そして、25日はキープの彼と一緒に過ごす日。値段を勘違いしたこのかわいそうな彼は、キープのそのまた次のキープの地位。イブの翌日、何らかの理由で急に暇になった彼女から突然デートのお誘いがあったのだろう。彼にとってはきっとあこがれの彼女。急いで彼女のお気に召しそうなプレゼントを用意して、デートに駆け付けるつもりだったのだろう。彼にはティファニーのハードルが高すぎた。ここを出て、彼はいったいどんなプレゼントを用意したのだろうか。彼の予算、1万2千円で何を買うというのだろう。来年は25日ではなく、ちゃんとイブにお誘いがありますように…この教訓をもとにクリスマスまでにもっとお金を貯められますように…。と、なんとも気の毒な青年を勝手に思いやりながらも、私は昨夜もらったオープンハートのペンダントの値段が気になって仕方がなかった。


 JJの紙面からそのまま飛び出した彼女たちはキャンパスライフを謳歌した。夏はサーフィンとテニス、冬は苗場でのスキー。ほかの大学生たちと合コンをして彼女たちの交友関係は際限なく広がってゆく。前年度、学生全日本を制覇したラグビー部員との合コンを取り付けた友だちは鼻高々にメンバーを募った。彼女はラグビー部のマネージャーを志願してあの手この手と尽くしたが、狭き門らしく悔しがっていた。彼女たちは幾つものサークルを掛け持ちで所属し、お家柄の良い彼氏の品定めをした。サークルのお揃いのスタジャンには目立つところに女子大生の証、校章がデザインされている。いつもはボディコンの彼女たちも、このスタジャンを着るときにはハマトラ、サーファールックとカジュアルにドレスダウンし、いつもとは違ったおしゃれで競い合っていた。早稲田、慶応、上智、立教、青山…。春の新刊コンパと秋の学祭シーズンの渋谷は、おそろいのスタジャンを着た若者が深夜まで街にあふれていた。そんな時代、何とか女子大生になった私だったが、父はしがないサラリーマン、母は事務職なパートをしている家庭に、やっと払ってもらっている高額な授業料の上、スタジャン代金7万円を無心することは到底できなかった。入学してすぐに友達になったそのから、夏はサーフィン、冬はスキーの「お遊びしましょ」サークルに入部しようと誘われた。おそろいのスタジャンが他のどのサークルのそれよりオシャレでかっこいいらしい。私はサーフィンもスキーも興味のないふりをして、彼女の誘いを断った。そのは買い物はパパのカードで、そうしてママから譲ってもらったというルビーの指輪をはめていた。そんな本物の女子大生になんか私はなれるわけもない。夏休みは彼氏とハワイでデートして、お土産にはおそろいのヴィトンのバッグを購入。彼らのお小遣いはいったいいくら?私は関東にある進学校から一応それなりの受験勉強をして、二次志望のこの大学にひっかかった。都心の一等地にあるこの大学には本当のお金持ちという人種が集まっていた。この時代にもてはやされていた女子大生は結局、付属の小中等部からエスカレーターで上がってきた裕福な家庭で育った人たちだった。サークルに誘ってくれた彼女は付属上がりでないことを恥じながらもお父様は地方の個人企業の経営者であったらしく、彼女の身に着けているもにはすべてブランドのロゴが記されていた。サーファーカットの長い髪をなびかせてブックバンドに束ねた聖書を小脇に、キャンパスで立ち話する彼女の横顔はまぶしかった。JJでも有名なこの校門、毎日くぐるこの校門は私にはいつまでたっても結局よそ様の家の門だった。


 入学説明会の日、キャンパスのイチョウ並木の下はたくさんのサークルがテントを出し在校生は新人の勧誘に色めきだっていた。それぞれがサークルの名と校章を入れて独自にデザインをした自慢のスタジャンを身に着けていた。日焼けしたその男女は雑誌で目にする人たちと同じだった。輝いていた。この大学に入学が決まって以来、私は雑誌で研究して、精いっぱい女子大生らしい身なりをしてきたつもりだったが、本物を目の当たりにするとその違いは歴然だった。気後れしながら、どこにどんなサークルがあるのかもわからずただあてもなく一人で歩いていると、長身の男性がギターを片手に声をかけてきた。「かのじょ、音楽やらない?」その声に、ふと見上げた彼の顔はどことなくチャーに似ていた。スリムな体をもてあそぶように無造作に履いたジーパンがうらやましいほど細い足に良く似合っていた。見回すと、このテントにいる人たちはおそろいのジャンバーは着ていない。音楽サークルらしいがロックンロール、ヘビメタ、パンクではないことが彼らのいでたちから見て取れた。ふっと安心したそのとたん、私ははいきなり強い力で引き寄せられ、彼らのテントの方へ誘導された。長身の彼に肩を抱かれ、少し軽くなった体をつま先立ちの足で支えた。初めて会った男性の胸元がぴったりと背中に着けられている。男性を知らなかったわけではないが、あまりにも突然のスキンシップに私は驚いた。一瞬その手を振り払って逃げだしたい衝動にかられた。この先、何が起こるのか不安で鼓動が早くなっていった。その高鳴る心臓を彼に気づかれまいと、自分の肩に入った力を抜いて緊張を抑えようと試みた。わざと平気なふりをして、彼に体を預けながら大人の世界を肌で感じていた。高校生とは全く違う自分は正真正銘の女子大生になったのだと実感できた瞬間だった。肩を抱かれたときに匂った彼から放たれていた女性的な香りは、妙にアンバランスではあったが、言われるがままに私は入部届にサインをしていた。数日後、一つ上のサークルの先輩から聞かされたのは、先日私の肩を抱いて勧誘した彼が、経営学部の4年生で、2歳年上の社会人の彼女と同棲しているということだった。あの女性っぽい香りは、一緒に暮らしている彼女とシャンプーを共有していたからなのであろう。いい男過ぎて私のタイプではなかったが、仲間同士の雑談から聞かされたその突然の事実に内心ショックを受けていた。小説の中でしか知らなかった「同棲」という未知なる世界が、いとも簡単に目の前の現実として存在することに驚愕したのかもしれない。それ以来、その先輩に会うたびに「この人は昨夜、大人の女性と一緒に寝て今朝も一緒に起きて朝食をとって、一つの玄関から出てきたのか。あの時私にしたように彼女の肩を抱きながら…」とその甘美であろう同棲生活という未踏の地に、18歳の私は陳腐な想像をはせ巡らせたのだった。

 

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バブルの申し子たち ~時の流れに身をまかせ… みむらみゆき @miyukimimura

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