除幕式
「リリィ、今夜のスーツもカッコいいね。声の調子はどう?!」
機嫌よく店長から声がかかる。
私の本名は鈴木百合子。“鈴木”は日本で2番目に多い苗字で平凡すぎて下の百合子と合わない気がしていたので、母方の苗字の“白石”を使うことが多かった。この頃からたいてい白石百合子と名乗っていた。
母は私を外交官にしたかったようで、だがそれに向けて特別といって何かしてくれたことは無いが、ときどき「外交官とか素敵な職業よね。百合子に合うと思うんだけどね。」と話していた。秋田の農家で継母に育てられた母は、東京に憧れ必死に勉強をして大学を目指したそうだ。でも、厳しい継母と貧しい実家の現実を考えると、とても学費なんて払ってもらえないことに気づき大学を断念。私が大学を卒業する頃、母は自分の高校時代の成績表を見せてくれた。大切にとってあったのであろうその中身は、10段階評価で平均はほぼ9に近かった。受験をすれば、きっとある程度の大学に合格できたであろう。進学できるだけの成績がありながら、それが許されなかった当時の母をとても気の毒に思った。たった半世紀前のことなのに、その時代、大学進学はだれもが叶えることができる道ではなかったのだ。そんな母はグローバル時代を見すえて、外国でも通用するようにと考えて私に名前をつけてくれた。百合子の
夜7時半からの30分間のオープニングステージを皮切りに、8時半~、9時半~、10時半~、11時半~と一日5ステージ。20~25曲を唄っていた。流行りの歌から懐かしいニューミュージック。自分の好きな歌ばかりを選んでレパートリーは200曲を超えた。バンド構成は、ギター・ベース・キーボード、狭いステージでのたいこはドンカマ。月のギャラが50万円の契約で始まったこの仕事、好きな曲を歌えるこの仕事は結構気に入っていた。学生時代、アマチュアバンドにはまってプロになりたくて、ミュージシャンのバックコーラスのオーデションなんか受けたこともあった。ヒット曲のあるシンガーソングライターのバックコーラスで踊りながら口パク収録でテレビの歌番組に出たりもした。ちょろっと業界に足を踏み入れた気になったりなんかして…。でも、なんとなく先が見えているような気がした。メロディーや詩が湧き出る才能なんてないし。20歳も過ぎて数年たてば自分のお里にも気がつき始める。そんな思いを抱きつつ、いつものようにバックコーラスのオーディションを受けたとき、偶然立ち会ったクラブのオーナーにスカウトされた。クラブ歌手…、踏み切るにはさすがに悩んだ。業界では「箱バン」と呼ばれるこの仕事。クラブ歌手をする行為は、音楽業界では俗に“汚れる”といい、その経歴は決定的なマイナスとなり、陽の当たる場所での歌手としてはもう認められなくなる。クラブのオーナーに決断を迫られたとき、そんな周知の事実を受け入れて22歳になる私は憧れのプロを目指すことは諦めた。潔く、この道に身を投げたのだ。時代の流れに逆らうことなく私は割のいい条件をのんだ。「歌手として、もう日の目を見ることは決してない…」そう割り切った。しかし、割り切ったはずなのにわかっていたはずなのに、クラブで唄うことは想像以上に辛い仕事だった。世の中全てを知った風に、腹をくくってみたものの私は単なる世間知らずだったに違いない。
ステージに立ち唄い始めるとすぐに、そこには違和感があった。バックにはバンドのメンバーもいて一応それなりの演奏は出来ていたが、言いようのない孤独感と焦燥感、だれかれとなくから漂う冷たい空気を感じた。一体それがなんであるのか、たいして時間もかからずにその正体を知ることとなる。
そもそもクラブを訪れる客はコンパニオンが目当てなのだ。私の唄を聴いてくれるわけなんかないのだ。歌い始めも終わりも拍手なんかもちろんない。誰一人として、チラともバンドを気に留める様子もない。バンドの音は客と店の女の子の距離をちょっとだけ縮める仕掛けの一部にすぎない。誰が歌っていても同じこと。ここに立っているのは別に私じゃなくてもいいんだ。誰も聴いてはくれない。このステージから流れている生の音が、店という「箱」の中でまるで機械音のように虚しく響いている。こんなものかとか諦める気落ちを持とうとすればするほど悲しくなった。歌うことが大好きで、唄うことは喜びを感じることと思っていた今までとは明らかに違った世界だった。歌っていることがみじめに思えた。楽しい歌を歌えば唄うほど涙が込み上げた。このステージの上で、たとえ号泣しようとも気がつく人は誰もいやしない。しばらくの間、華やかな現実から取り残された自分がいた。それでも毎夜毎夜、時間がくると私は唄っていた。なんとなく唄っていた。もう、他にすることがなくなっていたらから。以前好きだった歌を思いだしては唄ってみたが何かが違っていた。自分の喉から出ているこの声が、まるで他人の声のように遠くから耳にもどってくる。歌うたびに心にぽっかりとあいた穴がどんどんと大きくなっていく。そして、自ら開けたその穴に、とうとう私は飲み込まれ、生まれて初めて“抜け殻”になった。
ある日のこと、ワンステージを終えて控室に向かおうと店を出ようとしたとき、一人の客と黒服の会話が耳に入った。「ねえ、あの子を指名したいんだけどぉ…」と言う客に黒服が答える。「すみません。彼女は当店の歌手なので、お席にお連れするこができないんです。」「あ、そう?歌手?あれ?歌なんかこの店にあった?」と客が不思議そうに言った。…ショックだった。週に4日、この店のど真ん中のステージで、確かに私は唄っていた。夜に喉を使うために昼間の何倍も気を使い、声が枯れないように腹筋も鍛えたりして、歌い手の基本も守っていた。私は紛れもなく歌手なのに歌をきいてくれるどころか、このバンドの存在自体が無視されていたなんて!何とかしてバンドの存在を、いいえ、この私を確保しなくては。このままではイヤ!まだわずかに自信が残っていたここに来る前の私に戻りたい。歌うことが楽しいと、心の底から思っていたい。数日間、考えた挙句、私は思い切って店長に提案してみた。店長はしばらく考えていたが私の説得に応えてくれた。予算をかけてやるからにはそうれなりの結果を出すようにと釘を刺されたが。早速、提案は実行された。まず、ステージ周辺のスポットライトの数を増やしてもらった。スピーカーを新調してもらい、位置を検討した。バンマスも協力してくれた。自前のイコライザーをシンセにつなぎ、コーラスもかって出てくれた。コーラス用のスタンドマイクも補充した。華やかになったステージと音は完璧。あとはメインボーカル。そう、そうして私はきらびやかな彼女たちに負けないくらいの化粧をした。アイライナーで目を囲み、ブルーのアイシャドウで瞼を彩り、唇にはディオールのピンクを乗せた。109で選んだ大胆なモノトーン柄で太腿半ばまでのスカートのボディコンシャスな衣装に、ラメ入りの10㎝のパンプスで身を固め、背中まであった髪はソバージュにして、ありったけの光りものを身に着けた。そして次に、ステージの上では彼女たちの目線を真似てみた。優しいまなざしといちずな瞳で、客席を見下ろす。ひとりひとりが、まるで愛おしい恋人であるかのごとく媚びた視線を投げかけた。そして、偶然にも客の一人と目が合えば絡めた視線は外さない。そのまま見つめて唄い続ける。離さない、相手が私が誰であるか気づいてくれるまで。こんな場所で、唄を聴いて欲しいなんて間違っていたんだ。ここに来る人たちの目的はライブなんかじゃない。綺麗な女性たちに相手にされたいがために金を使うのだ。たとえ、それがひとときの
結果は間もなく現れた。
あるとき、一人の客から唄のリクエストがあった。「五番街のマリーへ」だった。すぐに予定していたナンバーを変更してリクエストに応えるようバンマスにお願いした。そして、曲が始まると私はステージの正面から左側へと90°向きを変え、リクエストをくれたその客に焦点を合わせ、ゆっくりとうなづくような感謝の礼をした。今、私は貴方のためだけにあると心で唱えながら。私は周りの景色の一切を遮断して彼に唄った。お店の女の子がたちが客の膝の上にそっと手を置くように、私の唄声が彼の膝の上に届くよう。
するとその客は周りにいるコンパニオンたちの話を制しステージへ身構えてじっと黙った。時折水割りの入ったグラスを手ゆっくりと口に運びながら、深々とソファにもたれかかり唄に耳を傾けた。彼は私の唄を聴いていてくれた。その瞬間、客と私の間には確かに音が流れ始めていた。
大学のサークル仲間で演奏したコンサートが久しぶりに思い出された。小さなライブハウスを仲間で借り上げてはライブをやったこと。たくさんの人は集まりはしなかったけれど、観客との一体感を肌で感じていた頃のこと。去年までの3年間、バンドを組んで私はボーカルを担当していた。所属していた音楽サークルは結構大きな組織で、何グループかが集まっては定期的に渋谷界隈のライブハウスで定例コンサートを開いていた。その日が近づくとバンドのメンバーでスタジオを借りて、何時間も深夜まで練習した。仲間同士でお小遣いをはたいてスタジオ代を捻出した。狭いスタジオは夏は暑くて、一曲演奏するたびに汗がしたたり落ちた。冬は寒くてマイクを握る手がかじかみ、声が出るまでに何十分も要した。重い機材を運び込み、セッティングも片付けも自分たちでやった。当日の集客のためにはチケットをタダ同然で配らなければならなかったから、練習の合間にメンバー全員でバイトをした。そうしてなけなしのお金を持ち寄ってライブを開いた。歌うことでお金になんかならなかったけど、唄うことの楽しさを何より感じていた。あれだけライブの虜になったのは聴いてくれる誰かがいたから、一緒になって唄ってくれた誰かがいつもいたから。ステージと客席には何の隔たりも無かったあの頃。
リクエストの「五番街のマリーへ」を唄いながら、ついこの間の生活なのにずっと昔のことのような懐かしい時代が蘇っていた。忘れかけていたこの空気感…。私はこの思いを大切にしたかった。たとえうたう場所がどこであろうとも私は一人の歌手であると自負していたかった。その思いだけが自分の支えとして、まだ心の片隅にあったのだ。曲が終わると彼から拍手があった。クラブで唄い始めて半年、初めて拍手をもらった。拍手はそのテーブルだけからだったけれど嬉しかった。彼に合わせて女の子たちも拍手をしていた。まばらな拍手が懐かしい。文化祭でのコンサートはこんな感じでぱらぱらとした拍手だったから。「リクエスト、どうもありがとうございました…。」
数日後、ステージに上がるとその客の顔が見えた。リクエストは入っていなかったがすぐさま、次の選曲を「五番街のマリーへ」にして変更してと小声でバンマスに伝えた。バンドのメンバーも事の事態を了承したらしく、バンマスが少し照明を落とすと丁寧にイントロを演奏し始めた。その人のために。いいえ、それはきっと自分たち自身のステージのために向けた演奏であったのだろう。「箱バン」の中に追いやられた演奏者としての誇りの一部が蘇った。
その客が帰った後、指名されていたホステスが私に駆け寄り「リリィちゃん、ありがと~。以前にリクエストをしたことを覚えていてくれたと言って、あのお客様、凄く喜んでいたわ。明日も聴きに来るって。またよろしくね!」とはしゃいだ。彼女にとっては労せずして明日の指名が1本確定したわけで私に感謝した。翌日、店長の指示で私はその客のテーブルに呼ばれた。初めてクラブの席に着いた。ステージから見下ろすテーブルの印象と違い、思ったよりそのガラスのテーブルは小さくて客との距離が妙に近くに感じられた。私は少し離れたスツールを探して座った。唄のお礼を言われ他愛のない会話を聞かされた。「何でも飲んで食べていいよ」と勧められたが、お腹がいっぱいになると次のステージで声が出にくくなってしまうので、、乾杯用にジュースを一杯頂いた。客がトイレに立ったときテーブルについている昨日の女の子が「どんどん食べて飲んでね!」と、にこやかだけど目は笑わずに私に言った。さすがこの店のナンバーワンホステスは、お客以外の私にまで気配りができるのだなと感心した。が、彼女たちは売上による歩合制の給料だから、“こんなチャンスにはしっかりオーダーして売り上げに貢献してよ!”という真の意味を後から知った。聞けばこの客は大金を落とす常連で店としては大切な人物、お得意様。私は店長からも感謝された。「リリィのおかげでお客様が喜んでくれているよ。うちの店には他にはないサービスができるな。」と店長は機嫌よく私の肩をたたいた。そうやって店長から肩をたたかれるたびに私のステージ料が上がっていった。このことがあってからステージの上からはできる限り客の顔を覚えるように努めた。一度会った顔には必ず親しみを込めた笑顔を作って会釈する。唄っているときに目が合えば、小首をかしげる仕草も身に着けた。リクエストも増えてチップももらえるようになった。チップは全てバンマスに渡した。真面目な彼はみんなに平等に分けてくれたが、間もなく私はその分け前を辞退するようになっていった。ステージの合間の休憩時間には、バンドのメンバーが次のステージングの打ち合わせをするのだが、それに参加できる機会が減ってしまっていた私はなんとなくサボっているような後ろめたさを感じていたからだ。「大切なお客様だからね、よろしく」と店長に頼まれれば、ステージの合間に上等なお客のテーブルに着いた。「いただきます!」としっかり飲んで、たいして食べられもしないが遠慮せずにオーダーをして、売り上げに貢献することも自然にできるようになった。さすがに歌い手としての自覚を持ってアルコールは断ったが、一日何杯も飲まなければならない私が飽きないようにと、お店は新しいジュースの種類をどんどんと追加してくれた。小太りで強面で無口なキッチンホールのチーフは、いつしか私の顔を覚えて話しかけてきた。私からは絶対に話かけることなんかできない雰囲気の彼は、キッチンに届く歌声に耳を傾けてくれていてドリンクメニューを考慮してくれるようになっていた。「リリィちゃん、昨夜は寝不足?なんか声にハリがないな。はちみつ入り特性ヨーグルトドリンクを作っておいたからじゃんじゃんオーダー待ってるよ!」と親しげに彼は声をかけてくれる。
唄を聴いてくれる客は増えていった。新しい曲をリクエストしてくる客も現れ、私がステージに立てば自然と客やホステスたちの視線が集まった。馴染みの客が増えるとともに拍手の音は大きくなり、エンディングソングを歌い上げると店中に拍手が沸き上がる。明日の夜もこの店の入り口には、大勢の客が列をなすことが確信できた。まだまだ飲み足りない客たちと一日の売り上げに満足する従業員たち。この拍手はいったい誰に贈られているのだろう。そんなことはわかりたくもないまま気がつけばギャラは増え、大学を卒業するその春、私の手には帯の付いた札束が渡されるようになった。毎晩のようにお金が飛び交う「箱」のなかで確実にその一部を手にしていた。気休めのブレーキはやっぱり気休めに過ぎず、いつしか私の左手にはハサミが握られプルミエールをはめた右手で赤いリボンを掴んでいた。本格的なバブル時代の除幕式のテープカットをするために。
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