第28話 今夜の晩御飯

 この岩場は大量のゴブリンたちの死骸から出る悪臭が充満しており、その臭気にやられて吐き気を催す者も少なくなかった。

 魔闘士としてそれなりにキャリアのあるメイファですら、胃からこみ上げてくる不快感が口から出てこないようにするのが精一杯である。


 この異様な状況の岩場の中において、あまりにも不自然な光景がさらに彼らを驚嘆させる。

 岩場の一点においてゴブリンたちの死骸が綺麗に片付けられている場所があり、そこにはテントが張られ照明型の魔道具によって明るく照らされていたのである。

 そこでは六名の人物が和気あいあいとしながら食事の準備を進めていた。

 プラチナブロンドのロングヘアをたなびかせながらメイド姿の女性が真剣な表情で巨大な寸胴鍋の中身を大きな木製の道具でかき回している。

 同時進行で寸胴鍋の隣に置いてある鍋に入っている赤色のソースの味見をして満足そうな表情な顔を見せていた。

 キャンプ用コンロの上に乗っている二つの鍋の底に火を当てているのは赤い髪をしたイケメンの青年だ。慣れた様子で微妙な火力調整をしている。

 その付近に置かれたテーブルではグラマラスな黒髪の女性が竜人族の青年と一緒にグラスに水を入れている。

 同じテーブルでは美しい金髪のルナールの女性と筋骨隆々の青年が人数分の皿を用意していた。


「なに……あれ……?」


 その異様な光景を前にして皆の心の声を代表するかのようにメイファが呟くのだった。

 呆気に取られる彼女たちの前では、彼ら魔王軍の夕食の準備が着々と進められていき、間もなくテーブルの上には人数分のミートソーススパゲッティが並べられる。

 魔王軍の面々が椅子に座ると「いただきます」と言って食事を開始した。

 

(嘘でしょ……こんなゴブリンの死体がたくさん転がっている中でご飯を食べ始めた。何かすごい笑顔で食べてるし。――何なの? あの人たちはいったい何なの? バカなの?)


 メイファは目の前で繰り広げられるTPOを完全に無視した夕餉ゆうげを見てドン引きしていた。

 こんな戦場のど真ん中で食事を始めるとは、何て緊張感のない連中なのだろう。彼女がそう思い隣にいるクレナイとコウガイに恐る恐る目を向ける。

 戦いに対して人一倍緊張感を張り巡らしていた二人は相当怒っているに違いないと思ったからである。

 ――が、彼女の目に映ったのは「美味しそう」と呟きながら、ふらふらと夕食中の魔王軍に近づいていく二人の姿であった。


 クレナイとコウガイに気が付いたアンジェは夕食を手早く済ませ二人の応対をする。


「お忙しい中救援ありがとうございます。もしよろしければお仕事の前にお食事などは如何でしょうか? もっとも現在提供できるのはミートソーススパゲッティしかないのですが」


「「ぜひそれで」」


 クレナイとコウガイは用意された椅子に座り、そわそわしながら食事が出てくるのを待つ。

 そんな二人の所にメイファが困惑しながらやって来る。


「ちょ! クレナイさん、コウガイさん何やってるんですか!! さっき戦いの雰囲気とかプレッシャーがどうとか言ってシリアスモードだったでしょ!? あれはどこいったんですか!?」


 クレナイはあっけらかんとした様子で怒るメイファに答えた。


「だって、敵はもう全滅しているし後はこの大量のゴブリンの死体を除去するだけよ。正直気が抜けちゃったわ」


 クレナイの隣ではコウガイが両腕を組んで頷いていた。だが慎重深いメイファはまだ納得できていない。


「でもこれだけの数のゴブリンですよ。生き残っている個体が何匹かいてもおかしくありません。油断は禁物じゃないですか?」


 メイファの至極真っ当な意見を聞いてクレナイは、ゴブリンの死骸の山に目を向けた。一通り見まわした後にメイファに視線を戻す。


「やっぱり生存者はいないわね。全員が確実に息の根を止められているわ。強力な打撃で体内の骨や内臓を破壊された者、鋭い刃で斬り刻まれた者、身体を焼かれた者、圧倒的なパワーで斬り潰された者。――様々なやり口で致命傷を負わされている。これをやった連中からは敵を一匹たりとも逃がさないという強い信念を感じるわね。私はこういう芯が通った戦い方、好きよ」


 クレナイから称賛を受け、少し照れながらもまんざらではない魔王軍の面々。その時、美しく盛り付けられた食事が二人の前に並べられる。

 

「お待たせいたしました。ミートソーススパゲッティになります。熱いのでお気を付けください」


 クレナイとコウガイは「いただきます」と言って食事を始めた。

 

「これは美味い!」


 コウガイは夢中で食事を頬張っていく。大盛のスパゲッティがあれよあれよという間に彼の胃の中に消えて行った。

 クレナイは長い黒髪をポニーテールにして食事の邪魔にならないようにすると、フォークでスパゲッティを一口分絡め、小さな口に運んでいく。

 咀嚼し、コクンと喉を鳴らしながら飲み込むと彼女はうっとりとした表情を見せる。


(ああ、このミートソースに使用されているトマトの酸味、しっかり炒められたみじん切りのたまねぎ、それに牛ひき肉から溶け出た芳醇な肉汁が一体となって極上のうまみを形成しているわ。こんなに美味しいミートソースは初めて。それにスパゲッティも私好みのアルデンテ――最高だわ)


 アンジェの用意した食事の虜になったクレナイの姿を見てメイファはかつてない敗北感を感じていた。


(クレナイ様のあんなにうっとりした表情は今まで見たことが無いわ。付き合いの長い私じゃなく、初対面のメイドにしてやられるなんて――悔しい! 帰ったら料理の勉強しよ!)


 ――数分後。


「ごちそうさまでした」


 魔王軍と途中参加した二名の食事が終了した。

 メイファもアンジェから一緒にどうかと勧められたが、艶めかしい表情で食事をするクレナイの姿を記憶に焼き付けるのに夢中だったので後ろ髪を引かれる思いをしながらもそれはお断りしたのであった。

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庶民の魔王道~魔力が使えないので地道に訓練していたら覚醒後チートになった件 ~ 河原 机宏 @tukuekawara

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