人間野球部

エホウマキ

第1話 人間野球部

  人間野球部

 

 幼い僕は夕方の公園の砂場に這いつくばっていた。立ち上がりたくても頭と背中を踏みつけてくる足が重くてとても動けない。頭が割れんばかりの笑い声が降りかかってくる。痛くって惨めで悔しくって僕は泣きだした。するともっと泣けと言わんばかりに僕を踏みつける足は重くなり笑い声は大きくなる。頭をまた強く踏みつけられた。鼻を強く打ち付けたので鼻血が、荒い砂が僕の顔を切ったので頬から噴水のように血が溢れてくる。とめどなく溢れてくる血と涙に溺れないように僕は身を起こそうともがいた。それでも起きあがれない。血と涙は這いつくばる僕の口までの水位になり、そしてすぐに僕が溺れるほどになった。

 赤黒い海に果てしなく僕は沈んでいく。そんな僕とは対象的に水底から何か四足の動物のような生き物が水面に向かって垂直に走ってきた。よく見たらそれは虎だった。虎は眉間にシワを寄せ口を大きく開いて吠えるような怒っているような顔をしていた。沈む僕と駆け上がる虎が一瞬並んだとき、虎は僕を目だけで見て「代わりにやってやるけど自分でやれるようになってよね」と聞こえない声で言った。そんなこと言われても僕にできるわけがない。僕はどこまでも沈んでいった……。

 ピピピピピピピピピピピピ

 七時にセットされたアラームの機械音で僕は目覚めた。

「イヤな夢を見たな……ん?うわっ!」

 顔がやけにベタベタするので触ってみると手にベッタリと血が付いていた。というか僕は寝相が悪かったのか、どこかにぶつけて鼻血をダラダラと流してパジャマとベットを血まみれにしてしまっていた。

「うわー!ティッシュティッシュ!!」

 僕は慌てて枕元に置かれたティッシュを抜き取ろうとしたが箱には一枚しか入っていなかった。今日から高校生になるというのに朝からこんなんじゃ先が不安になってくる。

  

「……これで初日のホームルームは終わる。この後体育館で先輩たちによる部活の説明会が行われるので興味のある者は遅れずにいくように」

 入学式を終え教室での今後の学校生活の説明も終わり、教室はどの部に入るかでガヤガヤと賑わっている。

「何部にする?」

「俺テニス。年少の頃から続けてんだ。お前は?」

「俺は乗馬部。高校生が乗馬なんてこんな機会がないと滅多にできることじゃないからな」

「この学校馬いんのかよ」

 それぞれが適当な話し相手を見つけて何部に入るか話し合ってるなか、僕は一人配られたプリントや教科書をリュックに詰めていた。

「上木君も説明会行くんでしょ?どの部に目星つけてる?」

「いや、僕は部活はいいかなって」

「あ、そうなの」

 話を振った男子はあっさり引き、また別の人にどの部に入るか聴きに行った。

「部活かぁ……」

 僕は中学生の頃、熱心な勧誘に押し負けてサッカー部に在籍したことがあった。しかし熱心な勧誘をするということは熱心な活動をする部ということであり、スポーツ経験が無いに等しい僕にはとてもついていけず二週間で辞めてしまったことがある。だから運動部というものが少し苦手だ。

「この学校文化部も多いのねー。あたし手芸部に入ろうと思ってるんだけど一緒にどう?」

「誘ってくれるのはありがたいけど私ラッパで受かったようなもんだから吹部に入らなきゃいけないの。ごめんね」 

「へぇ〜どっちかっていうとエレキギターかき鳴らしてそうな見た目なのに見かけに寄らないものなのねー」

「そんな印象持ってる相手に手芸部誘ったの?」

 サッカー部を辞めてから暇を持て余していた僕は演劇部に入部した。素人なりに楽しく活動していたがあとから入ってきた後輩がビジュアル面技術面両方に秀でていたばかりに

 部内の人間関係はめちゃくちゃになってしまい退部せざるを得なかった。だから僕は文化部というものも苦手だ。

 結局僕は部活動というものに苦手意識を持つ帰宅部員だったのだ。その苦手意識は未だに消えないので説明会に行く気は全くない。

 しかしその考えは教室を出た数分後に変わる。

「うわっ!」「きゃっ!」

 教室の外にはちょうど人がいた。まさかそこに人がいるとは思わなかったので僕の足のブレーキは作動せず激突してしまった。相手が抱えていたイーゼルや絵具、半畳ほどのキャンバスが廊下に散らばり、両者は尻餅をついていた。

「あぁっ!ごめんなさい!大丈夫ですか!お怪我はありませんか!?」

「いや、僕は大丈夫で……」

 素早く立ち直り僕に駆け寄り心配してくれる相手、いや彼女を見た瞬間、激突したときの何千倍もの衝撃が僕の体を駆け巡った。ヤバすぎる!こんな美しく可憐な人が実在するのか!

「すいません!すいません!周りをよく見ていなかった私が悪いんです!ごめんなさい!」

 目の前の美少女の卑屈なまでの謝罪で僕はハッとする。

「よしてください、上の空でいた僕が悪かったのです!僕のことなんかよりあなたは大丈夫ですか?ああっ!あなたの画材もだ!」

 僕は廊下に散らばる画材を拾い集め手渡した。幸い破損した様子はない。

「あ、ありがとうございます。私は大丈夫です、つっ……」

 画材を受け取ったとき彼女は少し顔を歪めた。大丈夫と言ってるが手を痛めたに違いない。

「手を痛めたのですか」

「いえ、大丈夫です。利き腕は動きますし、痛みはちょっとだけですので……」

 そうでしたか、ああよかった。とはならない。怪我をさせてしまった彼女に物を持たせるわけにはいかない。僕たちは大丈夫ですから、いいえそれでは僕の気が済みませんと問答を繰り返し「じゃあ半分だけおねがいします」と彼女に折れてもらう形になった。

「それでは体育館までお願いします」

「体育館、ですか。ということはこの画材は……」

「はい、美術部代表としてライブドローイングをするのです」 

 絵に描いたような美人が描く絵、それを描きあげるまでの彼女の姿。それを想像したら今の僕には説明会に行く気しかない。僕は彼女と並んで歩ける幸せを噛みしめながら体育館へと向かった。

 

 虎之助少年と美術部代表こと四矢ミユが体育館へと並んで歩く姿を向かいの校舎の屋上から見下ろす二つの影があった。

「マネージャー、あの画材抱えたんが今年の目玉の?」

 球児姿の少年が双眼鏡を覗いたままとなりで同じように双眼鏡を覗く少女に問いかける。

「はいキャプテン。信じがたいことですがあの男子がそうです」

「そうか、なるほどねぇ……ああ確かによく見たらそうやねぇ」

 クククククと笑う少年の隣でマネージャーと呼ばれた少女は何度も手元の写真と双眼鏡の先の少年を見比べていた。

「うーん……そうは見えないんだけどなぁ……」手元の写真には半分死んだように倒れる大勢の人間、立ちすくむ獲物に猛虎の如く飛びかかる少年の後ろ姿が写っていた。

     

「あれ、上木くんじゃん。気が変わったの?」

 先輩と画材を舞台裏に運んだあと、薄暗い新入生の列に紛れたらさっき僕に話しかけてきた人がたまたま隣にいた。 

「うん、ちょっと気が変わってね」   

「へぇ〜、でも今から文化系の紹介に入るみたいだけど大丈夫?」

「むしろちょうどいいさ」

 開幕のブザーが鳴る。

『ただいまより部活紹介後半戦、文化部の部を始めます。まずは美術部です』

 舞台の幕が横に割れさっき僕が運んだキャンバス、絵具、そしてパレットと筆を携え制服の上からエプロンを着たミユ先輩が現れた。

 さぁこっからどんな華麗な筆捌きを見せてくれるんだ。そう思った次の瞬間ミユ先輩は

 パレットと筆を床に置き絵具を両手に鷲掴み、白いキャンパスめがけてぶちまけた。そのあまりにも大胆な描き出しに呆気に取られてる間にもミユ先輩の手は止まらない。キャンパスから白いところがあらかたなくなったときどこからかともなくヘラのような形をした金属片を大量に取りだし、激しく、それでいて踊るようにキャンパスを斬り刻みだした。キャンパスは瞬く間に見るも無残な姿に……はならず、キャンパスに無秩序に打ち付けられた絵具は彼女の腕が振るわれるたびに徐々に意味のあるような形へと変わっていく。

 

「はぁ、はぁ……完成ました……」

 十数分間に及ぶライブドローイングは終わった。舞台上には汗だくでへたりこむミユ先輩、そして「朝昼晩の街」と題された抽象的なようで写実的な作品があった。

 会場が徐々にどよめきつつあるなか、ミユ先輩にマイクが手渡された。

「はぁはぁ……普段は校内外でスケッチとかをしています。絵に興味があるかたは是非、入部してみてくださいね……以上で美術部の紹介を終わります」

 肩で息をしながら深く頭を下げ、そして幕は再び閉められた。

 その後も他の文化部の紹介は続いたがミユ先輩ほどの衝撃的な紹介はなく、僕はというとミユ先輩の廊下で見たおとなしそうな姿と舞台上でダイナミックに金属片を振るった姿のギャップでメロメロになっていた。

 

 説明会が終わったら僕は入部届を提出するため教員室へと向かった。もちろん入部するのは美術部だ。

「おーい虎之助くーん」

 扉に手をかけたとき誰かに僕の名前を呼ばれた。振り向くと球児姿の切れ長い目をした男がいた。

「え、あの誰ですか?」

「ぼく?ぼくはキャプテンや。ほれキャプテンマークここにつけとるやろ」

 微妙にズレた回答をされた。なんで野球部のキャプテンが僕の名前を知っていて呼び止めたんだ?

「「?」って顔しとんなぁ。まあ新入生なんて「?」の塊やからそうなるやろな。とりあえず何も言わんと部室までついてきてや」

 そう言って僕の手を掴み有無を言わせずひきづるように連行された……。

 

「ようこそ!ぼくらの部室へ!」

 そこは部室というには明らかに不自然だった。普通部室と言ったら空き教室かプレハブ小屋じゃないのか?なんで校舎裏の目立たないところが入り口の地下室なんだ?

「キャプテン、遠くで見ても覇気のようなのが感じ取れませんでしたが近くから見ても全くです。やはり情報違いという線はないんでしょうか」

 お下げに眼鏡でジャージ、しかし鋭い目つきが芋くささを感じさせない女子が僕を値踏みするように見てくる。

「まあまあ、能ある鷹は爪隠す言うやん。とりあえず人揃ったし始めよか」

「え、何をですか」

「今日は新学期初日やで。部のオリエンテーリングに決まっとるやん」

「そんなに話を早くしないでください、なんで入部届け出す前にオリエンテーリングなんですか!ていうか僕は」

「まぁまぁとりあえず何も言わんと座ってだまってきいとけや」

そういって僕を無理矢理ソファに座らせた。この人細い見た目のわりにすごい力だ。

「えーそれではオリエンテーリング始める前に簡単な自己紹介だけしとこか。ぼくは猫辺 純、この部の部長兼キャプテンやで~。ハイ次マネージャー!」

「この部のマネージャーを任されています、明日渡 玲です。以後お見知りおきを」

「……」

「なにボケッとしとんねん、君の番やで」 

「あ、はい、上木虎之助です」

「そんだら虎之助くん、さっそく外でよか」

「え、外ですか」

「あたりまえやん。こんな狭い部室で何すんねん。ウチは文化部とちがうんやで。さ、いこかいこか」


「猫辺さん」

「キャプテンでええで」

「……じゃあキャプテン、なんで僕たちは街にいるんですか」

 野球部のオリエンテーリングなんだからグラウンドでキャッチボールでもするのかと思ったが、なぜか僕たちは街にきていた。

「はやく学校に戻りましょうよ。最近ここらへんはマフィアやらギャングやらが出てきて物騒なんですから」

「だからこそやん!」

「はあ?」

「ほれ見てみい、あそこにダッサイシャツ着とるチンピラがおるやろ」

キャプテンが指さす方にはヒョウ柄のシャツを着た気だるそうな男が立っている。

「あいつが立っとる後ろのビルはな、マフィアの事務所が入っとんねん。いまからそこにカチコミしてもらうで」

「カチコミですか……えっカチコミ!?なんでわざわざ死ににいくようなことをするんですか!冗談じゃ済まされませんよ!」

「だあいじょうぶだあいじょうぶ、キミだったら生きて帰れるて。ほいこれ」

「こんなバットなんて渡されたって無理なもんは無理ですよ!」 

「んもーそないに謙遜することないってー。ここでグズグズしたってええことないで。つーわけでスタートや!」

 そういうとキャプテンは石を拾い事務所の窓に投げつけた。

「なにしてんですか!!」

「ぼくに気を取られてる場合やないで」

「誰だ!うちの窓ガラスを割った野郎は!」

割れたガラスの向こうからものすごい怒声が聞こえてくる。きっと捕まったらタダじゃすまない。逃げないと!

「アホ!逃げんと戦えゆうとるやろが!」

 逃げようとした僕をキャプテンは足を引っかけて転ばした。

「ここでーす!ここに石を投げたイタズラ小僧がいはりまーす!」

「そこかぁー!」

「うわぁー!」


「あっ、連れてかれた」

キャプテンたちがマフィアのビルにいった一方わたしは離れたところにある廃ビルの一室から様子を見ていた。

「ふぅー、猫かぶりなんか爪隠しなんか知らんけど出し惜しみには虎之助くんの出し渋りには困ったもんやで」

双眼鏡から目を離すといつの間にか横にキャプテンがいた。相変わらずすばしこい人だ。

「大丈夫なんですか。彼ほんとに無理そうな感じでしたけど」

「それは近くにぼくがいたからやろ。きっと虎之助くんは人の目あると緊張するタイプなんや」

「もし本当に戦えない人だったらどうするんですか?」

「……まぁさすがに窓ガラス割ったくらいで殺されはせんやろ。今は虎之助くんを信じて待つんや」

 そういってキャプテンは放置されていたソファに横になった。

「そうはいってもなぁ……」

それから約二時間後、マフィアのビルからボロボロの上木さんが打ち捨てられた。


「一体なんなんですか!いきなり部室に連れこまれたと思ったら無理やりマフィアの事務所にかちこまされて!入学初日なのにもう制服がボロボロですよ!」

 なんとか命拾いして学校に戻った僕は明日渡さんに包帯を巻かれながら文句を言っていた。

「ハハハハ、心配すんなや。ぼくも一年のときにカチコミで制服ダメにしたもんやで。それ以来ずっとこのユニフォームや。虎之助くんのもそこのロッカーに入っとるで」

「そんなこと聞いてんじゃありません!あイテテテ……」

 大きい声を出すとマフィアたちに殴られたところがズキズキと痛む。なんで僕がこんな目に合わなきゃいけないんだ。

「この度は危険なことをさせてしまい本当に申し訳ありませんでした。不躾な部長にかわってお詫びします」

「あ、はい……」

 傷の手当てをされている手前、明日渡さんには強く出れない。この人はキャプテンと違って普通そうだし。

「で、実戦に挑まれる前にまずは充分なトレーニングが必要という結論に至りました。とりあえず明日の朝、昼、夕、とやりますので遅れないで来てください」

 ダメだ、この部に常識はない。

「こんなことがあって行くわけないでしょ!そもそも僕はこの部に入部するつもりはありません」

「えぇっ、そうだったん?てっきりここで決め打ちかと思ってキミがのびとる間に代わりに入部届だしてもうたわ」

なに勝手なことしてくれてんだ

「そういうことやからぼくらと人間野球部で青春を過ごさへん?」

「なにがそういうことですか。それなら退部届を出すまでですよ!」


その後僕はすぐに教員室に向かったが退部届を出すことはできなかった。別に心変わりをしたわけではない。そもそも人間野球部など存在しないと言われたからだ。

「どういうことですか?実際に僕はその人間野球部の活動に巻きこまれたんですけど」

「だから野球部はあるけど人間野球部なんて名前の部はこの学校にはないんだよ」

「でもさっきキャプテン……猫辺さんが僕の入部届を勝手に出したらしいじゃないですか」

 キャプテンの名前を出すと先生は露骨にイヤそうな顔をした。

「ああ……猫辺か。あいつは少し頭がおかしいんだ。そのうえ暴れられると手が付けられない。だからとりあえず受理するだけしといたんだ」

「じゃあわざわざ退部届をだす必要はないんですね」

「そうやでぇ」

 声がした方を向くと教員室の入り口にキャッチャーが付けるようなプロテクター一式を携えたキャプテンがいた。

「虎之助くん、退部するなんて悲しいこと言わんとぼくらと人間野球しようや」

「いやですよ!それに人間野球部なんてこの学校にはないって聞きましたよ」

「ふーん……」

 キャプテンは少し考えるような仕草をするとニヤリと笑い、僕と話していた先生に歩み寄った。

「せんせー、せんせーはぼくが出した虎之助くんの入部届を受理しはりましたよねぇ」

「う、ああ受理したとも」

「受理したんだから彼の入部を許可したってことですよねぇ。しかし存在しない部の退部届は受理できますか?いやできひんはずです。なぜなら存在しないんですから」

「?ああ、そうなるな?」

 キャプテンのよく分からない理屈に先生はわけもわからずに相づちを打っている。まずい、このままでは僕は人間野球部部員になってしまう。

「まってください。存在しない部なら僕が活動する道理はないはずです」

「いやいや何言ってんねん。このせんせーは虎之助くんの入部届を受理した。人間野球部は存在しないが、あることは虎之助くんはさっきその身で知った。そして退部届は存在しない部なので受理できない。つまり止められない!そういうことやから」

「しかし!」

「ごちゃごちゃしつこいのう。そいだら特別に部長であるぼくが兼部を許可するわ。それでええやろ」

「よくなっ」「あんまりしつこいとセッキョーやで」

 キャプテンの雰囲気が一変した。さっきまでは圧はあれどもニコニコと柔和な雰囲気を醸しだしていたが、今のキャプテンからは今にも爆発しそうな危ういダイナマイトのような雰囲気がある。僕の返答次第ではこの教員室は跡形もなく吹き飛んでしまう。そんな予感がする。

「……わかりました。それでいいです」

「そうかぁ!いや虎之助くんならそう言ってくれると思っとったで!あ、これキミの道具ね。キミは鍛えたらええキャッチャーなると思うんよ。そんじゃまた明日な!」

 そういってキャプテンは僕にプロテクターを押しつけて高笑いしながら教員室を去っていった。

「虎之助くん、すまない。そういうわけだから頑張ってくれ」

 情けない顔をした教師を無視して僕もプロテクターを抱えて教員室を去った。


次の日から暴力的なトレーニングが始まった。朝は殴られることに慣れろとひたすらに殴られる。防具を着けているとはいえ痛いものは痛い。昼はスタミナと逃げ足を鍛えろとどこかから拾ってきた野犬をけしかけられずっと追いかけまわされる。放課後は「実戦ほどためになるものはあらへん」と無理やり街の不良に喧嘩を売らされる。もちろん勝てるわけなくいつもボロボロになって帰ることになる。

 だけど金曜日だけは違う。金曜日には美術部の活動があるからだ。

その日はミユ先輩と向かい合いながら似顔絵を描いていた。

「虎之助くん、だいじょうぶですか?日が経つ度に傷が増えているみたいですけど。野球部の練習がきつかったら美術部は休んでもいいのですよ」

 ミユ先輩には人間野球部ではなく普通の野球部に所属していると伝えてある。あんな暴力しかない部に在籍していると知られたくないからだ。

「いえいえとんでもない!僕は美術部に来ることを生きがいにして今日までの地獄を生き抜いてきてるんですよ」

「うふふ、そんな大袈裟なこと言わないでくださいよ。恥ずかしくなっちゃうじゃないですか」

 そういってミユ先輩は微笑みながらまたスケッチブックに鉛筆を走らせた。若干頬を紅くしているところが可愛らしい。あぁ、ずっとこのままであればいいのに。


「虎之助くんはなかなか強くならんなぁ」

 夢のような金曜日から一転、また地獄のような日々が始まり今日も僕は街の不良に叩きのめされた。

「うう、キャプテン、この際なんで僕が勧誘されたかはもう聞きません。でもなんで毎日こんなになるまでやられなきゃならないんですか」

「そりゃそれくらいやらんと虎之助くんが強くならんからや」

「なんで僕が強くならなきゃいけないんですか!ていうか人間野球て一体なんなんですか!」

「そりゃ虎之助くんには人間野球の素質があるからや。そしてこの街には人間野球のボールがゴロゴロ転がっているからや。ほれ見てみぃ、そこにもあそこにもそこらじゅうウジャウジャおる」

部長が指さす先には通りがかる人を怒鳴るマフィア、路上で暴れるマフィア、暗い顔をした婦女を侍らすマフィアがいた。

「昔はこの街もキレイだったんやで。でもいつからかどこからかあいつらがこの街にやってきてのう、今じゃ治安最悪の街やで」

「でもそれじゃ僕らが戦う理由になれないでしょう。警察に任せればいいじゃないですか」

「あほ、そういって警察に任せた結果がこれやからぼくらがやるんやろが。あとぼくらは戦うんやない、試合うんや。あくまでこれは人間野球なんやからな」

 だからその人間野球ってなんなんだ!とはもう疲れ果てて言う元気もなかった。

 

「ただいま……」

 なんとか立てるようになって帰宅したのは時計の針がてっぺんを回ったころだった。もう親もとっくに寝ている、僕もとても眠いのでさっさと寝たい。親を起こさないようこっそり自分の部屋に入り、防具を外さずにそのままベッドに倒れこんで眠りについた。血生臭い日々を忘れるためにミユ先輩との金曜日のことを思いながら……。

 ガシャパリーン!!!ガウッ!ワウワウッ!

「!?なんだ!?」

 まどろんでいた僕を何かが割れて何かが吠える音がたたき起こした。

「グルルルル……ワウワウワウ」

 このうなり声には聞き覚えがある。僕を毎日追いかけまわす野犬だ。

「なんでお前が家に……あっ窓が!」

 何かが割れる音はこいつが僕の部屋の窓を突き破った音だった。僕の部屋は二階なのに!

「何しに来たんだ。今は昼じゃなくて真夜中だぞ!」

「ワウワウワウ」

 野犬は首をこすりつけてきた。よく見ると野犬は首輪を着けており紙が結ばれている。

「これを持ってきたのか?」

「ワウ」

 首輪から紙を取り広げるとそこにはこう書かれていた。

『シヤ ミユ ラチサレタシ バショ マエノトコ……』

 視界が歪んで世界が回る。

 

 また僕は夢を見てる。また赤黒い海に僕は沈んでいる。水底から何かが浮上してきた。虎だ。

「一瞬の間に随分と考えたねー俺を呼び出すなんてさ」

 虎が僕の声でよくわからないことをいう。

「まあこの前君なりに頑張って俺が必要だって分かったから俺が呼ばれたんだろうね。やれないことをやれない内に無理にやることないから張り切ってやってやるよ」

 呼ばれた?僕が虎を、君を呼んだ?

「深く考える必要はないよ。君が俺を必要とする、そう俺が判断した。いや君が呼んだんだから君が判断したのか。まぁ数学の問題を解くのに漢字の知識を使わないでしょ?この場合僕は数学の知識でマフィアが数学の問題ってわけ」

 わかりづらい説明だ。

「深く考えるなくていい、ノリで理解するんだよ。つーわけで行ってきます!おやすみ!」

 そういうと虎が浮上し僕は沈んでいく。虎は深く考えるなと言っていた。確かに最近僕は考えすぎていたのかもしれない。虎に任せて僕はしばらく眠っていよう……。


「あ゛あ゛あぁぁぁダッルぅぅぅぅぅ」

 ヒョウ柄のシャツを着たチンピラはビルの前で深くヤニ臭いため息をついていた。

「マジで暇すぎるわ。暇すぎてストレス溜まりまくりだわ。また誰かボコしてぇ」

 この男、昔でいうところのゲソ番である。自分が下っ端であることは理解している、しかし少し前まで小規模ながら不良集団のリーダー格を務めていた自分にはこんな仕事やってられっか、そういった具合なのでチンピラはいささかゲソ番として必要な緊張感が欠けていた。なのであからさまに異様なバットを携えたキャッチャーがすぐ近くに来るまで気づけなかった。

「あぁん?なんだおま」

 チンピラの疑問が言い終わる前に勢いよく振り上げられたバットがアゴを砕いた。激しく脳を揺らされたチンピラは平衡感覚を失い

 膝をついた。そこにキャッチャーのフルスイングがぶちこまれ壁までぶっ飛ばされた。チンピラの顔面はアゴを砕かれ額を割られで見るも無残だ。キャッチャーは何事もなかったかのような自然な動作でエレベーターに乗り込みかけたが、頭上のカメラに気づくと血濡れたバットで叩き壊した。

 一連の流れを監視カメラで見てたマフィアはこうしちゃいれんとモニタールームから飛び出た。

「カチコミだっ!チャカを取り出せぇっ!」

 拉致を終えて思い思いの休憩をとっていたマフィアたちは弛緩した顔を引き締め素早く火器を取り出し、エレベーターのランプが事務所のあるフロア、四階に灯る。銃を構えたマフィアたちに緊張が走る。そしてエレベーターが開く。

「死ねやぁぁぁ!!!」

 各自が構えた拳銃機関銃散弾銃が火を吹いた!エレベーターという狭い箱の中めがけて射出された銃弾たちは外れることなく来訪者の身体をつらぬきえぐりたおす。銃弾の雨あられを受けた来訪者はもはや人の形をなしてない。それがなにかを示すのはボロ布と化したヒョウ柄のシャツだけである。

「おい、あれはキャッチャーじゃねえぞ!あれはサブだ!」

「キャッチャーはどこにいった!?」 

 そのときマフィアたちの耳をガラスが割れる音がつんざいた。いたずら小僧が石を投げこんだのではない、キャッチャーが夜空よりガラスを突き破ってきたのである!

 飛びこんできたキャッチャーはまずクッション代わりに押し倒し下敷きにしたマフィアの鼻柱にバットを叩きつける。他のマフィアたちは気を取り直し銃を構え引き金を引いたが、先ほどエレベーター向けて一斉掃射したため放たれた銃弾はわずか二、三発。キャッチャーは二発の銃弾を身を傾けてかわし一発の銃弾をバントではじき返す。はじかれた銃弾の先にはマフィアの頭があった……。残るマフィアは五。

 床に散らばる窓ガラスのかけらを手が傷つくことを躊躇うことなく鷲掴み、目潰しあるいは手裏剣の如くマフィア達に投げつけた。そこで勝負がつくほどマフィアたちは弱くない。目、鼻、頬、喉、頸動脈に突き刺さり血を吹き流して死んだのは一人だけだ。残り四。

 弾が尽きた銃を投げ捨てある者は懐からドスを、ある者は壁にかけられた刀を抜いた。しばしキャッチャーとマフィアたちの間に静寂が訪れた……。

 キャッチャー向かって正面の一人がドスを腰だめにして突撃、しかしキャッチャーバットのリーチを活かし冷静に側頭部にフルスイング。残るマフィアは三、しかし振り切ったところを攻めこまれた。右からの刀の胴抜きを身体を捻りかわすがかわした先にはまた別の刀の振り上げだ。これは回避できないあわやキャッチャー真っ二つか、いや切られない!とっさにバットの持ち手を返し刀の間に差し込んだのだ!。

 決まったと思った勝負が決まってない、そのことに面食らったマフィア二人の隙をキャッチャーは逃しはしない、同抜きのマフィアの首に強烈な蹴りを喰らわし勢いそのまま回転し、振り上げのマフィアの顔面にバットの底をねじ込んだ!

 さあ残るマフィアは一、しかし化け物の如く暴れ暴虐の限りを尽くしたキャッチャーに恐れをなしている。

「ヒィッ、こ、降参だ。勘弁してくれ!」

 得物を捨て両手をあげて降伏のポーズをとるが相手には受領の意思は微塵もなくツカツカと歩み寄ってくる。

「た、助けてくれえ!金庫の金もやる!そうださっきイイ娘をとったんだ。そいつも好きにしていい!」

 保身のために様々な条件を投げかけられるがなんの返事もせずただ歩み寄り、そして突き破ってきた窓とはまた別の窓に追い詰める。

「さぁーて!九回裏無死八対八のサヨナラホームランのチャァンス!!打席に立ちますわ期待のルーキー、ゴッドウッドタイガー!さあバッター振りかぶった!」

「え!な、なにを言ってるんだ!?」

 寡黙な殺人鬼が饒舌に語りだしたことに驚くマフィアは宙に放り投げられる。

「死ねぇ!グワラゴガキーン!!!」

「グヘェーッッッ!!!」

 渾身のフルスイングがマフィアの肋骨を砕き、くの字に身体を曲げたマフィアがガラスを破り夜空に打ち飛ばされた!

 一仕事終えたキャッチャーは事務所を見回し不自然な床を見つけた。階下への入り口だ。

 入ると中は六面防音壁の隠し部屋、そこに置かれたベッドの上には四矢ミユが眠っていた。

  

 カーカーカーとやかましく鳴くカラスの声で僕はハッとした。なんだか顔が、というか全体的に体がベタベタする。

「お、目ぇ覚めたん?」

 暗闇から声がする。

「たいしたもんやで虎之助くん。みんなで行こって手紙に書いたのにキミ一人で突撃してくんやもん。しかもちゃぁんと点とってきてんやからね。やっぱキミを入部させて正解やったわ」

「人はみかけによらないとはまさにあなたのことです。見直しました」

また別の声が暗闇からする。

「ですが人間野球はチームでやるものです。危険を減らすためにもこれからはなるべくスタンドプレーは控えてください」

「ちょっと待ってください、なんのことを言っているんですか。ていうかここどこなんですか」

 僕は意識が途絶える前は自分の部屋にいたはずだ。ここは明らかにぼくの部屋ではない。

「あぁそやね、暗いとわからんもんね。マネージャー、電気つけて」

 はい、と返事がされたあとすぐにチカチカと蛍光灯がついた。さっきは暗くてよく分からなかったが明るくなったことでよく分かる。ここは人間野球部の部室だ。そして身体のベタベタの正体は乾いてどす黒くなった血だ。ベッドを見ると僕の寝ていた形に血の跡がついている。

「な、なんですかこの血は!?ぼ、僕のですか!?」

「何言っとんねんキミのわけないやろ。まあ誰のかって言われてもわからんけど」

「あの場にいたマフィアのどれかの血でしょうね」

 あの場ってどこだ?というかミユ先輩……

「そうだ!ミユ先輩!ミユ先輩を助けにかないと!」

「なに寝ボケとんねん。さっきキミが助けたやろが」

「え?」

「四矢ミユさんならここに来る途中に彼女の家の前に置いてきましたよ。幸い怪我もなかったようなので」

 よくわからないがとにかくミユ先輩が無事だと知って安心だ。

「虎之助くん!」

 キャプテンが目を輝かしい僕の肩に手を置いた。

「やっぱりキミは人間野球部の期待の新星や!さぁ来週からはこれまで以上に励むで!」

「え、は、はい。頑張ります……」

 これまで以上なんて気が重くなる。でも覚えていなくても僕はマフィアを倒せたんだ。その結果がなんとなく自信になり人間野球部にいてもいいかな、なんて思った。


 先日思ったことは気の迷いだ。人間野球部をすぐに辞めなければと金曜日に思い直した。

 その日も毎週の楽しみの美術部の活動をしていた。

「虎之助くん、なんか前よりいい顔をするようになりましたね。何かいいことがあったのですか?」

「いやぁ、前まで辛かったにんげ……いや野球部が楽しくなってきましてね」

「あら、それはいいことですね」

 こんな風に他愛もないことを僕たちは話していた。そこに

 ガシャン!とボールが窓を突き破ってきた。

「キャ!」

 まさかキャプテンの抜き打ちか!今日は美術部の日なのに!と思ったが違う。窓の外から野球部のすいませーん、という声がするからただの流れ球だ。

その後すぐに部員が謝りにきたがそこで改めて人間野球部の退部を決意したのだ。

「きゃあ!キャッチャー!近寄らないでください!殴らないでください!」

 謝りにきた野球部員はキャッチャーの人だった。そしてキャッチャーにひどく怯えるミユ先輩。つまりミユ先輩はこの前助けにいって大暴れした僕の姿をみてトラウマになってしまったのだ。

 いつ人間野球部のことがバレるか分からない!

バレたらミユ先輩にきっと嫌われてしまう!

やはり人間野球部を今すぐにでも辞めなければいけない!

 そう決意した僕は人間野球部に退部届を叩きつけるべく走ったのだった。


                                       

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人間野球部 エホウマキ @shimotsuru

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