第10話

 その連絡があったのは、雇い主が会場に向かい、待機時間になった頃だ。

 正確にはそれまで留守電機能を活用し、その時間に着信を確認してその連絡に気付いたセイが、折り返し電話をしたのだ。

 古谷家の固定電話の番号だったが、電話の相手は待っていたのか、すぐに電話に出た。

「急ぎの用か?」

 初めの呼びかけの後、名乗りもせずに問うと、相手も咎めずに答えた。

「用と言うか……さっき、決定したから報告しようと思って」

 女の声は、珍しく疲れていた。

「? 報告って、どこから学校に通うかって言う、どうでもいい話だろ?」

「どうでも良くないだろ。場所によっては、通いづらいし」

「通うのは、私だろう? 監視役は、それについて来ればいいだけだ」

 内心苦い気持ちで返すと、雅は溜息を吐いた。

「そう、それだけのつもりだったのに……そうも、いかなくなった」

 この日、朝早くから古谷家に集まった面々は、くじ引きの最終選に残った家庭だった。

 立ち会った雅も、若干引き気味になる程、セイの寝泊まりする家の抽選は白熱した。

 ただ寝泊まりするのではなく、養子として家に迎え入れて、家族として生活させると言う側近たちの提案に、この地に腰を落ち着けた者たちは色めき立ったのだ。

「何せ、希望者が多すぎて、三回もふるいにかける羽目になったからね。君ももう少し威厳を持つか、自覚した方がいい」

 二回目のふるいにかけた後、次でようやく決められると報告してきた雅が、無駄とは知りつつそう諭した。

 自覚や威厳がないから、ここまで人が集まっているのか、人が集まって来るのが嫌で敢て、自覚や威厳を持たないと若者が決めているのか、解釈に悩むところなのだ。

 兎に角、今日の朝から始まったくじ引きで、無事古谷での居候が決まった。

 気心知れているから、まあいいかと呟くセイに、雅はまだ何か話したいようだ。

「何だ? くじ引きで一悶着あったのか?」

 妙に疲れているように感じる姉貴分に、つい気遣いの声をかけてしまう。

 その理由の半分が、年かさの者に弱いと言うものだと知る雅は、咳払いして声を改めた。

「丁度、選考が終わった頃に、春日さんが訪ねて来たんだ、奥さんとお子さん連れで」

 少し考えてセイは頷いた。

「ああ、春日刑事か。確か、息子さんが七五三の年頃だな」

「そうそう、来年からまた、保育所でお世話になるからって」

 この辺りでは、共働きでなくても、ある程度の年齢で保育園に預ける家族が多い。

 古谷のところも園児が増え、檀家の協力で三つ目の保育園を、どこかに建てる計画も進んでいる。

 春日夫婦の元の住まいの近くには、二つ目の保育園が出来、送迎バスを利用する必要もなくなった。

 が、旦那の転勤を機に、古谷家の近所に越して来たので、最寄がここの保育園になったのだ。

 あの一件の後、園児の数が減るかもしれないが、致しかたないと古谷の関係者たちも諦観していたのだが、叱咤激励は数知れずあれど、大幅にその数が減ると言う事態はなかった。

 それだけの信頼を獲得していたのもあるが、どこの保育園でも、あんな事態に対応できるか怪しく、それなら気心知れた所に預けた方がいいと考えた保護者が、多かったのだろう。

 古谷家の保育所は、送迎バスは続けているが、その一台につき一人、強面の男を同乗させて、送り迎えのバスの上下車の時は保護者達への挨拶のために、外へと降りるようマニュアル化していた。

 顔だけいかつい、それでいて子供には受けのいい男達だ。

 それだけでも、抑止力として効果は絶大らしい。

「……そう言えば、春日さんって、高野さんの同僚になったんだったな」

 春日刑事の方が、少し若い。

 ゆるゆると思い出しているセイに、雅は疲れた声のまま答えた。

「らしいね。私は、初めて会ったんだけどね……」

 丁度その場に居合わせ、素通りも失礼だろうと顔を出して、一言挨拶を交わしたのだが……。

 雅の顔を見た春日夫婦が、目を剝いて立ち上がった。

 思わず後ずさりした女に気付いて、慌てて謝罪してくれたが、春日夫人はしみじみと雅を見つめ、涙ぐんだ。

「? どうして、そんな反応なんだ? 初対面なんだろう?」

 一度も会った事がないはずだと、女は記憶を辿って再確認したが、一緒に客間に来た古谷氏が、雅と春日親子を見比べて微笑んだ。

「雅様は、十代後半のお嬢様に見えますから、つい、面影を重ねてしまったのでしょう」

 後からそう言って、僧侶は宥めた。

「……面影、ああ、あの人たちの娘さん、年を重ねていれば、そろそろ十四、五の学生だな」

「そうらしいね。親御さんは、失くした後も子供の年を数えて、どう言う風に育つのか想像しているものなんだね」

 しみじみと言い、雅は急遽決まった話を、セイに報告した。

「私も、君と同じ教室で、授業を受ける事になった」

「は?」

「君は古谷家から、私は、春日家から高校に通う事で、話がまとまったから」

 古谷氏は、あの場で春日家に伺いを立て、春日夫婦は即決した。

「今日から、お前のお姉さんだよ」

と、息子にも言い聞かせる程、乗り気だ。

「……何で、断らないんだよ」

 つい尖った声を出す若者に、雅は勢いよく返した。

「断ったよっ。一度は」

 古谷氏も高野刑事も、今ではごく普通の住民だ。

 なのに、どうしてあんなに手強いのだろう。

「おや、渡りに船、じゃあありませんか?」

 先程まで、くじに外れて落胆していたとは思えない楽し気な顔で、高野が雅の顔を覗きこんだ。

「もしや、お目付け役を名乗り出たのは、若を学校内だけでも気楽に過ごさせたいと、お考えだからでは、ないですよね? 学校こそ、気が抜けぬ空間だと言うのに?」

「まさか、そんなつもりはないよ。ちゃんと、見張れる段取りは、千ちゃんと相談するつもりで……」

「その相談は、必要なくなると言うのに、断るとは、どう言う了見でしょうか?」

 現実的な問題を出しても、二人はあっさりとその解決策を上げ、雅を言い負かしてしまったのだ。

「制服や教材とかを揃えられないって言ったのに、それ位こちらで何とでもしますって……何で、あんなに太っ腹なんだ、あの人達は?」

「……」

 嘆く雅に黙って溜息を吐くセイの傍で、小さく笑った者がいた。

「何か良からぬことを計画すると、藪蛇な事態になっちまうんだな、あんたは」

 低い声でのその言葉に気付き、雅が電話の先で呼びかけた。

「あれ、蓮? セイと、仕事が被ってるのか?」

 セイを見下ろした蓮は、若者の嫌そうな目を見返しながら、答えた。

「ああ。今は待機中で、休憩に入ってる」

「声がガラガラの時に会ったけど、あれから永く会ってないね」

「だな。四、五年会ってねえな。こいつとも、それ位振りだ」

 雅が溜息を吐いた。

「そうか、成長しきったって、メルも言ってたね。小さい方が可愛かったのに」

「……何ででかくなって、そこまで落胆されなきゃならねえんだ?」

 残念そうな声に嘆いてから、蓮は再びセイを見下ろした。

「葵位、でかくなれりゃあ良かったんだが、止まっちまった。まあ、こいつのつむじの数が分かったのは、収穫だが」

 つむじが三つあるのは珍しいと笑う蓮を睨み、セイは空いている手を伸ばした。

「そこまで大きくなったのは残念だけど、便利になったから、我慢しとくよっ」

 突然、髪を引っ張られ、成長した若者はつい声を上げた。

 首を後ろにそらしながら、喚く。

「こらっ、引っ張るなと言っただろうがっ」

「仕方ないだろ。攫みやすい位置に、髪の先っぽがあるんだから」

 電話の向こうから聞こえるそのじゃれ合いに、雅も呆れ果てている。

「……どっちも、適度に成長したんなら、もう少し行動も成長させたら?」

 何で、変わらない空気感なんだろうかと、内心不思議に思う女に、蓮が勢いよく返す。

「そういうのは、こいつに言えっ。くそっ、髪は近い内に切るっ」

「出来るかな。まだ、不安があるんだろう?」

 意地の悪い笑顔を浮かべるセイの顔が、目に浮かぶ。

 最近、そう言う顔を見せるようになったのはいい事だが、場所は考えて欲しい。

 知らない誰かに見られて、妙な追っかけが出来ないとも限らないし、数少ないその場を見れないのは、雅を含む側近からすると、悲観するに値する失態だ。

 それに相手の蓮も、声変わりの時期に会った時ですら、目を疑う程の見目に成長していた。

 成長しきったその姿で、セイとのじゃれ合いが行われている現場を、誰が素通りできるだろうか。

 そんな心配をしている雅に構わず、二人が言い合うのを止めたのは、一緒に待機していた女だった。

「ちょっと、楽しい話してる場合じゃないよ。そろそろ、二人が出て来るから」

 若干、僻みの混じる声を耳にし、雅は目を丸くした。

「浅? 君も、一緒だったのか?」

 大きめに電話口から呼びかけると、女も気づいて声を返す。

「ミヤ姉? 久し振りっ。元気?」

「え? ミヤ姉? ちょっと、セイさん、仕事中に、私情の電話で長話してたの? 私たちに話させてよ」

 わらわらと近づき、二人の女が争うように、セイから携帯電話を取り上げた。

「萌も一緒か? 元気?」

「勿論っ。ミヤ姉は? ちゃんと、男を捕まえた?」

「大きなお世話だよ」

 どんな挨拶だと顔を顰める雅に、萌葱と浅葱は顔を見合わせながら笑い合う。

「君らまでいるって事は、セイは、律さんの所の仕事を手伝っているのか?」

「そう。今日は、蘇芳兄の護衛」

「何だか、怖い人が、命を狙ってるんだって」

 怖い人?

 雅が首を傾げるのに構わず、浅葱が言った。

「年末に萌と遊びに来るからね。その時に、紹介してよね。ミヤ姉の、いい人」

「え、いい人? そんな人……」

「じゃあ、セイに電話を戻します」

 女の言い分は無視して、浅葱はあっさりと携帯電話を持ち主に返した。

「……この仕事が終わったら、一度古谷家に顔を出すから、その時に詳しく聞く」

 騒々しくその場を離れていく二人の狐を見ながら、セイが話を切り上げる挨拶をする。

「……そうだね、そうしてくれ。出来れば、春日さんの所にも一緒に行って欲しいし」

「ああ、分かった」

 セイは電話を切って懐に仕舞うと、蓮と共に蘇芳が戻る高級車の傍に立った。

 焼香と挨拶だけと聞いていたが、意外に永い時間をかけている。

「この地の名士だったからな。訃問客が多いんだろ」

「朝の内に行っておいて、正解だったな」

 個人的な感情はないが、長く時間をかけた仕事の依頼者だっただけに、二人とも気にはなっていた。

「ま、最期まで頭はしっかりしてたから、後継ぎが成長するまで見守れた。それだけでも、幸せだったろう」

 周囲に気を配りながらの蓮の呟きに、セイも小さく頷いた時、二つの足音が足早に戻って来るのに気づいた。

 妙に慌てた様子で、走ってはいないが早歩きだ。

 運転席に戻っていた浅葱が外に出て、後部のドアを開けて振り返ったが、主人たちの後ろに目を向けて、ぎょっとした。

 急がず二人に追いついた男が、静かに声をかけた。

「止まれ。親族どもを、巻き込みたくは、ないだろう?」

 その、聞き覚えのある声に目を見開き、蓮は思わず隣の若者を見下ろした。

 セイも目を見開いて、雇い主たちが来るはずの方向に目を向けている。

「……これはこれは、誰かと思えば、セイの御父上ではありませんか」

 蘇芳が、わざとらしく挨拶をして、体ごと男の方へと向き直る。

「お久しぶりでございますね。あの節は、大変なご迷惑をおかけしました」

「あの程度の話なら、別に迷惑でも何でもない。気にするな、その件は、な」

 楓も向き直りながらそう挨拶したが、凌はあっさりと答えてやんわりと笑った。

「随分、用意周到だな。オレが、お前さん達を狙っているのを、どこぞで聞き及んだか?」

 こちらも最大限準備をしてから来たつもりだったがと、静かに言う男に、壮年の男はやんわりと返した。

「裏の情報なら、聞き及んでいましたよ。特に恐ろしい話が、いくつも重なっておりましたので」

「特に、あれは衝撃的でしたわ。我々の反対勢力の者たちが、次々と不審死を遂げたお話は」

「あれは、別に、お前さん達の敵対者を、全滅させるためじゃあ、ないんだが」

 否定しない男に頷き、蘇芳は返した。

「昔、私を護衛していたあなたのお子を、死の淵まで追いつめた連中だったから、でありましょう?」

「よく、分かっているじゃないか」

 当時、蘇芳のやり口に不満を覚える者は、多くいた。

 正体に気付く者も少なからずおり、術師まで雇っての暗殺が囁かれて、蘇芳の周りは緊張で張り詰めていた。

 そんな中起こった事件が、その大規模な襲撃だった。

 強力な薬物を大量に撒いた上で術を仕掛け、一気に滅する作戦だったと聞く。

「その件を後で聞きまして、私も驚きましたわ。蘇芳は数年失明しただけで済みましたが、あの子は脳死寸前だったと、律にも聞きました。そこまで危険な仕事が、無償だったなんて。本当に何を考えていたのやら」

「その、無償だった理由も、一応、知っているんだが?」

 静かに頭を掻く蓮の隣で、セイは固まったままだ。

 何でよりによって、この人に一切合切の事情が、漏れているのか。

「あら」

 楓が、首を傾げる。

 女の顔を見返しながら、凌はゆっくりと言った。

「お前さんの妹の行方を知るために、高額の仕事を餌に、蓮を釣り上げたんだろう?」

 オレは、魚か。

 つい、呟いてしまう蓮だが、釣り上げられたのは事実だ。

 釣り上げられた上に、見事に蘇芳の術に引っかかった。

 何を訊かれ、何をされたのかは、半分だけ覚えている。

 初めの内は、別な記憶がよみがえり、それどころではなかったのだ。

 蓮は、母親の死の瞬間を目撃していた。

 それを、自分が手にかけたと思い込んでいたが、その記憶では違っていた。

 明らかに自分のより大きな手が、母親の心臓を突き刺していた。

 母を殺してはいなかった、そう安堵したのは一瞬だった。

 その思い込みで、術中に嵌まったまま数百年、知らぬうちに死なせた身内がいる。

 そう思い当たった後は、何も考えたくなくなっていた。

 新たにかけられた術に流され、どうでもいい気分になっていたのだ。

「……」

 その若者を見上げたセイが、黙ったまま髪を攫んで引っ張った。

 先程とは違い、控えめな強さの引き方だ。

 見下ろした黒い目は、変な罪悪感は皆無と呼びかけていた。

 そう、その身内も、健在だった。

 だから、その事で悩むことはもうない。

 だが、そのせいで起こってしまった事は、大いに罪悪感を生むものだった。

「……逃げた蓮が残した物を、あの子は取り返すために、無償の仕事を引き受けた」

「何も、それだけだったわけでは、ありませんぞ。あの子は、難題を条件に持ち出した」

 一度、餌にすると決めた者を、手離すように「警告」して来た。

「警告なら、代償じゃないだろう」

「同じことです。あの頃の私にとっては、死活問題でしたので。思い込みとは、恐ろしいものですな。選り好みしていたと知った今では、この通り力も戻りました」

「けがの功名、というのは、こういう事を言うのですね。私も、今の蘇芳の性癖なら、同調できますの」

 仲のいい二人を見つめ、凌はやんわりと笑った。

「それは良かったな。だが、もう十分じゃないか? お前さん達の後継ぎを脅かす奴らは、オレが消してやったんだから、心おきなく地獄へ落ちてくれ」

「な、何をおっしゃるやら。地獄などと、信じるのですか?」

「……遺体を隠すのは、やめるように言われたから、簡単に行こう。通り魔に刺された夫婦って事で……」

 楓が、珍しく口の中で悲鳴を上げた。

「あの、そんな獲物を持つ通り魔は、この時代にはいませんぞっ」

 蘇芳の声も、引き攣っている。

「確実に死なせないと、こっちとしても満足できない。大丈夫だ、お前さん方は胴体が細い。この刃先だけで、致命傷だ」

 浅葱と萌葱が、悲鳴を上げた。

「さ、下がりなさい。あなた達の手に負える相手ではない」

 気丈にも、楓が二人に呼び掛けたが、声は震えている。

「立派だな。力の弱い者を守るその意気は、称賛に値する。それを讃えて、せめて苦しまない死なせ方をしてやろう」

「ぜ、全然、有り難くないのですがっ?」

 場が緊迫して来たのを察し、セイが動こうとするのを制し、蓮が音もなく動いた。

 駐車スペースのブロック塀を軽く飛び越え、道路の声の辺りに降り立ち、太刀を手に蘇芳に近づいていた男の前に立ちふさがった。

 昔の体格と変わらぬその動きに目を見張りつつ、セイも駐車場の出入り口から姿を見せる。

「何で、お前さんが、この連中を守っている?」

 静かに問う男に、蓮はやんわりと答えた。

「その質問は、芸がなさすぎやしませんか? どんな奴でも、客になりゃ同じです。どうしてもこいつらを狙いたいのなら、オレたちがいない時を、見計らって欲しいんですが?」

 凌が、眉を寄せた。

「オレ、たち? お前さんだけじゃないのか?」

 言いながら視線を流した先に、意外な姿を見つけ、男は目を剝いた。

「……時間が押しています。こんな所で道草食わず、早く車内にお戻りください」

 無感情に、セイが蘇芳に呼び掛けた。

「夕方までの約束だろう? それ以上かかるのなら、私は知らないぞ」

「す、すまん。ほら、楓」

「ま、待って下さい。久し振りに、足が……」

 珍しく足が震えて動けなくなっている楓に近づき、若者はその体を支える。

「待て、セイ坊?」

 目を剝いたまま、凌が声をかける。

 振り返った若者は、呆れ果てた目で男を見ていた。

「な、何で、そいつらの仕事を受けた?」

 その痛い目を受けながら、男が問いかけると若者はあっさりと答えた。

「報酬が、魅力的だったんです」

 この一日護衛するだけで、この地でも大きな一軒家を建てられる大金が得られると答えるセイに、凌は目を剝いたまま蓮を見た。

 その目が言いたいことを察し、成長した若者も頷く。

「オレも、その位の金額を提示されました」

「……昔、払っていなかった報酬も、上乗せしていますので」

 控えめに付け加えた蘇芳の言葉は、聞こえない。

 男はセイの思惑に気付いた。

「お前さん、大人しく学校に通う気が、ないな?」

「勿論です。今更、そんな事に縛られるつもりはありません。大体、家を壊して置いて、謝罪もなく、そういう方向に持って行こうなんて、勝手が過ぎると思いませんか?」

 この年の秋、セイが寝泊まりしていた山の一軒家が、潰れた。

「つ、潰れた? 台風は、少し前に過ぎたが……そんなに、弱い造りじゃなかったはずだろう?」

 松本から、建て替えの話は聞いていたが潰れてしまったせいとは、考えもしなかった。

 そう言う凌に、セイは静かに説明した。

「潰れた家の瓦礫の中から、ロンを含む数人が這い出てきました。あいつら、柱を数本へし折ったんです」

「……頑丈な人たちだな、相変わらず」

「ああ、体だけじゃなく、神経も頑丈だよ」

 しれっと這い出て来て、崩れて来た家から逃げ遅れたと言ってのけた。

 つい感心してしまった蓮に、セイは吐き捨てるように言った。

「まさか、その家を、早急に立て直す気で、金を集めてるのか?」

「ええ。今度は、あいつらが崩すのを躊躇うような、高価な品物を飾っておきますよ。私にとっては、あの建物こそが、唯一無二だったんですけどね」

 あの家は、先々代の松本氏が、自ら設計し、木材を選び、家具まで作り揃えてくれた物だったと言う。

「……先々代は、百近くまで生きたと、社長に聞いてるが」

「ええ。八十代の時の、力作です」

 それを一瞬で、連中は無に帰してしまった。

 何故か苦笑する蓮の前で、凌が目を瞬いている。

「そ、そうなのか」

 返した声も、先程の力はない。

 話が大幅に逸れてしまったが、男はそれを思い咎める気はなくなっているようだ。

「まあ、確かに、そんな前に作られたにしては、いい造りの家だったな。使われていた木材も、最高級品だった」

 凌は毒気が抜けたまましばらく考え、頷いた。

「よし、再現してみよう」

「……? 何ですか?」

 急に真面目な顔で見る父親を、セイは戸惑って見返した。

「社長に掛け合って、前の設計を元にした、立派な家を作ろう。費用の方は心配いらない。あの社長の事だ。同じくらいの出費をする気で動いているはずだ」

「いえ、ですから、その費用は、用意できるんですが……」

 戸惑いながら返すと、男は笑いながら首を振った。

「それは、もう少し大事な場面で使えばいい」

「……その代わり、仕事を放棄しろと?」

 後ろに隠れようとする二人を見据える凌に、セイは首を傾げた。

「もうすぐ、時間的にも終了なんです。放棄するのは勿体ないです」

「あんたの動き、把握されてるんじゃあ? そうなのなら、こいつらを狙っても、また先手を打たれると思いますよ」

 蓮が、凌も考えていた疑問を口にする。

「ああ。オレの性格をよく知る奴が、そちらにはいるからな」

 男は頷き、後ろを振り返った。

 息を切らして追いついた鏡月と、のんびりと歩いて追いついた律が、並んで見学していた。

「……お前側の人間に、大体の事情を聞かされたんだが。この子を雇わせたのも、同じ奴か?」

 力のない男の問いに、律は正直に頷いた。

「はい。前々から、あなたがこの子の係わった件を追っているのは、承知していました。なら、この二人が係わった件も、知れるのは時間の問題だと」

 そう、律の師匠は言っていた。

 それならば、自己申告してしまおうと、水月は笑ったのだ。

「あの、凌小父さん」

「何だ?」

 セイの呼びかけに、凌本人はすぐに返したが、訊いた数人が耳を疑って目を剝いた。

「勝手な言い分だとは思うんですが、お願いします。過去の事は、もう放って置いて下さい。この連中については、もう無害と思って下さっても、構わないくらいなんです」

「そうなのか?」

「……ちょっと待て、セイ。何で、その人を、小父さん呼ばわりなんだっ?」

 秘かに笑いをこらえる蓮の傍で、親子は同じようにきょとんとした。

「ん? おかしいか?」

「あんたも納得してるのが、更におかしいだろうがっ」

 鏡月が、妙に厳しい剣幕で、二人に詰め寄る。

「いや、初めて腹を割って話した時にな、真面目に問われたんだ。どう呼べばいいかって」

「今更、お父さんは、恥ずかしいだろう?」

「いや、オレに訊くな」

 セイに振られた蓮は、静かに返す。

「小父さんなら呼びかけやすいし、いいんじゃないかと思ったんだ」

「オレも、本名を聞いて長いなと思ってしまって、『セイ坊』と呼ぶことにしたから、お互い様だろう?」

 そんな確認を、本人にするセイもセイだが、それを了承する父親も父親だ。

「どういう事情であれ、実の親子だろうに……」

 何をそんなに悲観しているのかと、顔を見合わせる二人が、妙に微笑ましい。

 ついつい、今の状況を忘れそうになっていた律が、我に返り蘇芳に声をかけた。

「部屋は取ってあります。ホテルに向かいましょう」

「……まだ、話が終わっていないんだが」

 手強い。

 舌打ちしそうになりながら、狐は凌を見た。

「話で済む事でしたか?」

「済ませてやろうかと、考えてる最中だ」

「なら、早く決めて戴けますか? こういう老害でも、やることは一人前にあるんです」

 偶に強力な毒を乗せると、蘇芳が小さく嘆くのに構わず見据えられた男は、またセイの方を見た。

「お前さん、家が出来るまで、どうする気だ? 連中の願い通りに居候する気がないなら、寝泊まりする所がないんじゃないのか?」

「今まででも、そうでしたよ。あの家に寝泊まりできるのは、年に数日でした。その代わりに、年末の大掃除で補強もしていたんですが」

 寧ろ、家が出来るまで、この地に近づかなくていいと言う、名義体分が出来たように思えると、とんでもない事を言い出すセイに、凌は小さく唸って見せた。

「それは、この地を大きく揺るがしそうだから、お勧めできないな」

「そうですか?」

 社長に雇われてから、ずっと神がかった者の話を聞いていたのだが、その話だけを考えると、セイをこの地に止める必要があるように感じる。

 実の子供を、そんな得体のしれない場に持ち上げるのは気が引けるが、松本家を筆頭にしたこの地に住み込んだ連中は、聞いた話よりも砕けた敬い方をしているように見受けられるから、こちらも協力しやすい。

「どうせ、受験までに仕事は治めようと思えば、収められるんだろう?」

「……まあ、押し切られる可能性も、頭に入れてますけど」

「嫌だと言えば、古谷が泣くぜ」

 考えながら答えるセイに、隣の蓮がぽつりと鋭い事を言う。

 ぐっと詰まる若者に、駄目押しとばかりに凌が言った。

「お前が、高校だけでも真面目に通うのなら、その間だけ、こいつらは放置してもいいぞ」

 律が、わざとらしく目を見開いた。

 蘇芳が、不服そうに唸る。

「私と楓の命は、その程度の価値か」

 セイは首を傾げ、返す。

「それでは、交換条件にならないのでは?」

 最もな意見に頷きつつも、男は言った。

「親にとっては、子供の将来こそ、人の命に代えがたいものだ。だから、これでいいんだ」

 随分、大きく出た。

 蓮が内心呆れ、鏡月はあんぐりとして、凌の言葉を聞いている。

 言われたセイの方は、困惑して空を仰ぐ。

「将来?」

「そう。幸い、お前さんの容姿は、まだ現役の高校生として勉強していても、不自然ではない。社会では学べない事を学んでみるのも、楽しいかもしれないだろう? それで何か興味が出てくれば、その上の学校に進むのも、ありだろう」

 困惑したまま、若者は考え込んだ。

 凌はその様子を見ながら、手ごたえを感じていた。

 これで、蘇芳たちにはしばらく手が出せないが、他の連中には大手を振って近づける。

 本人は忘れているのか、誰にも話を乗せた事がないが、結構な痛い目に合っているようなのだ。

「分かりました。ですけど、放置と言うだけなら、この二人だけでは軽すぎますよね」

「……ん? そうか? だが、こいつらだけなんだろう? そんな命に係るような仕事を受けたのは?」

 首を傾げた男を、セイは同じように首を傾げて見返した。

「私は、そう思っているんですけど、あなたの考えは違うでしょう? だって、あなたが闇に葬った中には、明らかに命云々には係わりのなかった、仕事関係者がいましたよ?」

 酒井の長男がいい例だと、若者は続けた。

「酒井に仕えていた連中も、命令で拷問しただけで、命はこの通り無事でした」

「……」

 確かに、考え方は違う。

 だが……。

「いや、お前の考え方の方が、おかしいだろう」

 成り行きを、戦々恐々と見守っていた蘇芳が、つい正論を滑らせた。

「拷問なんて、命が助かっても、後々心に残るものよ。怖くなかった?」

「……目が覚めて、助かったけど……」

 思わず、楓も気遣う言葉を投げるが、セイは首を傾げたままだ。

「……律と部下たちが来た時、お前さん、あの変態にいい様にされかかっていたと聞いたが?」

 凌の地を這うような低い声が、確認の形で言葉を投げた。

 これも、知られていたかと嘆き空を仰ぐ鏡月と、話し過ぎだと律が師匠に毒づきながら目を閉じる様を、セイは少し不思議に思いながら、正直に答えた。

「向こうが勝手に、体力を掏り切らせてくれるんです。眠り込んだら後は楽に、逃げられるでしょう?」

「……」

「逃げる前に寝首を掛けりゃあ、上等だったんだがな」

 つい笑って、蓮が言ってしまうと、セイは若者を見上げた。

「あんたが、この狐にそう言う考えを持ったなら、この人もこの二人を狙おうとは思わなかっただろうね」

「仕方ねえだろうが。こっちは、自分の事で頭が一杯になっちまって、こいつらの事なんか、どうでも良かったんだ」

 形見を置き忘れていたのに気づいたのも、蘇芳からの連絡が入った時だ。

「まあ、お前が巻き込まれたと知った時は、本気でそうすりゃ良かったと、後悔したがな」

「次からの教訓で充分だよ。私としては、気弱な時のあんたを、直に見れなかったのが、心残りだけど」

 思い出した過去を、二人が笑い合って回想している間、凌は黙って顔を伏せていた。

 やけに静かになった男に気付き、セイが父親の顔を覗きこむ。

 呼びかける前に、顔を上げた凌の目は、若干据わっていた。

「セイ坊、お前さん、高校とは言わず、小学校から始めたらどうだ?」

「は?」

「いや、その容姿では、不自然だな……律、水月を借りたいんだが、構わないよな?」

 急に話を振られたが、凌の心の動きを察していた律は、冷静に答えた。

「構いませんが、無駄だと思います」

「何でだ?」

「色事云々の話を教えたところで、その子の考え方の根本は、変えられないからです」

 だから本当は、学校に通うと言う案も無駄だと、律は思っていた。

「だから、何でだ?」

「何でと言われても、説明できるような単純な話じゃないんです」

 この件に関しては、すでにオキと律の間では、迷宮入りしている。

 それでも、通学に反対していないのは、知識は必要だろうと言う判断だ。

 父親すら混乱させる若者は、ただそんな大人たちの会話を見守っているだけだ。

 年が暮れていく時期の、どうでもいい一幕だった。

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私情まみれのお仕事 お家絡み編 赤川ココ @akagawakoko

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