憂鬱のピアノマン

宇佐美真里

憂鬱のピアノマン

店内にはジャズが流れていた。

ミュートの効いたトランペットの調べが、切なく辺りに漂う。


「お疲れの様ですね…」

カウンターの内側からマスターが静かに語りかけた。

「寄る年波には勝てないさ…流石にね」

カウンターでロックグラスを揺らしながら年老いたバイソンは答えた。


「しばらくお見えにならなかったので、お忙しいのかなと思っていたところです」

「そんなにご無沙汰だったかね?忙しい…などと云うこともないのだけれどね…」

そう言いながらバイソンは店内をぐるっと見渡して訊ねる。

「少し変わったね?ステージ袖にあるのは何だい?」

ステージ袖では若者が数人。何かをセッティングしているのか、固まって作業をしていた。

「DJ用のブースですよ…。最近では生のバンドよりも、レコードを回したいという要望が多いもので…。これも時代の流れなのでしょう…。ようやくウチも右に倣ったと云う訳でして…」

少しだけ…ほんの少しだけ、分かるか分からないか程度に、にこりとしながらマスターは言った。

「時代の流れか…。もう僕も"化石"の様なものだな…」

自嘲気味にバイソンは笑った。


「ターンテーブルとミキサー、それにサンプラーか…。レコードの使い方も随分と変わって来たものだね…」

「そうですね…。まぁ、あまり騒がしい感じのものはお断りしているのです。昔からのお客様もまだ来て頂いていますから…」

「"DJ"ってことは、掛ける曲を座って聴く訳でもないのだろう?」

「えぇ。そういう時はフロアは片付けます。…と云っても、お客様も踊ると云うよりも、聴きながら体を揺らす程度ですがね。今日もほら…」


ステージ袖のDJブースで作業をしている若者は、ジャズのレコードを数枚手にしながら話をしている。


「ジャズを掛けるのかい、彼らは?」

「そうですね。所謂"クラブジャズ"という奴ですね」

「クラブジャズか…。スタンダードを演る若い者も減ったからね。モダンジャズもモダンでなくなったって訳だ。そのうちステージもなくなるかもしれない?」

「出来ればそれは避けたいのですが…」

マスターは苦笑いする。


背中越しに、若者たちのやや興奮した声が聞こえる。

「嘘だろう?」「いや、きっとそうだって…。ほら?」

バイソンは途中で話を止めた。そっと振り返ったバイソンの目には、若者の一人が手にするレコードが映った。それはかつてのバイソン自身の演奏によるピアノトリオのライブ盤だった。若者のもう一人が盗み見る様にバイソンに視線を遣る。そしてもう一度レコードジャケットへと視線を戻して言った。

「本当だ…」


バイソンがカウンターの上のロックグラスへと視線を戻すと、マスターは言った。

「まだ貴方は"巨人"のままですよ…。"化石"などではなく…」

小さく肩を竦めたバイソンは、マスターの言葉には答えずにグラスを口にした。


「すみません…」

背中に聞こえた声にバイソンは再び振り向いた。先ほどのライブ盤を手にして若者が立っている。

「僕、貴方のファンなんです。よくレコードをDJをするときに掛けさせて貰ってます。サインお願い出来ますか?」

「光栄だね、ありがとう」

そう答え、手渡されたレコードジャケットに写る、自らの横顔の脇へとペンを走らせた。

「三曲目の頭の部分は最高です!」

その曲が何だったかと、ジャケットを裏返しバイソンは曲名を確認する。

「…」

無言でバイソンは若者へとライブ盤とペンを返した。「どうも」と握手を求めて来た若者の着ているTシャツには、胸いっぱいに大きく某有名クラブジャズDJの顔がデザインされていた。


レコードジャケットを小脇に、DJブースへと戻って行く"ファン"の背中を見つめながら、バイソンはマスターに言った。

「三曲目の頭は…。確か…僕のピアノではなく、ドラムのフレーズから始まるのだったがね…」

マスターは黙ったまま肩を竦めた。


「ジャズの話ではないのだけれど…」

そう前置きしてから、バイソンは訊いた。

「『ラジオスターの悲劇』と云う曲を知っているかい?」

「えぇ。バグルスのデヴュー曲でしたね?当時ヒットしましたね。あの曲は確か、MTV開局時の放送第一曲目だったのだそうですよ」

「『ラジオスターの悲劇』が音楽専門TVチャンネルの開局第一曲目と云うのも皮肉だね…」

「ですね…」


「DJも昔のイメージとかなり変わったね」

「サンプラーの登場でかなり変わりました…」

「あれの登場で"曲"という物が"素材"…"元ネタ"へと大きく認識を変えた。変わってしまった…。フレーズ単位でそれが"使える"のかどうか…にね」

「今は、楽器を弾くことが出来ずとも音楽は出来ますからね…」

「そう。そしてDJはレアな"元ネタ"を発掘しようと躍起になるが、それを聴く側は"元ネタ"が誰の物だったかなどと云うことは一向に気にしない」

「ですね…。先日、お客様に『これ知ってる?』と掛かっていた曲について訊かれたので、所謂"元ネタ"を答えましたら『マスター、違うよ…』と…」

「そのDJの"オリジナル"だと思っているのだね…」

「その様です…」



They took the credit for your second symphony

Re-written by machine, a new technology

And now I understand the problems you can see


Video killed the radio star

Video killed the radio star

Pictures came and broke your heart


ヤツらは、貴方の第二交響曲を

我が物の様にしてしまったネ…。

最新のマシンやテクノロジーで、

丸ごとすっかり…書き換えてしまったヨ…。

貴方がどんな目に遭遇したのか、

今なら、僕にも分かる様な気がするヨ…。


ビデオが殺したラジオスター。

ビデオが殺したラジオスター。

ヤツらはやって来て、貴方を殺してしまったンだ…。


『ラジオスターの悲劇(Video Killed the Radio Star)』(1979)



「老兵は去り行くのみ…と云ったところなのかな…」

そう言うと、年老いたバイソンは立ち上がった。

「老兵だなんて…そんな。帰ってまたピアノの前に座って練習なのでしょう?」

「まぁ、長い習慣はなかなか変えられないからね…。ごちそうさま…」

店の扉へと、バイソンはゆっくりと歩いて行く。

DJブースの若者たちが、彼へと会釈した。


そのバイソンの背中をマスターは黙って見送る。大柄な彼の背中は丸く小さかった。

「貴方の音楽は、きちんと新しい世代にも響いているのですがね…」

バイソンの背中でゆっくりと閉まろうとする扉に向かい、マスターは呟いた。


彼のレコードが…そのユニークなフレーズの数々が、この店の若いDJたちの間で、最もサンプリングされているのだと云う事実をバイソン自身は知らなかった。そして…その後、彼の姿を見た者は誰もいない。



-了-

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