第17話
その後柳田は裁判の末、死刑に処された。事件から2年後のことである。これだけの規模の事件で2年後に刑が執行されたのは珍しいことだろう。
事件当時はもちろん大きくメディアでも話題に取り上げられたし、刑が執行された時にも話題になった。
だが当事者でない人々の関心の在り方は一面的だった。結局は頭のイカれた犯人が起こした凶悪事件という以上の認識を持った人間は稀だった。
「貴士、終わったよ……」
もう夏も終わりに近付いた頃、都内の墓地の一角の墓石に花を手向ける一人の女性の姿があった。
誰からも明るいと評されるその表情も今は複雑なものだった。悲しみとやるせなさ、だが一つのことをやり遂げた安堵感……そんなものが混じり合っていた。
「あれから2年、もっと昔のことのようにも思えるし、……昨日のことみたいにも思える。あの日からお姉ちゃんは半分死んだような気で生きてきた。……でも頑張って生きて、仕事も続けてきたんだよ。それだけで私、偉くない?思いっきり誉めてよ、貴士」
そう呟くと彼女は少し涙を流した。
「貴士が事件に巻き込まれて亡くなったって聞いても嘘だって思ったし、遺体を確認した時も綺麗な顔のままだったからまるで現実感がなかった。……あの遺体は貴士がイタズラでなって見せた姿で、本当はどこかで生きていてある日ひょっこりと帰ってくるんじゃないかって……この2年間ずっとどこかでそんな気がしてた。……でも今になってようやく貴士が亡くなったんだって、やっと受け止められるようになったよ」
今度は彼女は少し笑った。その笑いは誰かに向けたものというよりも、弟の死を受け入れられなかった自分の弱さに向けてのもののようだった。
「……まだ大学生の貴士が『自分で学費を出す』ってパチンコ屋でバイトを始めるって言い出した時はお姉ちゃん反対したよね?学生の内は勉強が本分なんだから、そんなこと気にする必要ない……って反対したんだけど、でも貴士がそんなに責任感を持って家族のことも考えてくれて行動してくれたことは嬉しかった。……でも……無理にでも止めておけば、それとも何か別のバイトだったらこんなことにはならなかったのかな?もしそうしていたら……って思わない日はなかったよ」
彼女はまた涙を拭うと、落ち着いた口調で墓に語り続けた。
「……最初、貴士が犯人に立ち向かっていって取り押さえた、って刑事さんから聞かされても全然嬉しくなかった。犯人なんかどうでも良いから、自分が生き延びることだけを考えて欲しかった。……その為に逃げ遅れてたなんてバカみたいじゃない?……でもそれから刑事さんに『弟さんの勇敢な行動がなければ被害者はもっと増えていたでしょう』って言われて……少しだけ貴士のことを許してあげても良いかなっていう気持ちになった。……もっと後になって実際にその場に居た人に『弟さんがいなければ、自分は逃げられなかった』と涙ながらに感謝されてからは……誇りになったよ。あなたが救った命を誰かが生きている……私も誰かを救いたくて看護士になった時の気持ちを思い出した」
真昼の都内とは思えない静けさだった。蝉の鳴き声ばかりがやたら激しく聞こえた。
「だからどんなに心が苦しくても仕事は続けよう!って決めた。……なのに、なのにさ、そんなことってある?笑っちゃうよね?貴士を殺した人間を私が担当することになるなんて。……『事件の関係者の人が1人入ってくる』としか最初は聞かされていなかったから、被害者の方としか思ってなかった。……そうしたらまさか犯人の方だなんてさ!そんなことある?いくらウチの病院がワケありの人を受け入れる場所だっていってもさ!」
彼女の表情はまた目まぐるしく変わっていったが、ここが彼女にとって感情を解放出来る唯一の場だと考えれば、それも仕方のないことだろう。
「でも、これは逆にラッキーかもしれない!って思うようにもなっていった。貴士を殺した犯人を間近で観察出来るんだし、彼が『精神状態がおかしかったので自分は無罪だ!』なんて言い出すようなら、法の裁きを待つ間でもなく……みたいなことも考えた。
……ううん、それは最悪の場合だよ。彼にも本気で罪を認めてその上で法によって裁かれて欲しい……それが第一だよ。……それでもそうなっても構わない……何もかもメチャクチャになってしまっても良い!ってその時は思っていたよ」
彼女の語りは少しずつスピードを上がっていった。それだけ感情が加速していっているのだろう。
「それに……知りたいっていう気持ちもあった。こんな凶悪犯が一体どんな顔をしていて、何を考えてあんなとんでもない事件を起こしたのだろう?貴士を殺した人間は一体どんな人間なんだろう……って。あの頃の私には何も現実感がなかった。だからそんな異常な状況もそれほど違和感なく受け入れていた。自分を客観的に見ることを意識的に避けて目の前のことにだけ集中することで、なんとか正気を保っていたんだと思う」
そこで彼女はまた言葉を切り、再び話し始めた。
「……でも彼のことを知ってゆくほどに私の気持ちは複雑になっていった。病室で寝ている彼は普通の人にしか見えなかった。刑事さんと話しているのを聞くと『ああ、この人が本当に貴士を殺したんだ』ってハッとさせられることもあったけど、それ以外は普通の人。……でも徐々に明らかになっていった彼の主張は私には全然理解出来なかったし、自己中心的で身勝手な人だなとしか思わなかった。だけど……目の前で怪我から徐々に回復してゆく彼を助けたい、って気持ちも本気だった。リハビリの後『今までありがとう』って言われた時は不意を突かれて感動してしまったよ。……それに身体の回復に伴って変わってゆく彼の言葉に、余計に彼のことをどう思えば良いのか分からなくなって混乱していった」
彼女……柳田の担当看護士であり、事件の場で柳田の逮捕に大きく貢献しながら被害者となった赤木貴士の姉、赤木穂乃花はそこで言葉を少し詰まらせた。だが義務感から来る気丈さで再び言葉を続けた。
「そのうちに私が貴士の親族だってことが分かって、病院も警察の人も腫れ物に触るように私に接してきた。でも私は『このまま彼を担当したい』って言った。それは私にしか出来ないことだから。結局柴田さんの口添えもあって私が最後まで彼のことを担当できたのは、良いことだったんだと思う。……でも病院を出てからは結局一度も彼と会うことはなかった。いつか彼と面会して『久しぶりですね、柳田さん。実は私の弟はあなたに殺されていたんです。しかも最後にあなたを阻んで犯行を食い止めた自慢の弟なんです。それを知ってどんな気分ですか?』っていう場面を何度も想像していたんだけどね、結局そんなドラマチックな瞬間は訪れなかった。……刑が執行されたのを知ったのも後になってからだった。あの人は最後の瞬間に何を思っていたのかな?少しは自分の行動を悔やんでくれていたのかな?」
長い間しゃがみこみ、墓の前で手を合わせていた彼女だったが、そこまで口にすると立ち上がった。
セミの鳴き声が一層強くなったようだった。
(完)
若葉の頃 きんちゃん @kinchan84
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