アオの香り

@piyo-ko

アオの香り

キラキラ光る小瓶には透き通ったアオの液体が入っている。小瓶の頂を押す。シュッと軽快な音がして、記憶の奥深くに眠っていた香りに包まれる。



夏の日差し。真っ青な空。わたあめのような雲。鼻腔をくすぐる潮風になびく髪。波打ち際にたたずむあの子を見ている。真っ白なワンピースを着て儚げに笑うあの子は誰だっけ。「ねえ、」声をかけた瞬間、わっと吹いた風に視界がかすむ。


我に返ると少しかび臭い木造家屋だった。青々と茂る木々の隙間を通り抜け届く心地よい風。軒下に吊っている風鈴がチリリと澄んだ音を立てる。いつもは煩い蝉の声も今は許せる。昔からなじんだ家のようだが僕に田舎なんかない。ここはどこなのだろう。そんなことを考えながら眠りにつく。


騒がしさに目を覚ますと今度はプールサイドにいた。飛び込み台。青と黄色のコースロープ。透明な青が塩素の香りをのせてあちこち飛んでいる。水温の冷たさに叫ぶ声、笛の音。重なり合う水を蹴る音。午後の授業は気持ちいいだろう。クリーム色のカーテンを揺らす風が穏やかに時を進める。思いを馳せていると見知った顔がいないことに気づく。ふいに体が浮く感覚に襲われる。



すう、とからだに重力が戻る。小瓶を持って元いた自室に立っている。「戻ってこられた。」ほっと息をつく。この液体は夏を視せる香水らしい。どこで手に入れたか、誰かからもらったのかも覚えていない。だが夏の概念を愛す僕にとって最高の代物なのだ。ぼくは記憶にない夏を視せてくるこれを、マボロシと呼んでいる。得体の知れないマボロシに少し怖さを覚えながらもこうして時々使う。思えば、名前を付けてから使う回数が増えた気がする。戸棚に入れておいても、マボロシが使ってほしそうにするから目に留まるのだ。マボロシは何度使っても減る様子がない。マボロシはきれいだ。マボロシは、マボロシは。


シュッと軽快な音がした。

ゴト、と小瓶が落ち、僕は――

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