【8月16日】ツバメ

王生らてぃ

本文

 目の前で少女が、椅子に深く座らされている。

 せわしなく眼球が動いている。口にはやわらかいタオルをかまされて、両手両足はガッチリと椅子に縛り付けられている。そして、左手を楽に伸ばした姿勢で、わたしの方に差し出している。



 わたしはいったん、彼女のタオルを解いた。

 なにか希望はあるかと言うと、目隠しをして欲しいというので、わたしはそのようにした。

 はじめますよ、というと、彼女の体は強張ったので、楽にしてください、リラックスしてくださいとなんども言った。そうしないと後で痛いですよと。






 バイオステッチ。

 人間の皮膚に別の人間の皮膚を『刺繍』するというこのファッションは、発案者のわたしが半信半疑でいるうちに爆発的なブームを見せていた。とくに、若い女の子が、別の女の子の髪の毛やら何やらを持ってきて、体に縫い付けて欲しいというのが多い。



 わたしは目の前の少女の腕に、注意深く針を刺した。血が滲み、それをガーゼでなんども拭き取りながら、黒い糸をなんども肌に通していく。

 この少女は、自分の姉の髪の毛を持ってきて、これを自分に刺繍して欲しいと言った。なんかへらへらした感じでいまいち緊張感のない雰囲気だったので、中途半端な気持ちでやると後悔するよと忠告したのだが、意外と彼女の意思は固かった。どうしてもお願いしたいんですと言った。

 話を聞くうちに彼女の姉が自殺したばかりだということを知った。



 ふーっ、ふーっ、ふーっ。

 荒い息は少女が噛み締めたタオルの隙間から漏らすものだ。わたしがやっているのは医療行為ではないので、当然麻酔もかけられない。想像を絶する痛みが、何度も何度も彼女を襲っていることだろう。



 彼女はツバメの絵を入れてほしいと言った。

 姉が大好きだった鳥らしい。

 イニシャルを入れたりするのがトレンドだが、彼女はそうはしなかった。腕にツバメの絵を入れて欲しがった。



 椅子はガッチリとコンクリートの床に固定されているので、人間の力では絶対に動かない。そこにガッチリと固定している患者も、当然動くわけがない。

 イラストをステッチするのは久しぶりだったので、わたしの手元はややぎこちなかったが、思い切りよくやらないと患者に無用の苦痛を与える羽目になるだけだ。



 髪の毛は十分にあったが、細かったり、短かったりして、ステッチに使えないものも多い。やがて、後少しでという場面で、彼女が持ってきた髪の毛は全てなくなってしまった。

 少女は涙を流し、タオルが硬くなってしまうまで噛み締めていた。呼吸はすでに深くゆったりとしていて、半ば意識は朦朧としているはずだ。



 この子は健気だった。

 へらへらしていたのは、姉の死を必死に押し殺して、その反動からだったのだ。

 単なるファッションというだけでなく、この子はちゃんと、このステッチに意味を持たせたいと感じているのがわかった。



 わたしは自分の髪の毛を抜いて、最後に残ったほんの少しの部分のステッチに当てがった。






 背術が終わったとき、少女が見たのは、包帯でぐるぐる巻きにされた自分の左腕だった。穴がたくさん空いて血だらけの腕が治らないと、ステッチは定着しない、一週間はそのままで過ごしなさいと、そう言った。だけど、自分の腕のステッチを見るまでもなく、少女は涙を流し、顔をぼろぼろに崩しながら泣いていた。それは、痛みを堪えながら真っ赤に腫らした眼元を流れてなおも流れた。



 先生ありがとう、ありがとう先生と、何度も告げる彼女に、わたしは医者じゃないから先生と呼ばないで、と、お決まりの言葉を告げ、そのあと、なにかあったらすぐにまた来なさいと言って少女を送り出した。






 ひとりになったあと、わたしはたまらなく気持ちが悪くなっていた。

 あの少女の腕には、少女の姉と、わたしの髪の毛が混じり合った、ツバメのステッチが刻まれている。何でだ。なんでわたしはあんなことをした?

 完成品を見たときに少女はいったいどんな顔をするのだろうか。

 それでも、あの健気で美しい少女の身体に、自分の一部を縫い付けたことが、わたしは少し……






 快感をおぼえた。

 わたしは、あの子と永遠に一緒にいるのだ。姉のことなどどうでもいい、ずっと一緒にいる。その征服感、達成感。

 それから、あの少女は術後の経過も良好だったのか、二度とわたしの目の前に現れることはなかった。もしかしたら姉のあとを追って自殺したのかもしれない、とも思ったが、そんなことはどうでもよかった。それで少女が死を選んだのなら、それはそれで、わたしにとってはたまらない気持ちにさせられる。

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【8月16日】ツバメ 王生らてぃ @lathi_ikurumi

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