第2話「トリパルデッリ家の威光」

 入り口に、マッテオと名乗る黒いタキシードを着た初老と思わしき白髪混じりの執事が迎えにくる。

 少しの間待たされた後で、イブキは城の中へと招かれていった。


 重厚な扉を開けた瞬間から広がる赤い絨毯に、真正面に進んだ先にある螺旋階段。至るところに装飾品が飾られており、天井を見上げればシャンデリアが取り付けられている。

 右にも左にも廊下がいくつもあり、案内がなければ迷宮入り間違いなしの構造である。


 まさに、成功者の家とでも言えばいいか。


 そういえば、以前出会った転生者は、こちらの世界でも成功者のやることは変わらないと言っていたな。

 悪魔と天使がいようがいまいが、人間の思考回路は変わらないということか。


 いや、違うな――。


 螺旋階段を支える真ん中の柱を上まで見上げれば、両翼を携えた天使が両手を広げながら、こちらに微笑んでいる。

 これは単なる信仰でもなんでもなく、ここに住んでいる人間は実在する天使を崇め、頼っていることになる。こちらに振り向いてさえくれれば、莫大な力の恩恵を受けることができる。


 イブキが言うには、転生前の世界では人間が努力しなければ何も発展しないと言っていたような気がするが、こちらの世界では悪魔と天使こそが世界の覇権を握っている。


 とまあ、いくら御託を並べようとも天使なんぞを崇めている時点で、悪魔の私にとっては唾棄すべき対象にしか過ぎない。


「――紹介状をお持ちいただいたので、イブキ様は直接当主とお会いしていただきます」


 私が物思いに耽っている間、イブキと執事は螺旋階段を登り切り、当主の間の前まで来ていた。

 イブキの背丈の五倍はあろうかというくらいの大きさを誇る鉄色の扉は、もはや人力で開けることは不可能である。


「事前にマッテオに聞いておきたいんだが、当主とやらの前でやってはいけないことはあるのか?」

「特段ございません。当主は温厚な方ですので。それに、さほどお時間はかからないかと思われます。無駄な長話を好むお方ではありませんので、イブキ様もきっとお話しやすいかと」


 マッテオは表情を変えることなく、流暢に答えた。


「なるほど」


 イブキはそう言うと、大人しく頷いた。

 おいおい、らしくないな。

 いつもだったらもっとこう、失礼な質問とか傲慢な物言いでもしてるはずだろ。


『マッテオに、もっと言うことや聞くことがあるのではないか?』

『無』


 とうとう私の質問に単語のみで回答してきたな。仮にもパートナーだぞ。

 

「アプロ【apro:開】


 私の心の中での悩みなどお構い無しに、マッテオがアイウートのマジーアを用いて扉を開ける。

 人力では開けられなさそうにしている理由は、特定の人物がマジーアを用いないと開けられないようにしているためだと理解する。


 そうしてそのまま、イブキとマッテオが進んでいくと――。


 当主の間は、壮大な広さを持って歓迎してくれた。天井はもはや届くのか不安になるレベルの高さを誇り、フロアの真ん中辺りに階段が三段ほどある。

 床を見ると、今後は金色の絨毯が奥まで敷かれており、そのまま視線を移すと最奥に玉座があった。


 そこに座っているのは、当主と思われる男であった。

 金色のマントを身に纏うその姿は、もはや成金を通り越して悪ふざけとしか思えないような格好だった。

 それでも、猛禽類を思わせる鋭い目付きが笑うことを一切許さない。背筋をピンと立てて座る様子からは傲慢さを感じさせず、毅然とした当主感を漂わせている。


 さすがのイブキも多少圧倒されているようで、手に汗がじんわりと滲んでいる。


「貴公がイブキと申すか。私はトリパルデッリ家の当主を務める、ディエゴ・トリパルデッリだ」


 室内の広さをものともしない、よく通る声で挨拶をしてくる。

 イブキも自己紹介をすぐに返そうと思ったみたいだが、声が通る自身がなかったようでそのまま急ぎ足でディエゴの前まで歩いた。


「神月イブキと申します。突然の訪問にも関わらず、ありがとうございます」


 イブキはそう言いながら、丁寧にお辞儀をする。自分から頭を上げることはなく、ディエゴが「頭を上げよ」と言われてからようやく頭を上げ、視線を合わせた。


「私一人の歓迎で済まないな。皆出払っていて、おもてなしの一つもできず申し訳ない」


 玉座に座るディエゴは、表情一つ変えずに言い切る。


「いいえ。押し掛けてしまったのはこちらですので」


 ん? 本当に同一人物か?

 イブキはこれまでに聞いたことのないハキハキとした丁寧な声で、感謝を述べていた。


「さて、これの件であったな」

「はい、そうです」


 ディエゴは顔をしかめながら、手元にある茶色の紙を見ながら話を続ける。


「ボニート・トリパルデッリ――今はボニート・メノッティだが、こやつが紹介状を?」

「そうです。ボニートとはクレメンツァで出会いましたが、非常に親しくなり、私がこの王国に行くことを伝えたところ、是非にと」


 そう、祈りの日の朝にイブキがボニートに依頼していたのである。

 丸腰でこの王国に来ても路頭に迷うことは予想できたので、保険として用意していた。

 つまり、私の宿確保能力は全くもって向上していないが、きっとバレてもいない。


「そういうことであったか。まさかあやつがトリパルデッリ家に紹介状とはな……」


 ディエゴは感慨深そうに呟くが、それが果たして良い反応なのかどうかは、推し測れなかった。


「一つ、イブキに聞いてもいいか?」

「なんでしょう?」

「あやつの出自の秘密と、婿に出た理由を知っているか?」

「いいえ、親しくはなりましたがそこまでお聞きすることはありませんでした。本人が喋りたくないことを、無理に聞くのもどうかと思いまして」

「一見うまい言い訳に聞こえるが、全てを知っている私からすれば茶番だ」

「は?」


 イブキは怪訝な表情をする。


「あやつは、多大なる才能を持っているにも関わらず、落ちぶれた。それは一族の権威を失墜させ、我々を落胆させた。名字を剥奪――つまり婿に出して存在をなかったことにして、手打ちとした。つまり、この紙には何の価値もない」

「だからといって、一貴族が元とはいえ同族からの紹介状を無下にするというのも、名がすたるのではないのですか?」

「ウッハッハ! 煽ってるつもりか? 確かにその通りだな」


 ディエゴはひとしきり笑ったあとに、別の紙を出してきた。


「どこの誰とも知らぬ人間に金をやる程、我が一族は余裕も寛容さもないが、歓迎の王国を知らぬまま追い出す程、落ちぶれていやしない。イブキの身分に恥をかかせることがないよう、それに応じた滞在先を確保してやろう」


 イブキはその紙を受けとると、中身を確認した。

『この者を、自由区画の宿への滞在を無期限に認める ディエゴ・トリパルデッリ』


 この王国のことは、既に私から説明している。

 だからこそこの文章が何を意味するか分かった瞬間、紙を握りしめるイブキの手は怒りで震え出す。

 この中に人がいない理由についても、大方察しがつく。

 そもそもイブキは歓迎される存在ではなかったということである。入り口で待たされたのも、人払いをしていたのであろう。


「それを受け取ったら、すぐに目的地へと向かうことだ。私はよく知らないが、どうやらそこは夜道を歩くには危険らしいからな。まだ昼間だから、今から行けばきっと間に合うだろう」 


 イブキはディエゴを鋭い目付きで睨みつけると、無言でその紙を持ったまま体を翻し、その後は視線を合わせることなく扉へと向かう。


 ――俺を見下しやがって、この三流貴族がよ。ボニートの出自が何だ? 俺の出自を知って同じ口を聞けんのか。ロクに技術も発展してないクソみたいな世界で少しだけ成功したからって、調子に乗ってんじゃねえぞ。


 室内には静寂が流れているが、イブキはごぼり、ごぼり、と心の渦がどす黒く蠢きながら、心の中で憎悪を漏らす。

 ここまで口調が荒っぽくなるのは珍しい。ディエゴの対応が余程腹に据えかねることだったのだろうか。


 マッテオが開けた扉から出る前に、イブキは一度だけ振り向く。


「絶対に復讐してやる。覚えておけ」

「ウッハッハ! そういえばボニートもここを出ていく時に、同じようなことを言っていたな。その結果、今日に至るまで私は顔すら見たことがないがね!」

「俺はこの世界のルールやしがらみからは逸脱した存在だ」

「それがどうかしたか?」

「お前がどこのどれだけ偉い貴族かは知らんが、俺には一切の関係がない」


 その一言を聞いて、途端にディエゴの表情には余裕がなくなる。


「小僧――忠告だけはしておいてやる。貴族区画の人間を敵に回してこの王国で暴れられる程、甘くないぞ」

「俺に通用する脅しは、この世界での生きる権利を失うことだけだ」


 イブキはディエゴを指差しながら言う。

 振り向いて歩き出したイブキは、今度こそ一度も振り返ることなく、トリパルデッリ家を出ていった。



――――――――――――――――――――――



 イブキが去った後、そこには二人だけが佇んでいた。


「――あれでよろしかったのですか?」


 マッテオは表情を変えることなく質問しているが、明らかに不安を込めたものであることは明らかであった。


「よい。あんな不気味な人間なんぞ、これ以上関わりたくもない」

「食客として招き入れ、様子を見るというのは? ボニート様の近況を知ることができたかもしれませんが……」


 ディエゴは鼻で笑う。


「即却下だ。他の貴族に露呈した時に、どうなるか分かったものではない。無論、その間にあの男が何をしでかすか分からんという意味も込めてな」

「当主がそこまでイブキ様に嫌悪感を示されるのには、何かご理由でも?」

「純粋な人間ではないから分かるが、あんな絶望にまみれた男と関わっていたら、悪魔にむしゃぶり尽くされて、命がいくつあっても足りん。いや、既にあの男はなめつくされてえいる可能性だってある」

「そういうことでしたか。では、私からこれ以上の発言は控えさせていただきます」


 どこか納得したようなマッテオの一言を最後に、二人の会話は途切れていった。

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ディスペラータ・ネル・ブイオ ~異世界贖罪譚~ ビビッド・ウェイン @vividwayne

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