第三章「欲望にまみれた歓迎の王国」

第1話「歓迎のベンヴェヌーティ王国」

 そこは、人間が見上げるには高すぎて、横から横まで走り回るには広すぎる、大きくて丸い灰色の城壁に囲まれた王国であった。


 ベンヴェヌーティ王国。モンドレアーレ西部最大規模を誇る場所として知られている。


 入り口は一ヶ所しかなく、王国に入る扉の前で、検閲官からの質疑応答に対応しなければならない。

 最も、事前情報から察するに突破するのは容易いと思われる。


 イブキと私ことルキは、入国するために検閲を受けていた。人が並んでおり、ようやく自分達の順番が回ってきたところである。

 いかにもな銀色の鎧を纏った検閲官が、抑揚のない声で質問を繰り出す。


「お名前、出身、目的を教えてください」

「神月イブキ、チッタルーチェ、観光」


 イブキは努めて冷静な声でそう答える。


「分かりました。後は、何か特別に持っておりますか?」


 すると、イブキがジーパンのポケットから何やら取り出して見せる。それは、一枚の封筒だった。


「これを」


 受け取った検閲官は封を開けて取り出す。中には、茶色の一枚の紙が入っていた。検閲官は中身を確認する。


「なるほど」


 検閲官は大きく頷きながら言葉を続けた。

 先程は余裕と言ったものの、大丈夫なのかどうか、今は手もないくせに手に汗握る展開であった。


「こちらをお持ちであれば、自由区画と市民区画だけではなく、貴族区画への立ち入りも可能となります。自由区画には、夜中出歩かないように注意して下さい」

「了解した」

「それでは、歓迎の王国でのひとときを、お楽しみください」


 検閲官は決まりきった台詞で締め括ると、イブキへの興味を失っていた。イブキの存在を忘れてしまったかのように後ろに並んでいた人へと声をかけていた。


 そんなことはさして気にもせず目的地へと向かいながら、私は心の中で対話をする。


『まずは第一関門突破じゃな』

『まあな。これが通らないとなると、情報収集の範囲が大幅に狭くなる。この世界のレベルを考えるに、貴族からの話しは貴重だ』

『それにしても、この王国では一体何が起こるのじゃろうな』

『邪推するな。俺はこの王国で、モンドレアーレを生き抜くためにおいて有効な情報収集をするだけだ。それが終わればすぐに出る』


 イブキはそう言うと、しんと黙ってしまった。

 いや、これは静かに怒っているな。


『すまぬ。妾の配慮に至らぬ点があった。深く謝罪する』

『俺の心が怒ってるように感じたか? 勘違いも甚だしい』


 そう取り繕うが、語気は荒くムキになっている。

 この前のクレメンツァ村での最後のテーアとの一件以来、どこか調子がおかしい。

 救いようのないコミュ障であったのは元々だが、物事への関わりを極端に恐れている様子が明らかに分かる。

 それはまるで、自分が関わることによって、最悪の結論を招いてしまうのではないかとも思える程だ。

 これではひたすら人との接触を避け、特段盛り上がることはないであろう。


 ――このままの調子で、異世界を旅されたらつまらないことこの上ないな。


 どうしようもなく悪魔である私は、心の底から落胆していることを自覚していた。しかしそれを責める自分もいた。

 そうは思うがイブキの性格上、これ以上突っ込むといいことはないことも理解しているつもりだった。

 そして何よりも、イブキの絶望を愛する気持ちと、人としてのイブキを心配する気持ちには、折り合いなどつかないことは、私自身が一番理解している。


『無駄話が過ぎたのう。さっさと目的地とやらに行こうではないか』

『俺は最初からそのつもりだ』


 そう話している間も、イブキは急ぎ歩きで向かっていた。

 ベンヴェヌーティについては、私は土地勘がある。というよりも、この世界に生きていて西側を知っているのであれば、勝手に頭に入ってくる。


 検閲官が言っていた貴族区画というのは、限られた人間しか住むことはできず、なおかつ限られた人間しか入ることを許されていない区画だ。国王もこの区画で暮らしている。


 市民区画は、国民が暮らしている区画だ。さほど裕福ではない住民が多いものの、一部の成功者は莫大な富を築いている。

 その多くは貿易を請け負っている商人であり、貿易が盛んな国のイメージはこの区画が産み出している。


 最後に、自由区画である。自由――と言えば聞こえはいいが、実態は「貧民区画」と呼称した方がよっぽど的確であろう。

 いずれの区画にも馴染めなかったり、もしくは排除された者の集まり。もしくは国の外で否定され続け、行き着いたこの世の果てでもある。


 検閲官は夜間に歩くのは、と言ったが、日中でも危険が伴う区画だ。

 もしイブキがこの区画に行くようなことがあれば、トラブルは避けられないだろう。


 しかし、そんなことは起きそうにもないのが今回であり――。


『貴族区画はここか』


 しばらく歩いた先に、イブキが見つけた。


 大きな壁に囲まれたこの国の内側に、更に巨大の壁で囲まれたこの場所。

 扉は国の入り口と同様に一ヶ所しかない。大きな違いとしては、壁と扉の色は黄金色で輝いていた。

 私からすれば、あからさまな成金感に嫌気が差す。異様な眩しさも気に入らない。


 その感情をきっかけにふと思い出すが、私はこの中に入るのは始めてだろう。過去に契約した人間で、この中に入る権利を勝ち取った者はいなかったはずだ。


 どうやらイブキは違う感情を抱いていたようであり、両手を力強く握りしめた。


『本当は俺も、こっち側の人間だった。そうだろ……?』


 疑問系ではあるものの、明らかに私にではなく、自分自身に問いかけているようであった。


 今回も、イブキの感情経験の世界に入れる機会はあるのだろうか――。

 入る度に傷付き後悔しているはずなのに、また入りたくなってしまう。 


『妾がこの中に入るのは始めてじゃ。ここ以降は案内できそうにもないのう』


 とりあえず後から責められたくはなかったので、事前申告することにした。


『安心しろ。アンタには一ミリも期待していない』


 イブキはいつもの減らず口を叩くと、扉に一枚の紙を押し当てる。

 すると、扉の輝きが一瞬増し、ギイと音を立てながらゆっくりと開いていく。


『これはどういう原理で動いているんだ?』

『アイウートのマジーアの応用じゃな。これは、特定の血でしか反応せんようになっておれ扉を作っておき、血を染み込ませた紙に反応するようになっておる。ちなみに言っておくが、反応しない血だった場合、即死じゃ』

『なるほど』


 扉が開いた事実を前に原理はどうでもいいのか、イブキは適当な口調で返答し、中へと入っていく。


 貴族区画は、特別な輝きを放っていた。

 中規模の城が立ち並び、中央には一際目立つ大きな城があった。あの城は、名前だけは知っているような気がするな。


 確か、なんだったかな――。


『そう、ソルディ城じゃ』

『何がだ?』

『あの、中心にある城のことじゃな』

『ご多分に漏れず、あそこに王がいるってパターンか?』

『ご名答じゃ。ここは自由貿易を謳っているものの、絶対王政じゃ。第一王子が王となりそのまた子供が第一王子となり、を無限に繰り返しておるのう』

『アンタのコネで、どこかの代の王と関わりはなかったのか?』

『皆無じゃ。イブキ、妾にそれがないと知って聞いたのではないか?』

『アンタにしては勘が鋭いな。お陰で探しているのは、王じゃない名前だ』


 イブキはそう言うと、城の入り口部分にある名前を確認し始めた。時折すれ違う人間は男性だけであったが、例外なく成金感が漂っていて、私としては好きになれなかった。

 大体が金色もしくは華美なコート、ウエストコート、ブリーチズの三点セットを身に纏っていた。体中によく分からない装飾品をこれでもかと身に付け、堂々と歩いていた。


 イブキがすれ違っても好奇の眼差しを向けてくるばかりで、挨拶や会話になることはなかった。


 私の愛しいパートナーの魅力に気づかないとは、万死に値する。本当に気にくわない。

 そんなことを考えながらしばらく歩いていると、目的地に到着した。


 入り口の扉を見てみると、「トリパルデッリ家」と書かれていた。


『よし、行くか』


 イブキは心の中で気合いを入れると、扉に手をかけながら声を出した。

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