こころがない世界

五月 病

◆◆△


 小さいとき、夢があった。

 確か、サッカー選手だった気がする。


 ちょっとだけ大人になった今、もうそれは叶わない。

 全てが出遅れた。

 

 今テレビに映る十代の少年は、二歳からボールを触っていたらしい。

 俺はその当時、親に何を教えられていたのか。

 全てが出遅れた。


 今テレビに映る二十代のユーチューバーは、中学生から仲間とともに動画を投稿したらしい。

 俺はその当時、誰と話していたのか。

 全てが出遅れた。


 今テレビに映る三十代の社長は、大学生の時にアメリカに留学し、経営学の基礎を1から学んだらしい。

 俺はその当時、なぜ部屋に引きこもっていたのか。

 全てが出遅れた。

 

 今テレビに映る四十代の作家は、二十年かかってようやくその文豪の名が付いた賞を手に入れたらしい。

 俺にその二十年があれば、何ができたのか。

 全てが出遅れた。


 今テレビに映る五十代の研究者は、もう亡くなった先人の研究を継いでようやく感染症へのワクチンを開発したらしい。

 俺にその先人がいれば、人の役に立てたのか。

 全てが出遅れた。


 今テレビに映る年老いた登山家は、亡くなった奥さんとの約束を果たすためにその年で富士山頂を踏破したらしい。

 俺にそんな支えてくれる人がいれば、あんな風に胸を張って笑えるのか。

 全てが出遅れた。


 今テレビに映る病で急死した芸人は、何十年間も一人で人々を笑わせ続けたらしい。

 俺にそんな勇気があれば、今立ち上がれていたのか。

 全てが手遅れだった。


 テレビを消す。


 今、真っ黒なテレビに映る自分は、昔っから何を考えているのか分からないと言われ続けたらしい。

 俺に家族がいれば、仲間がいれば、親友がいれば、お金があれば、時間があれば、才能があれば、自身があれば、勇気があれば、希望があれば、


 俺は今、本当に何かを成していたのか?


 もう、全部、全部、全部、何もかも、無駄だった。


 今、鏡に映る宙に浮かんだ自分は、何を考えているのか。

 苦しんだ顔。それとも嬉々とした顔なのか、息を吐く自分には分からない。

 俺の人生に欠けた二文字があれば、俺は今死ななくてもよかったのか。


 そんなはずは、なかった。


 どんな文字を入れたとしても、俺自身が変われなかった人生が変わるはずがなかった。例え五十音から二文字が消えたとしても俺の人生は変わらない。

 ただ、喜んだり泣いたり怒ったり笑ったり、そんな非合理的な無駄を感じる『̻◆◆△』があれば、

 俺の人生は、もうちょっとだけ楽しかったかもしれない。

 

 全てが手遅れだった。




 



「こ」と「ろ」がない世界を作ってみたが、心がなくなっても世界はちゃんと回っている。心が何のためにあるのか。何で心がなくなってはダメなのか、少しだけ考えて見てほしい。

 ま、死んだ俺には関係ないけどな。



 

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