第7話

 

「嘘よ! 姉はそんな女じゃないわっ」


 美希子はムキになった。


「そう言うと思ったよ。だから、佑利子のことは伏せていたんだ。どうせ信じちゃもらえないと思って。君の知らない佑利子の実態を俺は知ってる。そのことを言えば君を傷付けると思って、真実を話さなかったんだ。君が抱く、優しい姉のままにしてやりたかった……」


 ……木下の話は本当なのかしら? もし、それが事実なら、私の知らないもう一人の姉が、本来の姿だと言うことになる。でも、姉は私には優しかった。だから、子供だった私は、その優しさが姉の本質だと思い込んでいたのかもしれない。


「……だが今でも、どうしても納得がいかない。俺の知っている限り、佑利子は自殺なんかするようなタイプじゃなかった……」


 木下は横を向くと、考える顔をした。


「……どういう意味? 誰かに殺されたって言うの?」


 美希子は不安な表情をした。


「そんなことは言ってないよ。佑利子に対する自分の見解を述べたまでだ。コーヒーが冷めるぞ」


 木下が見た。


「もう、とっくに冷めてるわよ」


 美希子は横を向いた。


「……俺とどうしたいんだ」


 カップを手にした。


「こんな気持ちで一緒に暮らせるわけないじゃない」


「……愛してると言ってもか」


 美希子の顔を見ずに言った。


「信じられるわけないでしょ? これまで騙してきたくせに」


「騙したわけじゃない。打ち明けなかっただけだ」


「同じことよ」


「……信じてくれなくてもいいが、セーラー服の君に一目惚れだったのは本当だ。……どっちにしても、今夜は泊まっていけ。俺は客間で寝るから」


 木下が腰を上げた。


「あなたっ」


「ん?」


「あなたが見たセーラー服の時、私の髪型はどんなだった?」


 木下を見上げた。


「……確か、ポニーテールだった」


 その回答に、美希子はニコッとすると、木下に抱き付いた。




 ――結城郁代を逮捕したものの、ヨウコという、もう一人の女の影が細木は気になっていた。……宣子と関わりがあり、つ御手洗に恨みを持つ人間。


 細木は、宣子が長年勤めていた横浜の総合病院時代にさかのぼってみることにした。




「――親しくしてた人ですか? ……あ、霧島さんなら井崎さんの下で働いていたから、何か知ってるかもしれませんね」


 勤続二十年の婦長が心当たりの名前を言った。


「住所は分かりますか」


「ええ。昨年、年賀状を貰いました。結婚されて名字は変わってますが」


 婦長はバッグを開けると、住所を書き留めたアドレス帳を取り出した。


 ! ……目黒区?


 その、宣子の住まいと同じ区の木下美希子に、今回の事件との接点を直感した。――




 ドアを開けたそこには、刑事の訪問を予測した美希子の覚悟した顔があった。


「――姉を自殺に追いやったのは御手洗さんだと思い込んでいた私は、御手洗さんを失脚させるために芝居をして、同じ会社に勤めるヨウコだと名乗り、井崎さんの部屋に誘いました。

『好きな人が居るけど、恥ずかしくて告白できない。睡眠薬で眠らせて自分のものにしたい』と、井崎さんに嘘をき、『主人には内緒よ』と言って、謝礼を渡しました。そして、ビールに睡眠薬を入れるように井崎さんに頼むと、御手洗さんが眠った頃を見計らって井崎さんの部屋へ行き、御手洗さんの全裸写真を撮るつもりでした。

 その写真を強請ゆすりの材料にし、会社や自宅にばらまかれたくなかったら、辞表を提出するように脅迫する予定でした。

 ところが、その夜に限って、主人が遅くまで起きていて、結局、井崎さんのアパートに行くことができませんでした――」


 美希子の供述には、事実と虚構が入り交じっていた。


 ……宣子との忌まわしい関係をわざわざ正直に話す必要などない。それと、宣子が同性愛者だと言うことも知らなかったことにすればいい。“死人に口なし”だ。いくらでも誤魔化せる。例の写真も御手洗が先に見付けているし。もし、他にも写真があって、それを警察が押収していたとしたら、「いつの間にこんな写真を撮ったのかしら? 井崎さんの部屋で酔って眠ってしまった時かしら? 悪趣味ね」ととぼければいい。美希子は頭の中で完璧なシナリオを書き上げていた。


「……お姉さんは手首を切って自殺したんですか」


「ええ……」


「じゃ、ためらい傷があったでしょ?」


「……ためらい傷?」


 美希子が顔を上げた。


「ええ。最初から深く切って死ねる人なんていません。いくつかのためらい傷を付けるものです」


「……思い出せません」


 美希子は静かに目を伏せた。




 美希子を帰した後、細木は新米刑事の時に担当した、自殺に見せ掛けた殺人事件を思い出した。


 〈恋人から突然別れ話を告げられた男は、その恋人が自分の親友と付き合っていることを知り、嫉妬心から殺意を抱いた。恋人の自宅に忍び込み、入浴中の恋人の口にタオルを押し込むと、持参した剃刀かみそりで恋人の手首を切った〉


 逮捕したその男は、大柄な体型に似合わず小心者だった。……ん? このタイプの男に最近会っている。アッ! 細木は思い当たると、名刺にあった珍しい名字を頭の中で反復した。



 ――美希子は、姉が死んでいた浴室の光景をはっきりと覚えていた。


 ……手首には、一本の深い直線しかなかった。つまり、姉は自殺ではなく、殺されたのだ。誰に? 殺したいほど姉を愛していた男に。……アッ!




 その男の顔が浮かんだ瞬間、


「痛っ」


 弾みで人差し指の爪の間をかぎ針でえぐってしまった。


 その血の色は、姉が手首を浸けていた浴槽の赤い海を思い起こさせた。――




 完

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