第6話

 

「……姉はどうして自殺なんか」


 美希子は独り言のように呟いた。


「……さあ」


 御手洗のその返事は何かを知っているかのように聞こえた。が、訊いても答えてくれそうもないと、美希子は判断した。


「……これからどうするつもりですか? 仕事とか生活とか」


 美希子は気になった。


「……そうですね、友人のコネがない訳ではないんですが、他人ひとを頼らないで、求人誌でも見てみます。この歳で再出発は難しいでしょうけど、贅沢ぜいたくを言わないで頑張ってみます。ミキちゃんとも話ができたし、明日の活力になりそうだ」


 御手洗が柔らかな笑顔を向けた。


「良かった」


 御手洗の前向きな言葉が、美希子は嬉しかった。



 タクシーに乗った御手洗を見送ると、ホテルに戻り、自分の身の振り方を考えた。


 ……木下と別れるべきか。騙されたと分かった今、一緒にやって行く自信はなかった。別れるには、騙したことを確実にする証拠が必要だ。……紹介者の安達夫人に訊いてみることにした。


「――つかぬことをお伺いしますが、木下とはどちらで知り合ったんでしょうか」


 お礼の挨拶を終えると、単刀直入に訊いた。


「あら、どうなさったの? 今頃になって」


 夫人がいぶかしげな言い方をした。


「実は、私が訊いても勿体ぶって教えてくれないものですから、奥様にお尋ねしようと思って」


「あら、そうなの? 主人からの紹介なのよ。うちの人、釣り好きでしょ? 横須賀で知り合って意気投合したみたい。『いい男が居たよ』なんて、自分が好きになったみたいな言い方をするんだもの――」


 長々と続きそうだったが、話の腰を折る訳にはいかない。美希子は相槌あいづちを打ちながら聞いていた。


「――で、ミキちゃんにどうかなって」


「そうですか。釣りでご主人と。今度、ぜひ、釣りに誘ってくださるようご主人にお伝えくださいませ」


 ……そうか。身辺を探り、父と昵懇じっこんだった安達氏を利用して私に近付いたのか。私が目的でなければ、見ず知らずの安達氏に接触する必要はない。だがなぜ、私と結婚したのだろう。姉への罪滅ぼし? ……ということは、姉を自殺に追いやったのは木下と言うことか? どうやったら偽善者の木下を失墜しっついさせることができる?


 あんたのために、こっちは四苦八苦しながら部長昇進の画策を練ったり、忌まわしい宣子とのことも打ち明けず、一人で耐えてきたのに。すべてが馬鹿馬鹿しいよ。ったく。あんたは自分の手を汚すことなく、“果報は寝て待て”で、安穏あんのんと私の苦悩を見て見ぬふりをしていたの? ひどい人! あー、腹が立ってきた。早計かも知れないが、やっぱり木下と離婚しよう。美希子は、そう決断した。



 ――門灯は消えていたが、窓からの明かりは煌々と輝いていた。それはまるで、「お前なんかいなくても、何ら影響ないさ」と言われているように思えた。


 美希子は、自分が否定されたみたいに思え、自分の家なのに鍵を使って入ってはいけないような気がして、チャイムを押した。


 やがて、無言で鍵が開けられた。そこには、眼鏡のレンズに遮られて判断できない、不明瞭な木下の眼光があった。


「……寒いから入れ」


 抑揚のない言い方だった。


 ……誰が寒いの? 私? それともあなた?


 他人の家に来たような居心地の悪さの中で、美希子は居間のソファに腰を下ろした。


「……御手洗から聞いたのか」


 木下がレギュラーコーヒーを淹れながら、一瞥いちべつした。


「何を?」


 美希子はとぼけた。


「……姉さんとのことを」


 木下は小声だった。


「ええ、聞いたわ」


 美希子は木下を見なかった。


「……すまなかった」


 木下はテーブルを挟むと、煙草に火を付けた。


「何がすまないの?」


 木下を睨み付けた。


「……君に言わなくて」


「私を騙していたの?」


「だったら、佑利子と付き合っていたことを話しても俺と結婚したか?」


「するわけないじゃない!」


 美希子は物凄い形相で怒鳴った。


「……だろ? だから言わなかったんだ」


 木下は腰を上げると、カップにコーヒーを注いだ。


「そもそも、どうして私と結婚したのよ。姉への罪滅ぼし?」


 カップを二つ置いた木下を見た。


「バカ言え。そんなんで結婚なんかしないさ」


「じゃ、どうして」


「……君のことが好きだったからだよ」


 木下は横を向いて答えた。


「よく言うわよ、私の顔も知らなかったくせに」


「いや、知ってた」


「どこで?」


「佑利子の告別式で。……セーラー服の凛々りりしい君が佑利子の遺影を抱いていた」


「……」


「……君の姉さんのことを悪く言いたくないが、君に不審を抱かれている以上、真実を話すほかない。……俺は佑利子と別れたかった。

 佑利子は服やら食事やら、俺に貢いでくれた。尽くしてくれる年上の佑利子は、俺にとってぬるま湯に浸かってるみたいで心地よかった。……ところが、最後には結婚をせがんできた。就職を目前にした学生の身で、結婚なんてとんでもない。俺が断ると、これまで貢いだ金を返せと言い出した――」


 木下の持っていた煙草が灰になって絨毯じゅうたんに落ちた。

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