第3話 お互いの家庭事情と二人の気持ち

「ああ、また後で。ゆっくりと来いよ」


 そう言って、電話を切った後、俺は急いで支度を済ませる。

 夜は既に寒いので、冬用のコートを羽織る。

 みおのことを考えると、居ても立っても居られなかった。


「親父。ちょっと出かけてくる!」

「何か買い物か?」

「いや、ちょっと澪から相談があってさ」

「そうか。大事にしてやれよ」


 力の無い声。その言葉にはどんな想いが宿っているのか。

 別れたお袋のことだろうか。

 俺には同じようになってほしくないという想いだろうか。

 ただ、


「当然。ずっと大事にするさ」


 それは自然と言葉に出ていた。


 近くの狐山公園きつねやまこうえんまでは歩いて約10分。

 そんな時間も惜しくて、自転車で大急ぎで駆ける。

 当然と言うべきか、澪はまで来ていなかった。

 澪は今だに自転車にうまく乗れない。

 だから、徒歩で来るまであと15分はかかるだろう。

 その間に、心を落ち着けて、先程のことを振り返る。


 今日の帰り際に、澪の家の離婚については聞いていた。

 でも、こんな急にというのは澪も予想外だっただろう。

 あいつはきっと混乱しているだろう。

 こういう時こそ、しっかりと話を聞いてあげないと。そう誓う。


 しばらく待つと、息を切らせて澪がかけてきた。

 先程の私服にコートを羽織った格好だ。

 そんなに急がなくてもいいのに、と思う。


「ごめん、みなと君。待った?」

「いや、全然」

「嘘。さっきから、ずっと居たでしょ」

「まあな。でも、大して待ってないのもホントだ」


 むしろ、考える時間が足りなかったくらい。


「そういうところ、カッコつけなんだから」


 公園のベンチに二人で腰掛ける。

 しばらくの間、俺達の間に沈黙が流れた。

 何を言えばいいのか、澪も考えているのだろう。

 だから、それまでゆっくりと待つ。


「あのね。なんだか今、ホッとしてるの」


 最初にこぼした一言は、予想外。

 いや、ある意味想定内の一言だった。

 俺にも覚えのあることだったから。


「何に?」


 答えを予想しつつも、聞いてみる。


「ようやく、お父様とお母様の喧嘩を見なくて済むんだって」


 そう言いつつも、とても悲痛な表情の澪。

 ほっとしているようには見えない。


「なら、なんでそんな辛そうなんだ?」

「仲直りして欲しいと思っていたはずなのに。出て行ってほっとするなんて……!」


 そう言った澪の顔からはポロポロと涙が零れ落ちて行った。


「自己嫌悪って奴か?」


 俺の時と同じかはわからない。でも、その感情には覚えがある。


「自己嫌悪……そうなのかも。自分で自分が嫌になってる」


 澪の瞳からは絶え間なく涙が出続けている。

 どう慰めればいいのだろうか。

 仕方ない?俺にもわかる?元気出せよ?

 どれも違う気がした。


「澪の気持ちはわからないけどさ。俺も、二年前は似たような事思ったんだ」


 あの時は澪を心配させたくなくて言えなかったけど。

 今だからこそ、言ってもいいのかもしれない。


「湊君のお父様とお母様が離婚したときのこと?」


 一言で何を言いたいかわかったのだろう。


「そういうこと。俺も、お袋が家を出ていくとき、ほっとしたんだ」


 あの時の事を思い出す。ほっとした。いや、解放されたという気がしたのだ。


「そうなんだ。湊君も悩んでいたんだね。気づけなくてごめん」


 何故か謝られてしまう。


「いや、俺が強がってただけだし。それにお前がいたおかげだよ」

「別に私は何も。湊君は強いなって思うよ」

「強い?別に強がってただけだし。それより、続きは?」


 俺の事はもう二年前の事だ。それより、澪の話を聞いてあげたい。


「続きはないよ。ほっとしたのと自己嫌悪してるのと、ちょっと嬉しいだけ」

「嬉しい?どういう意味だ?」


 ほっとした、と自己嫌悪、はわかるけど。


「こうやって、二人きりで話せるから。それと、湊君が私だけを見てくれてるから」


 その言葉に急激に心臓が高鳴る。

 悩みの相談に似つかわしくない言葉。


「お、おい。それって……」


 続く言葉を予想しつつも、どうにも信じられない。


「私は、湊君の事が好き。ずっと一緒に居たいの」


 その言葉はとても嬉しいはずなのに、どこか悲痛だった。


「なんで、泣きながら言うんだよ」


 嬉しいはずなのに、胸が痛い。


「だって。悲しまないといけないのに。こんな浮かれたこと言ってるなんて……」


 そうして、大きく声をあげて泣き始めた澪。


「そっか。ありがとな」


 泣いている澪を抱きしめて、そのまま泣き止むのを待つ。

 ほんとに澪はまっすぐだな、なんて思いながら。


「ごめんね。急に泣いちゃって」


 10分経って、ようやく泣き止んだ澪。


「いや、仕方ないだろ。それより、俺でいいのか?」

「どういうこと?」

「俺んち貧乏だろ。バイト漬けだし、デート資金もないし、服も使い古しだし」


 言っていて、卑屈だなと自嘲してしまう。


「それだけ?」

「ああ」

「私はそんな事どうでもいい。気にされた方が嫌だよ」

「そっか。そうだよな」

「ちょっと言い過ぎだったかも。ごめん」


 謝られてしまう。


「じゃあ、返事するな」

「う、うん」

「俺も、澪のことが好きだ。ずっと一緒に居たいし、泣かせたくない」


 こんな時に言うことになるとは思っていなかった。

 でも、今しか言えない気がした。


「それは、私が可哀想だから?」


 真剣な瞳で俺を見つめる澪。

 ああ、そういう風にも見えるか。


「馬鹿。それこそ、俺は同情で好きだの何だの言わないっつーの」

「ごめん。返事、疑っちゃって」

「それより、話はこれでいいのか?愚痴とかいっぱいあるだろ?」

「でも、そんな愚痴とか言うなんて……」

「今更だろ。言えば楽になるぞ」


 誰かに言えば、どうしようもなくても楽にはなる。


「うん。それじゃあ……」


 それから、小一時間程、喧嘩が始まってからのあれこれを聞いたのだった。

 喧嘩で部屋にいつも避難していたこと。

 時にはお互い物を投げつけ合う事態にも発展していたこと。

 大声で、たまに部屋にまで怒声が聞こえていたこと。

 そんな事をぼそりぼそりと澪は語ったのだった。

 

 聞いて思うのは、やっぱり澪は相当溜め込んでいたのだなということだった。

 俺の時は、せいぜいがお互いを非難しあう口喧嘩だった。

 部屋にまで響きそうな怒声や、物を投げつけ合うといった事はなかった。

 だから、こいつは、ほんとに色々我慢してたのだろう。


「なんか、すっきりした。不思議だけど」


 落ち着いた表情に戻ったこいつは、感情の変化にとまどっているようだった。


「話せば落ち着くもんだよ。俺もそうだったし」

「湊君も?誰かそういう人が居たの?」


 こいつは、全然気づいてないのか。


「お前だって、お前。結構、お前が話聞いてくれたから救われたんだぜ」

「でも、離婚するまで、湊君、全然平気そうだったけど」

「お前にしてみれば、そうだったのかもな。でも、色々愚痴ってたと思うぞ」

「そうなのかな?」


 澪はピンと来ていない様子。ま、立場が変わればそんなものか。


「そろそろ、帰るか。もう遅いし」


 澪の家も心配するだろう。明日どうなろうと娘と縁が切れるわけじゃないし。


「うん。その……送ってくれる?」


 少し赤くなりながら、可愛らしいお願い。


「それくらい喜んで」


 今はもう恋人でもあるのだ。俺だってそうしようと思っていた。

 

 送っていく途中は、不思議とお互い無言だった。

 恋人になれたとはいえ、澪の家のことを考えたら少し複雑だ。

 それは、澪も同じだろう。


 明日から、どんな関係になっていくのだろう。

 そう考えていると、澪の家まではあっという間だった。


「ありがと。送ってくれて」


 街頭の明かりが足元を薄く照らす。


「これくらい、毎日でもいいぞ」

「それじゃあ、もう一つお願い、いい?」

「ああ、なんでも」

「キス、したい」

「わかった」


 澪の少し小柄な身体を引き寄せる。

 見ると、少し、まだ涙の跡があった。


「どうしたの?」


 いつまでもそのままなのを不審に思ったのだろう。


「いや、少し涙の跡があるなって」

「嬉し涙だよ」

「そんなとこでまで強がるなよ」


 そう言って、ゆっくりと唇に口づけたのだった。


「湊君と家族になりたいな」


 ぽろっと溢れた言葉。

 それは、今だからこそ、そう思うのだろう。


「って、ごめん。いきなりだったよね」


 慌てて走り去ろうとする彼女の腕を握って引き止める。


「待て待て、自己完結するなよ」

「でも、こんないきなり言われても困るでしょ?」

「俺だって同じだよ。澪と家族になりたい」


 こんなシチュエーションだからか、不思議と照れずにそう言えた。


「そっか、ありがと」

「変な誤解してないよな」

「うん。私をお嫁さんにしてくれるってことだよね?」

「あ、ああ」


 そう直接的に言い換えられると、少し照れてしまう。


「じゃあ、私も同じ。それじゃね!」


 そう言って、今度はゆっくりと去って行ったのだった。


「お嫁さん、か」


 澪が去った後、つぶやく。


 どうにも大きな約束をしてしまった。


 貧乏な俺にとっては色々先が長い話だけど。

 これからも澪を支えていければと思う。

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貧乏な俺はお嬢様な幼馴染と恋人になりたい 久野真一 @kuno1234

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