終章 5(完)

 二十三年前のリベンジは一時間ほどで決着がつき、幸か不幸か客が一人として入ってこないのを良い事に、十五時を過ぎるまでロボットゲームに全員で熱を上げた。そして学生達の来客を切り上げ時と見て、俺と純也は揃ってゲームセンターを後にした。

 店の外は相変わらず気温が高く、現実の予定さえなければゲームセンターに夜まで居座り、それから退店した方が良かっただろうと思えたが、まぁ仕方がない。

 夏の日差しが照りつける商店街を純也と二人、横に並んで歩く。向かってるのは駅前。残りはそこのファミレスで話すのが丁度良いと考えての事だった。

「そういえば」

 と、純也が沈黙を嫌ってか口を開いた。

「僕の計画は、ちゃんと芽を出したみたいだな」

「あっさりと、この二十年余の期間で、大木にまで成長を遂げたよ」

「それは何よりだ」

 そう満足げな純也に俺からも訊く。

「どこまで予想していたんだ?」

 間を空けず、その言葉を予め口にするつもりだったのか、言いよどむ事無く一息に並べてみせた。

「彼女は信仰を説く教祖で、希代の革命家で、純然たる独裁者だ。そして国民の政治家への不信感は、僕が現実を生きていた時代ですら強かった。ただ、国民の一人一人が、独りでは変えられないと達観し諦めていた。故に、彼女ならそこを的確に突くと僕は思った。それが現実になっただけさ」

「つまりは自業自得だと?」

 すぐに純也は首を横に振る。

「現実を突きつけただけだろ、夢見がちな人間に。一人一人が考える平和は現実的じゃないと…。そもそも平和って言うのは理不尽を取り除き、選択肢を狭めた結果に訪れる。つまり、平和それ自体が偏った考え方の産物でしかないんだ」

 全てが分かり合う事は不可能。あぁ、だから純也は全てが分かり合える規模の仮想世界を、この辺境の地を、理想郷と名付けたわけか。

 視界の端、数メートル先で小学生くらいの男の子が急に走り出した。何かと思って先に目を向ければ、踏切の遮断機が下り始めていた。

 それを見た純也が「走るか?」と訊いてくる。今から俺たちも男の子のように全力で走れば、下りきる前に渡れない事もないだろうが、この暑さだ。走ると言う考えは早々に脳内審議で却下され、「流石にもう無理だ」と言いつつ頭を振った事で、男の子が踏切を渡りきるのと遮断機が道を塞ぐのを、ただ眺めるだけとなった。

 踏切の前で立ち止まると同時に、電車が停車する気のない速度で横切って行く。その際の風で少し暑さが和らいだような気がした。

「学、……から見て、……………は……だ?」

 電車の出す騒音の中で、微かに純也が何か言ったのが分かる。だが、聞き取れはしなかったので少々声を張って訊き返した。

「何だってッ?」

 そう言った途端に電車は通り過ぎ、騒音はもちろん俺が無理して声を張った意味も無くなった。そしてすぐに遮断機が上がり、俺と純也は歩き出す。

「学は人目を気にせず、よく声を張る」

「いつもお前のせいだろう」

 と俺は抗議する。が、純也はそれを無視して言う。

「学、お前から見て、現実の世界はどうだ?」

 さっき言っていたのはこの事かと、足りない反論を飲み込んでから、返す。

「それ、能島先生にも訊かれたよ。俺は、悪くないと答えた」

「贔屓目は無くか?」

「あ?…あぁそうだな。俺にとってお前や美咲のやった事は後付だ。そこに贔屓目も何も無いだろう」

 その解答を聞いた純也は小さく息を吐き、

「そうか」

 とだけ言った。それが記憶の中の能島先生と少なからずダブる。

 一週間前、能島先生は今の純也と同じ表情を浮かべていた気がする。

 それは呆れたような、ホッとしたような、微笑みに成りきれないそんな表情だ。

 ふと、思ったことが口から零れる。

「お前は、俺が思っていたよりも普通の人間だったんだな」

 その言葉に一瞬、純也は面食らったようにこちらへ顔を向けると、すぐにいつかの時のように声を上げて笑い。そして言った。

「何を今更。お前こそ神格化し過ぎだ」

「そうかもしれない」

 そう返して、人目を気にせず俺も笑った。


 駅前に着くとファミレスに入り、窓際の席へと案内された俺たちは、二十三年という時間を埋めるかのようにくだらない話に花を咲かせ、今後何の役にも立たないであろう言葉を重ねた。

 それは、さっき久しぶりにやったゲームの事だったり、俺が現実で経験した理不尽や優しさだったり、管理者である俺と純也が暇つぶしに演じた探偵対犯罪者の傑作選だったりした。

 そんな事をあれやこれやと話しているうちに気がつけば十八時を過ぎていて、まだ空に日が沈む気配はなかったが、解散する事にした。

「そこまでだが送るよ」

 そう言ったのは俺だ。

 そしてそれに対して純也は嬉しそうに応える。

「仕方がない、送られてやろう」

 と、だ。昔なら多くの言葉を連ねて断られていただろう。例えば、「改札はすぐそこだ」とか何とか言って…。

 でも、まぁ実際、改札は近い。俺も今日でなければ送る気はなかった。純也がゲームセンターで言ったとおりに「最後だから」と提案したに過ぎない。

 そう考えると純也が姿を消した日に、駅まで俺を送ったのも同じ理由だったのかもしれないな。などと、終わった事を改めて掘り返していると、十数メートルはあっという間だった。

 言葉を交わすことはせず、俺は立ち止まり、尚も歩く純也を見送る。

 そのまま純也をただ見送るだけだと思っていたら、改札を前にして振り返り戻ってきた。

「言い忘れたことがあった」

 と言いつつも、少しの間言い淀み、俺が口を開きかけたところでようやく言葉が来る。

「ありがとう、ハンドバッグに気がついてくれて」

「何のことだ?」

 分からず、そう訊き返す。

「葉山美咲が合コン帰りにお前と会ったとき、行きには持っていたバッグが無かった事に気づいていただろ?それのお礼さ」

「あぁ、それか」

 と言っていて、だいぶ前に疑問としておきながら忘れていたことを思い出し、続けて訊いた。

「そういえば、あれが無ければ美咲に注意深く目を向けはしなかったと思うんだが、どうしてあんなに解り易いヒントをくれたんだ?」

 一呼吸の間を空けて、

「あれは僕が気づけなかった一番の後悔が詰まったヒントだったからな。彼女が偶然にも同じ状況を作り出そうとしているのを、僕には止められなかっただけだ」

 恥ずかしそうに苦笑しつつそう応えてくれた純也は、「それじゃあな」とあっさりとした別れを告げて、再度改札へ歩き出す。

 そして、今度こそ改札を抜け、振り返ることも無く階段を上がっていく純也の背中を見えなくなるまで見送った俺は、

「おやすみ、純也」

 と言ってから、駅に背を向け現実への帰途に就く。

 現実に戻ればこの仮想世界の電源を落とす事になる。更に、新型に問題が無ければ一ヵ月後には解体だ。出来る事なら、もっと多くを語りたかった。

 ふと考えが巡る。

 もしかしたら二十年以上前、この世界で会社に勤めていた頃、上司の言葉に説得力を感じていたのは、上司に言われたからではなく、純也の言葉を代弁していたに過ぎなったからか。

 そういえばと、理想郷の良く晴れた夏の空を見上げて思い出す。

 信用のある人間の言葉は甘く。

 信用のない人間の言葉は苦い。

 ただ、甘くても毒はあるかもしれないし、苦くても為になることもあるわけだ。

 言葉は飾り。物であれ、人であれ、システムであれ、だ。

 それらの本質を理解したいなら、学べ。

 そして、正しい事も間違っている事も、同じだけ考えろ。

 考える事、それだけは放棄したら駄目だ。

 正しさの中にも間違いはあるし、間違いの中にも正しさはあるんだからな。

 七月の日差しが降り注ぐ終業式の帰り道で、そんな事を俺の悪友であり親友の杉村純也が言っていたな、と。

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観測者には容易い 横田裕 @youorder

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