空に走る
祟
同じ空の下で
地面には骸の山。周囲には、壊れ果ててなお呻き声を上げ続ける死人の群れ。
黒い太陽が肉を焼き、斬り裂く風が骨をやすりがけする。
微塵になった骨が、果ての見えない川に落ちて、どこまでも流れていく。
幽鬼となった子供が、川辺で石を積み重ねる。
赤銅の肌を持つ化け物が、積み上げられた石塔を金棒で崩して立ち去った。
燃える日差しの下で、まだ肉体を保つ亡者どもの元へと、その化け物――鬼どもが歩み寄り、針の山へと運び、串刺しにして悲鳴と苦悶の声を上げさせた。
呻き声がやがて途絶えた時、未練を洗われた亡者が、あの世へ行くのだそうだ。
私は、どこかの亡者から聞いた話を、地獄の責め苦を受けて口の端を歪めながら、思い出していた。
くだらない。全部終わった話だ。終わった世界だ。
だが、完全に終わらせる事もできない。
焼け落ちた自分の骨が流れ落ち、消えていくのを感じてしまった。
何もかもが、くだらないのだが、私の未練はここにいる限り消えないだろう。
脳髄も焼け爛れ、すべてが終わったはずなのに、親友の姿だけが消える事無く脳裏の奥に焼きついている。骨の痛みを訴えながら、苦悶の声を上げて死んでいった
私の先を逝った詞は、もう地獄の骨に紛れて消え去ってしまったのだろうか。
◉
紫煙渦巻く室内で、私と詞は静かに小さな箱の音を聴いていた。
タバコを吸いながら集中している詞が、聴診器を箱に当てて、カリカリとダイヤルを回す。私たちは解錠の音を聴き逃すまいと息を潜め続けた。正しい位置にダイヤルを合わせると、大きな音を立てて箱が開いた。口笛の音が響く。
「ヒューッ! 大当たりだ! 見ろよ葵! 宝石の山だぜ!」
「はっ……私が必死で掴んで持ってきた金庫だ。入って無きゃ困る」
身を乗り出してピッキングする詞を見ていた事を気取られないようにしようと、気の無い素振りを見せてやった。詞は呆れた顔をみせながら、冷えた缶ビールを取りに行き、私にも投げ渡して愉快そうに笑った。
「オイオイ喜べよ! ここは素直に笑うトコだろ! まぁ、まず乾杯しようぜ!」
「ん。警備の配置と、金庫の位置を探り当てた詞に乾杯しよう」
「そこは褒めてくれんだな……じゃあ警備に捕まらずに、全員振り切って逃げおおせた、偉大な走り屋の葵に、オレも乾杯を捧げてやろう!」
缶を突き合わせて軽い金属音を鳴らし、一気に飲んだ。
詞は整髪などとは縁通い、ぼさぼさの髪を愉快そうに振り乱しながら喜びに悶える。
「もう一本いこう!」などと騒ぎながら、次々にビールを開けて飲み続ける詞は、不摂生を極めたような、血色の悪い顔を赤くさせながら笑い転げている。
ただの阿呆に見えるが、これで凄腕の情報屋なのだから世の中は不思議だ。裏の世界で生きる私のために、緻密な情報を捧げてくれる相棒でもあるから、その点に関しては認めざるを得ない。
もしもサツに捕まった時は、二人組の泥棒として報道されるだろうぜ。とは詞の談だ。警察の情報を抜いて自慢気に話してきたのを覚えている。他人に認められた最悪のパートナーでもあるな――
「……他人に認められる日は、来て欲しくはないな」
「急にどうしたんだよ葵? もう酔っちまったのか? もっと飲もうぜ! 俺たちの輝かしい未来にも乾杯だ!」
明るく笑う詞は、次の標的を勝手に計画して、嬉々として話しかけてくる。
「次は美術館、その次は博物館、そのまた次は首相官邸だ!」
酔っぱらいの戯言なのだが、詞は本気で情報を調べ上げて提案してきてしまうから困る。非常にタチの悪い酔っぱらいだ。
「そんな所に忍び込ませて、私に何を盗ませるつもりだ……?」
「なんでもいいだろ? なんなら無でもいいぞ! 夢とか希望でも持って、俺の所まで走って戻って来いよ。ご褒美に頭を撫でてやるぜ!」
詞は飲み干して空になった缶を、私の頭に見立てて撫でまわしている。
「馬鹿な事を。金にならない、意味の無い事をしてどうする」
「なぁに言ってんだよ。金とかじゃねえさ。夢だよ、夢」
呆れて口にした私に、詞は虚ろな闇の底を覗き込むような瞳をどこかに向けて、静かに語ってきた。
「――どんなに底抜けにふざけた場所でもよ。絶対にどこかに逃げ道があるんだ。オレは、それを暴いてみたいだけだ、意味なんて最初っからねぇよ……
ただまぁ、頭ん中でまとめて計画した事が成功するのを見たときは最高だな! 天にも昇る心地ってやつだ! 実行してくれるオマエには感謝してるぜぇ……? だから、もっとオレに走る姿を見せてくれよぉ……葵よぉ……」
空き缶に頬ずりして呟いている……もう駄目だな。この馬鹿を早く寝させよう。
「酔っぱらいめ。もう飲むのはやめて寝ろ。体を壊すぞ」
肩を貸して、無理やり寝台に運んでやった。
「オマエはオレの母ちゃんかよ……しょうがない。今日の所は、いいか。天国気分で、そのまま寝てやるよ。夢の中でも、オマエの勇姿を見ていてやるぜ……」
無茶苦茶な事を言い放つ馬鹿だが、訳の分からない事を楽しく語る詞の熱に当てられて何も感じないほど、私の身に流れる血は冷めてはいない。
酒に火照った詞の体をぶん投げて寝かせてやりながら、はじめて語ってくれた心中を忘れないように、深く脳裏に刻み込んだ。
◉
いつ終わったともしれぬ一日が終わった時、私の体は再生された。
穴が開き、焼け爛れた体が健康を取り戻し、再度、黒い陽光に身を焼き焦がす地獄の一日が始まる。
再生される前に見た夢が、私に残った唯一の未練。ふざけた夢を語るだけ語った後、すぐに体を壊して死んでしまった詞の記憶だけが残っている。
――だが、それが何になるというのだろう。陽炎のように揺らめく死人の顔を確認してみる事にも飽きた。鬼の手から逃れるために走り回って、知っている顔を探したのも、はるか昔。
顔の表皮を焼け爛れさせた亡者の群れの中から、人を探すことなど不可能だった。残ったと思っているこの記憶も、ただの妄想なのかもしれないと思うことさえある。それでも消えることはないのだから、よほど私はアイツに執着していたらしい……
体を鬼に捕まれて、針山の上に身を投げられ、腹を刺し貫かれながら苦笑する。口から溢れる血を冷めた思いで感じとりながら、亡者らしく体を揺さぶってみる。
暴れると体がより深く刺さって苦しむのだが、これがここでの作法だ。誰に顧みられる事も無いが、苦しんでいないと見回りの鬼に捕らえられて拷問されてしまう。周囲にいる生きた死体と同じように、ジタバタと体を動かして苦痛を味わった。
特に思う事も無く、もがいて三角錐の針の底に指が触れた時、カリッと音がした。つややかなはずの針の表面に、段差があるのを感じる。
いぶかしみながらカリカリと触り続けてみると、何かがベリッと剥がれ落ちた――自分の皮膚が剥がれたのではない――触り慣れた、硬い骨の感触だった。
どうやら誰かが、骨を隠して張り付けていたようだ。
何の意味があって、こんなことをしたのだと思いながら、剥がれ落ちた骨を拾い上げて、しげしげと眺める。骨には乾いた血で何かを書いた跡が残っていた。
赤黒い丸は、太陽だろうか。方角が描かれ、今いる針山の位置と、鬼の移動情報が血文字で書かれている……何かの情報の断片のようだ。
気になって、周囲を探ってみると、似たような骨が次々に出てきた。風化しないように入念に隠されていたそれには、鬼の配置情報と短い文章が書かれていた。
つまりは、骨に書かれた手紙だった。
亡者を監視する警備状況から、数多の試行と推論によって導きだした、シンプルな結論が書き残されている。骨に曰く――天国はこの道の先にある!――
◉
どこかの頭のおかしい亡者が遺した馬鹿な文章に従って、私は歩き始めた。信憑性などカケラも無い情報だったが、疑うことなく、ただ歩み続ける。
体が崩れ去るまで歩き、体が再生された直後は軽く走って、壊れるまで動いた。
鬼が増え続け、監視の目がきつくなる道のりを、死角を突いた情報の順路に沿って進むだけで、簡単に通り抜ける事ができる。
体が焼け焦げる苦痛に満ちた道のりを、幸福な気持ちになりながら進み続けた。
何処までも続きそうな道の途中、何度も文書を発見して、黄泉の路を行く。
骨に残された文字は次第に変形しはじめ、震える指で書き記されたようになりだした。それでも同じ結論だけが遺された字のしるべを目標に、ただ進む。
道の果てには、大きく開かれた門の先に見える青い空と、鬼の群れ。
そして、隠れたまま全てが一望できる絶好の針山の影があり、そこにはボロボロの骨が転がっていた。
わずかな皮が顔に張り付いたその骨は、苦しみも無く、静かな安らぎに満ちているように思えた。骨が少し動き、落ちくぼんだ穴となった目をこちらに向けると、小さな歓喜の色を灯した。
ゆっくり私が近づくと同時に、骨は徐々に削れて消えてゆき、砂のようになって、どこかへと運ばれてしまった。
私は言葉も遺さず消えていった馬鹿を見送り、無言のまま、その日が終わるまで、ずっとその場で過ごした。
――体を再生させた私は、最期の未練を晴らすために、走り出した。
体を焼き焦がす日差しを浴びて走る。金棒を振り回す鬼から隠れる事は不可能だった。真っすぐに、空が見える門の向こうを目指して走り抜ける。
殺意を向けてくる鬼の脇を潜るように動く。背後から体を狙って放たれた攻撃の気配を察することができたのは、散々に殴られた体に残った記憶の賜物だった。
身を捻るようにして転がったが、轟音と共に接触した金棒が右腕を抉り取っていく。
大きな血しぶきが舞った。激痛は既に麻痺した感覚で封じ込め、血を浴びせるように腕を振ってやった。血の雨を浴びせ、鬼の目をくらませる。
即座に跳ね起きて、また駆け出す。照りつける灼熱の太陽が、血を蒸発させて陽炎を生む。体を喰い破りにかかる金棒の焦点がズレた事で、黄泉の底へ叩き返そうとする鬼の攻撃を間一髪でかわすことが出来た。
全身全霊を込めて足に力を入れる。立ちはだかる鬼が、熱い衝撃を与えてくる。体をすりおろすような一撃が、皮一枚を破って血の粉を散らせる。苦悶の声を漏らす事も無く、すべての生命を否定する死の大地に、赤い血と骨のカケラをバラまいてやりながら蒼穹の空を目指した。
叫びを放ち走っていた自分の声が、いつしか聞こえなくなった。
苦痛はすでに消え果て、圧倒的な多幸感だけが残る。
門を抜け、熱する闇の世界から逃げおおして青空の下に辿り着いたが、体が塵と化していく……この先が天国だった訳ではなさそうだ。
――辿り着く事が目的ではなかった。どこかで見ているはずのアイツに届けるために、最期に走っただけだ。
青く柔らかな日差しに背を向けて、暗く焼きつけてくる世界へ戻る。戻った瞬間に、大上段から振り下ろされてきた鬼の金棒の一撃をこの身で受けた。
体が粉々になり、周囲一帯に血の雨を降らせる。
血が熱に溶けて、骨のカケラが微塵の粉となって、どこかへと流れる。
闇に沈んでいく意識の中で、陽気な馬鹿が呼びかけてくる声を聞いた。
空に走る 祟 @suiside
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