クラクション、人の革命の音

藤ゆら

革命の音

その瞬間、広大な地球のほんの一粒の砂ほどの場所で、いくつもの革命が起きた。


私はその忌まわしいラッパのようなスタッカートで目を覚ました。日曜の昼過ぎ、頭は熱で溶け夢から現実に戻される。夢日記をつけるとしたらこう。誰もいない教室の真ん中の席、私は座って授業が始まるのを待っていた。コツコツと廊下で響く教師の足音。私はその女が嫌いだった。しかしいつまでもたっても教室には入ってこないのだ。私は斬首台の上にいるような面持ちで、大きく鳴り続けるヒールのリズムを聞いていた……


袋に詰め放題、気の毒な野菜の如くひしめく住宅街。文字通り枝のような車道で、車高の低く、重低音の圧力で張り裂けそうな窓、真っ赤なボディの車が気怠そうに走っていた。助手席にはサングラスの女性。彼女は眉を憂鬱の角度に固定して頬杖をついていた。そこへ、夏休みの課題を最終日にまとめて片付ける未来を呈す少年が自転車を滑らせる。彼に先のことを考える猶予はないのだ。時計とにらめっこする友人との待ち合わせに急ぐ。


そして、少年は赤い車の控える道路に飛び出した。瞬間、運転手は反射的にクラクションを鳴らす―


べちゃ。驚いたOLは床に生卵を落とした。オムライスは机上の空論となり果てた。彼女は床に広がった惨劇を見て硬直する。せめて写真に収めSNSで供養してあげようかと思案したがやめた。いいねを稼ごうとたくらむ自分の姿が後ろの洗面所の鏡に映った。いつからそんなにいやらしい口元をするようになったのか。以前の彼女にはSNSという発想すらなかった。なぜなら真っ先に何でも伝えられる相手がいたから。今はもう灼熱の都市、跡形もなく消えた梅雨の季節とともに、彼は彼女のもとを去ったのだった。


クラクションの音は卵の死骸を産み、その亡骸は彼女を再び傷心の渦に引きずり込んだ。台所は薄暗い。日曜の日差しはここには届かない。


腹の奥で踊りだした射精の気怠さが、外敵を察知した小動物のように身を潜めた。弾けるクラクションを聞き、男は身体を開いた女の上で動きを止めた。しん、と安物のベッドの唸り声を殺し、部屋に存在するのは首を横に振り続ける扇風機だけになる。「どうしたの」と女は言う。男は黙って女から身を引きはがした。「そう」と女は彼の無言に答え、赤い下着を身に着け始めた。そして煙草を吸った。男は女のその一連の動作を見、遠い昔、麦わら帽子をかぶった若い母の姿を思い出した。なぜかはわからない。その記憶は彼に暗い影を落とした。母の墓前にはもう長いこと立っていない。


閉鎖された部屋に流れ落ちた音。男の中の安定はぐらつき、精神は粘り気を持って固まりだした。夏は僕を飲み込んで焼き焦がしてしまう、と男は思った。蝉の鳴き声は聞こえない。


大学生の男は天井から吊られた輪っかに頭を通すところだった。綿密に脳を整理し、この世に思い残すことがないのを確認した。何もない部屋。人間のなりそこないがいた部屋。それはバイト先の金髪の人間に言われた言葉。お前は見た目も中身もおかしいのだと。この部屋が水槽だとしたら、もうとうに涙で溢れかえっているだろう、と男は思った。できない。できない。言われたことが何ひとつ。褒められない。笑いたい。うまくできない。


しかし男を呼び止める音。人間の悪が染みたような音。男は決壊したようにまた泣き出した。思い残すものはない、だが死ぬのは怖い。無になるのが一番怖い。無がそこに……。音は恐怖を引っ張り出してきた。男は悲鳴をあげ椅子から崩れ落ちた。やめてくれ、ぼくをここに縛り付けないでくれ。あと少しだったのに、あと少しだったのに……。男は呟いた。死ぬこともできない。


手首に傷のある女は包丁を男の首にあてていた。男は座椅子に深くもたれる格好になり、包丁の行方に息を殺していた。男に乗りかかって、二人の様子はまるで彫刻芸術のようだった。女は機械のように静止していた。殺意は彼女の服の裏、絵の具では描けない痣色から染み出したものに違いない。染み出た瘴気は今、男の拳に還ろうとしている。包丁で喉を掻き切る。その動作スイッチが押されるのを女はじっと待っていた。機械は目を見開いて、最後のきっかけを探していた。男は女の憎悪が一時的な飾りであると高を括っていた。この包丁がやがて首から離れるだろうと、いつもの落ち着きを取り戻しつつあった。このあとまた殴ってやる、と。


クラクション。女は人間に戻った。そして腕を前に伸ばした。赤い血が噴き出した。


自転車を漕ぐ少年はその音に一瞥だけくれ、不愉快そうに赤い車の横を通り過ぎた。運転手は舌打ちをする。助手席の女は相変わらず頬杖をついた姿勢で、ただ前方の虚空を寂しそうに見つめていた。

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クラクション、人の革命の音 藤ゆら @yurayuradio

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