ギザギザ

OOP(場違い)

本編

 さぁ、耳を澄ませて。

 目で見た数字に頼ると、意外と合ってくれないものなんだ。五感を使って、手繰り寄せるように拾うのさ。面倒だろ? ははっ。

 こうやってダイヤルを、指の腹で、ゆっくりゆっくり回してやれば……走って、乱れて、歪むノイズが……一瞬、止む瞬間がある。

 もう少し……焦るなよ。


『……放送です……チョソンの声放送です……』


 ほら! はは、やった! 綺麗に聞こえただろ?

 朝鮮(チョソン)の声放送。北朝鮮の平壌から放送されているラジオなんだ。すごいだろ? コイツなら、短波を受信できるから、北朝鮮からの声も聴けるんだぜ。

 ……あぁ、まだ説明してなかったっけ。短波ってのは、FMやAMとは周波数の違う電波なんだ。

 俺も、正直、まだ詳しくは知らないんだけど。国内でやり取りする電波とは違うから、室内や、空が曇ってる時は、上手く受信できないんだ。

 空の向こうに、電離層? ……っていう、天井みたいなのがあって。そこを反射して世界中に電波を飛ばすから、それを遮るものがあったら無理なんだってさ。親父に聞いたけど、よく分かんないや。


 ……前、話したっけ。

 俺、高校を出たら……世界をまわる、旅に出ようと思ってるんだ。

 短波ラジオにハマったのもそのせいさ。いま、この瞬間、世界と繋がっているんだって思うと、ワクワクする。

 お前は? ……何も考えてないか。そりゃそうだ、俺たちまだ中学生だもんな。

 でも、今のうち考えといたら、受験勉強とかもやる気出るって思わない? 何も目的なく、ただ何となく、良い高校に行きたいっていうよりかはさ。


 そうだ、お前もついてこいよ。俺の旅!

 ……え。飛行機に乗れないから無理? 高所恐怖症? 船も? 船酔いする?

 ……なんか、お前らしいよ。うん。

 じゃあ、そうだな……お前がハタチになる日、日本に帰ってきてやるよ。それで、お前がどこにいても聞けるように、ラジオで俺の旅の思い出を話してやる。

 親父、昔、この辺の地域のことをしゃべるラジオを趣味でやってたらしいんだ。小さなスタジオも持ってる。今は使ってなくて、物置になってるけど……。


 8月17日だったよな? ……オッケー。

 じゃあ、約束な! 覚えとけよ!

 周波数は……。



 8月17日。吉祥寺の、小さなスタジオよりお送りしております。

 番組名は……特にありません。はは。

 お客さん、じゃなくて、なんて言うんだっけ……リスナーか。リスナーも、1人しかいないだろうし。

 4年遅れになっちまったけど、聞いてくれてるかな?

 ……まぁいいや。自己満足だし。

 ともかく。誕生日おめでとう。


 えーっと。あ、自己紹介がまだだった。

 ……『ペー』って名乗っとくか。うん。本名出しても問題ないと思うけど、なんかアレだし。


 色々あったよ。あれから。

 中学の時お前に話した夢は叶えられなくて……今日も、日本で、東京で、吉祥寺のこんな場所で、こんな事をしている。

 ………………。

 あー……ラジオって、10秒黙ったら放送事故なんだっけ?

 ちょっと……落ち着きたい。ええと、持ってきたCDを……ここにセットしたら流せるんだっけ。


 うん。いけそうだ。

 じゃあ、一曲目。俺が最近聴いてる曲なんだ。

 YOASOBIで、『夜に駆ける』。



 私は思わず、ベンチから勢いよく立ち上がってしまった。

 吉祥寺、井の頭恩賜公園。昼間ならば、池を通り過ぎるスワンボートたちを眺めることの出来るほとりのベンチに腰掛けて、私は、ラジオに耳を澄ませていた。

 先程まで流れていた、私の心を癒していた落ち着いた時間が、一瞬にして凍りつく。或いは、燃え上がると言うべきか。涼やかな夜なのに、私は全身から吹き出した汗にまみれていた。


 高校時代に付き合っていた彼氏。彼が、高校卒業と同時に、世界を巡る旅に出るとか言い出して……自然消滅的に別れた。

 何度か同僚の男性からアプローチを受けても、付き合う気になれなかったのは……24歳といういい歳で、未だにアイツ以外との恋愛経験がないのは、そのせいだと思う。まだ忘れられないせいだと思う。

 泣いて引き止める私に、笑いながらアイツは言った。


 ちゃんと一年おきに帰ってくる、と。

 もし俺のいない間に、辛いことがあったら、ラジオの周波数をこの数字に合わせてみろ、と。


 その後、誕生日にあげたラジオはまだちゃんと持ってるか、とか、アレかなり良いシロモノなんだから捨てるなよ、とか、色々やかましいことを付け足された気がするが。

 ……正直なところ、誕生日プレゼントに、肩からぶら下げるでっかいカバンみたいなサイズのラジオを満面の笑みで出してきた時は、ひどく顔が引きつったものだ。

 後から出された、センスのいい小鳥の形のペンダントがなかったら、別れていたかもしれない。

 ていうか、自分でも薄々『ラジオじゃダメかもな』と思ってるんなら、そっちを先に寄越さんかい。ラジオがオマケだったら私だって一言二言コメントできたわ。付け合わせのスープだけメインのチャーハンより先に持ってくる中華屋かお前は。


 ……本当に、ムカつく。

 結局、ちゃんと帰ってきたのは最初の2年だけだし。それ以来、消息は……。


 とにかく。確かめなくちゃいけない。

 本当にアイツが今、吉祥寺でラジオを放送してるっていうのなら、その場所は、そう遠くはないはずだ。

 ……何が『夜に駆ける』だ。俺を探して夜に駆けろ、とでも言いたいのか。私がどれだけ当時流行りの曲を勧めても、古い洋楽しか聴かなかったくせに。随分と趣味が変わったもんだな。えぇ?


 私はラジオを繋いだまま、『夜に駆ける』ために、ここから徒歩10分の自宅へ原付を取りに走った。



 立木徹平。

 私は彼のことを、『ペー』と呼んでいた。彼いわく、「俺をそう呼ぶのはこの世でお前を含めて二人しかいない」らしい。

 私の名前は、千田英華。

 彼は、私のことを『エーちゃん』と呼んだ。こっちは逆で、みんな呼んでいたあだ名だった。


 私とペーは高校時代、バイト先で知り合い、旅行好きな性格が一致して、付き合い始めた。もっとも、私は国内旅行オンリー派、対するペーはお金と時間さえあれば中国やグアムに繰り出す超アクティブ派。一緒に旅行に行ったのは、結局、沖縄と伊勢、2回しかなかった。

 付き合ったのは1年間だけ。私とペーは2歳離れていて、私が高校2年に進級するのと時を同じくして、彼は、世界へ向けて、私を置いて飛び立ってしまったのだ。


 哲学的な、カッコつけた話をするのが好きなヤツだった。あの日も、2人で共通のアルバイト先から帰る道で、夜空の星をつつくように得意げに人差し指を立てて、そんな事を言い出した。


 当然、そんな飽き飽きとした気持ちで聞いていたのだから、頭に入るわけもなく、その時語っていたことは大まかにしか覚えていない。

 たしか……こんなことを言っていた。


 人生は、歪な波のようだ。

 ……この『波』っていうのは、音声を視覚的に見る時の、音が大きくなるほど振れ幅が広く、音が高くなるほど振動数が多くなる、音声波形のことを言っていた……と思う。


 山あり谷ありと言うには、あまりに鋭利で、心臓を刺し貫きそうな上昇と下降が、幾度も幾度も押し寄せる。

 人と人との人生の波が、綺麗に重なり合うのは、本当に限られた人と、ほんの一瞬だけで……全く同じ波を描いて生きる人間なんてものは、一人としていない。

 どんな人間にも共通しているのは、波の始まりと終わりだけは、ゼロ。死んだ後には、ただ、上がりも下がりもしない、優しい直線だけが残る。


 ひとりひとり違う人生の『波』。

 同じ場所に生きていても、決して、完全に重なり合うことはない。

 だから、友達として、家族として……そしてもちろん、恋人として。違う波を持つ人間同士が、少しの間だけでも、その波形を重ねて共に時間を過ごすことは、とても愛おしく……息が詰まるほどに尊いことなのだ……と。


 ……案外覚えてたな。

 こんなことを高校を出て社会人になっても未だに忘れず、胸の底に大事にしまってあるあたり。やっぱり私は、アイツのことを、今でも……。

 いっそ、どっちかがどっちかをスッパリ振り倒していれば、こんな想いはしなくて済んだのに。


 可愛いスクーターには似合わない、真っ黒なフルフェイスのヘルメットをしているのに……目にゴミが入って、痛い。


 イヤホンを繋いだままのラジオは、相変わらずBGMのひとつも流さず、どこか自信の無いトークを続けていた。

 


 いい曲だよな。

 なんか……うん。まともな人生送ってないから、全然共感はできないんだけど。でも、若い頃を、この歌の歌詞みたいに過ごしたかった。

 ちゃんと悩んで、ちゃんと…………したかった。


 ……最近、やる事がなくてさ。

 いや。すべき事はあるんだろうけど……何をする気も起きずにいる。

 お前も知ってると思うけど、俺はもう、世界旅行なんて夢にすら見れない状態なんだ。

 このラジオが終わったら…………。


 …………。


 あー……危ない。黙り続けるとこだった。はは。

 ええと……そうだな。何か、ラジオっぽい話でもしようか。

 最近、コロナウイルス……だっけ。外に出てないから、ニュースでしか知らないんだけど、大変みたいだ。

 病院も、最近はすごく忙しいみたいだ。この間行ったら、俺の経過観察をしてくれてたお医者さんが、随分痩せてた。今まで、あんまり他人のことには興味が持てなかったんだけど……あれはさすがに、可哀想になったな。


 ……世の中、みんな頑張ってるのにな。

 俺は何をしているんだろう。

 何をっていうか……何もしていない。10年近くを、無意味に、ただ貪っている。

 こんな奴が生きてていいのか、とか、思ったりするんだ。


 …………。


 次の曲、流すか。

 ……ええと。お前、趣味はハードな洋楽ばっかだったけど、唯一、邦楽でこのバンドは好きだったよな。こっちもだいぶ古いけど。


 サディスティック・ミカ・バンドで、『タイムマシンにおねがい』。



 『ペー』を名乗るDJの口ぶりに違和感を覚えながら、私は夜の吉祥寺を、原付で駆けていた。

 こういうの、プログレ、っていうんだっけ? 私はよく知らないけど、たしかに、ペーが昔この曲を私に聴かせてアレコレ語っていた気がする。


 私の実家は世田谷にあり、ペーと出会った高校やバイト先も、その近辺だった。

 吉祥寺で一人暮らしを始めたのは、ペーが海の向こうへ旅立って2年後。大学に進学した時だ。

 一人暮らしとはいっても、父方の祖母が数年前まで古物商をしていて、閉店した店の跡地をそのまま簡単にリフォームして使わせてもらっているだけ。まだまだ親の庇護下からは抜け出せていない。

 そのまま、近場で就活をして、またまたこの近辺の地方銀行から内定をもらえた。オッサンだらけの職場で、肩身の狭い思いをしながら、ラクっちゃラクな仕事を気だるくこなす日々を過ごしている。


 あまりハラスメントハラスメント言いたくはないけれど、それにしたって、毎日毎日顔を合わすたびに「彼氏出来た?」って聞いてくるのは何なんだ。

 月曜19時に退勤して火曜8時半に出勤してるの分かってるか? 約13時間前に彼氏いないのに今いるわけないだろ。学校で顔合わすたびにポケモンの進捗度合い聞いてくる男子小学生か。


 そして本日。

 このオッサンやけに距離が近いな、いつかやるだろうな、とは思っていたが。

 ついに本日めでたく、上司に臀部を触られた。


 『嫌』がドロドロに液状化したものが、今もまだ、胃を埋めて、体全体を巡る血に混ざって私を蝕んでいる。

 出世したいわけではないが、明日から仕事がしづらくなるのは勘弁願いたい。自分の尊厳と、面倒とを天秤にかけた結果、特に何もせず泣き寝入りをすることに決めた。

 ほとんど迷いなくその結論を出した自分が妙に情けなくて、また、臭くて汚くて湿った膿が、溜まっていく音がした。


 寝不足のせいか、涙もろくに出なくて。

 気付けば、普段吸わないタバコを吸いながら、公園のベンチに腰掛け、家から持ち出してきたペーの忘れ形見のダイヤルを、約束の周波数に合わせていた。

 そして……その声に導かれるように。


 いや……その声が、何か……助けを求めているような。その声に、縋られているような気持ちになって、私は今こうして、ビジネススーツにフルフェイスのヘルメットという不細工極まりない格好でスクーターに跨っている。

 夜風が体を撫ぜる感覚が心地よい。このままあのハゲを轢き殺せたらどんなに気分がいいだろうか。

 大学に入って独居を始めた頃からずっと思っていたことだが、吉祥寺の町には、何かこう、斜に構えてはいないが恐ろしくヒネクレた『洒落っ気』が満ちている。

 夜になると、そういうヒネクレた部分が大人しくなって中和され、適度に居心地のいいお洒落さだけが残る。キツい日本酒が甘い果実酒で割られてカクテルになる、みたいな。分かりにくいか。


 ともかく、だから私は夜の吉祥寺が好きだ。

 嫌なことがあった日は、夜に原付でこの町を走り回る。片耳イヤホンで、昔好きだったAKBや少女時代の曲を流しながらぬるい風を感じていると、少しずつ悪い感情を排気口からポロポロと落としていけるような気がするから。

 そんな風に、何度もこの町を色んなコースで走り回っているので、『吉祥寺にある短波ラジオのスタジオ』という、ペーを名乗るDJが最初に言っていた情報だけで、「もしかしてあそこかな」という目星はついた。

 小ぢんまりとした、何かの事務所のような目立たないたたずまいの灰色の建物で、両開きの扉の上に控えめに掲げられた看板に、『きのう放送局』と書かれていた。と、思う。


 場所はハッキリ覚えている。建物のディテールまで鮮明に覚えているわけではないが、一目見れば、確実に確信できるはずだ。

 もう少し。あと信号を2つ越えて右に曲がればすぐだ。


 ペーとの日々を、タイムマシンに乗ったように回想しながら……私は、ハンドルを一層強く握りしめた。



 …………。


 ……あ。曲、終わってたな……。参ったな、また放送事故だ。はは。

 ええと……何話せばいいんだろう。

 ……あぁ、クソ。何も話すことねぇや。何にもしてなくて、何も新しいことも、経験もなくて……本当に、何もない。何も。

 ごめんな。ごめん。


 ……なぁ。どこかで、これを聞いててくれたら。

 短波ラジオは、電波を遮るものさえなければ、世界中どこにいても聴ける。中学の時、俺、お前に言ったよな。

 もし聞いてたら……謝らせてほしい。


 ごめん。

 ごめんな。

 ……あんなこと、言うつもりなかったんだよ。だけど……俺は……。


 …………ごめん……。



 スクーターを、スタジオから少し離れたコンビニに停めて、ヘルメットをハンドルに引っ掛ける。

 『ごめん』と言ったきりDJは黙り、しばらくしてから、曲が流れ始めた。

 クイーンの、『You’re My Best Friend』。これも、ペーの好きな曲だった。2人でカラオケに行った時、よく聴かせてくれたっけ。流暢な発音の英語で、音痴な歌で。


 スタジオの前に立つ。

 扉に手をかけようとして、私は、決心がつかず、その場に立ち尽くした。肩から下げたラジオのふちを、指でなぞって、答えを探る。


 確実に、DJはペーではない。


 ペーに近しい誰かなのは間違いないが……だからといって、そんな人と私が会って、どうするというのか。

 もしかしたらペーに会えるかもしれない。そんなありもしない可能性に目を曇らせて、ここまで原付を走らせてきたけれど。

 ここまでDJのトーク……悲痛な胸の内を聞いて、私は、彼がペーではないと確信を持った。


 スタジオの中には明かりがついているし、細々とすすり泣くような声が、扉の隙間から漏れ聞こえてくる。

 扉の向こうに、その人はいる。

 私と同じくらい、下手したら私以上に、彼の姿を追い求めている人が、そこにいる。

 その人はどんな人なのだろう。


 『You’re My Best Friend』。……親友、なのだろうか。


 私は何のためにここに来たのか。

 ペーには会えない。なら、私はここで、何をするべきなのだろう。

 その答えは、いくらクイーンの歌に耳をすませようが、いくらラジオの肩掛け紐を指の腹で擦ろうが、出てくるはずがなかった。



 立木徹平。

 中学の頃、俺だけが、アイツのことを『ペー』と呼んでいた。由来は俺もペーも覚えていない。

 俺の名前は、福山悠仁。

 同様に、ペーだけが俺のことを『フック』と呼んでいた。同様に、由来は2人とも覚えていない。


 実家は国立のマンションで、同じ階。幼稚園に入る前からの付き合いで、何をするにもずっと一緒だった。

 俺は文系でアイツは理系、俺は北川景子が好きでアイツは堀北真希が好き。趣味から性格から、何もかもほとんど合わなかったけれど、不思議と気が合った。


 塾も一緒で、中学2年になってから夜9時くらいまで授業を受けることが増えて、夜の帰り道、今となっては恥ずかしくなってしまうような、将来の話をよくした。

 アイツは……中3の、あの時まで、特にやりたい事がないってずっと言っていた。

 絵を描くのが上手いんだからそっちの道を目指せばいいんじゃないか、と俺が軽く言うと、やけに怖い顔で、そんな甘くない、と怒られたっけ。


 そんなペーに、俺はいつも、高校を出たら世界を飛び回りたいって夢を語っていた。

 歴史と公民はからっきしだったが、地理のテストはいつも満点だった。地図帳を眺めて、いつかこの1ページ目のメルカトル地図を全部塗りつぶすんだって、息巻いていた。

 少しでも世界を感じたい。そう思って、親父に頼み込んで誕生日に買ってもらったのが、スカイセンサーというラジオ。狂ったように、暇さえあれば短波ラジオのダイヤルを回して、チューニングしたものだ。


 中学3年、受験を控えた11月の下旬。

 俺は飲酒運転の車に撥ねられ、二度と、自分の足で歩けない体になった。


 今までしてきたことが、見てきたことが、聞いてきたことが、学んできたことが、夢見てきたことが、全て、全て、無意味になった。

 ……そう感じた。

 世界を巡る旅をしたあとは、地理の教師を目指そうかな。それが難しかったらどうしよう。またお金を貯めて、2周目に繰り出そうか。

 頭の中に七色のクレヨンで描いたそんな夢想を、俺は、黒色のシャーペンで、紙が裂けるほどに、滅茶苦茶に塗りつぶした。

 何をしても無駄。俺の頭を満たしたその無力感は、お医者さんの『今からリハビリを始めれば数年後に奇跡的に回復するかもしれない』という言葉を、即座に切り捨てた。


 拗ねていたんだと思う。自分で言うのもなんだが、無理もない。中学生にとっては、世界が終わってしまったような心境だろう。

 誰にも会いたくなくて、何もしたくなくて、どうしようもなくて、俺は、退院するまでずっと、病室のベッドで寝て過ごした。


 その時……親戚以外では誰よりも早く面会に来てくれたのは、やはり、ペーだった。

 俺から、可能性はゼロに近いがリハビリをすれば自力で歩けるようになるかもしれない、という話を聞いて、アイツは……躊躇いも何も無く、『じゃあリハビリしろよ』なんて言ってきやがった。

 元から無神経というか、デリカシーのない奴だったが、その時ばかりは頭にきて、俺はアイツに罵詈雑言をまくし立てた。

 『世界を巡る夢は諦めるのか?』と聞いてくるペーの目は、あんまりに寂しそうで、俺はすっかり怒りが冷めてしまった。


 「当たり前だ」と言った。

 ……そして、親が、自宅の俺の部屋から持ってきてくれたスカイセンサーを指さして、「それ、もういらないから、お前にやるよ」と言い、事故に遭うまで命の次に大切にしていたそれを、アイツに譲った。

 譲ったというよりかは、押し付けた。

 見たくもなかった。

 『少年はサンタクロースからサッカーボールをもらったが、泣き出してしまった。一体なぜ?』……そんななぞなぞを聞いた事がある。ラジオを見る度、その少年と同じ気持ちにさせられた。


 ペーは、俺からラジオを受け取って、とても悲しそうな顔をした。

 そして……信じられない台詞を言った。


 俺がお前の代わりに、コイツを持って世界を巡ってきてやる。


 一度冷めた怒りが、ゆっくりと、腹の底で熱を取り戻すのを感じた。

 今思えば、友達を辞められても文句を言えないような、人格を否定するひどい罵倒をたくさん放った。何度も死ねと怒鳴った。


 ごめん。



 ……ごめんなぁ……。


 言いたかった言葉は、そんなんじゃないんだ。

 ただ、俺は……お前に、お前自身の生き方で、生きてほしかっただけなんだ。

 俺の思い描いた波形なんかじゃなく、お前自身の意思で選びとった人生の形を、描いていってほしかった……。それだけが、言いたかったんだ……。


 なぁ。

 お前が行方不明になって、もう何年になる?

 来年で、お前は……死んだことになる。


 ごめんな。

 俺のせいで。俺のせいで……俺のせいで。

 俺の、自分勝手な夢のせいで……お前を、殺してしまった。

 ……お前は賢かったし、器用だったし、運動もできたし……何にだってなれたのに……その未来の全部を、俺が、奪ってしまった……。


 …………ごめんなぁ……。


「違う!!」



 気付いたら、私は、体当たりするような勢いで扉を開き、叫んでいた。

 ラジオ配信用の機材に囲まれた、痩せた車椅子の男性が、泣き腫らした目を丸くして、こちらに向けてくる。


「……高校在学中、立木徹平と交際していました。千田英華と申します」



 ペーが、世界のことや、ラジオのことについて語る時の瞳は、いつも、眩しいくらいに輝いていた。

 私よりも、地球儀に恋をしているんじゃないの、なんて面倒くさい拗ね方をしたこともあるくらい、アイツはそれらを愛していた。


 だからきっと、あなたのせいじゃない。

 友達の夢をいやいや引き継いだようなヤツが、仮にも恋人の前で、1時間近くペラペラと早口で世界を巡るコースの妄想を喋り散らかしたりするわけないから。

 それに、私は、まだペーが生きている可能性を諦めていない。

 今だって、このラジオのダイヤルを回していると、アイツの……やかましい声の波が、指先に伝わってくるようだから。


「…………」


 目の前の彼に。おそらくは、ペーの親友に。

 私は、上手くそれを伝えられるだろうか。


 ……いや。上手く伝えられなくてもいい。

 お話することができたら、それだけでいい。

 親友として、恋人として、立木徹平に深く関わり、傷を負った私たちが、今ここに出会ったこと。

 きっと、それは、ペーが心から望むことだと思うから。


 東京。

 この街は……狭いくせに、日本で一番、たくさんの人の波が渦巻く場所。

 そんな場所で、同じひとつの周波数に惹かれ、全く違う波形を描いてきた2人が、交差する。

 それはある種、奇跡と呼べるのではないだろうか。


 ……ペーなら、そんな事を言っただろうか。


 全部話し終えたら、私は、こう言うつもりだ。


 初めに流してた曲は、アイツじゃなくて、あなたの趣味ですよね?

 私も、YOASOBIは大好きなんです。

 よかったら、お友達になってください。


 ラジオのお別れのナンバーは……、

 YOASOBIで、『ギザギザ』。

 なんて、どうでしょうか?

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ギザギザ OOP(場違い) @bachigai

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