大罪狩りの執行者(エンフォーサー)

玄野 黒桜

大罪狩りの執行者(エンフォーサー)

 その世界、『ビブリタニア』の中心には一つの巨大な塔が立っていた。

『原書の塔』と呼ばれるその塔は古今東西、世界中のありとあらゆる本を収集し保管する最も権威ある場所であり、機関の呼び名でもあった。


 原書の塔の下には多くの施設が出来、その外には街が広がっている。

 原書の塔に所属する人たちが集まり出来たこの街は『塔の街』と呼ばれ、世界中のどこの国にも属さず、塔がその運営を行っていた。





 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼

「おはようございます」


 ざわざわした教室に1人の少女が挨拶をしながら入ってきた。

 ここはビブリア原書学院。塔の街にあるこの世界では最も権威ある最高峰の学校である。


 少女の名前はフェリシー・シャミナード。目尻の下がった大きな目に赤い瞳の優しげな顔立ちに、丸いレンズの大きなメガネを掛け、緩いウェーブの掛かった長いピンク色の髪を後頭部あたりで白い大きなリボンでまとめている。163cmと女子にしては高めの身長でとくにある部分の発育が非常に良い。


 彼女は「おはよー」「おはようさん」「おは~」とクラスメイトと次々に挨拶を交わしながら自分の席へと向かいながら、いつもと違うどこか浮ついた雰囲気の教室に首を傾げる。


「おはよん♪フェリたん!」


 フェリシーが自分の席に座り鞄から荷物を取り出していると、明るい声が聞こえてきた。フェリシーが顔を上げそちらを見ると、前の席からこちらを振り返りニコニコとした笑顔を向けてくる小柄な少女と目が合った。


 彼女の名前はジーナ・アントネッリ。フェリシーと同じクラスの15歳。身長は150c、m金髪を赤いリボンで両サイドでまとめてツインテールにしており、つり目気味の青い瞳をしているが人懐っこい笑みを浮かべている。


「おはようございます、ジーナちゃん!」


「ねぇ!ねぇ!聞いた?聞いた?」


「何のことでしょう?皆さんがそわそわしていることと関係があるのでしょうか?」


 笑顔で挨拶を返したフェリシーにジーナが食い気味にそう言うので、フェリシーは首を傾げながらおっとりと返した。


「編入生だよっ!編・入・生っ!」


「編入生…ですか?」


 ジーナの言葉がピンと来ない様子でフェリシーは更に首を傾げる。


「そうだよっ!このに編入生が来るのっ!!」


「えっ!?このに編校入生ですかっ!?」


 フェリシーがジーナの言葉に微妙にズレた返しをしたのには訳がある。


 このビブリア原書学院はどの国の王侯貴族でも、どんなコネを持っていても難関と言われる試験に合格しなければ入学することが出来ないと言われている学院である。

 通常であれば年一回の入学試験に合格しなければ入学出来ないし、編入試験があるなんて聞いたこともない。


「そうなんだよっ!どんなことをすれば転入なんて出来るのかって朝から皆その話題で持ち切りなんだからっ!」


「はっ!くだらない」


 噂好きなジーナが嬉々として言うのに対して、彼女の右隣から不機嫌そうな声が聞こえてきた。


 フェリシーがそちらを見ると、そこには少年が座っていた。

 彼の名前はディーター・エクスナー。身長はフェリシーより10cmほど高く、短い青髪に鋭い目つきの青い瞳をしている。クラスはもちろん学年でも常に成績上位の優等生である。

 真面目で少々気難しいところもあるが普段は物静かな少年であるが、今はその顔を不快げに歪めている。


「あっ、おはようございます、ディーターくん」


「ああ」


 フェリシーがにっこりと微笑みながら挨拶をすると彼はいつものように気のない挨拶を返す。


「くだらないって何よっ!気になるじゃないっ!」


 ジーナもディーターの方を向くと、彼の言葉が気に食わなかったようでそう食って掛かる。


「くだらないからくだらないって言ったんだよ。どうせどこかの高校貴族か塔にコネのある奴が権力を使って無理やり編入してきたんだろ」


「そんなこと出来る訳ないでしょっ!学院はそういうのとは無縁だってあんただって知ってるでしょっ!」


「ふんっ」


 吐き捨てるように言ったディーターの言葉にジーナが言い返すが、彼は不機嫌そうに鼻を鳴らして手元の本へと視線を戻した。


「なによっ!もうっ!」


 ディーターの様子にジーナが目を吊り上げている。


 -ガラガラ-


 そんないつもと違うどこか落ち着きのない様子だった教室の入り口が開いた。

 今までざわざわしていた生徒たちが、一瞬で静かになり一斉にそちらの方へと視線を向けた。


 入ってきたのは担任のコルネリウスだった。彼はディーターよりも少し高い身長にヒョロっとした痩せた体つきをしており、少し長めの黒髪に黒い瞳をしている。その顔には柄の細いメガネを掛けており、神経質そうな印象を強調している。


 入り口から教卓へと向かうコルネリウスの後に続いて小柄な影が入ってきた。


 身長はフェリシーとジーナの中間くらいで、灰色のくせ毛が歩く度にふわふわと揺れている。

 幼さの残る可愛らしい顔をしているが、今は緊張からか俯き強張っている。


 そうして教卓に来たコルネリウスの横に立つが、やはりその表情は硬く俯いている。


「えー、皆さんも聞いていると思いますが、今日はこのクラスに編入生が来ました。では、君、自己紹介を」


「は、はいっ!あ、あの、ぼ、僕は、きょきょきょ、今日からこのクラスで、みな、皆さんとい、一緒に勉強させてもらいます、レ、レジス・クラヴェルと言いますっ!よっ、よろしくお願いしますっ!!」


 コルネリウスに促され、声変わりもまだなのか見た目通りの高い声で挨拶した少年(?)は「ブンッ!」という風切り音が聞こえそうなほどの勢いで頭を下げた。


 あまりの勢いに生徒たちは呆気に取られ、教室にはしーんっと静まりかえる。顔を上げた彼、レジス・クラヴェルと名乗った少年もその反応にどうしていいのか分からず、おろおろと視線を彷徨わせている。


 -パチパチパチパチ-


 なんとも言えない空気が流れる中、唐突にそんな音が響いた。皆が一斉にそちらを見るとフェリシーが拍手をしていた。

 その様子に漸く我に返った生徒たちがぱらぱらと拍手をはじめ、すぐに生徒全員へと広がった。


 戸惑っていたレジスもその反応に安心したのか「ほっ」と息をついたが、次の瞬間に恥ずかしくなったのか顔を赤らめてまた俯いてしまった。


「はい!それでは編入生の紹介はここまでにして、レジス君はフェリシーさんの隣の席に座ってください」


 拍手が落ち着いたタイミングでコルネリウスがレジスに席に着くよう促す。レジスはまだ恥ずかしそうに顔を俯かせたまま、席の間を進んでいった。


「はじめまして。私はフェリシー・シャミナードっていいます。分からないことがあったら何でも聞いてくださいね。」


「私はジーナ・アントネッリだよ!フェリちゃんの親友だから私もよろしくねっ!」


 隣の席に来た少年にフェリシーがそう小声で自己紹介して微笑むと、ジーナも振り返り自己紹介をした。


「あ、あの、よ、よろしくお願いします」


 レジスも慌ててそう返すと、ぺこりと頭を下げて席に着いた。


「それでは教科書を出してください。まずは前回の復習から。前回はこの世界の成り立ちについて勉強しましたが、では…アルマン君、前回勉強したところを説明してください」


 コルネリウスに指名されたアルマンと呼ばれた茶色い髪の男子生徒が「はい」と返事をして立ち上がる。


「この世界は創世神が神話の時代に書いたと言われる書物から誕生したと言われています。その書物の中で創世神は最初に空を、次に海を、その次に大地を作られ、最後に僕たち人間を含めた動物を作られました」


 アルマンがそう答えるとコルネリウスは満足そうに頷いた。それを見て「ふー」と一息ついてアルマンは席に座る。


「はい、そうですね。それでは次に塔についてを…クロエさん、説明してください」


 次に指名されたのはクロエという紫の髪を肩口で切り揃えた生徒だった。彼女も「はい」と返事をして、少し緊張気味に立ち上がる。


「塔、原書の塔は世界中の書物を保管・管理・研究している機関であり、世界中のどんな国からも独立した機関でもあります」


「はい、その通りです。付け加えるなら特に塔の名前にもなっている『原書オリジン』と呼ばれる作家テラー本人が書いた最初の一冊を集めています」


 コルネリウスはそう付け足すとクロエに席に着くよう促した。


「それでは今日は塔の仕事について詳しく勉強していきます。塔には主に4つの職種があります。

 1つは世界中から本を集める【蒐集官】。この蒐集官になるためには、本の扱いの他に本を専門に狙う【奪本者プランドラー】と呼ばれる野盗から本を護るため、戦力も求められます。


 2つ目は本を保管・管理する【司書】です。司書になるためには蒐集官と同様に本の扱いはもちろん、本に関する知識を求められます。


 3つ目は古くなった本を修復する【修復師】です。修復師になるためには前の2つの職種以上に繊細な本の扱いと修復技術を習得する必要があります。


 最後に4つ目は【研究者】です。研究者にはさまざまな分野があります。内容についてはもちろんですが、作家テラーやその本が書かれた歴史的背景などについて研究しています。


 ここまではいいですか?」


 そこまで説明するとコルネリウスは一旦説明を止め、生徒たちを見回す。生徒たちは熱心に今説明された内容をノートに書き写している。大半の生徒がノートを取り終わったと判断したコルネリウスは更に説明を続ける。


「さて、ここまでは主に塔の仕事について説明をしましたが、本についての仕事には塔以外でも行われているものがあります。それが【作家テラー】と【写本師】です。


 皆さんの中にも作家テラーを目指してこの学院に入学された方がいると思います。作家テラーは本を書く者であり、売れっ子になれば貴族や王族などから専属作家として召し抱えられ、巨万の富を得る者もいます。塔からも認められるような作家テラーになれば“原典作家オリジンテラー”と呼ばれ歴史に名を残すことになるでしょう。


 写本師はすでに書かれた本を書き写すのが仕事となります。専門で写本師をやられている方もいますが、中には売れる前の作家テラーが収入のために依頼を受けてる場合もあります。後にその作家テラーが有名になれば写本とはいえその価値が跳ね上がった例もありますし、有名な写本師が手掛けた物も王侯貴族や富裕層の間では高値で取引されています」


 -カーン カーン-


 コルネリアスがそこまで説明したとき、遠くで鐘の音が聞こえてきた。


「おっと、本日の授業はここまでですね。続きはまた明日の授業で説明するので復習しておくように」


 彼はそう言うと教卓の上の荷物をまとめて教室を出ていった。教室の中に弛緩した空気が広がる。

 すると片付けの終わった生徒たちが次々に席を立ち、あっという間にレジスの席の周りに人だかりが出来てしまった。


 彼らは「どこから来たの?」「どうやって編入したの?」「どこに住んでるの?」「男の子?女の子?」

「いや、この際どっちでも…ハァハァ…」と口々に質問を始めた。中に若干レジスの身が危なそうな声も混じっているが…


「えっ、あっ、そ、そのっ、ちょっ、待っ…」


 四方八方からの質問攻めを受けてレジスは目を白黒させ、あわあわと慌てる。そんなレジスの様子には気付かずにクラスメイトたちは質問をしていたのだが、「コラーッ!いい加減にしなさーいっ!」という人だかりの外からの声に、全員がギョッとしてそちらを見た。


 レジスもどうにか人の間からそちらを見ると、自分の席の椅子の上に上がったジーナが腰に手を当てて仁王立ちしていた。その横にはこちらはさすがに椅子の上ではないが、フェリシーが立っており、顔はいつものようにニコニコとしているが、その背には『ゴォゴォゴォゴォ』と効果音が聞こえてきそうなオーラが出ていた。


(ヤ、ヤバイッ!フェリシーの目が笑ってないっ!?)

(どうすんだよっ!)

(いや、お前らが騒ぐからっ!)

(えーっ!私が悪いのっ!)

(だ、誰かっ!早く誤れっ!)

(いや、お前が謝れよっ!)


 クラスメイトたちはそれぞれにアイコンタクトし合う。そうしてクラスメイトたちが『誰が誤るか?』で不毛なアイコンタクト会議をしていると、


「そろそろ次の授業が始まるし一旦解散っ!それからレジス君にハァハァしてた変態は今すぐ名乗り出なさいっ!」


 つり目気味の目を更に吊り上げて言うジーナに全員がサッと視線を逸らした。


「あーんーたーらーねぇぇぇぇっ」


 ジーナが爆発しそうになったとき、遠くで鐘の音が聞こえた。


「さ、さぁっ!次の授業だっ!」

「そ、そうだなっ!」

「せ、席に戻らないとなっ!」

「つ、次はなんだったけ?」

「さ、算術だったんじゃないかしらっ!」


 そう口々に言うと、これ幸いとクラスメイトたちは蜘蛛の子を散らす様に自分たちの席へと戻っていった。


「全くーっ!」


 ジーナはそんなクラスメイトにぷりぷりと怒っている。


「大丈夫でしたか?」


 そんな様子をポカンっと見ていたレジスにフェリシーが声を掛けてきた。


「あ、えっと、その、だ、大丈夫ですっ!あ、ありがとうございましたっ!」


 声を掛けられたレジスは慌ててお礼を言い、頭を下げた。が、『ゴンッ!』と音がして下げた頭を机にぶつける。


「だ、大丈夫ですかっ!?」


 これにはフェリシーも慌ててレジスに近付く。


「痛ててて…うぐっ、だ、だいじょうぶですぅ」


 ぶつけた額を摩りながら涙目のレジスが顔を上げた。


「そ、そうですかっ!」


 そう返すと何故だかフェリシーは俯き、慌てて自分の席へと着いた。


「???」


 そんなフェリシーの様子に首を傾げたレジスだったが、すぐに次の授業の担当教師が入ってきたため視線を前へと向けたのだった。




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 -カーン カーン カーン-


 午前の授業が終わり、教室にざわめきが戻ってきた。生徒たちは席を立ち、食堂へ向かう者や庭や教室で弁当を広げる者とそれぞれが自由に移動を始める。


「レジス君はお昼はどうするんですか?」


 そんな教室の様子にレジスがどうしようかと迷っているところに、フェリシーがやってきて声を掛けた。


「あ、えっと…お昼のことを忘れてて、お弁当とかは持ってきてない…です…」


 後ろのほうは尻すぼみになって聞き取りづらかったが、どうやらお昼を持ってこなかったらしい。


「じゃあ、あたしたちと食堂に行こうよっ!」


 そんなレジスの言葉に、フェリシーの影から顔を出したジーナがニコニコしながらそう提案した。


「えっと…その…いいん、ですか…?」


 ジーナの誘いにレジスが恐る恐るフェリシーの方を見ると、「もちろんですっ!」とフェリシーが若干食い気味に返事をした。


「ディーターっ!あんたも行くでしょっ!」


 何故かそのフェリシーの様子をニヤニヤしながら見ていたジーナが、後ろでまだ席に座っていたディーターにも声を掛けた。


「ふんっ。俺は行かんっ。お前たちだけで行けよっ!」


「ちょっと、何でよっ!あっ、コラッ!待ちなさい!ディーターッ!」


 声を掛けられたディーターは不快げに言うと、引き止めるジーナの声を無視してさっさと席を立って教室を出ていった。


「もうっ!何なのよ、あいつっ!」


「あ、あのっ、僕が一緒ではダメだったでしょうか…」


「そ、そんなことありませんよ!誘ったのは私たちですしっ!」


「そうよっ!あんな奴、気にしなくていいわっ!さあ!食堂に行きましょう!」


 出て行ったディーターの背中に悪態をつくジーナに不安げにそう言うレジスを、フェリシーとジーナは慌ててフォローすると気を取り直して食堂へ向かうべく教室を出た。





「ここが食堂だよー!」


 先ほどまで教室で別れたディーターの態度に機嫌を悪くしていたジーナだったが、食堂に着くとその機嫌も直り、満面の笑みで両手を広げて後ろを歩いていたレジスへと振り返った。


「ひ、広い…」


 そこは500席はあろうかという広さだった。レジスはその広さに圧倒され、自分が呟いたことにも気付いていない。


「えへへ。すごいでしょう」


 レジスの反応にジーナは得意げな笑みを浮かべる。


「もう、ジーナちゃん。早く注文しないとお昼休み終わっちゃうよ?」


「あっ!そうだねっ!並ぼっ!並ぼっ!」


 そんなジーナの様子に苦笑いを浮かべながらフェリシーがそう言うと、ジーナは慌てて注文の列の最後尾へと突撃していった。



「じゃあレジス君はまだ塔の街に着いたばかりなの?」


 注文した料理を受け取った3人は食堂の一画に席を確保すると、今は食事をしながらレジスに編入の経緯などを聞いていた。


「は、はい。本当は入学式に合わせてこちらに来る予定だったんですけど、事情で出発が遅れてしまって3日前にこの街に着いたばりなんです」


「じゃあ学院の寮に入ったんですか?」


「い、いえ、塔の街で父の友人が雑貨屋を営んでいるので、今はそこに居候させてもらってます」


 レジスはどうやら人見知りするようで、時折つっかえながら編入することになってしまった経緯を説明する。


「じゃあ今度のお休みはあたしたちが街を案内するよ!」


「い、いいんですか?せっかくのお休みを、ぼ、僕なんかのために使ってもらって…」


「クラスメイトなんだから全然いいんだよっ!ねぇ?フェリちゃん?」


「は、はいっ!もちろんですっ!」


「あ、ありがとうございます」


 遠慮するレジスにジーナがそう言うと、意味あり気にフェリシーに話を振る。振られたフェリシーは何故だか勢いよく同意すると、レジスはまた「ブンッ」と音がしそうな勢いで頭を下げた。




「そう言えば聞いた?また行方不明だって。」


 食事を終えた3人は残りの時間を食堂でお茶をしながら過ごしていたが、レジスへの質問もひと段落したところでジーナが少し声を抑えてそんなことを話し始めた。


「もう、ジーナちゃんは相変わらず噂好きですね。…でも、またですか…?」


「えっと…行方不明というのは…?」


 ジーナの話にフェリシーは少し呆れた様子だったが、続けて眉を顰めた。レジスは『何のことか分からない』といった様子で首を傾げる。


「ああ、レジス君は知らないか。最近この街で行方不明者が増えてるって話。学院生の中にも何日も寮や家に帰っていない生徒がいるって噂になってるの」


「それも作家テラー志望の方ばかりという噂ですよね?」


「そ、そうなんですか?」


「なんだ、フェリシーも気になってるんじゃない。そうらしいわ。何でも最近評価が上がってきてた人なんですって。本人もやる気を出してたって言うし家出とかは考えにくいって話よ。奪本者プランドラーが入り込んで誘拐してるんじゃないかって話もあるみたい」


「物騒ですね…」


 ジーナの話にフェリシーの表情がますます曇る。


「フェリちゃんも作家テラー志望なんだし気を付けるのよ。のんびり屋さんなんだから」


「はい、心配いただいてありがとうございます!」


 ジーナの注意にフェリシーは笑顔でそう返した。


「本当はディーターにも気を付けるように言わないといけないんだけど…最近あいつ変なのよね…」


「そ、その…変、というのは?」


 最後のほうは独り言のようになったジーナの言葉をレジスが聞き返した。


「うーん、前からちょっと神経質なところはあったんだけど、あんなにキツイ態度じゃなかったの。でも、最近はずっと不機嫌なのよね…」


 ジーナの顔に心配の色が浮かぶ。悪態をついてはいるが本当は彼のことを気に掛けているのだ。


「そ、それはいつ頃からなんでしょうか?」


「えっ?えーと…いつくらいからだったかしら?フェリちゃん覚えてる?」


「ええと…、確か前回の作品提出くらいからじゃないでしょうか?」


「あっ!そうだ!確か返ってきた評価について担当の先生に話を聞きに行った後くらいからだよ!だから1ヶ月くらい前からかな?評価が悪かったのかな?」


「そうですね…ディーター君は成績も学年で上位ですし、一つの評価をそれほど気にし過ぎなくてもいいと思うんですが…」


「あいつ完璧主義っぽいからねぇ…」


「…………」


 そう言って表情を暗くする2人の横でレジスは何事か考え込んでいた。


「どうかしましたか?」


「い、いえっ!何でもありません。ディーターさんが早く元気になればいいなぁと思って!」


 そんなレジスの様子に気付いたフェリシーが話し掛けると、レジスは慌ててそう返した。


「そうだね!なら、元気付けるためにも今度の休みはあいつも誘おう♪」


「また怒らせるんじゃないですか?」


「いいのよ!あいつもたまには息抜きしないと将来禿げるかもしれないし!」


「それはひどくないですか?」


 レジスの言葉から少し暗くなっていた2人の雰囲気も冗談を言い合えるくらいには明るくなった。


「そうだ!レジス君は放課後は時間ある?」


「え、ええ。授業が終われば帰るだけですから」


「フェリちゃんは?」


「私も今日はとくに用事はありません」


「じゃあ放課後はレジス君に学院を案内しよう!」


「それはいいですね!レジス君はどうですか?」


「えっ、それは嬉しいですが…いいんですか?」


 ジーナの提案にフェリシーも同意し、2人がレジスの方を見てくるので彼はそう確認した。


「もちろんだよ!それじゃあ放課後は2人でレジス君を案内しよう!」


「はい!あっ!そろそろお昼休みも終わりです!教室に戻りましょうっ!」


「ホントだっ!レジス君も急いでっ!」


「えっ、あっ、ちょっと!?」


 レジスが何か返事をする前に慌てて席を立った2人は食堂の出口へと向かってしまったため、彼も慌てて食堂を後にしたのだった。




 ●○●○●○●○●○●○●○●○

「ここが訓練室だよっ!」


 放課後、ジーナを戦闘にフェリシーとレジスの3人はレジスに学院を案内するため、連れ立って歩いていた。訪れたのは蒐集官志望の生徒が戦闘訓練を行う訓練室だった。


「あたしは蒐集官志望だから授業とかでたまに使うんだけど、フェリちゃんは作家テラー志望だしあまり使う機会ないよね?」


「そうですね。そういった作品を書く方はたまに利用されているみたいですけど、私はあまり入ったことがありませんね」


「そういえばレジス君は何志望なの?」


「えっ!ぼ、僕はし、司書志望です!」


「「???」」


 ジーナに志望を聞かれたレジスが何故だか慌てて答えたため、その様子に2人を顔を見合わせ首を傾げる。


「▲□×■$▼@Я¥●ッ!」


「×○Λ■△#кッ!」


「「「っ!?」」」


 そのとき訓練室の中から声が聞こえてきて、3人はびくりっと体を竦めた。見るとわずかに入り口が開いており、そこから男性の言い争う様な声が漏れてきていた。


「………」


「………」


「………」


 3人は顔を見合わせると入り口から中の様子を伺った。そこには2人の男子生徒がおり、手前で背を向ける金髪の生徒が激しく激昂しており、それに対して奥の青髪の生徒が冷笑を浮かべていた。


「っ!?ディーターッ!?」


「ッ!?」


 ジーナが小さく上げた驚きの声にフェリシーも慌ててもう一度中を覗く。確かに奥いる青髪はクラスメイトのディーター・エクスナーだった。

 彼は普段見せたこともない様な酷薄な笑みを浮かべ、手前で激昂する生徒を見下している。


「あれは…リュディガーさん?」


「リュディガーって…あのリュディガー・ハンネス・フリードリヒっ!?」


 今度はフェリシーの呟きにジーナが驚きの声を上げる。


「そのリュディガーさんっていうのは?」


 いまいち状況を飲み込めていないレジスが2人に尋ねる。


「リュディガー、リュディガー・ハンネス・フリードリヒは多くの作家テラーを輩出してるフリードリヒ家の嫡男であたしたちの学年の主席なの。ディーターが一方的にライバル視しててね、いっつもあいつが突っ掛かっていってたんだけど…」


 レジスの疑問にジーナが答えるが、彼女も状況が飲み込めていないため困惑の表情を浮かべている。


 3人が困惑している間にも中ではリュディガーが更にヒートアップし、今にもディーターに掴み掛からんばかりに詰め寄ろうとしていた。

 そんなリュディガーの様子を相変わらず薄ら笑いを浮かべながら見ていたディーターだが、その手にはいつの間にか一冊の本が握られていた。


「っ!?あれはっ!?」


「ちょっ!レジス君っ!!」


「えっ!?レジス君っ!?フェリちゃんまでっ!」


 それまで困惑していたレジスがいきなり訓練室へと飛び込んでいき、それを追ってフェリシーまで中に入ってしまったので、ジーナも慌てて後を追った。


「おいっ!止めろぉぉぉぉぉっ!!!」


 飛び込んだレジスがそれまでに聞いたこともないような大声を上げ、それまでディーターに詰め寄ろうとしていたリュディガーが驚いて振り返る。

 ディーターも少し驚いた様な表情を見せたが、すぐにニヤリと笑うと手にした本を広げた。


「おい。今日は大量だぞ。食らえっ!」


 ディーターがそう呟いた瞬間、今まで色を持っていた世界が赤黒く染まり、遠くで聞こえていたはずの生徒たちのざわめきが無くなった。


「チッ!」


「えっ!?何っ!?何なのっ!!」


「何が起こったんですかっ!?」


 その状況にレジスは苛立たしげな舌打ちをし、ジーナとフェリシーは突然の変化に混乱し周囲を見回す。


 -ドサッ-


「リュ、リュディガーッ!?」


「リュディガーさんっ!」


 周囲を見回していた2人が音に反応してそちらを見ると、先ほどまで激昂してディーターに詰め寄ろうとしていたリュディガーが彼の前で倒れていた。慌てた2人が名前を叫ぶが倒れた彼は反応がない。


「ちょっとディーターッ!リュディガーに何をしたのっ!」


「ちょっと待てっ!」


 レジスの制止に気付かず、倒れて反応がないリュディガーを薄ら笑いを浮かべながら見下ろすディーターにジーナが近付く。


「何をしたかって?目障りだから消えてもらおうと思っただけだ」


「目障りって…あんたいったい何言ってるのっ!?」


「全くいちいちうるさい女だな」


「うるさい女ですって!あんた、ちょっと最近おかし過ぎるよ!どうしちゃった…………の……?」


「ジーナちゃんっ!」


 うんざりした表情を浮かべたディーターに詰め寄ろうとしたジーナだったが、ディーターが彼女に向かって手をかざすとリュディガーと同じようにその場に崩れ落ちた。


「待てっ!」


「離してくださいっ!ジーナちゃんがっ!ジーナちゃんっ!!」


「落ち着けっ!今ならまだ間に合うっ!お前まで同じようになるぞっ!」


 倒れたジーナに慌てて駆け寄ろうとするフェリシーの腕をレジスが掴み、パニックで激昂する彼女に強い口調で落ち着くようにと諭した。


「でもっ!」


「俺があいつを引き離すからその隙にお前が2人を入り口まで連れて行け。外には出られないと思うが今はそれが一番安全だ」


 尚も駆け出そうとするフェリシーを押しとどめると、レジスは強い視線でしっかりと彼女の両目を見てそう言った。


「あ、あの、レジス君…ここは、貴方はいったい…」


「ここ『原典領域テリトリー』っていう、まあ異空間みたいなもんだ、っと説明は後だ!とにかく俺があいつを2人から引き離したら避難させるんだぞっ!」


「ちょっ、ちょっとっ!レジス君っ!」


 そう言うとレジスはフェリシーの言葉を無視してディーターの前へと飛び出した。


「何だぁ?編入生ぇ?お前も俺に何か文句があるのか?」


「お前その本をどこで手に入れた?それが何か分かってるのか?」


 自分の目の前に飛び出してきたレジスに気付いたディーターが薄ら笑いに顔を歪めながら聞いてきたが、レジスはその問いを無視してディーターの持つ本を指してそう問いかけた。


「ん?これかぁ?何だぁ?お前もこれが欲しいのかぁ?ハッハッハッ!やらないゼ?オレはコイツを使っテ邪魔ナ奴ラを全員消シて、レキしに残ル作家テラーになルンだカラな!」


「チッ!だいぶ取り込まれてやがるな。おいっ!ディーター・エクスナーッ!今すぐそいつを渡せっ!じゃないとお前、戻れなくなるぞっ!」


「訳ノナカラなイコト言ッテオレかラこの本ヲ取リ上げルつもりカ?ソンな手ニは引ッ掛カらナイぞ!」


 レジスに答えるディーターの言葉に雑音が混じる。


「仕方ねぇか…恨むなよ?」


「何ヲ…?」


 ディーターの声を無視してレジスを制服のシャツの第一ボタンを外すと、中に手を入れ何かを引っ張り出した。その手には鎖が握られていた。


「何ダ…本のネックレス?」


起動ブート


 レジスが取り出した物に怪訝な表情を浮かべるディーターを無視して、ネックレスに付いている本を握り締めたレジスをそう唱えると、握り締めた彼の手から光が溢れ出した。


「ナ、何ダっ!?」


「えっ!何っ!?」


 その光は一瞬で視界を染め上げ、あまりの眩しさに咄嗟に目を閉じ手で顔を覆ったディーターとフェリシーから驚きの声が出た。


「ッ!?何ダそレハっ!?」


 暫くして恐る恐る目を開け、手の隙間から様子を伺ったディーターが見たのは、自分の身長よりも長い大きな鎌を持ったレジスの姿だった。


「これは贖罪原典アークオリジン『メタトロンの書』、その戦闘モードにしてお前のその本を切り裂くモノだ」


贖罪原典アークオリジン?メタトロンの書?何ナンダ、オ前ハッ!?」


「もうすぐ滅されるお前には関係ないっ!」


 そう言って手にした鎌を振り上げたレジスが一足飛びにディーターとの距離を詰める。


「クソッ!」


 いきなり目の前まで迫ってきたレジスが振り下ろした鎌を、ディーターは横に転がることで何とか躱した。

 そのまま慌てて立ち上がるが、躱されたレジスは振り下ろした勢いのまま一回転すると今度は鎌の柄でディーターの側頭部を殴りつけた。


「ゴフッ」


 遠心力の加わった一撃は小柄なレジスが放ったとは思えないほどの重さで、吹き飛ばされたディーターは壁へと叩き付けられた。

 そのまま床へと滑り落ちたディーターは、立ち上がりながら揺れる視界に頭を振る。


「っ!?」


 気配を感じて咄嗟に顔を上げると、先ほど自分を吹き飛ばしたはずのレジスが目の前にいた。


「ガハッ!グゴッ!グワァァァッ!!!」


 目の前に現われたレジスに鎌の石突きで鳩尾に一撃を入れられ、腹を押さえて前かがみになったところで、今度は顎を跳ね上げられた。

 レジスはその勢いのまま脇腹へと蹴りを入れると、ディーターは再び壁に向かって吹き飛ぶ。


「グハッ!」


 また壁に激突し、慌てて起き上がろうとしているディーターの後頭部を鎌の柄で殴り床に叩き付けると、レジスはその背中に足を乗せ体重を掛ける。


「グワァァァァァッ!テメーッ!」


 ミシリッと肋骨あたりから嫌な音がして、ディーターは絶叫しながらもレジスの方を見ようとして顔を上げる。

 しかし、うつ伏せに倒れ背中を踏み付けられいる状況ではレジスがどの様な表情を浮かべているのか見ることは出来ない。


「分かったか?ディーター・エクスナー。ただの学生のお前じゃ俺には勝てない。今ならまだ間に合うから、さっさと本を渡せ」


 頭の上からレジスの冷たい声が降ってくる。


「グッ!ダ、ダレが、オ前、なンカニ…渡スカ!」


 背中を圧迫され息が詰まりながらもディーターは本を渡すことを拒む。


「あのな、ディーター・エクスナー。その本は『大罪偽書フェイクグリモア』っつてな、『大罪原典グリモワールオリジン』っていう悪魔を宿したヤバイ本を写したものなんだよ。お前がどこでその本を手に入れて、どういうつもりで使ってたかは知らねぇが、このままだと歴史に名を残す作家テラーどころかその本に宿った悪魔に体乗っ取られるぜ?分かったらさっさと本を渡しなっ!」


「ヌワァァァァッ!」


 そう言うとレジスはディーターの背に乗せた足に体重を掛けた。肋骨が更にミシミシと嫌な音を立てる。


(悪魔の本?俺が悪魔になる?)


 自分の肋骨の軋む嫌な音を聞きながら、ディーターは頭の中でレジスから言われた言葉を反芻する。


 自分は優秀な人間だと思っていた。実際、世界中から優秀な人材の集まるこのビブリア原書学院でも常に学年上位の成績を維持してきた。そんな自分ならばいつかどれも到達したことがない叡智、そこに辿り着き、歴史に残るような物語が書けるのではないか、心の奥でそんな風に思っていた。


「うーん、確かに着眼点もいいし考察も素晴らしい。だが、君が書いたこれはどちらか言えばレポートだね。作家を目指すな、とは言わないけど君の力を活かせるのは研究の道じゃないかと思うんだ。そちらの道も検討してみてもいいじゃないかね?」


 書いた本の評価に納得が出来ず意見を聞きに来た彼に、作家科を担当する教師はそう告げた。その意見自体は彼の作品を否定する様なものではなかったのだが、今まで挫折したことのなかった彼にはその言葉が自分の才能を否定するものの様に聞こえた。


 その日から彼は学院へ通う以外の時間を部屋に篭り、ひたすらに本を書くことに費やした。部屋には書き損じた紙を丸めたゴミが大量に散乱し、書いては破り捨てる日々が続いた。


「くそっ!なんでなんだっ!」


 そうしたある日の昼休み、彼は校舎の影の人が来ない場所で蹲り頭を抱えていた。


(書けば書くほど書けなくなっていく。どうしてなんだっ!)


 書こうと思い机に向かうが、何も思い浮かばず紙を塗りつぶしては破り捨てるようになっていた。「こんなことではいけない!」と思って机に向かうが結局は同じことを繰り返すという悪循環に陥っていた。


「どうしたんだい?こんなところで蹲って。体調が悪いなら医務室まで送るけど?」


「えっ?」


 そうして頭を抱えていた彼は突然掛けられた声に顔を上げた。するとそこにいたのは…


(っ!?リュディガー・ハンネス・フリードリヒッ!?)


 彼がライバル視し、学年主席を争っていると思っていたリュディガー・ハンネス・フリードリヒだった。


「君は…」


 リュディガー・ハンネス・フリードリヒのほうもディーターを見たことはあるのだろうが名前が出てこないようで、思い出そうとしているようだった。


「くっ!」


「あっ!ちょっと待ってっ!君ぃっ!」


 ライバルだと思っていた人間から実際は名前すら覚えられていないと知ったディーターは、リュディガーの制止を振り切ってその場から駆け出した。


 気が付くと学院からも抜け出したディーターは知らない路地にいた。


「はっ、はっはっはっはっはっ」


 自分のバカさ加減にもう笑うしかなかった。物語は書けず、ライバルと思っていた人間には名前すら覚えられていない…そんな自分が惨めでバカバカしく、情けなかった。


「はっ、はっはっはっはっはっ…うっ!ぐっ!」


 笑いながら涙が零れた。


「ん?」


 そうして涙を拭いながらどのくらい歩いただろうか?路地の一画に露天商が本を並べていた。


(こんな人通りも少ない路地裏で売れるのか?)


 店主は黒いローブにフードを目深に被り、人相どころか性別すら分からない。明らかに怪しい人物にディーターは足早に前を通り過ぎようとした。

 そのとき目の端に一冊の本が映った。通り過ぎようとしたディーターの足が止まり、視線が本へと吸い込まれる。


「お兄さん、その本が気になるのかい?」


 店主が口を開く。低い、地の底から響くような男の声だった。くぐもっているのだが自然と耳に入ってくる不思議な声だった。


「この本はね、読み手を選ぶんだ。どうやらお兄さんは本に選ばれたようだ。」


 男の声は耳に、頭に届いてはいるのだが、今のディーターには上手く認識出来ない。ただ、震える手で吸い寄せられる様にその本を手に取った。


 黒い表紙の本だった。表紙にはタイトルも何も書かれておらず、どういった内容のものかさっぱり分からない。それでもディーターはその本が気になって仕方なかった。


「…くらだ?」


「ん?」


「この本はいくらだと聞いているんだっ!」


 静かな路地にディーターの声が響く。


「す、すまない。この本はいくらだろうか?」


 自分が思いのほか大きな声を出していることに自分で驚きながら、店主に謝罪し改めて本の値段を尋ねる。


「さっきも言ったがその本は読み手を選ぶんだ。お兄さんはその本に選ばれたみたいだからね。お代はいいからもっていきな」


「それはいけない!じゃ、じゃあこれでどうだ?」


 タダでいいと言う店主にディーターは手持ちの全財産の銀貨1枚を渡した。


「別にお代は要らないんだけど…まあいいか。じゃあこれはありがたくもらっとくよ。毎度あり。」


 店主に銀貨を渡したディーターは急ぎ足でその場を去るが、何故だか店主の声がすぐ近くで聞こえた気がした。




 逃げるように自分の部屋に戻ってきたディーターは、まるで宝物の様に大切に胸に抱えて帰ってきた本を改めて見た。やはり表紙は真っ黒で何も書かれていない。


「一体どういう本なんだ?」


 頭の片隅では自分の「開くな」という声が響いているのだが、その本を早く読みたくて仕方がない。そんな自分でも理解しがたい衝動に突き動かされて、ディーターはゆっくりとその本を開いた。


「……読めない…」


 そうして開いた本には今まで見たことがない文字が書かれていた。


「古代ビブリア語?いや、それとも少し違うような…」


 そんなことを考えているといつの間にか意識が遠くなった。



 夢を見ていた。

 目の前には学院の作家科の教師から自分より評価されていると思っている生徒が倒れている。自分はそれを冷笑を浮かべながら見下ろしており、その自分をまた別の自分が見ている、そんな変な夢だ。


(なんだこの夢?)


 夢だと分かっているのに妙に現実感のある夢にそれを見ている自分が苦笑する。ただ、気持ちよかった。自分のほうが優秀なはずなのに自分よりも評価されている人間が、こうして自分の足元に転がっている状況がとても、とても気持ちよかった。


 目を覚ますとベッドの上であの黒い本を胸に抱いて眠っていた。


(そんなにこの本を気に入ったのか?)


 まるで子供がお気に入りの童話を抱えて眠ってしまったような状況に我ながら苦笑する。


(今日は随分と心が穏やかだ)


 ここ最近は常にイライラしていた心が今日はとても穏やかだった。そうして机に向かうとそれまでのスランプが嘘のようにすらすらと物語が書けた。


(なんだ、やっぱり俺は優秀じゃないか!)


「ふ~ふんふ~んふ~♪」


 思わず鼻歌を歌いながら彼は物語を書き続けた。それから書けなくてイライラするたび、その本を胸に抱えてベッドに入った。そうするとあの不思議な夢を見て、その度に翌日はすらすらと本が書けた。そのうち本が手放せなくなり、毎日抱えて眠るようになった。


(この本があれば俺は歴史に名を残す偉大な作家テラーになれる!)


 だから、この本を取り上げようとする者は排除しなければならない。


「……ガウ」


「はっ?」


「…違ウ……」


「何だ?」


「違ウ!コノ本ハ、オレガ偉大ナ作家テラーニナル為ニ、神ガ与エタ福音書ダ!誰ニモ、誰ニモ渡スモノカァァァァァッ!」


「っ!?しまっ!?」


 ディーターが叫ぶと胸に抱えた本から鰭の様なものが飛び出し、彼を踏み付けていたレジスを胸を打ち付けた。


「がはっ!」


「レジス君っ!」


 ちょうど入り口付近までジーナとリュディガーを運んできていたフェリシーの横を、ものすごい勢いで通過したレジスが壁に叩き付けられる。


「ゴホッ!ゴホッ!チッ!油断したっ!このタイミングで進化すんのかよっ!」


 壁に叩き付けられた衝撃で打ち付けられた胸を押さえながらレジスが咳き込む。


「レジス君大丈夫ですかっ!」


 慌ててフェリシーがそばに駆け寄ってきて心配そうに顔を覗き込む。


「ああ、なんとかな。危ねぇから離れてろ」


 レジスはフェリシーを安心させる様にそう言うと自分から離れているように伝える。


「わ、分かりました。無茶はしないでくださいねっ!」


「分かってるよ」


(クソッ!今のであばらが2、3本イっちまったか?)


 フェリシーが自分のそばから離れていくのを確認しながら、レジスは肋骨の痛みに顔を顰める。


「まさかこのタイミングで進化するとはな。面倒なことになりやがった。あれは…クソッ!ケルピーっ!てことは『嫉妬の書ブックオブエンヴィー』の大罪偽書フェイクグリモアか!」


 嫉妬の書ブックオブエンヴィー。それは傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、強欲、暴食、色欲の7冊あると言われる大罪原典グリモワールオリジンの一冊、レヴィアタンという海蛇の姿をした悪魔を宿した本である。


(使うか?)


 レジスを自分の手に握られた鎌を見つめる。この鎌、天使の力を宿していると言われる贖罪原典アークオリジン、その一つである『メタトロンの書』には大罪原典グリモワールオリジンに対抗するための力がある。


(進化前ならこの状態でも何とかなったが…だが、イケるか?)


 今は封印されているその能力を解くことでメタトロンの書は本来の力を発揮することが出来るのだ、が。


(制御出来るか?)


 封印を解けばその強大な力を使うことが出来るが、その力に飲まれてしまう危険も孕んでいる。特にこの『メタトロンの書』は他の贖罪原典アークオリジンに比べても特殊であり、その為レジスと言う適合者が現われるまで長らく封印されていたの物だった。


 レジスがメタトロンの書の封印を解くか迷っている間にもディーターを渦巻くそれは力を増し、急速に具現化をし始めていた。

 鰭のような部分は尾となり、四肢が具現化し、体を作っていく。そうして実体化したのは『ケルピー』、四肢と尾に鰭を、頭部に一本の角を持ち、水中を走ると言われる海の魔物にしてレヴィアタンの眷族であった。


「迷ってる時間はないか…ディーターッ!死んでも恨むなよっ!終焉デマイズっ!」


 レジスがそう叫ぶと手にした鎌からが噴き出し、彼の全身を包んだ。その光とは矛盾するような黒い光が急速に集まり、何かを形作る。


 そうしてその光が全て集まると先ほどまでレジスが立っていた場所には、黒い甲冑に身を包み、黒く禍々しいとさえ言える様な炎を纏った鎌を携えた騎士が立っていた。


「悪いがここから先は手加減出来ねぇぜっ!時間もないか一気に決めさせてもらうっ!」


 黒い甲冑からレジスの声が発せられたかと思うと、それは黒い残像を残して一気にディーターとケルピーへと距離を詰める。

 そのまま1人と1頭をそのまま仕留める様に鎌を横薙ぎに振るうが、ケルピーはその背にディーターを乗せるとまるで空中を泳ぐかの様にその一撃を躱した。


 そのまま空中を泳いでいくケルピーの後を追い駆け出したレジスは、右へ左へと鎌での斬撃を繰り出すが、それを紙一重で躱したケルピーが一気に加速すると突然ユーターンして正面からレジスに突っ込んできた。


 頭を下げ額の角を向けてきたケルピーの突進をレジスは咄嗟のところで横っ飛びで躱すが、横を抜けたケルピーは再度ユーターンしてくる。


 その突進に身構えていたレジスだったが、今度は背に乗ったディーターが翳した手から水弾を飛ばしてきた。

 レジスはその弾幕を鎌の柄の中心を持って旋回させることで弾いていくが、弾かれた水弾が霧状に弾け視界を奪う。


 今度は奪われた視界からいきなりケルピーが飛び出してきた。レジスは慌てて体を反らせて躱すが、擦れ違い様に尾鰭が薙ぎ払われた。


「グッ!」


 咄嗟に鎌を正面に構え柄で受けたが、衝撃は殺せずにそのまま吹き飛ばされ床に転がる。


「フハッ!」


 背中から地面に叩き付けられた衝撃で胸が詰まり、空気が漏れたがそれに構わず体を起こすと倒れたとこを狙って突進してくるケルピーの体当たりを躱し、今度は逆に擦れ違い様に鎌で切り付けた。


 -キィンッ-


 およそ生物を切り付けたとは思えない金属音がして、鎌の刃が弾かれる。衝撃で体が跳ね上げるのに逆らわず、レジスは後方宙返りしそのまま後ろへと着地した。


「チクチョーっ!硬ってぇ体しやがってっ!」


 何か硬いものを打ち付けた様に手が痺れて、レジスは顔を顰める。

 お互いに距離が出来たため束の間、睨みあう形になった。


(どうする?長引くのは拙いし、かといってこれ以上のも拙い)


 鎌の柄を握り直しながらレジスは考える。ケルピーとディーターからは視線を逸らさず、何とかこの状況を打開できる方法はないかと。そのとき!


 -我を受け入れよ-


(っ!?早いっ!もう来やがった!)


 ドクンっと心臓が脈打ったかと思うとレジスの頭の中にそれは響いた。


 -我を受け入れよ-


(うるせぇっ!お前を引っ込んでろっ!)


 頭に響く声にレジスは歯を食いしばり抗う。


 -我を受け入れよ-

 -我を受け入れよ-

 -我を受け入れよ-

 -我を受け入れよ-

 -我を受け入れよ-

 -我を受け入れよ-

 -我を受け入れよ-

 -我を受け入れよ-

 -我を受け入れよ-

 -我を受け入れよ-


 -我を受け入れよ。そして、大罪に裁きの鉄槌をっ!-


 そこでレジスの意識は飲み込まれた。




 訓練室の入り口近く、目を覚まさないジーナとリュディガーを運んだフェリシーはなんとか外に出れないかと扉を叩いていた。しかし、空間に膜のようなものが張られておりどれだけ叩いても弾かれてします。


 そうしていると突然背後から「キンッ!」という甲高い音が聞こえて驚いて振り返った。するとちょうど擦れ違ったレジスとケルピーが交差し、鎌を弾かれたレジスが後方へ宙返りし着地するところだった。


(レジス君…)


 今日編入してきた同い歳とは思えない小柄な少年。少女と見違う様な容姿におどおどとした様子に庇護欲をそそられたのか、何かと構ってしまった編入生。だが、それは彼の本当の姿ではなかった。


(レジス君、貴方一体誰なんですか?絶対後で教えてもらいますからっ!だから、どうか無事で!)


 フェリシーは手を胸の前に組み、祈るような気持ちでレジスを見つめる。すると、それまで鎌を構えてケルピーと睨みあっていたレジスが突然両腕をダラりと下ろした。


(レジス君?)


 突然手を下ろし雰囲気の変わったレジスにフェリシーは戸惑う。


(えっ?)


 そして、そこからの光景に目を疑った。




 突然両手を下げた相手にケルピーは首を傾げる。今まで相手から感じていた圧力も感じなくなったのだ。


(諦めた?)


 進化したとはいえまだそれほど知能の高くないケルピーだが、そんな風に考えた。しかし、本能は「違う」と訴えている。


「っ!?」


 どうしたものかと考えていたケルピーの目の前から突然、相手がいなくなった。


「ぐぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ!」


(どこに行った!?)


 ケルピーがそう考えた次の瞬間、尾に焼けるような熱さを走り、絶叫が響いた。それを自分が上げたものだ気付いたケルピーが慌てて自分の尾を動かそうとするが、今まであったはずの感覚がない。

 訳が分からず混乱するケルピーが後ろを見ると、後ろ足のすぐそばに先ほどまで自分に付いていたはずの尾鰭が転がっているのが見えた。


「ぐぎゃっ!ぐぎゃっ!ぐぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 自分の尾が切り落とされたと認識した瞬間、襲ってきた痛みにケルピーはのた打ち回る。背中に乗せていた宿主ディーターが転げ落ちたがそれを気にしている余裕もない。


 急速に痛みが埋め尽くしていく思考の中でこの状況を作った相手を探すと、それは自分のすぐそばにいた。


「っ!!!!!!!!!!!!!!?」


 ケルピーが声にならない悲鳴を上げる。先ほどまで自分と戦っていた相手、目の前から急に消えたと思った相手が、今は幽鬼のように両手をダラリと下げ、自分のすぐ横に立っている。


 まるで気配を感じなかったし、認識した今ですら何故か気配を感じないその存在にケルピーはパニックになった。


(とにかく離れなければっ!)


 混乱と痛みが埋め尽くす思考でケルピーの中の何かが訴えるそれに従ってそれから一刻も早く離れようとしたケルピーだったが、動こうとしているのに体が一向に動かないことに気付く。

 思考を埋め尽くす痛みが増していき、ケルピーが恐る恐る下を見ると、そこには自分のものであるはずの四肢が転がっていた。


「▲×■≠$#●&@◆!?」


 ケルピーは音にならないような悲鳴を上げのた打ち回る。そうしながらもなんとか必死にこの化け物から逃げようと体を動かすのだが、体は一向に前進せず、痛みだけはどんどんと増していく。


「黙れ」


 するとのたうち回るケルピーを見下ろしていたが、初めて言葉を発した。その地の底に引きずり込むような声に、ケルピーは切られてしまった四肢を必死に動かし少しでも離れようと試みる。


「大罪…その全てに裁きの鉄槌を…」


 もがくケルピーが最後に見たのは、黒い甲冑の中で光った真っ赤な瞳だった。




 ケルピーの背から投げ出され床を転がったディーターは、その光景をぼんやりと見ていた。見ていた、と言っても現実味がなく、今の自分が寝ているのか起きているのかさえ曖昧だった。


 体には力が入らず、何か大切なものをごっそりと失ったような虚脱感があった。


 -自分はどこで間違ったのだろう?-


 靄が掛かった様にはっきりとしない思考でそんなことを考える。


 -自分は何故作家テラーに成りたかったのだろう?-


 もう思い出せないかもしれない、そんなことが気になった。

 気が付くと自分の目の前に先ほどケルピーを屠った黒尽くめの甲冑が立っていた。


 -ああ、自分はここで死ぬのだな-


 そう思ったとき、幼い頃、母親が読み聞かせてくれた童話が頭を過ぎった。そこでディーターの意識は暗転した。



 フェリシーには目の前で起こっていることが理解出来なかった。

 雰囲気の変わったレジスの姿がいきなり見えなくなったと思ったら、次の瞬間にはケルピーがのたうち回り、背に乗っていたディーターが投げ出されていた。


「ディーター君っ!」


 咄嗟に叫ぶが近付く訳にも行かずおろおろと回りを見回す。その間にもレジスがいつの間にかケルピーの四肢を切断し、ケルピーは少しでも逃げようと必死にもがいている。


 そんなケルピーに向かって鎌を振り上げたレジスは、躊躇うことなくその首を跳ね飛ばした。するとケルピーの体が塵のようになって消えていく。


 ケルピーが消滅を始めるとレジスは興味を失ったように投げ出され呆然としているディーターへと近付いていった。

 そうしてディーターの前に立つと彼もそれに気付いた様子で、ゆっくりとレジスを見上げた。


 レジスの鎌がゆっくりを振り上げられる。それを見つめるディーターは憑き物が落ちたように穏やかな顔をしていた。その様子はまるで罪を認めた罪人のようであった。


 レジスの鎌がディーターに振り下ろされようとした瞬間、


「レジス君っ!ダメぇぇぇぇぇぇぇっ!」


 フェリシーは目を閉じ力いっぱいそう叫んでいた。耳の痛いような静寂の中、フェリシーが恐る恐る目を開けると、そこには空中で鎌を止めたレジスと倒れたディーターの姿があった。




「レジス君っ!ダメぇぇぇぇぇぇぇっ!」


 フェリシーの叫び声で意識が戻ったレジスは今まさに自分がディーターを一閃しようとしていることに気付いた。


(てめぇの役目は終わっただろーがっ!いつまでも人様の体使ってんじゃねぇぞっ!)


 そうして振り下ろされた鎌はディーターの首を切り落とす手前で止まった。


「危なかった…」


 レジスがそう一息つくと跪いた状態だったディーターの体がゆっくりと倒れた。


「げっ!まさかっ!」


 実は切ってしまったのではないかと慌てるレジス。ディーターを確認するが、胸が規則正しく上下していることに安心する。


「驚かすなよ~」


 一気に力が抜けた。


「レジス君っ!ディーター君はっ!」


 声に振り返るとフェリシーがこちらへ駆け寄ろうとしていた。


「フェリシーちょっと待てっ!まだ本の回収が残ってるっ!」


 こちらに駆けて来ようとするフェリシーを押し止めたレジスは、慎重にディーターに近付くと胸元を探る。


「あった!全く手間掛けさせやがって!拘束ホールドっ!っとこれで良しっと!フェリシー!もういいぞ!」


 ディーターから大罪偽書フェイクグリモアを回収したレジスは、封印を施すとフェリシーを呼んだ。


「おっと、いつまでもこの格好でいるのも気持ち悪いな。解除リリース!はぁぁぁ、疲れたぁぁぁぁ」


 全身を包んでいた真っ黒甲冑が消え、鎌も元のネックレスに戻すと服の中へと仕舞う。


「レジス君!大丈夫ですか!」


 そうしているうちにフェリシーが隣に来て、ペタペタとレジスの体を弄り始めた。


「お、おう。さすがにあちこち痛ぇがそこまで大きな怪我はねぇよ」


「良かったです…本当に、本当に良かったです…うぇぇぇん」


「えっ?嘘?ここで泣くの?えっ?えっ?えっ?」




 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 あの後、フェリシーが泣き止むまであわあわしながら慰めたレジスたちは、原典領域テリトリーから開放され、訓練室の外へ救助を呼びにいった。


 救助に来た教員に何があったのか聞かれたが適当に誤魔化した2人は目を覚まさない3人を医務室に預け、学院の中庭にあるベンチに腰を下ろしていた。


 並んで座っているが先ほどからチラチラとこちらを窺うフェリシーに、レジスはどうしたものかと頭を抱えていた。


(まあ聞くなってほうが無理だわな)


 普通では体験しないようなことを体験したのだ。近くに事情を知っているらしい人間がいるのに「聞くな」と言うのは無理がある。


(はぁぁ。後で始末書かなぁ…)


 心の中で溜息を吐きながら、レジスはフェリシーに事情を説明するために確認すべきことをすることにした。


「フェリシー」


「は、はいっ!」


 レジスが声を掛けると、フェリシーは驚いた様に背筋を伸ばす。


「俺としては説明はしてやりたいと思ってる。ただし、ここから先は“塔”でも知ってる奴の少ない機密事項だ。知るってことはそれだけ危険も伴う。見てみぬ振りだって出来るんだ。それでも知りたいか?


 レジスはそう言うと、強い視線でじっとフェリシーの瞳を見つめた。


「はい」


 フェリシーはその瞳をじっと見つめ返しはっきりそう返事をした。


「はぁぁぁ。まあそうだよなぁ。分かった。俺が話せる範囲のことは話してやる」


 ゴクリッとフェリシーが唾を飲み込む。


「まず、塔が集めている本の中にはヤバイ本がある。一般的に言われている“原書”とは別に“原典”と呼ばれているのがそれだ。この“原典”は意思を持ち、自らで所有者を選ぶと言われている。ここまではいいか?」


「………はい」


 レジスの確認に少し考えた後、フェリシーは頷いた。


「よし。で、この“原典”の中でも特にヤバイ7冊を塔では“大罪原典グリモワールオリジン”と呼んでる。こいつ等は人の強い願望や欲望が好物で、そういった強い思いを持っている人間を見つけるとその思いを叶えてやるとその人間の意志に働き掛けるんだ。そうして宿主になった人間の強い思いをどんどん歪めた形で叶えていき、その過程で周りの人間の生命力や魂といったものまで食らってしまう。そうして最終的には宿主を依代として悪魔としてこの世界に顕現するそうだ。ここまでは大丈夫か?」


「………はい」


「じゃあ次だ。この“大罪原典グリモワールオリジン”には写本が存在している。俺たちはそれを“大罪偽書フェイクグリモア”と呼んでる。“大罪原典グリモワールオリジン”がそれこそ世界を滅ぼすような悪魔を宿しているのに対して、“大罪偽書フェイクグリモア”はその眷属となる低級の悪魔が宿っていると言われている。ディーターが持っていたのはまさにこれだな」


「では、さっきのあれは低級の悪魔なんですか!?あんなに強かったのに…」


「ああ、あれは悪魔が【進化】したから正確に言えば、低級じゃなくて中級だな」


「進化…?」


 レジスの説明にフェリシーが首を傾げる。その仕草が見た目に反して幼く見えたことに苦笑しながらレジスは説明を続ける。


「低級の悪魔は宿主の強い思いや人の生命力や魂を食らうことでより上位の存在へと進化する。ディーターもかなり思いを食われたり、人の生命力や魂を食わしたんだろう。低級だった悪魔が進化したのがあのケルピーってやつさ。」


「そうなんですね…じゃあディーター君は…」


 レジスの説明を聞いてフェリシーの表情が暗く沈む。


「かなり魂を持っていかれてる可能性もあるから正直意識を取り戻すかギリギリだな。取り戻したとしてもあいつ自身が犯した罪もある」


「そうですか…それでも私はまたディーター君とお話がしたいです…」


「そうか…まああいつが意識を取り戻すかどうかもあいつに『戻りたい』っていう強い思いがあるかどうかで決まる。今はあいつを信じてやれ」


「っ!?はいっ!」


 ぶっきらぼうなレジスの言葉にハっと顔を上げてそちらを見たフェリシーは笑顔で返事をしたのだった。


「じゃあ続きだ。“大罪原典グリモワールオリジン”にしろ“大罪偽書フェイクグリモア”にしろ普通の武器で封印することは出来ない。奴らを封印するためにあるのが俺が使った天使を宿すと言われている“贖罪原典アークオリジン”だ。こいつもやはり7冊あって俺を含めて7人の人間がそれぞれの原典に選ばれてる。そして、“贖罪原典アークオリジン”を使って“大罪原典グリモワールオリジン”や“大罪偽書フェイクグリモア”を封印するのが俺たち“原典オリジン執行官エンフォーサー”という訳だ。」


「“原典オリジン執行官エンフォーサー”…」


 レジスの言葉をフェリシーは噛み締めるように繰り返した。


「じゃあ…任務が終わったレジス君はもう学院には来ないん…ですか…?」


 フェリシーが探るように上目遣いでレジスに聞いてきた。


「まあ本来はそんなんだが…」


「そうですか……ん?本来は?」


 レジスがもう学院には来ないと思い落ち込みそうになったフェリシーだったが、レジスの言葉をきちんと理解するとガバッと勢いよく顔を上げ、レジスを見た。


「いや、今回の“大罪偽書フェイクグリモア”の出所はまだ分かってないからな。ディーターが目覚める可能性があるなら暫くは傍で見張ってることになるだろう。まあ上の判断にも因るけどな」


 そう言ってレジスは苦笑いを浮かべた。


「そういう訳でもう暫くよろしく頼むぜ、フェリシー・シャミナード!」


「はい!よろしくお願いします!レジス・クラヴェル君!」


 夕日に赤く染まる中で2人は改めて自己紹介したのだった。

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大罪狩りの執行者(エンフォーサー) 玄野 黒桜 @kurono_crow

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