魔女殺しのティータイム

深夜みく

魔女の小屋にて

 森の魔女、リリスは死なない。――などと最初に噂をし始めたのは、一体どこの愚か者だろう。リリスは目の前のテーブルを見つめて、そんなことを考えた。

 リリスお手製の不格好な円卓は見る影もない。不格好さを隠すためだろうか。いつの間にか敷かれた純白のテーブルクロスは美しく、そこに並んだ白い陶器のティーセットには繊細な職人技で描かれた小さな赤薔薇が咲き誇っている。生クリームと苺がたっぷりと乗ったショートケーキは、リリスが口に運ぶのを待っているかのように、優美な皿の上に行儀よく鎮座していた。


「魔女様、本日は大変天気が宜しいですよ。ティータイムの後は、森の散歩などに行かれては如何でしょう?」


 聞き心地の良い低音が、恭しい言葉を紡ぐ。ティーカップに紅茶を注いだその燕尾服の男、ロトは、アクアマリンを連想させる碧眼でリリスを見据えた。その細い首には首輪が装着されており、そこからは鉄の鎖が垂れ下がっている。彼が身動きをとる度にじゃらりと音をたてる鎖が煩わしくて、リリスは大げさに溜息を吐いた。


「行かないわ。この紅茶やケーキも下げて頂戴。私、何も頼んでないでしょう」

「では、他のものをお持ち致しましょうか? 僕はこう見えて料理が得意です。何でも食べたいものをご命令くださいませ」

「要らない。貴方の作ったものは絶対に口に入れないって決めてるから」

「そんなに悲しいことを仰らないでください。魔女様は僕に何かご不満があるのですか?」


 人形のように整った顔立ちに、何処か寂し気な表情が浮かぶ。普段は不愛想な無表情を突き通す癖に、ロトはこういうときだけはわざとらしく表情を露わにする。

 目の前に容易された夢のようなティーセット。優雅な午後を迎えるには最高のコンディション。それを拒む理由は、唯一つ。リリスは静かに深呼吸をしてから、鋭い目付きでロトを射た。


「これらが全部毒入りだからよ! どんなに美味しそうでも、私は毒入りのティータイムなんて御免ですからね!」


 リリスは両手を力強くテーブルに叩き付けた。勢いよく揺れたテーブルに合わせて、ティーセット達がカタンと音を立てる。紅茶やケーキからは仄かに甘い香りが漂っていた。それが毒だと気付くことができるのは、リリスが知識に長けた優秀な魔女だからである。


「傷つくじゃないですか。貴女の心を奪うために丹精込めて一から手作りしたんですよ」

「森に住む魔女よりも言葉が不自由なようね。いいわ、訂正してあげる。貴方が欲しいのは私の心じゃなくて心臓よ! 毒入りと分かるものを口にする馬鹿がどこにいるっていうの!」

「今までの魔女は大抵、僕の顔面の良さに気をとられてイチコロだったんですけどね」

「私がそんなに軽い女に見えているのなら心外だわ。だから私は貴方が嫌いなのよ」


 先ほどの傷ついたような表情を素早く引っ込めて、ロトは何処か蔑むような眼差しをリリスに向ける。彼の行動の全ては計算でできている。血も涙もない、まさしく人形のような男。それが、リリスの知るロトの情報である。

ロト、といえば、この辺りの魔女ならば誰でも知っている有名な魔女殺しの名前だった。

 彼がリリスの元に来たのは一週間も前のこと。リリスが狙われる理由は、彼の耳に「不死の魔女、リリスがあの森にいる」と入ったからである。  

 百戦錬磨の魔女殺しは、死なない魔女という名称に酷く興味をそそられたらしい。急にやってきて急に殺しにかかってきたロトを、リリスは止む無く拘束した。

 街へ帰そうとしても、彼は拘束が解かれた時点でリリスを殺そうと暴れ出す。その度に拘束をして、帰そうとしては暴れ出し――一体何十回そのやりとりを繰り返しただろう?

 リリスはただ、森の中で大好きな薬草や動物に包まれて生きていきたいだけだった。その平穏は、リリスが生きる上での必要条件なのだ。それを脅かすロトへの対処方法を、考えて考えて、考え抜いた結果。リリスは、彼を飼いならす決断をした。


「いい? 分かっていないようだから何度も言うけれど! 私が不死の魔女と呼ばれる所以は、魔女とも人間とも戦いを避けて平和に暮らしているからよ! 私は誰一人の命も奪ったことがない、善良な魔女だわ!」

「人殺しの魔女は皆そう言います」

「人殺しじゃない魔女も皆そう言うけれど?」

「僕のことを容易く抑え込むあの技術。魔女様は、相当場数を踏んでこられたのでしょう。それに、僕にこんな首輪をつけるあたりにとても魔女らしいご趣味が出ておられるかと」

「何度も街に帰そうとしたのに貴方が観念しないから! というか、首輪をつけて捕まえても抜け出すじゃない! 今みたいに! さっさと出て行きなさいよこの魔女殺し!」

「魔女殺しという称号は人間の間では専ら賞賛を受けるものですよ」

「人の死を喜んで受け入れるなんて、人間の方が悍ましいわ」

「それだけ魔女が人間の命を奪い、冒涜しているという証拠です」


 ロトは冷めた眼差しで、己の首元についた首輪を指先で弄ぶ。垂れ下がった鎖は、彼を縛り付けておいたはずの柱から綺麗に外れていた。いっそ何処かに逃げ出してしまえばいいものを、律儀な彼は、リリスの命を奪うまで諦めないつもりらしい。

 今回で、ロトが毒入りのティータイムを仕込んだのは十回目になる。毒を混ぜられた紅茶もケーキも、最終的に無駄になるのだから、リリスの胸の方が痛い。彼は、リリスがティータイムを好んでいるのをよく理解していた。その意識を利用しての精神攻撃に、リリスはここ一週間毎日苦しめられている。


「苺もケーキも紅茶も私も可哀想。貴方には情ってものがないのかしら」

「苺やケーキや紅茶には情があります。魔女様が口にしてくだされば、皆報われるかと」

「信じられない。私、本当に貴方が嫌い。私に嫌いって明言された人貴方が初めてよ」

「光栄です。好かれても困りますから」

「そういうところが! 本当に! 嫌い!」

「ほら、貴女がテーブルを沢山叩くから、不格好な手作りテーブルが悲鳴を上げていますよ」

「不器用さは放っておいて! いいの! これはこれが可愛いの!」


 ロトの冷静且つ丁寧な罵倒とリリスの怒声が魔女の小屋に響き渡る。それは

、ここ一週間の日常となりつつあった。リリスとしては、こんな毒塗れの日常など御免であるが。

 しかし、その日はその『日常』に変化があった。リリスの声に返答するように、奥の部屋から赤ん坊の泣き声が盛大に上がったのである。リリスはその声にはっとして、勢いよく椅子から立ち上がった。


「いやだ、そういえば今日はあの子が起きる日だわ」

「あの子? ……赤ん坊がいるとは聞いていません。魔女様には隠し子が?」

「言っておくけれど貴方は面会禁止よ。もしあの子に何かしたら、私は貴方を許さないから」


 リリスの鋭い目付きを受けても、ロトは平然とした態度を貫く。彼は礼儀正しく、上品に肩を竦めてみせた。


「許されなくても結構です。が、僕も赤ん坊に手を上げるつもりはありません。それが魔女の子だったとしても。子供に罪はありませんから」

「あらそう。でも別にあの子は私の子じゃないわ。あの子はね――」

「失礼致します」


 リリスの言葉を遮って、老人の穏やかな声が部屋に落ちた。振り向けば、奥の部屋に続く扉が開き、赤ん坊を抱いた老人の男性が立っている。赤ん坊は老人の腕の中で泣きながら、何かを探すように小さな腕を伸ばしていた。


「ノア様がお目覚めになられました。リリス様、魔法の処置を宜しくお願い致します」


 リリスは老人の言葉を聞いて、ロトに一瞬舌を出して小馬鹿にしてから赤ん坊の傍に駆け寄った。ノア、と呼ばれた赤ん坊は、リリスの姿を視界に見つけた途端、ゆっくりと泣き止んでいく。ノアは、あまりにも小さな手でリリスが差し出した指を力強く握りしめた。

 ロトがノアを見るのは初めてである。この家にいるとは思っていなかった赤ん坊を目の前にして、彼は困惑した様子を見せる。珍しく素の感情が表に出たロトを見て、老人――リリスの正式な従者は、温和な声で説明を繰り広げた。


「ノア様は、近隣の村よりお預かりしているお子様です」

「……攫ってきた、と? また一つ魔女様の罪が重くなりましたね」

「いえいえ、まさか。病を治すための一時的な処置で御座います。この病は、この辺りだとリリス様にしか治せませんので」


 恭しい説明を聞いても、ロトは疑いの眼差しをリリスに向け続けた。彼の猜疑心は根が深い。話すより見せた方が速いと感じて、リリスは緩慢に魔法の呪文を唱え始めた。

 詠唱が始まった途端、リリスの足元には魔法陣が展開した。空色の古代文字が床に張り巡らされ、リリスと老人に抱えられたノアを中心に、円を描く。線が絡み合い、複雑な模様が浮かび上がった刹那、部屋には春を告げるような穏やかな風が吹き始める。


「ノアはね、一週間に一度しか目覚めない奇病を患ってるの。五歳になるまでに病を治さなければ、永遠に目を覚ますことがなくなってしまう。……そんな未来を避けるために、この子はこんな歳から戦っているのよ」


 冷静なリリスの声を聞き、ロトは動揺したように瞬きを繰り返す。彼は珍しく、リリスに対しての文句を口にしなかった。

 数分程度詠唱を続ければ、魔法陣は次第にゆっくりと薄れていった。それと同時に風は無くなり、部屋には平凡な時間が流れ始める。老人の腕の中で、ノアは再び一週間の眠りについていた。その顔のどこにも苦悶の色は見当たらない。


「リリス様は、魔女の力を駆使して数多の人間をお救いになられてきました。私もそのうちの一人。確かに悪しき魔女は存在しますが――それは、人間にも言えること」

「…………」

「さて、ロト様。リリス様は本当に、貴方が殺すべき『不死の魔女』なのでしょうか?」


 穏やかな問い掛けに、ロトは沈黙を返す。それこそが、それまで絶え間なくリリスに殺意を向けていた彼なりの返答だったのかもしれない。

 ロトはやや難しい顔をした後、リリスに視線を向ける。複雑そうな表情のロトと向き合ったリリスは、見せつけるように腕を組んだ。


「お分かりかしら。私は間違いなく善良な魔女よ」

「……確かに、魔女様は他の魔女とは違うようです。今ここで魔女様を殺せば、その罪なき赤ん坊が救えない」

「そうでしょう、そうでしょう。分かってくれたならいいの」

「かといって、魔女を放置しておくわけにもいきません」

「そうでしょう、そうでしょ……待ちなさい。貴方今なんて?」

「人間が油断したところを襲った魔女の例もあります。僕は、そんな魔女から人々を守るために魔女殺しになったのです」


 ロトはそういうと、何か決意を固めたように引き締まった表情をした。嫌な予感がリリスの頭を横切っていく。老人の「おやおや」という、何かを察したらしい穏やかな声は、妙なことにリリスの心音を激しくした。


「では、僕はこれから暫く魔女殺しを止めて魔女の裁定者になりましょう。貴方が『善き魔女』か『悪しき魔女』か。裁定者たるこの僕が、見極めて差し上げます」

「ちょっと! 今ので十分でしょう!」

「これからは、もっと近くで貴方の監視をさせていただきます」

「そんなの、御免だわ! 貴方と一緒の生活なんてもう懲り懲り!」


 リリスの怒声にも動じず、ロトはその場で礼儀正しく頭を下げる。もうこうなっては動かない。彼は性懲りもなくリリスを暗殺しようとした執念深い魔女殺しなのだ。

 穏やかに笑う老人の腕の中で、ノアが規則正しい寝息を立てている。

 嗚呼、全て夢であれ。そんなリリスの願いを嘲笑うように、新たな日常が始まろうとしていた。                 

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魔女殺しのティータイム 深夜みく @sinnyamiku39

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