中庭で



 当然の事だけど、沈んだ陽はまた登る。

 私が憎んだ翌日は無慈悲に訪れた。

 しかし、メオディティウスは私の前へ現れなかった。


 夕食の時間、お姉様達は何も私に言わなかった。そもそもレジーナお姉様は同席してすらいない。マリアお姉様とエルハームお姉様は私の顔をちらちらと見ていたけれど、何も言わなかった。

 早ければ夕食後にでも現れると思った騎士は、居ない。

 翌朝になっても居ない。少し早めに目が覚めたから、扉を開けて自室の前の廊下に彼が寝ていないか確かめたけれど、居ない。


 ただ、先生だけは決まった時間に私の部屋へ訪れた。先生もまた、昨日の事について何も言わなかった。

 まるで腫れ物を扱うかのような優しさで、余計に心が潰れてしまいそうになる。


 そんな日々が三日ほど経った。

 時間は心の薬となって、あの日の怒りも随分と薄れ私への扱いも慣れたものになり、ただ彼が居ないという空白だけが言いようのない焦りを煽る。


 小さなあせりがちりちりと心をがす。

 メオディティウスの最後の顔が頭の中にこびりついて離れない。

 悲しそうで、寂しそうで、理不尽に屈した顔。

 彼の言動を理解しようともせず怒りのままに別れを告げた私。彼の悪い所もあったけれど、私に非が全く無かったことなんて無い。

 自分の悪が見えると、途端に怖くなる、

 小さな焦りは、大きな焦燥感に変わる。

 焦燥感は、私に問いかける。


 このまま終わったらどうするつもりなの?



「メオディティウスを探さないと。」



 もし、このままメオディティウスとの関係が終わってしまうと。考えることすら出来ない恐怖。

 私には魔族と仲良くなるための使命がある。レジーナお姉様に任された責任がある。

 でも、そんなものは正直どうでもいい。

 使命に背くことが怖いんじゃない。レジーナお姉様に見放されることが怖いんじゃない。

 私は、人生で初めて出来た友達をこのままで終わらせてしまうことが、どうしようも無く怖かった。

 私の体を突き動かすのは使命や責任じゃない。

 ただ、友達と仲直りしたいだけの気持ちだった。


 今日のお勉強が終わってから考えも無しに部屋を飛び出した。

 歩いている途中、彼の居場所を知らないことに気がつく。部屋を用意してもらったと言っていたけど何処かなんて聞いていなかった。

 そもそも限られた場所の移動しか許されていない私に彼の部屋まで行けるのだろうか。


 宛ても手がかりも無く、とにかく辺りを見渡しながら歩く。

 自然と、必然と、私の足はあの場所に向かっていた。


「メオディティウス──。」


 ここは彼を最後に見た場所。王宮の中庭。本来なら王族しか立ち入れないが、彼は先日もその掟を無視して私の所までやって来た。

 最後に会った場所しか何の思い当たりも無くて来てみたけれど。


 彼の名前を呼ぶ。否、彼はここに居ないのだから、ただ呟いただけ。

 当たるはずのない予想が外れても落胆などは無い。不安ばかりが募る。

 一番確実で早いのは、レジーナお姉様のもとへ行くこと。そもそも私とメオディティウスを引き合わせたのはレジーナお姉様だし、レジーナお姉様ならメオディティウスに用意した部屋も知っているはず。

 事の経緯を説明して私がきちんと仲直りしたいと思っている姿勢を示せば、魔族との親交のためにも取り計らって下さるはず。

 けれど、私が誰の許可もなく訪れて良い場所にレジーナお姉様の執務室は無い。

 絶対に行ってはならないわけではないけど、レジーナお姉様の執務室は基本的に呼ばれなければ足を運ばない。さらに、今レジーナお姉様は戴冠式の準備等で忙しくしてらっしゃる。

 こんなことで尋ねても良いものか悩み、中庭内の廊下を行ったりきたりとうろうろする。


「ニーナ。」


 反射で足を止める。そのままの勢いで、声がした方に振り向く。

 メオディティウスの声がした。気がした、だけかも。

 振り向いても彼の姿は無い。とうとう幻聴まで聞こえてしまったか、と肩を落とすと。


「どっち向いてんだよ。」


 声がした方向。の、上。確かに、メオディティウスが居る。彼が話して、そこに居る。

 中庭に植えられた木に腰掛けた彼が、居たのだ。


「メオディティウス──。」


 その木へ駆け寄る。普段ならばドレスの裾が汚れるので整備された廊下から外れた土の上など歩かない。でも、彼が木の上に居るのだから、傍に行くために何の躊躇もなく土と草を踏む。

 彼も私がここに居ることに驚いている様子を見せると、木の上から悠々と飛び降りる。私なら怖くて足が竦むような高さだけど、メオディティウスはものともせず、さらに痛みも感じていないようだ。


「あのさ、ニーナ。」


 私に近づくなり顔を暗くするメオディティウス。単純な私は彼を見つけた嬉しさですっかり先程までの陰鬱を飛ばしてしまったから、彼には似合わない深刻そうなその顔で今の状況を思い出す。


「ごめんな。俺、ちゃんとニーナの事考えずに勝手なことした。悪かった。」


 メオディティウスは薄い黒みがかった唇を開き、私に頭を下げる。謝罪に慌てて彼の手を取る。


「私の方こそ、ごめんなさいっ。」


 今度は私が頭を下げる番。すぐに頭を上げて、私からの謝罪に慌てるメオディティウスの目をじっと見つめる。


「あなたから先に謝ってくれたのに、私はそれを無下にするような態度をとってしまって、ごめんなさい。」


 まっすぐな謝罪にたじろぎ、私に掴まれた手を無理矢理引き抜こうとするメオディティウスは慌てて言葉を紡ぐ。


「王女サマがそんな軽々しく俺なんかに頭下げちゃダメだろ。」


 動揺を隠しきれないメオディティウスに私は首を横に振った。


「喧嘩をしたらお互い謝るのが友達でしょ。」


 私から絶交宣言をしておいて、なんて調子のいい台詞だろうかと自分でも嫌になる。でも、それを理由に謝らないという選択肢もない。

 メオディティウスは私がそんな都合のいい事を言ったからと怒るわけでもなく、何度も大きな目を瞬いて驚いた様子のまま固まっている。


「だから、友達じゃないって言ったことも取り消させて欲しいの。」


 メオディティウスの言う王族ならば、こんな風にお願いをしたりしないんだろう。私が知る中で一番王族らしいのはレジーナお姉様だけれど、お姉様は確かにお願いや頭を下げたりなんてしない。

 だからといって私が王族としての矜恃を捨てている訳では無い。ただ、私としての矜恃が彼を対等に扱い、頭を下げて謝罪する行為や、命令ではなくお願いする事を望んでいる。


「うん。謝ってくれてありがとな。あとさ、ずっとお前呼ばわりしてごめん。俺も友達でいたいからさ、ニーナって呼ばせてくれよ。」


 メオディティウスは少し恥ずかしそうに視線を落としながら、黒い爪で項をぽりぽりとかく。


「うんっ。ありがとう、メオディティウス!」


 私は満面の笑みで答えた。

 お前と呼ばれる真意がずっと心に刺さっていた。お前と呼ばれる度に私の不甲斐なさを実感していた。

 名を呼ぶに値する人間になれたという確信が、数日間沈んでいた私の心を癒すのは容易だった。


「いちいちお礼言ったりさ、普通に謝ったりして。ニーナってほんと王族ぽくないっつうか、変わってるっつうか。」


 私の破顔した表情につられるようにして、頬を緩めていくメオディティウスはそう言った。


「あら、お姉様達みたいにお上品じゃなくて悪かったわね。」


 わざと頬を膨らませた仏頂面で軽口を言うと、私を怒らせて喧嘩してしまったばかりだからかメオディティウスは慌てて否定する。


「違う、違う、褒めてるんだって。ホントはさ、専属の騎士になるのも最初はニーナじゃなくて、レジーナの予定だったんだよ。」


 私の知らない、彼が私の騎士になる前の話。初めから私で打診されていたわけではなかったらしい事実が妙に胸の内をざわつかせた。


「でもよ、お前のねーちゃん怖すぎるんだよ。礼儀作法とか口調とかこまけぇことにいちいち怒るんだけどさ、怒ってないみたいな態度で怒るんだよっ。」


 レジーナお姉様への愚痴をどんな顔をして聞いたらいいのか分からないながらも、メオディティウスの言いたい事も分かってしまい複雑な顔で表情がぎこちなくなる。

 確かにレジーナお姉様は『氷の王女』と呼ばれているように、怒った時は激情をぶつけるのではなく、絶対零度の怖すぎる圧で怒りを理解わからせる。

 それが、メオディティウスの言う怒ってないみたいな態度で怒るという意味の正体。

 まぁでも、魔族が人と仲良くやっていくつもりならば人の文化である礼儀作法や言葉遣いも尊重して欲しいので、レジーナお姉様が怒る理由もわかる。


「だからさ、俺はニーナが今回の相手で本当に良かったよ。怒った時はちゃんとこうしてぶつかってくれるし、仲直りだってしてくれるもんな。」


 犬歯を覗かせて笑う彼に思わず胸がじわりと熱くなる。

 私でよかった。

 ずっと誰かに必要とされたかった私の寂しさを埋める言葉。飾り気の無い言葉は時々私を傷つける事もあるけど、今は真っ直ぐと心に響く。嘘偽りやお世辞の無い言葉が染みる。


「私もあなたが初めての騎士で、友達でよかったわ。でもね、あなたの礼儀作法や言葉遣いはレジーナお姉様が怒ってしまうのも正しくて──。」


 メオディティウスが礼儀作法や言葉遣いも勉強した方がいいと思う理由を話すと、彼はすんなりと「それもそうだな」と渋々だが同意する。

 今は文字の勉強しかしてないけれど、礼儀作法や言葉遣いの勉強も一緒にしようと約束した。

 数日ぶりに交わす彼との会話は思っていたよりも話題に尽きることなく弾んでいき、気がつけば中庭の廊下に腰を降ろしてまで話し込んでいた。


「ニーナ。と、メオディティウス卿。」


 中庭の廊下で私たちにそう声をかけたのはエルハームお姉様だった。

 この中庭の廊下の先には、エルハームお姉様が鍵の管理をしている礼拝堂に併設された図書館がある。

 昔から勉学に明るいエルハームお姉様は図書館に行く事が多く、それが関係して図書館の管理を任されるようになり、礼拝堂も併設されている事から週に一度のお祈りの日といった王族の神聖な行事の管理も担っていた。

 行事の管理には近々行われる戴冠式も含まれており、式はエルハームお姉様の管理する礼拝堂でのお祈りから始まる。その準備のため、エルハームお姉様は礼拝堂に居たのだろう。

 そういった事情をすぐに理解した私は慌てて立ち上がり、お姉様に挨拶をする。

 エルハームお姉様がメオディティウスを見た時の表情が一瞬ではあるけれど曇っていたので、王族しか立ち入りの許されない中庭ここに彼を入れてしまったことの言い訳をどうやってしようか頭をぐるぐる回転させた。


「どうやら、うまくやっているようですね。」


 新緑のような鮮やかで綺麗な色のドレスを指先であそびながら、エルハームお姉様は落ち着いた表情でそう言った。

 中庭へメオディティウスを勝手に入れてしまった事を咎められるのかと思いきや、私たちの仲を喜ぶ言葉に私は驚きでお姉様の顔を二度見した。

 何度見ても、エルハームお姉様は長い睫毛を伏せて微笑んでいる。

 ではなぜメオディティウスへあんな顔をしたんだろう。思考に集中するあまり返事を忘れていると、メオディティウスが私の後ろから声を飛ばす。


「うん。仲直りしたんだぜ。」


 少しドヤ顔が表情から漏れているメオディティウスへ、お姉様はいつものような柔和な笑顔を向ける。


「よかった。ここ数日ニーナの表情が暗かったので、心配していたんですよ。」


 やはり私の態度はお姉様に伝わっていたようで、心配をかけてしまったことについて謝罪すると、エルハームお姉様は何も言わずに私の頭を撫ぜ、ブロンドの髪を指で梳く。

 幼い頃、エルハームお姉様に泣きついた時はいつもそうして慰めてくれた記憶を思い出させ、懐かしさと優しさで胸が暖かくなった。


「では、式の準備がまだありますので。失礼しますね。」


 私とメオディティウスにも丁寧な言葉遣いでエルハームお姉様は別れの挨拶をし、廊下を歩いて中庭を後にした。

 一緒にその背を見送ると、私たちはまた会話を弾ませた。







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第四王女と魔物騎士 あドぽ @a_d_p

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