確執と自己嫌悪
夕焼けが憎い。
あまりにも纏まらない思考では、何もかもが憎く感じる。無慈悲に今日から退散しようとする太陽も、今の私には憎い。
メオディティウスは筆頭で憎い。人からつまらないと一蹴されてしまうような事をいつまでもうじうじ悩んで拗ねている自分も、憎い。
何もかもが嫌だ。先生も嫌だ。これからの夕食も嫌だ。明日が嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。
涙でしっとりとした机に突っ伏したまま、何故こうなってしまったのか瞑目して振り返る。
───────────────
事の発端は今朝。メオディティウスとの関係は良好で、誰がどう見ても友人である程に私たちは仲良くなっていた。
丁度今朝もいつかの晩に約束したように、彼の事を知るための一つとして羽の鱗を触らせて貰ったり、彼の歯はいくらでも生え変わるという話を聞いたりしていた。
先に私の、友達でも踏み入れられて気を悪くする領域に踏み込んだのは、他ならない彼からだった。
「あのさ、俺、見ちまったんだよな。」
脈絡も無しに、彼は突然そう言った。
今までの会話も関係無しに。当然、私は前後の文から隠れとった意味を感じ取ろうとしても彼の真意が分からなかったから、首を傾げたの。
彼の黒い爪が指した先は私のベッド。詳しく言うと、ベッドの下。
一瞬何の事かは分からなかったけれど、数秒思考すれば彼が何を見てしまったのか分かった。
「──在るのを見たのかしら。それとも、中まで見てしまったのかしら。」
楽しく会話していた空気は一変──彼が原因で変わったのよ──それはまるで、犯罪者を尋問する警備隊のように厳しさと緊張を孕んだ空気となった。
メオディティウス容疑者は、私の比較的冷静だった尋問に対して初めは口ごもらせたけれど、やがて正直に中を見たことを打ち明けた。
「どうして見たりしたの。」
容疑者ではなく大罪人である事が決定したメオディティウスに向けられた、私の中の羞恥からくる怒りは既にその片鱗を見せ始めていただろう。
珍しく怒っている私の姿を見てメオディティウスもあたふたと目を泳がせ言い訳を探す。
「理由は無ぇよ、ただベッドの下にあるから、なんだろうと思って、つい。」
開き直って理由など無いと言ってのけた彼に、私は机を強く叩いて怒りを示す。
「そういう事を聞いているわけじゃないわ。どうして、ベッドの下にあるのか、何故、頭で考える事をする前に、軽率に、見たのか。それを聞いてるのよっ。」
肩を跳ねさせ驚く彼に一言一言怒りをたっぷりと込め、ぶつけるようにしてまくし立てる。
それがわざわざベッドの下にあった理由なんて、私が隠していたいからに決まっている。私がそうする理由を考えずに私のプライベートな部分を覗き見た彼へため息をつく。
「いや俺はあれを隠す必要なんてないと思うぜ、むしろすげーことじゃねぇか、あんな才能をお前が持ってたなんて──。」
隠していたという意図に漸く気がついた鈍感さんは見たという罪を置き去りにして、論点をすり替えようとする。
ぺらぺらと上手く回る舌でなんとか丸め込もうとするメオディティウスを睨みつける。
「あれを隠すか隠さないかなんて、私が決めることで、貴方が決める事では無いはずよ。」
誰かと言い争いなんてした事が無かった。こんなにも腹がたったのも初めてだった。
それは、彼のことを友人だとはっきり思っているからだと、私は理解した。
「メオディティウス。私は貴方を友人だと思っているわ。だからこそ怒って、呆れているの。私の過ちは二つ。あれを貴方が目につく所に隠していたこと。そして、友人とは遠慮を知らないだけの関係じゃなくて、相手の気持ちも敬う関係であると貴方に教えなかったこと。」
私を敬う敬わないは王女と騎士という上下関係のみの話。でも、私と彼は唯の上下関係ではないと思っている。
対等である事が心地よい友人。だからこそ、私の領域は尊重されるべきだった。
怒りのままに私はメオディティウスへ言葉をぶつけた。彼はシトリンの瞳を悲しげに揺らすと、顔を伏せた。
生意気な態度で何か言い返して来ると思えば、すんなりと私の怒りを受け入れ落ち込んでいる彼を見ていると、だんだんと私が悪者になっているような気になってしまう。
これが憎みきれないという事なんだろうと思って、早足になる心臓にどうどうと落ち着かせ、立ち上がった膝を折って椅子に腰かける。
「──それで。誰にも言ってないでしょうね。」
ここらへんで話にも折り合いをつけようと、深呼吸をしながら尋ねる。イエスなら単純な彼は明るい笑顔で頷くだろうと、様子をちらりと見ると。
明らかに焦っている。
嫌な予感がした。最悪の展開が未来予知能力者じゃない私にだって見えた。
「お前の姉ちゃん達に、見せた。」
彼の良い所を挙げるとするならば素直な所だろう。
本当に、悲しいほどに。
そして悪い所を挙げるとするならば、今回の行動全てに悪気が無いところ。
本当に、残念なことに。
「前言撤回。私たち、友達じゃないわ。」
立ち上がり、はっきりと目を見て宣言する。絶交だと。
ベッドの下に手を突っ込んで、隠していたそれを乱暴に掴み取り立ち上がる。
踵を返しドアへ駆ける。メオディティウスが呼び止めるけれど、振り向いてやる気にはなれなかった。寧ろ、今その顔を見れば手が出てしまいそうなのをなんとか制止するために目を逸らしてあげてるのだから、感謝して欲しいぐらい。
とにかく彼の声を無視して部屋を飛び出した。
王宮に居場所の無い私が行ける場所は限られている。最近は足を運ぶことが少なくなっていた場所。
勢いのままに飛び出し私が向かった場所は王族だけが立ち入る事のできる中庭。
丁寧に手入れされた植物達は四季折々の表情を見せる。少し前までは私も今この手に持っている物と一緒に中庭へよく来ていた。
今の季節はもうすぐ訪れる春の準備をしているところ。木々や花々はまるまると蕾を肥らせて春を今か今かと待っている。
ベッドの下に隠していたそれを膝の上に置く。それは柔らかい布で出来た袋に包まれている。
紐を引っ張って口を広げる。ゆっくりと中に手を入れ引っ張り出す。
それはスケッチブック。
昔から絵を描くことが好きだった私は、城下町へ行くマリアお姉様にこっそり頼み買ってきてもらったスケッチブックを持って、この中庭の風景を鉛筆一つで描いていた。
でも、私は王女であって画家ではない。誰にも認められない王女だから時間を持て余し趣味の絵画に時間を費やせるだけで、やるべき事はこんなことではないと分かっていた。
だから、この趣味は誰にも知られる訳にはいかない。特にレジーナお姉様に知られお勉強もせずに絵を描いてさぼっている、と失望されるのは嫌だった。
だから、隠していたのに。
少しだけ冷えた頭で考えるとこれもいい機会なのかもしれないと思える。特別上手な訳でも非凡な訳でもない、ただ誰にでも描ける程度の絵を描くのをきっぱりと辞める機会だと。
一枚ちぎりとって半分、そのまた半分、さらにまた半分と破る。
「ニーナ」
人通りなんて滅多にあるはずがない中庭で、私を呼ぶ声がする。
そちらへ顔を向けなくたって、誰か分かる。散々お前呼ばわりしてきたくせに、今更私を名前で呼ぶ馬鹿な騎士なんてメオディティウスしか居ない。
「なぁ、悪かったよ。だから友達じゃないなんて言うな。」
私の視界へ無理やり入るなり眉を下げて謝るメオディティウス。悲しいのは私のはずなのに、私より悲しい顔をするのはずるい。
まるで私が悪いかのよう。まるで私だけが子供かのよう。
「人の隠し事を晒しあげる様なことをする関係を友達と思っているなら、私は友達ではないわ。」
わざと心を傷つける皮肉をたっぷり乗せて、怒りと虚しさをぶつける。
「それは本当にごめん。俺、良かれと思って見せたんだよ。」
私に怒りをぶつけられるままに受け入れ、謝罪をし続けるメオディティウス。
「───お姉様達は、どんな反応をしてらしたの。」
良い反応を期待しているわけではない。ただの、確認。
「良いって言ってたぞ。あのレジーナだって、認めてた。」
私を励ましているのか、自分が私の絵を見せた事を正当化したいのか。どちらから分からないけれどため息をつくしかない。
「あのね、人間は皆あなたみたいに素直じゃないの。」
特に、レジーナお姉様は。
言葉ではそう言っていても、心の中で何を思っているか分からない。レジーナお姉様の考えはいつだって理解出来たことがない。
きっと、私の何の得にもならない趣味を見て落胆されたことだろう。
「あなたが居ると落ち着かないからここに来たのに。もう着いてこないで。それも好きに処分してちょうだい。」
メオディティウスが選んだ次の言葉を待つよりも早く、立ちあがった。これ以上話していると私が余計に悲しくなるか惨めになる。怒りの感情がどんどん冷えていくのだけは分かる。とても、悪い方向に。
私が指さしたびりびりのスケッチブックと、メオディティウスを置き去りにする。
見慣れた廊下は、涙で滲んでいても迷うことは無かった。
「どちらへ行かれていたのですか、勉強の時間は既に────。」
自室の扉を開けて、足を踏み出すと同時に思い出す。お勉強の時間はとっくに過ぎていたと。
当然、シルヴィオ先生は私が待っていると思っていた部屋で私を迎える。無断の遅刻。余計に心が掻き乱されて、どうして悪いことはこんなにも続くのだろうと頭が痛くなる。
先生が私を叱責するために顰められていた眉は、私の顔を見るなり驚きで上がる。
「どうしたというのです、こんなにも目を赤くして。」
先生の大きな手のひらは私の頬を包む。そして広い親指で目じりを撫ぜる。
泣いていることを悟られた。
慌てて顔を伏せるけれど、遅い。どうしよう。なんて言い訳をすればいいだろう。
「お姉様方と何かありましたか。それともお身体の具合が悪いのですか。」
先生は膝を床につけ、顔を伏せる私を覗き込む。私を案じ、優しさと慈愛に満ちた眼差しで見つめられるとさらに涙が溢れだしてしまう。
頬に伝うこともなく、涙はぽたりぽたりと床へ落ちてゆく。
私がただただ涙を流すだけで、何も話そうとしない姿に先生は立ち上がり優しく抱きしめてくれた。
「無理に話して下さらなくても大丈夫です、まずはお体を休めて下さい。」
そのまま私はいつもの椅子までエスコートされ腰かける。メオディティウスが初めて私を訪れたあの夜のように、先生は優しく手を取ってくれる。
「本日の授業は中止致しましょう。私は如何致しましょう。ニーナ様が望むのであれば、貴方を一人にすることも、傍で控えることも出来ますが。」
泣いたせいで呼吸が上手く出来なくて、頭がぼうっとする。先生の優しさにきちんと礼儀を払わなければいけない、とは理解していても、今の私には。
「一人にしてください。」
無礼にも私は、先生の手から自身の手を引き抜いて断った。
「承知しました。」
先生は、にこりと笑う。
何故、笑うの。
何故、笑えるの。
理由など無い怒りに、奥歯を強く噛んだ。
────────────────
そうだった。
私はこうしてメオディティウスに怒り、先生の優しさを踏みにじって、一人可哀想な顔で泣いていた。
やっぱり嫌だ。何もかも。
食事の時にこんな顔をお姉様達に見られたくない。それだけじゃない。私が絵を描いているという、時間の浪費を知られてしまったことが怖い。
マリアお姉様だけは知っていたけれど、レジーナお姉様やエルハームお姉様は口にこそ出さなくても許さないはず。
私はただでさえ『必要のない王女』なのに。
夕食の時間が怖い。明日が来るのが怖い。
明日になれば、メオディティウスが護衛のために迎えに来る。
明日になれば、先生はいつも通りお勉強のためにやって来る。
明日から全て、元通りにできる自信が無い。
夕陽が憎い。
明日になんてしないで。
それから三日。メオディティウスは私の前へ現れなかった。
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