知りたい



 自室の大窓から差し込む柔らかい日差し。まだちょっぴり冷たい風が私を撫ぜる。

 穏やかな朝に重たい瞼がゆっくり開か──れようとした。


「きゃぁあッ。」


 部屋の外から聞こえる侍女の悲鳴に私は飛び起きたのだ。


「ニーナ様、あの、騎士様が、どうして───。」


 髪も顔も整えずに、自室の扉を開ける。予想はしていたが、そこには驚きのあまり狼狽える侍女と、私が廊下で寝かせたメオディティウスの姿。

 昨夜、彼が私の部屋で床でもいいから寝かせてくれと頼んできた。婚前に男の子と同じ部屋で眠る訳にはいかない私は、床で眠る事を厭わないならと、私の部屋の前の廊下で寝るように言った。

 さすがに良心が傷んだから私の枕だけは貸してあげて。


 廊下でなんか眠れるか、と怒るかと思いきや従順に彼は廊下でこの一夜を過ごしたのだ。私の貸した枕を抱きしめながら。

 よく廊下で眠れるものだと自分で言っておきながら少しだけ呆れる。彼の言うことを聞く基準があまりよく分からない。

 頑なに私のことはお前呼ばわりするくせに、廊下で眠れと言われて従うなんて。私に暴言の一つでも浴びせてすぐレジーナお姉様の所へ助けを求めに行くと思っていた。


「大丈夫よ、スーザン。」


 私専属の侍女の名を呼んで落ち着くように促す。

 ぐっすりと熟睡してるメオディティウスの傍でしゃがんで、肩を揺らす。んー、なんて鬱陶しそうな声が返ってくるのみで、身体を起こしてくれる気配はない。


「もう。私の部屋のベッドで眠ってもいいから廊下は───ごめんね、やっぱり怖がらせちゃうからやめて。」


 一緒に寝るのがダメなのであって、きっと私のベッドをメオディティウスが一人で使うのは、問題無いはず。

 私のその言葉で、やっとぼんやり目を開けたメオディティウス。魔族というには細い肩を支えて、上体を起こしてあげる。

 ぽやぽやと夢うつつに、私が誘うままベッドに沈む彼を見るとなんだか放っておけない気持ちになって、思わず笑ってしまった。

 本当に彼をベッドで寝かせても良いものか考えあぐねる侍女にもう一度大丈夫だと言って、部屋を後にする。


 この日の朝食の時間、レジーナお姉様にメオディティウスの部屋を早く手配してもらえるよう頼もうとしたけれど、レジーナお姉様は戴冠式の事で忙しく、朝食の席には現れなかった。



 レジーナお姉様と顔を合わせることも出来ず、メオディティウスが毎晩廊下で眠ることが日常となった、数日後。

 先生とのお勉強を終えた後、夕食の時間までにメオディティウスと字のお勉強会をしているとき。


「お前さ、あのシルヴィオとかいうやつのこと、好きだろ。」


 脈絡もないメオディティウスの言葉にアプリコットティーを吹く。


「な、ななな、な、何を言っているの、あなたに好きとかそういうの、分かるとでもいうのっ。」


 肯定と解釈されても仕方がないほど取り乱してしまう。

 そんな反応を見たメオディティウスはゆっくり、にたぁと意地悪な笑みで顔を歪める。


「やっぱりな。態度に出過ぎだっつーの。」


 態度。態度にたくさん出ていたらしい。

 メオディティウスにバレてしまっているということは、もしかしたらシルヴィオ先生にもバレているのかも。

 考えただけで顔が熱くなっていく。


「余計な話はいいから、ほら、集中しなさいよ。」


 羞恥のあまり早く話題を終わらせようと、メオディティウスが文字を書いている紙を指でとんとんと叩いて、気を逸らさせようとする。

 彼はんー、なんて喉を鳴らし、再び紙に向き合ったのでなんとか安堵のため息をつき、再びティーカップに指をかける。


「あいつって結構良いところのお坊ちゃんっぽいよな。婚約の話とかあったらどうすんだ。」


 もう終わったと思ったのに、ペンが進まない彼の頭はまだ先生の事について考えていたみたい。


「どうするんだなんて私に聞かれても。私はべつに───関係無い、し。」


 本当の事を言っているのに、だんだんと声が小さくなり、口ごもる。

 私がどう思っていようと私は自由のない王女であり、先生はそんな私の教育係というだけ。先生に婚約者が居ても、居なくても、私がどうもすることは無い。

 先程はにたにたと笑っていたメオディティウスだけど、今度はつまらなさそうに、ふーん、と言ってペンを走らせはじめた。




「あの、シルヴィオ先生、その、えーっと。先生って婚約者の方とか、縁談の話とかは決まってらっしゃるのでしょうか。」


 次の日。

 メオディティウスの姿と婚約者の話が昨晩は夢にまで出てきた。先生に婚約者が居るんじゃないかと思うとなんだか複雑な気持ちになって、ぐっすり眠れなかった。

 だからこうして授業の終わり、先生をわざわざ引き止め、下らない質問をしている。

 先生はというと、もちろん突然の質問に驚いている。そして、くす、と笑うと綺麗な長い指を、口元にあてがった。


「八年前にはとても素敵な婚約者が居ました。けれど、我が家の失態により、破談になって以来縁談は───あ、そういえばレジーナ王女殿下との縁談も持ち上がった事がありますね。」


 先生の話をこれでもかという程に集中して、聞く。

 どうやら現在、先生に婚約者や縁談の話は無いみたい。べつにだから何だというわけなんだけれど、なんとなく安心しちゃって、身体の力を抜く。

 でも、レジーナお姉様との縁談も、あるにはあったみたい。

 確かに、先生のように賢くて美しい男性なら、レジーナお姉様と肩を並べて遜色無い。寧ろ、二人はお似合いとまで思ってしまい胸が重くなった。


「レジーナお姉様との縁談は、持ち上がっただけなのですか。」


 私では到底レジーナお姉様に勝てない事がわかる。一度持ち上がった縁談は押し切ろうとする人も少なからず居るはず。


「えぇ、それだけです。残念ながら、私とレジーナ王女殿下は、ニーナ様が想像する以上に仲が悪いんですよ。」


 思いもよらなかった答えに、いつも通りにこにこ微笑む先生の顔を見つめ、固まる。

 あんなに優しいレジーナお姉様と、こんなに優しいシルヴィオ先生の仲が悪い。


「私の養母はははなんとか王家と縁を作ろうとしているのですが、肝心の私たちは昔から犬猿の仲でして。」


 政略結婚に当人同士の仲が影響することもある事を初めて知った。本当ならばそうならないんだろうけど、レジーナお姉様なら自身が認めた人以外を一蹴する姿も容易に想像がつく。

 そして、レジーナお姉様と先生は、長い付き合いだということも知る。

 私は先生に、授業終わりに引き止めて私的な質問をして、それに快く応えてくださった事を感謝した。





「──先生、婚約者とか縁談とか無いらしいわ。」


 夕食を済ませ、寝巻きにも着替え、眠るまでの静かな時間。私はベッドへ腰掛け、メオディティウスは私の椅子へ座り話し相手になってくれている。

 彼に報告する義務なんて無いはずなんだけれど、何故か先生にお相手は居ないことを、伝えた。

 メオディティウスは瞬きの間固まっていた。でも、すぐに犬歯を輝かせて笑った。


「よかったじゃん。」


 よかった、のかな。

 そわそわする心を押さえつけるように膝を強く抱いて背中を丸める。メオディティウスまで一緒に喜んでくれることがとても嬉しかった。

 友達としてどんどん距離が縮まっているのかも。


 この話をきっかけに、私たちはくだらない世間話に花を咲かせた。取りあげる内容も無いほどの、でもとっても楽しい会話の時間。

 そろそろ私が眠る時間になった頃、彼は立ち上がった。いつも通り廊下へ向かうかと思いきや、大窓の方へ歩いていく。


「あー、俺さ、新しい部屋用意してもらったから。今日でもう廊下で寝る生活とはおさらばなんだ。」


 レジーナお姉様に彼の部屋の用意を早めるように掛け合うつもりだった。けれど、レジーナお姉様が多忙を極められていて、食事ですら時間があわずに結局話せず終いで終わってしまっていた。

 メオディティウスが困っていることに力になれずちょっぴり悲しくなる。


「そう、よかった。」


 楽しい時間の終わりに一抹の寂しさを感じる。しかし、朝になればきっと、ちょっと生意気だけど素直な彼の顔をまた見れる。

 大窓を開ける小さな背中を視線だけ送る。


 メオディティウスが大窓の枠に足をかける姿を見て、たった数日前の事を懐かしむ。

 初めて私の目の前に現れた時も涼しい夜だった。あの日大窓から姿を消した彼は、今夜は細い枠の上で器用に立つと、こちらに身体を向けて微笑んだ。

 すると、ばさり、という豪快な音と共に、彼の背中には大きな大きな、ドラゴンのような雄々しい翼が姿を現す。

 華奢な身体に比べ、アンバランスに感じるほど大きな翼は深い緑色をしている。

 驚き、感嘆、知識欲、不思議な感情──しかし恐怖の居場所は無い──それらに心が支配され、なんとか言葉を選ぼうとする。


「すごく。───立派ね。」


 良い例えは思い浮かばなかった。私の短い人生と、浅すぎる経験では、彼の翼を例えるほどの語彙が無い。そして、回りくどい褒め言葉も相応しくない気がして本心のままを伝えることにした。


「怖くねぇのか。」


 静かな夜に、彼の声はゆっくりと溶ける。

 ベッドから足を下ろして彼へ歩み寄る。物理的だけではない、精神的にも彼ともっと近づきたいと思った。


「初めて出会った時なら泣いていたかも。でも、今はそうじゃない。貴方の事を知ったからかな。だから、寧ろ貴方をもっと知りたくなった。」


 まだまだ知らない事ばかりのメオディティウス。魔族としても、彼という個人としても、私はもっとよく知りたいと、何度も何度も強く思わされる。

 私の反応にメオディティウスは優しくもう一度笑った。


「俺も、俺の事をお前にたくさん知って欲しくなった。だから、この羽も特別に見せたんだ。」


 いつもは羽なんて彼には無い。きっと彼の意思で自由に出したり、出さなかったり出来るのだろう。

 人とは異なるその姿を見せることは、勇気の要る行動に違いない。

 彼からの歩み寄りをひしひしと感じる事が出来て感動に近い喜びを感じる。

 お前呼びを辞めてくれたらもっといいのに、なんて本音はムードを壊してしまうから飲み込んで。


「だから、もっと俺の事を教えてやってもいいがそれはまた別の機会にな。婚前の王女が魔族の男と夜にいつまでも話してたら、シルヴィオはなんて思うだろうな。」


 全てを言わないメオディティウスに、私は頷く。


「今夜もありがとう。私の騎士ナイト様。明日もよろしくね、おやすみなさい。」


 ウインクしてそう言うと、メオディティウスはわざと鼻で笑う。


「あぁ、おやすみ、俺の王女様マイ・プリンセス


 絵本や小説で見るような騎士と王女の定番のやり取りに、私たちは思わず笑ってしまったあと、少しだけ空白の時間ができた時を見計らい、メオディティウスは窓の外へ倒れるように身体を倒す。

 一瞬にして暗闇へ姿を消す彼を視線だけで追うけれど、見つからない。

 力強い羽ばたく音が楽しい時間の余韻として夜の闇の中で響き、段々と小さくなってゆく。



「良い夢を。」



 大窓をゆっくりと、閉めた。







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