歩み寄る心



 部屋にノックの音が響く。私の騎士の到着を知らされるそれに、軽やかな足取りで迎えにいく。

 ドアノブを回して開けると、想像していた人物。

 灰を被ったような色素の薄いくすんだ髪。ばさばさのぼさぼさで、手入れなんてされてなさそう。目線は私よりも少し下の魔族とは思えないような、華奢な少年。

 笑顔で出迎える私にぎょっと彼は驚く。


「すげぇご機嫌だな。何かあったのか。」


 彼にとって私との最後の記憶は、先生に授業を一緒に受けられない事を聞いて落ち込んだ姿だろう。

 その時とは打って変わり鼻歌でも歌いだしてしまいそうな程にご機嫌な私を見て、彼は首を傾げる。

 お勉強中は座る人が居なくて寂しかった、もう一つの椅子へ早く座るよう面を叩いて催促する。


「なんと。じゃーんっ。」


 私がメオディティウスに見せたのは先生から頂いた参考書「犬でもわかるアクバル語」。

 小さめの本がなんなんだ、というように怪訝な顔をするメオディティウス。


「私が、貴方に文字を教えてあげるのっ。」


 胸を反らせるだけ反らして、張る。えっへん、と態とらしく言葉に出してみると、メオディティウスは小さく「おー。」と言葉にしながらぱちぱちと手を叩いてくれた。


「それもこれも、シルヴィオ先生のおかげだからね。私が教えればいいと気づかせて下さったのも、この参考書を用意して下さったのも、シルヴィオ先生なのよ。」


 いかに先生が思い遣りの心があって、優しくて素敵でかっこいいのか、メオディティウスにも分かるように教えてあげる。

 けれど、彼の反応は私が想像したものとは違った。もっと喜んでくれると思ったのに、ふーん、という気のない返事。

 想像していたというよりも、私の望んでいた反応とは異なる彼の反応に頬を膨れさせた。


「ごめんごめん、拗ねるなって。俺はあいつよりお前に教えてもらえる方が嬉しいぜ。」


 先生と比較され、私の方がいいと言われたからといって私の機嫌がなおるわけではないんだけれど。

 じとりと視線をぶつけて、まぁいいやと早速メオディティウスへの授業を始める。

 てきとうな紙と、私の使っている羽根ペンを彼に手渡す。


「まさか、ペンの握り方からだったりするのかしら。」


 初歩の初歩、灯台もと暗しというレベルの初歩的な事は盲点だった。メオディティウスは開き直って「当たり前だろ」なんて私に言ってのける。

 授業というのは根気がいるものとは思っていた。でも、まさかペンの握り方からとは思わなかったわ。

 まず、予備のペンを目の前で握ってみせる。見ただけでは難しいから、私が随分前の先生に教えて頂いたペンを握るための手遊び歌を歌う。


「────それ、母ちゃんも歌ってた。」


 歌いながら指の形を整えていると、メオディティウスがぽつりと呟いた。


「魔族もこの歌を歌うのね。知らなかったわ。」


 この手遊び歌は子供が勉強を始める際や、勉強を抵抗なく始めるために、貴族を中心に広く知られているものらしいけど。まさか魔族にまで伝わっているなんて、と驚いているとメオディティウスはゆっくりと首を横に振った。


「俺の母ちゃん、人間なんだ。」


 かたん。

 予備のペンを落とした。

 落下音に、はっと我に返ってペンを拾う。でも、彼の母親が人間という情報が上手く飲み込めずに、復唱してしまう。


「だから、俺は純血の魔族じゃねーんだよ。」


 私を見つめる瞳は少しだけ寂しげで。

 人と魔族の子が居るという驚きと共に、生意気とだけ思っていた彼の事をもっと知りたくなった。


「そういう、人と魔族の間の子供って結構居るものなのかしら。」


 私の問いの返答にメオディティウスは少しだけ時間を要した。なんとなく、さらに言葉を投げるのは気が引けて彼からの言葉を待つ。


「居ない。たぶん、というか、まぁ、俺だけ。」


 先程まで私に憎まれ口を叩いてた彼が、突然言葉を選ぼうと喉を詰まらせている。

 魔族という社会が私にはよく分からないけれど、もしかしたらその中に彼の居場所は無かったのかもしれない。


「そうなのね。」


 それ以上、何も言えなかった。

 もしかしたら彼が強い口調や生意気な態度をとったりしてたのは、彼なりに何か理由があるのかもしれない。

 もっともっと知りたい。魔族のことを。彼自身のことを。

 けれど、そこまで踏み込むことは出来なかった。


「───この歌はね、自分の子供がお勉強を始める時、歌うことで楽しい気持ちにして、お勉強する事に抵抗を無くして欲しいから、親は歌うんだって。」


 手遊び歌にならってメオディティウスの指に、私の指を重ねて動かす。


「きっと、メオディティウスのお母様は、あなたに沢山お勉強してもらって、賢くなって欲しかったのかも。」


 やっと綺麗にペンを持った手を、ゆっくりと両手で包む。そして、メオディティウスの黄金の瞳を見つめて、微笑む。


「今は人間の街に来て、お母様と離れ離れになっちゃったけど。お母様の優しい想いを汲んで一緒にお勉強頑張りましょう。」


 お母様と離れ離れになる寂しさはとてもわかる。物心がつく頃に別れたお父様とお母様を思って寂しさに泣くことは、未だにある。

 彼もきっとこちらに来て、母と別れて寂しいのだろうと思う。

 せめて、彼のお母様の優しい気持ちに触れていられるように頑張ろう。


 やっと、メオディティウスが柔らかく笑ってくれた。


「そうだ、目標を決めましょう。」


 メオディティウスは首を傾げる。そこで私は説明する。

 お勉強には何か明確な目標があった方が、俄然やる気が出ると。


「目標はあなたのお母様へ手紙を書けるようになる、にしましょ。」


 ちょっとだけ寂しい空気になったから、なるべく明るくなるように、声を張る。


「手遊び歌を知っている方のようだし、きっと字も読めるかと思うわ。──どうかしら。」


 メオディティウスは大きくてツンとした瞳をぱちくりとさせて驚いていたが、暫く考えこんだあと「それもいいな」と言って、目標が決まった。

 手紙を書くためには読める字を書けること、文法を理解すること、などなど。

 一体いつその目標が達成出来るかは、まだ分からない。でも、メオディティウスもやる気を出してくれた。


「まずは、文字の練習と覚える所から始めましょうっ。」




───────────────



「例の魔族の騎士とはどうなんだい。」


 夕食中、快活な表情で訪ねてきたのはマリアお姉様。漆黒の短い髪を風に揺らして、白い歯を覗かせる。

 私はその問いを待ってましたとばかりに、ナイフとフォークを置く。


「彼のために、人の文字を教えるお勉強会を始めることになりました。」


 今朝のどたばたから進展した私に、マリアお姉様は「おーっ」と声を漏らした。その進展には、レジーナお姉様でさえ驚いたようで瞳を大きく開けた。


「二人で何か共通のものに取り組めば、絆が深まると思ったのです。」


 レジーナお姉様に関心されることなんてそうそう無いことだから、私はいい気になって聞かれていないことまで話す。

 シルヴィオ先生のおかげで授業をしようとなったこと、このお勉強会の目標を決めたこと。

 メオディティウスのお母様が人間だということも話そうと思ったけれど、彼の事情を勝手に話してもいいものか悩んで、舌の上まで乗せたが飲み込んだ。


「昨夜は魔族という事に怯え追い出したというのに、こんなにも素晴らしい進展を報告してくれるとは。ニーナは私のために努力してくれたのだな。」


 私の話を全て聞いたレジーナお姉様はそう言って褒めてくださった。マリアお姉様も、褒められる私を見て満足そうに微笑んでいる。

 エルハームお姉様は少しだけ暗い顔をしている。


「はいっ、もちろんです、レジーナお姉様のためでしたら、私は努力を惜しみません。」


 もっともっと認められて、レジーナお姉様に沢山褒めて頂けるように頑張ろう。

 魔族と仲良くなることは、いい事なのだから。

 レジーナお姉様が導く道は、正しいのだから。



─────────────────



 夕食を終えて部屋から出るとすぐ、メオディティウスが立っていた。

 忠犬のように待っていた彼に、私たち姉妹の足は止まる。でも、レジーナお姉様に褒められて気を良くした私は満開の笑顔で彼を迎えた。

 お姉様たちはくすくすと笑ったり、彼をからかったりしてそれぞれの自室へと帰ってゆく。

 メオディティウスはなんなんだよ、なんてぼやきながら少しだけ顔を赤くしていた。


「わざわざ待ってくれていたの。」


 私専属の侍女に寝間着へ着替えるのを手伝ってもらって、自室へ帰る廊下でメオディティウスと肩を並べながら話した。


「待ってたっつーか、飯は貰ったけどよ、俺、自分の部屋がぇから何処行ったらいいか分かんねぇんだよ。」


 ぼさぼさの髪を黒い爪でぼりぼりとかきながら、メオディティウスは口を尖らせた。

 なるほど。レジーナお姉様が決めたこととはいえ、突然の話だったしメオディティウスの部屋はまだ用意されていないらしい。

 王宮の皆もきっと魔族だからなんて考えていい加減にしてるのかもしれない。

 杜撰で酷い話だと彼に共感を示そうとした時に、ふと気がつく。


「───今夜、何処で寝るつもりなの。」


 今、私の自室に向かっている。彼も、迷う事無く私について来ている。


 まさか。


「そう、お前の部屋で寝かしてくんね?」


 脳裏を過ぎった嫌な予感は見事的中。

 魔族だからなのか、彼が特別デリカシーなんてものを持ち合わせていないのか、それとも私が女性という性別を忘れさせるほど女の子らしくないのか。

 どの理由にしろ結婚前の女性が、しかも王女が男の子と共に寝ていい理由にはならない。


「しししししししし信じられないんだけどっ。なに、なんなの、なんで、どういうつもり、私の事本当になんだ思ってるのかしらっ。」


 頭の中はパニック状態。仲良くなれとは言われたけれど、一緒に寝るつもりなんて毛頭ない。

 何より一番驚いているのは、私が動揺してる事がまるで理解出来ていないという顔をしている彼。


「なんだよ。王女だろ。」


 悪びれる様子もなく言ってのける。

 とりあえず、彼が私をまだ王女だと認識していることは確認できた。しかし、王女と認識していながら、部屋を共に寝ることの重大さに気がついていないことに目眩がしそう。


「あのね、人間はね、結婚前の男女が一緒に寝ちゃいけないの。」


 まず文化の違いから正していく。魔族にはそのような習慣や常識が無いから分からないのかもしれない。

 説明すれば理解してくれる余地はある。


「なら俺が床で寝りゃいいだろ。」


 目眩がした。

 一体誰が床で寝たのでセーフですって事を信じてくれるのかしら。

 いやそもそも、私みたいな誰も知らない王女は婚前に男の子と寝たからといって誰も気にしないのかも。

 自分の立場の情けなさと、彼とのカルチャーショックに頭を抱える。






「───私の判断に、怒らないでね。」








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