『愛』とは何か――

 


 ようやく学院に登校する時間がきた。エデルは深く腰にしていた椅子から立ち、足元に淡い光を放つ魔法陣を展開させる。


 その魔法陣は下から上へと急速に上昇し、エデルの身体を潜る。魔法陣が潜った瞬間、私服姿だった彼の姿が一瞬にして暗殺学院の制服に切り替わる。


 荷物はすべて収納魔法で収納しているので、現状は手ぶらで登校するような形となる。立派な暗殺者――死神になるには、収納魔法くらい覚えてもらわないと、任務に支障をきたしてしまうのだ。

 エデルは歩を進ませ、部屋を後にする。


 玄関前まで差し掛かると、母クレアと弟のノア……それと妹のミラが、エデルの見送りをしたかったのか、集まっていた。


 ルシャード家次男、ノア・ルシャード。


 エデルと同じく黒髪黒目で英才教育を施されたおかげか、兄と同じ体格をしている。肉体は瓜二つに見えるが容姿は別だ。

 弟は暗殺の仕事を生業としておらず、エデルとは別の道を歩んでいる。自身の夢を叶えるため、王都にある王立学院に通っている。


 その中でもノアは断トツに学年の女子から人気であり、今では彼女という存在がいるほどだ。まあ、ノアの容姿は問題なくイケメンに近い。


 ルシャード家長女、ミラ・ルシャード。


 弟のノアと双子で、繊細に髪の手当てをしているボーイッシュな黒髪と透き通るような黒目を持つ。

 ノアと同じく英才教育を施されたおかげで、フェリスと同等な言葉、才色兼備が似合う妹。


 学年では断トツで男子から人気であり、一度は女子から、出る杭は打たれるようなことを体験したことがあったそうだ。

 だが当時、エデルが止めに入らなかったら、悲惨な結末を迎えていただろう。


 まあ、イジメたヤツらにはそれ相応のお灸を添えてやったがな。


「お見送りはいらないんだけどな」


 呆れたようにエデルが口にする。


「そう言わないでよ兄さん。人生初の制服姿が、台無しになっちゃうよ?」


「制服なんて有ろうが無かろうが、そんなに大差ないだろう?」


「わかってないわねえ、兄さん」


 エデルの横からミラが「やれやれ」と言いたげな表情を浮かべる。


「制服を着る機会なんて、人生において二度とないことなの。この機会を台無しにするなんて、兄さんってば本当にわかってないわ!」


 ミラは人差し指をエデルの前に突き出して、説教地味た発言をする。


 なぜ制服如きにここまで言われる必要があるんだ、とエデルは内心で悪態に近い言葉を吐いた。

 だが、確かにミラの言う通り、制服を着る機会なんて人生において二度とないことだろう。


 それを、結果論だけで押し付けるには早計過ぎたか、とエデルは思った。


 エデルは「はぁ」と嘆息する。


「オレがわかってませんでした。すみませんでした」


「棒読み過ぎない!?」


 だったらどうしろと言うんだよ、とエデルは心の中でそうツッコミを入れる。


「てか、これって本当にお見送りなんだよな? いつになったらオレは家から一歩出れるんだよ」


「日を拝みたいのなら、十一時間後だけど?」


「完全に遅刻してるんだが? しかもその時間帯では、オレはぐっすりとお眠なのだが?」


「早く行ったら? 兄さん」


「お前らが始めたんだろうが!!」


 その光景を傍から見ていた母クレアが、おもわず口許を緩みだし、大人の女性らしい笑声が溢れた。


「母さん。笑ってないでコイツらをどうにかしてくれ」


 学院に登校する前に、力尽きそうなエデルなどお構い無しにクレアは嬉しそうに微笑んだ。


「ごめんなさい。あなたはやっぱり、みんなから愛されてるのね」


「愛されてる? このオレが?」


 生まれてこの方、『愛』という感情だけが芽生えることがなくエデルは育ってきた。クレアとセテルはエデルを愛し、今もこれからもエデルを愛するだろう。


 だが、彼は『愛』という感情だけが、どうしてもわからない。愛とは、人の温かさに触れることなのか、それとも、弟のノアのように彼女を作り、良好な関係を続けていくのが『愛』なのか。


 エデルがこれまで解いてきた中でも、唯一わからなかったのが『愛』。

 いや、もしかしたら、その逆なのかもしれない。


 忘却の彼方へと、置き忘れてしまった可能性。

 根拠などないが、エデルにはそれだけが、どうしてもわからない。


 その瞬間、魂のような【ナニカ】が揺らぎを感じ、そう叫んでいた気がした。



 やっとの思いで、我が家から一歩外に出ることができたエデル。現在の時刻は午後七時半。予鈴が鳴るのは、今から三十分後の午後八時。


 〈転移ラジン〉の魔法を使えば、あっという間に到着する事ができてしまうが、エデルの脚力であれば、五分もあれば到着するだろう。


 我が家から皇都レイズンキラーにある、暗殺学院までを時間で換算するなら、約三十五分くらいだ。今の速度では余裕で遅刻確定なのだが、彼の中で遅刻という二文字はない。


 エデルにとっては、ゆるりと歩いて登校しているが、第三者目線から彼を目撃した者は、疾風が巻き起こったかのような突風が、周囲に反映されていた。


 彼の視界は時を超えたかのような速度で、背景が変わっていき、いつしか目の前には暗殺学院がそびえ立っていた。


「早く着きすぎたな」


 左腕に身につけた腕時計を目にする。

 時刻は午後七時三十五分。

 目測通りの時間帯だ。


 エデルはそのまま四組の教室に向かう。

 教室の後方の扉から開けて足を踏み入れると、そこには入学式と同様に月の光が窓から差していたのだが、変わり映えしたところが一つだけ存在した。


 クラスメイトらしき人たちの視線が、エデルに向けて突き刺さる。品定めとでも言いたげな眼をしている。

 用は済んだのか、クラスメイトらしき人たちは、エデルが教室に入れる前の雰囲気に戻った。


 (騒然としていて、うるさいな)


 既に友好な関係を作り上げている人物やグループを築き上げている人物たちが、チラホラ見られる。

 エデルは学院に通った経験がないせいで、これが『ザ・普通』とは思えないような表情をしていた。


 世間は広いというが、まず彼に課せられた初陣(学院に入学して最初)の任務は、『常識を知る』ことだ。


 幸運にもエデルの座席は窓際の最後帯。

 クラスを観察するには『もってこい』の場所。


 後れを取ってしまうことがないよう、任務を遂行しなければならない。彼は暗殺者の中でもトップに君臨する『黒の死神』だ。ミスなど以ての外。失敗は許されない。


 座席に着くと、エデルは早速『人間観察』を始めた。


 和気藹々と会話をしている者も見られれば、一人で読書をしている者も見られる。


 (なるほど。読書もありなのか……)


 頭の片隅に『読書も可能』という単語を収納した。


 かれこれ二十分が経過した頃、クラスメイトたちはさらに騒然と増す。その向けられた視線の先には、『場違い』という雰囲気が如実に現れていた。


 煌びやかな黄金の髪を靡かせながら、四組に足を踏み入れる。その人間は顔立ちが完璧に整っており、シミや肌荒れがまず見られない乳白色のような肌、制服もしっかりと着こなしていて、完全に『場違い』感が否める生徒だった。


 エデルはその女性に眼を凝らし、どれほどの実力者なのかを品定めするかのように深淵を覗く。


 (パラメーター化したら間違いなく、オレの次に群を抜いているな)


 胸中でそんな感想をこぼすエデル。

 品定めが終わったエデルは、窓から差し込んでいる月を見つめた。


 (今宵は満月か)



 午後八時。

 暗殺学院全体に報せるかのように、予鈴が鳴った。


 四組の教室に見知った顔をした教師が、足を踏み入れる。

 クラスメイトたちは「可愛い」の一点張りだったが、彼女を怒らせると間違いなく息を呑んでしまうだろう。


 死神にとっては涼しい風にしかならないが。


 教卓の上にクラス名簿を置き、両端に両手をついてホームルームが開始した。


「このクラスを担任として受け持つことになりました、イザベラ・アーレルスと申します。一年間よろしくお願いしますね」


 黒板に魔法文字でイザベラのフルネームが描かれた。


 折り目正しく自己紹介をしたイザベラは、ニッコリと微笑みを見せる。男子生徒も女子生徒も手厚い歓迎をしてくれているといったご様子。


 何かの縁を感じるな、とエデルは思いつつもイザベラのホームルームに耳を傾けた。


「とりあえず、私の自己紹介はここまでとして、皆さんの自己紹介をお願いします」


 まるで普通の教師のようにスムーズに事が進んでいく。これが学院生活か、とエデルはしみじみと実感していく。


 イザベラの指示に従いながら、クラスメイトたちは自己紹介を始めていく。エデルはクラスメイトたちの名前、趣味、そして要らない要素なども、しっかりと頭の中に記憶していく。


 とめどなく自己紹介が進んでいくと、あの『場違い感』が否めない生徒にみんなが眼を向ける。

 一つ一つの所作が一般人とは思えず、さながら童話の中から飛び出てきた登場人物だと錯覚させられる。


 そして、優雅にお辞儀をし、スカートの裾を持ち上げて紹介を預かる。


「初めまして、わたしはアイリス・エルフリーナと申します。以後お見知りおきを」


 アイリスと名乗った生徒が着席すると、クラス全体が騒然とする。


「な、なぁ。エルフリーナって、確かあれだろ?」


「ああ。あの暗殺貴族だ」


「う、嘘……信じられない」


「ま、まさか、この学院に入学しているなんて……」


「それも同じクラスだなんて……」


 クラスメイトたちは、皆おっかなびっくりな表情をしていた。暗殺貴族に関する情報は、さすがのエデルも少々小耳に挟んでいた。


 所作一つに板がついていた理由がこれだったのだ。


 暗殺を生業とするのは、なにも一般人だけではない。貴族の中にも暗殺者と名乗るものが存在する。


 彼女がその一人のようだ。


 ただし、暗殺貴族もエデルと同様、幼少期の頃から英才教育を施される仕組みとなっている。

 その家系にしか伝わってない秘術・鬼才な魔法技術・超人的な身体能力・幅広い知識を獲得して、初めて暗殺貴族と名乗るのが許される。


 貴族での暗殺者は正に序列主義だと聞いている。

 相当過酷な訓練を受けたに違いない。


 自己紹介が続くこと約四分。

 ついに、エデルの番がやってきた。


「ありがとうございました。それじゃあ、次で最後かな? ドーンっとでっかい目標をお願いしようかなぁ」


 無理難題なセリフを吐かせようとしているのが、モロ丸見えだった。それに目標と言われても、今の彼には『常識を知る』、という任務が自分の中で課せられている。


 今すぐにもお断りしたい所だが、エデルの中で気が変わり始めた。

 エデルが椅子から立つと、クラスメイトたちの視線は一斉にエデルに突き刺さる。

 いつもと何ら変わりない雰囲気を装って、エデルは自己紹介を始めた。


「エデル・ルシャードと言います。よろしくお願いします」


 誰もがこれだけ? と言いたげな表情を浮かばせた時、彼は言葉を紡ぎ始める。


「イザベラせんせいが、ドーンっとでっかい目標を口にしろといったので言わせてもらいます」


 一時間を空けた直後、エデルは宣戦布告のような言い方で発言した。


「オレには、このクラスが一流な暗殺者になれるとは、到底思えないな」


 その発言でクラスの雰囲気は、一気に剣呑な空気に変わり始める。


「当然、お前らが一気に束となってきたとしても、単体で相手取る自信くらいはあるぞ。いや、手を出すまでもないな」


 自然と笑みがこぼれる。

 エデルにとってクラスメイトたちの一人一人の行動が、滑稽に見えて仕方がないのだ。


「だからハッキリと言わせてもらう。死神の暗殺者を目指したいというのなら、今すぐ暗殺者としての希望を下りた方がいい」


 この空間に、ピキッ、と凍てつくような音が聞こえた気がした。


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暗殺学院と黒の死神 事務猫 @Zimuneko

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