退屈

 


 〈術式コード〉は魔法を効率的に機能させる重要な部分、〈魔力因子〉の次に大事なものともいえる。


 〈術式コード〉はとても緻密で繊細、一ミリでも論理〈術式コード〉のズレが生じれば、一個体で行使する『魔法の真価』が発揮できない。


 今回、エデルが示した部分には『魔法効率』が、『1.0』という表記でなされていた。しかし、実際の表記は『2.0』なのである。


 今までよく『1.0』という表記でやってこれたな、とエデルは思ったが、〈思念伝達ソルス〉という魔法の活用はあまりにも少なすぎたため、放置していたといっても過言ではなかった。


 エデルは横目で、イザベラをチラ見する。

 イザベラは得心がいったかのような表情を浮かべていたので、エデルは億劫もせずに、自分の魔力を起因部分に注ぎ込んだ。


 魔法効率の表記が『1.0』から『2.0』に改竄される。その光景を目の当たりにしたイザベラは、


「おお! 凄い! 凄いですよエデル君!!」


 と、満面な笑みを浮かべながらはしゃぐイザベラに、エデルは苦笑いをする。

 まさかここまでのリアクションをしてくれるとは、思ってもいなかったので、逆に対処に困りそうな反面だが。


「『魔法の深淵』に辿りつければ、イザベラせんせいもいつかできるようになりますよ」


「その言い草ですと、エデル君は既に『深淵』に辿りついた者、と豪語しているように聴こえるのですが……」


「まさか。そんなことはありませんよ。まだまだ半人前といったところです」


 淡々とエデルは言葉を繋げているが、内心では「やっば! うっかり口滑らせてしまった!」と肝を冷やしながら、反省する。


「そう? なーんか怪しい気もするけど……嘘ついてないよね?」


 以外にも、辛抱強くて鋭いな、という感想がエデルの中にて滲み出る。顔を覗き込むようにして、エデルを見るイザベラ。


 しばらくすると、彼女は降参を示唆するかのようにして、エデルから身を引いた。


「まあエデル君にも、秘密の一つや二つはあるよね」


「すみません」


 申し訳が立たなかったのか、エデルはイザベラに謝罪する。さすがに自分が、裏社会で持ち切りの『黒の死神』ということをこの場で明かすわけには行かない。


 そもそも『黒の死神』の存在を認識できている人物は、ルシャード家の人物たちだけだ。


「ううん。気にしないで」


 イザベラは小首を左右に振り、微笑みを湛えながらそう言った。


「でも……いつか君の秘密を、教えてほしいな」



 入学式を終えてから二日後の、四月十二日。

 エデルは自宅の自室で、これからも世話になってくる漆黒の仮面に手をつけていた。


 かれこれ漆黒の仮面と向き合っていること、数十分。来客を報せるノックが扉の方から鳴った。

 漆黒の仮面を机の上に置き、エデルは扉の取っ手を掴んで、開けた。


 扉を開けた先には、エデルよりも頭一個分ほど小さく、小柄(エデルの胸板部分までの身長)で可憐な女性がいた。


「やっほー! 遊びに来たよ!」


 雪のように白く、肩幅まで伸びたその髪は、誰もが見とれるほど美しく、太陽の光にも負けず劣らず、輝いて見えた。

 上は白のブラウスを着用しており、下は深川鼠の色をした可愛らしいフレアスカートを履いている。

 そして、フレアスカートの下には瑞々しい白い肌を隠すようにタイツを履いていた。


 顔立ちも凛としており、人当たりが良さそうに見える女性だ。


「フェリスか」


 フェリス・デルミーラ。エデルのパートナー兼幼馴染であり、才色兼備という言葉がもっとも似合う彼女だ。


「遊びに来たよー」


「二度も言うな、わかってる」


 あはは、と彼女は元気のよい笑声を上げる。

 任務中のフェリスとは別人格と思えるくらい、元気がよい。任務中では、少しツンとした口調をする彼女だが、今はそんな雰囲気を醸し出してない。


 ようするに彼女は、オンとオフの差が激しいということ。


 まったく、と言いたげに肩を落とすエデルだが、どこか安心した表情を浮かべていた。

 立ち話もなんだし入れよ、とエデルは彼女に部屋を上がるよう誘導させる。


「いいの? 普段は上げてくれないのに」


「普段は任務とかで忙しかったからな。けど、今回ばかりは暇を持て余してたんだ」


「ふーん。そうなんだ」


 両手を自分の後ろ腰辺りに回すフェリス。この体制は、巷で言う、あの上目遣いだ。そして、何かを訴えるかのようにガンを飛ばしていた。


 これを最早、上目遣いといってもいいのだろうか。

 さすがに気掛かりと思ったエデルは、


「とりあえず、部屋に入れよ」


 と、先にフェリスを自室に招くよう仕向けた。


「ありがとう! むぅ、なんでリアクションの一つも取らないのよ」


 感謝の言葉は聞き取れたが、その後にブツブツと何かを言っていたが、特に気にするようなことでもないだろうとエデルは見逃す。


 さすがに幼馴染と言えども、尻尾を出すほどエデルは甘くない。別段、隠し事など何もしてないのだが、時折、フェリスには冷徹と似たような表情を浮かべるものがある。


 先にフェリスを自室に上がらせ、エデルは扉をゆっくりと閉める。「ふぅ」と息をき、エデルは尻目にかける。


 フェリスの一挙一動を見守るエデル。

 末恐ろしいというわけではないが、俗に言う『人間観察』というものをエデルは行う。


 回れ右をし、エデルも部屋に上がる。

 勉強机として機能していない机に足を運び、その上に置かれた、インスタントのコーヒーに手を伸ばした。


「コーヒーで良いか? っても、コーヒーしかないけど」


「エデルが出してくれるものなら、なんでもいいよ」


 艶めかしい声でそう発するフェリスだが、エデルは敢えて聞こえないフリをしながら、二つの容器を魔法で創造し、インスタントコーヒーを注ぐ。


 そして、二つの容器の上に赤色の魔法陣を展開させ、〈熱湯ホット〉の魔法を行使する。

 〈熱湯ホット〉は生活魔法の類いであり、こういった使い方には特に便利な魔法である。


「おまたせ。ほれ」


 容器の一つをフェリスの前に差し出す。

 いつの間にか床に座っていたが、勝手にくつろいでくれて逆に助かる。まあ、我関せずといったご様子だが。


「ありがとう」


「それとこれも」


 テーブルの上に複数のシロップを、フェリスの前に差し出した。


「苦味があるものは嫌いだろ?」


「わたし、そんなこと一言も言ってないけど」


 頬を膨らませ、不貞腐れるフェリスにエデルは、腹の底から笑いが溢れそうになるが、ぐっと堪える。


「ねえ。口許がジミに緩んでそうにしてるけど?」


 ジト目で少しトゲのある言い方をされると、


「いいじゃないか別に」


 女性らしくて可愛いじゃないか、とは、さすがにそんなきな臭いセリフを、エデルの口からは言えたギリじゃない。むしろ、羞恥心が先に現れてしまう。


「むぅ」


 口を尖らせながらも、コーヒーの中にシロップを七個投入する。シロップを差し出した本人曰く、「甘党過ぎないか?」と心配になる。


「冷めてしまう前に飲めよ」


「……うん……」


 フェリスは生返事を返し、容器の取っ手を右手で掴み、反対の左手はカップに添える。

 女子らしく容器を持ち、フェリスの――桜色の唇の前にゆっくりと運び、ふーふー、と息を吹きかけ、甘党に変わったコーヒーを喉に通した。


「温まるねー」


「そうだな」


 短く返答したエデルは、ズズズッ、とコーヒーを喉に通す。確かにフェリスの言う通り、内側から熱を帯びる感覚が芽吹く。


「ねえ。本当に苦くないの?」


 苦味が極めて鋭いコーヒーを口に運ぶエデルを見て、フェリスはそう問うた。


「この味がいいんだよ。ま、幼稚なお前の舌には、まだ早いかな」


「わ、悪かったわね! 幼稚な舌の持ち主で!」


 茶化しを入れると、オンとオフの切り替えが激しいな、とエデルは思った。しかし一寸だが、微かにフェリスの頬が赤く帯びていた。

 いや、この部屋に入ってきてから、フェリスの言動一つ一つが、艶かしいようなものにも思えなくもない。


 けれども、暗殺者死神には、『そのような感情』を抱いてはならない。血に塗りたくられた者に、そんな資格などないのだから。


 視線を逸らし、エデルはもう一口、苦味があるコーヒーを口に流す。口の中にコーヒー独特の苦味が広がり、おもわず眉尻を下げそうになる。


 (……ん?)


 立っていた状態でコーヒーを喉に通していたから、彼は気付かなかったが、フェリスの首元に一瞬だけ鈍い光が反射する。


 気になったエデルは尋ねてみることにする。


「なぁ、フェリス」


「ん?」


 彼の方にフェリスは顔を向けた。


「その首元に通しているアクセサリー、まだ付けてたのか」


 フェリスは、瞬きを二度繰り返したあと「ああ、これ?」と容器を一度テーブルの上に置き、右手の掌に乗せてエデルに、確認を取らせるように見せつけた。


 フェリスが身につけているそのアクセサリーは、八年前、エデルが暗殺者になって間もない頃に贈った、最初のプレゼントだ。


 彼女は物持ちが、断然悪い方ではないが、まさか八年間ずっと肌身離さず身につけてくれていたなんて、思いもしなかった。


 誰しも血に塗りたくられた人から、贈られたプレゼントを一生大事にするものなんて、存在しないと思っていた。

 しかし、それはただの、彼の思い込みにしか過ぎなかったのだ。


 彼女はその空色スカイブルーの瞳で、中心に七芒星として刻まれたアクセサリーペンダントを凝視していた。


「当たり前でしょ? それに……」


 彼女の頬が耳が、みるみると紅潮していくのを感じさせる。


「あなたから最初に貰った、一番の宝物なんだから」


 この時、フェリスの表情は絶えない猛吹雪の中で、一輪だけ元気よく咲いた華のような笑みだった。



 翌日の四月十三日。昼間に暗殺学院から、使い魔を寄越した。その使い魔からは暗殺学院の生徒が、これから三年間着用する制服が今になって届いてきたのだ。


 三日前の入学式は、まだ新入生との顔合わせを済ませていなかったから何も気にしていなかったが、「重要な部分を忘れてんじゃねぇよ!」とエデルは心の底から、そう叫びたかったくらいだ。


 「まあ今日届いたからいいか」と、その件をあっさりと水に流したエデルだったが。


 暗殺学院の制服に一度袖を通す。

 上も下も黒一色の生地で統一された制服は、紛うことなき闇に紛れる暗殺者だ。といっても、任務は必ず仮面を付けるよう義務つけられているから、あってもなくても変わりはしないが。


 ただこの制服は上体を左右に動かす時、とても柔軟性に炊けた作りとなっているようだ。しなやかで、且つ、動きやすい。


 だとすると、あのフィンといった上級生が、あそこまで柔軟に動けたことに辻褄が合う。

 あの時のエデルは、そこまで制服に関して興味を示さなかったから、知る由もなかったが。


 左肩には暗殺学院の校章である、『死神の鎌』のようなものが刻まれていた。元々死神とは、寿命が残りわずかの人間の前に忽然と姿を顕現する、その名の通り、死を司る神だ。


 それをリスペクトしたかのように、暗殺学院の校章として刻まれているのだ。


 制服の試着も終わり、収納魔法陣の中に暗殺学院の制服をしまう。私服姿に瞬時に切り替わったエデル。まだまだ外には日が差しており、学院に登校するにはかなり早い。


 といっても、その間の時間……何に使えばいいかわからないエデル。今まで『黒の死神』として、任務を遂行してきた彼にとっては暇を持て余していた。


 退屈――その二文字が彼の頭の中によぎった。

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