入学式

 


 先程女性がフィンという男子生徒に浴びせた威圧が可愛らしく思えるような、濃度が濃ゆい威圧――否、殺気が女性に少しだけ向けられる。


 女性は息を呑みながら、後方に後ずさる。

 やり過ぎてしまったか、と思った、エデルは早急に殺気を収める。


 瞼を一度閉じ、ゆっくりと瞼を開けた。


「ごめんなさい。驚かせるようなマネをしてしまって」


「……い、いえ。そんなことは……」


 ぎこちなさそうな対応に、エデルは眉を寄せた。原因は自分にあるというのに。

 エデルはわざとらしく咳払いをし、空気を変えようと試みる。


「肩の力を抜いてください。先程の無礼については、お詫びを申し上げます」


 今度はエデルが頭を下げる。


「あ、頭を上げてください!! あなたがおっしゃりたかった気持ちを汲み取ることが出来なかった、私の責任です……」


 エデルはゆっくりと頭を上げた。

 そうして、女性の瞳を真っ直ぐと見据える。依然として、女性の瞳はオロオロと泳いでいた。


「それこそが、寛大な心ですよせんせい


「……っ!」


 今の一言に女性は目を丸くした。

 先程エデルに放った言葉だ。まさか自分に返されるとは、思っていなかったのだろう。


「そういえば、まだ名前をおっしゃってませんでしたね。自分はエデル・ルシャードと申します」


「あ。わ、私はイザベラ・アーレルスと申します。暗殺学院の一教師をやっております!」


 張りのある声で、イザベラせんせいは自己紹介に応じてくれた。それでも、少しだけ距離感が詰められたのでは、と思うエデルだったが、まだお堅いご様子だ。


 イザベラ・アーレルス。

 外見年齢は二十代前半。この学院に就職してからおそらくは、まだ半人前といった風格が醸しでている。

 身長は推定、百六十センチ前後。

 体型は一般の女性よりかは、少々スレンダーに寄っている。


 髪型はロングヘアで、髪色は茶髪だ。


 ひとしきりの間が空いた後、先に口を開いたのはエデルの方だった。


「イザベラせんせい。この後は入学式なんですよね?」


「はい」


「それにしては、生徒がオレ一人って……」


「これはその、今日だけは別々にわけられているのですよ! 人との顔合わせが極端に嫌がる生徒もいる配慮とのことでして……」


「イザベラせんせいの言い分はわかりますが、入学式と聞いて飛んできたオレが、生真面目みたいじゃないですか」


 落胆したように肩を落とすエデルの姿を見て、口角を上げたイザベラ。なにがおかしいのだろうか、とエデルは思うと、イザベラは微笑しながら口を開いた。


「暗殺者で生真面目なのはいい事ですよ。私も楽ですし」


「楽がしたいために生徒を調教するのは、あまりよろしくはないですよ? イザベラせんせい


 お返しとも言わんばかりの発言に、イザベラはオドオドする。フィンといったあの生徒も、イザベラせんせいの威圧に調教されていたのだろう。


「ま、冗談ですよ。冗談」


「なっ!? 嵌めましたね!! せんせいを!」


「嵌めたなんて……人聞きが悪いことを。それとも、実際に生徒を調教しているのですか?」


 イザベラをからかうような発言をするエデル。イザベラの反応が面白かったこともあり、つい出来心で揶揄してしまったのだ。


 しかしこれでも、暗殺学院の一教師を担っているイザベラが、喜怒哀楽の感情をコロコロ魅せるということは、裏があるのでは? とつい疑り深くなる。


 暗殺者は潜入捜査という任務が時折ある。

 こういった類いでは、イザベラには劣るな、と悟ったエデル。


「そんなことは、ない、です」


 イザベラの頬がわずかながら赤く帯びる。

 そして、目尻からは水滴が如実に現れ始める。


「あ。す、すみません。そういうつもりでからかった訳では……」


 オドオドするエデルをよそに、イザベラの口角が薄らと上がったようにも見えた。


「嘘泣きですよ〜。まったく、エデル君ったら酷い新入生ですね」


 まんまと仕返しを受けたエデルだったが、逆に安堵の息を漏らした。ここでイザベラが涙しながら教室から去っていけば、〈看破クラド〉の魔法が行使できないこの現状な上に、悲惨な入学式を辿ることになっていただろう。


「お、驚かさないでくださいよ」


 空気が和らいでいくのを感じる。

 お互い談笑をしていたら、入学式の時間が訪れた。



 夜間での入学式を執り行うなど、この周辺に住む地域の方たちには迷惑極まりのないことだろう。しかしながら、それはイザベラの発言で杞憂に終わることとなる。


「入学式は〈思念伝達ソルス〉の魔法によって執り行われます。なので、地域の方たちにご迷惑をお掛けするようなことはありません。ご安心を」


 イザベラは先程、フィンが襲撃してきた際に砕け散った窓ガラスを修復していた。彼女が行使した魔法は、〈時間逆行グレム〉という魔法だ。


 時間を超越する魔法を易々と行使するイザベラに、少しだけ興味を持ったエデル。

 エデルは彼女が行使している間、〈時間逆行グレム〉の魔法解析に移行する。


 エデルは眼を凝らし、魔法の深淵を追及する。


 (これは興味深い魔法だな。〈時間逆行グレム〉といったか。時間を超越する魔法を、間近で拝む日が来るとはな)


 複雑な〈術式コード〉で魔法を行使しているのを見るに、この〈時間逆行グレム〉という魔法は、イザベラが扱うのには少々荷が重いだろう。


淵源えんげん魔法か」


「……っ!? なぜ、それを?」


 一瞬、驚愕した素振りを見せたせんせいだったが、行使している魔法の方に意識を戻し、冷静に訊いてきた。

 一度でも意識がブレると、魔法が強制的に無効化される。さっきのエデルが、憶測を立てていた時と同様だ。


「……あくまでも憶測ですが、イザベラせんせいが一人でこの魔法を扱うには、少々荷が重すぎます。それと、師がそれほどの魔力量を持ち合わせていないのだと仮定すれば、淵源魔法という類いにたどり着くんですよ。まあ、あくまでも憶測ですけど」


 苦笑いをこぼしながら、イザベラに説明を教授したエデル。しかし、イザベラには申し訳が立たないが、エデルはこの淵源魔法を広く熟知している。


 イザベラは魔法の方に意識を向けた状態で、ひっそりと耳をそばたてた。


 そうして、〈時間逆行グレム〉の魔法で砕け散った窓ガラスを修復し終えたイザベラは、ゆっくりと踵を返し、エデルに鋭い目線が向けられたまま歩み寄ってくる。


「エデル君。キミは一体、何者なんですか?」



 〈思念伝達ソルス〉の魔法により、予定通り入学式が執り行われた。瞼を閉じて、脳内で学院長らしき人の声がこだまする。


 その声には、いつも身近にいた、あの父のように威厳というものがあった。学院長からのお小言をいただいた後、入学式の司会進行をしているものが、次の式辞に移行し、新入生代表の祝辞もいただき、入学式は恙無く終わりを告げた。


 瞼をゆっくりと開けると、四組の教室だった。


「終わったようですね」


 イザベラがエデルの視界に入り込むと、前屈みになってそう言った。まるで少年の瞳の奥を覗き見るかのように。


 だが、それは一瞬の出来事だった。

 エデルは後れて、返事をする。


「はい」


 ですが、と付け加えた後にエデルは言葉を紡いだ。


「頭の中が奇妙な感覚でいっぱいなんですよねぇ。〈思念伝達ソルス〉の効率化が、イマイチ悪いといいますか……」


「そう! そこなのよ!」


 〈思念伝達ソルス〉の効率化が悪いとエデルが指摘すると、イザベラが声を張り上げて同感した。

 〈思念伝達ソルス〉の魔法は、任務中では基本的に行使しない。いや、行使できたとしても先程の入学式と同様、脳内が奇妙――細かくいえばフワッ、とした感覚に陥ってしまう。


 あまりにも効率化が悪すぎる上にフワッ、とした感覚が発症すれば、任務に支障がでてしまうのだ。

 だから暗殺者には、パートナーとの繋がりを極端に保つため、作業用インカムという結論に至ったのである。


「イザベラせんせい。〈思念伝達ソルス〉の術式コードを拝見してもいいですか?」


 ブツブツ、と小声で〈思念伝達ソルス〉の魔法について語っていたことを、エデルは耳に挟んだが、お構い無しに質問をした。


「あ、すみません。ちょっとお時間を下さいね」


 〈思念伝達ソルス〉の魔法〈術式コード〉を〈魔力因子〉にて構築する。〈魔力因子〉はやがて魔法陣に成り代わり、〈術式コード〉が出現する。


「これが〈思念伝達ソルス〉の〈術式コード〉ですか」


 エデルが幼少期の頃に一度拝見した〈思念伝達ソルス〉と現在の〈思念伝達ソルス〉を比較するならば、幼少期に一度拝見した〈思念伝達ソルス〉の方、とエデルは答えるだろう。


 エデルは〈思念伝達ソルス〉の魔法に眼を凝らしながら、〈思念伝達ソルス〉の深淵を覗く。


 やがて、その起因が判明する。


「致命的な欠陥を見つけました」


 冗談でしょ!? と言いたげな表情を浮かべるせんせい。エデルにとって魔法〈術式コード〉の修正など、取るに足らぬものだ。


 彼が数多くの功績を残してきた理由の一つが、魔法〈術式コード〉の修正と新たな魔法を一から構築し、その魔法は一人の暗殺者死神によって世界に貢献されているのだ。


「で! で! どうなのっ!?」


 まるで子供のようにガツガツと詰め寄ってくる、イザベラにエデルは半ばのけぞりそうになる。


「あ、あのせんせい? 一旦、落ち着きましょう?」


 エデルは両手を胸元の前に差し出し、制止させるよう仕向けるが、


「これは落ち着いていられませんよ!! 世紀の大発見ですよ!?」


 世紀の大発見と言われましても、とエデルは次に発する言葉が見つからず、返答に困ってしまう。今のせんせいの瞳は輝いており、いかにもその答えを早く知りたそうにしているご様子だった。


「……ここです」


 と、エデルが〈思念伝達ソルス〉の起因部分に人差し指で示すと、イザベラはその部分を凝視する。目を細めたり、大きくしたりの動作を繰り返すのを、横目で見ていたエデルは、魔法の研究が好きなんだな、と内心思った。


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