暗殺学院

 


 ――皇都レイズンキラー


 四月十日。午後七時。


 澄み切った暗闇に浮かぶ美しい星空。

 暗殺者の雛たちが集うとされる、ここ、皇都レイズンキラー。一週間以上前に生業として訪れた神聖アストレウス帝国とは、また違った景色や風景が広がっていた。


 その街の一角にエデルがいた。


 懐から地図を取り出す。先日、暗殺学院の使い魔から贈られてきたものだ。地図に印付けられたところに、暗殺学院があるのだと示唆されている。


「しかし、人が多いな。(いつもは〈幻影偽装ファントム〉と〈隠匿魔力コルセル〉の魔法を行使してるから、何も思ってはいなかったが……)」


 暗殺者は人から悟られずに活動する。

 人の視線が飛び交う往来を歩いているエデルにとっては、かなり辛いものだろう。


 暗殺学院の入学式は午後八時から執り行われる。

 その間に学院に到着せねばならない。


 (人が多い。頭がクラクラする)


 エデルは路地裏に回り、〈幻影偽装ファントム〉・〈隠匿魔力コルセル〉の魔法を行使する。


 (やっぱりこれが落ち着くな)


 左右に挟まれた壁に視線を交互する。


 足に力を入れ、挟まれた壁をジャンプし、跳躍する。


 皇都に立ち並ぶその一つの屋根に飛びついた。


 重ねがけた魔法を解除する。

 心地よい風が彼の黒髪を揺らす。


 彼は再び歩き出し、所狭しと並ぶ建物の屋根上を跳躍し続けた。



 地図を確認しながら跳躍し続けること、約七分。


 (見えてきたぞ。あれが、暗殺学院か)


 学院から近いところに飛び降りる。人の気配が全くしないのが、少し不気味なところがある。


 (〈幻影偽装ファントム〉と〈隠匿魔力コルセル〉の魔法を重ねがけしてるのか? それとも……)


 エデルは念の為、魔法を行使する。

 エデルの足元に魔法陣を構築し、魔法が放たれた。


 彼が行使した魔法は〈看破クラド〉という魔法だ。


 その名の通り、対象ターゲットの位置を看破する魔法だ。


 しかし、手応えがなかった。


 (考えすぎか?)


 有耶無耶な心情が渦巻き、魔力がブレる。

 瞬間、〈看破クラド〉の魔法が途切れる。


 それと共に魔力が光と化し、霧散する。


 学院に視線を飛ばす。


 ――なるほど。そういう事か。


 『ナニカ』を理解したエデルは、そのまま暗殺学院の正門を潜る。


 魔法で作られた看板が目の前に顕現する。

 エデルはその数多くある中から、自分の名前を確認する。


 一回生四組。エデル・ルシャード。


 確認し終わった瞬間、エデルの前に顕現されていた看板が消失する。


 (対象の因子を読み取る魔法が、組み込まれてたのか?)


 因子には人の感情や五感、血液型といった様々な『情報』が組み込まれている。しかしその『情報』を読み取れるのは、あくまでも表層部分だけであり、深層領域まで読み取ることは絶対にない。


 人の深層領域には〈絶対不可侵〉という〈枷〉で掛けられており、その枷を人類で打ち破ったものは、この世に誰一人として存在していない。


 そのような事が実現できれば、世界に『大変革』をもたらすことができるだろう。


 (中は思ったよりも広いんだな)


 校舎は荘厳のある作りとなっており、暗殺の歴史が体現されたかのように窺えた。


 (これは、なんだ?)

 

 あるものに眼が行ったエデル。

 それは、壁に太刀傷のような跡が深く刻み込まれていたものだった。


 (こんな所に誰が入れたんだ?)


 その壁に手を当てる。

 しかし、そこから〈魔力因子〉の残滓は感じられなかった。


 (古い太刀傷のようにも見えるが……何かがあったのだろうな)


 壁から手を離し、エデルは歩みを進めた。


 階段を上り、二階にやってきた。

 廊下は一直線上となっており、授業で扱う教室や他クラスの教室などの札が、見えやすい位置に掛けられていた。


 (四組は……ここか)


 見えやすい位置に掛けられている札を再度確認し、エデルは教室の後方にある扉の取っ手に手をかけ、横にスライドさせた。


 月の光が教室に差し込み、まるで別世界に誘い込まれたかのような錯覚を受ける。魔力でその現象を具現化しているのでは? とエデルはふと思い、眼を凝らすが、〈魔力因子〉の残滓は浮かんでいなかった。


 (魔力因子が浮かんでいないということは、これは、本当に月の光か)


 エデルは教室に足を踏み入れ、前方にある黒板に目線を飛ばす。先程と原理が同じようにして、魔法で作られた看板が顕現する。


 (オレの席は、あそこか)


 席の確認が終わると、魔法で作られた看板は粒子と化し、霧散した。


 エデルは自席に座る。

 エデルの席は窓際の最後帯。つまり、クラス全体を一望することができる席だ。


 (もう七時過ぎだと言うのに、まだ来ないのか?)


 何か不自然だ、と思うエデル。時刻は七時を周り、教室にやってきた人物はエデルのみだ。念の為、暗器は懐の中にしまってあるので、いつでも戦闘態勢に入れることは間違いない。


 椅子の足元に魔法陣を展開し、〈看破クラド〉の魔法を行使する。それを上乗せするかの如く、エデルは〈索敵サーチ〉の魔法を行使した。


 〈魔力因子〉を要にして発動することができる、それが魔法だ。魔法とは元来、ただ唱えれば魔法が発動するのではなく、〈術式コード〉というものを描くことにより、魔法の効率化や魔力の供給量が著しく変わる。


 そして、普通では考えようともしない魔法の重ねがけを行使するには、応用力と理解力が必要になる。


 魔法を行使する、ということはそういう理屈や原理――『魔法の深淵』を知る必要があるのだ。


 暗殺者――死神になるには、それくらいやってのければならない。 


 (ふむ。やはりそうか)


 エデルが鷹揚に頷いた瞬間、


 窓ガラスが一気に割れた。

 割れた窓ガラスは教室中に飛散し、おびただしいガラスの破片となって床に散らばる。


 だが、エデルには『それ』が来ることをわかっていたのか、対応が俊敏に済むことができた。


 エデルの周囲に三つの魔法陣が展開され、〈防壁バリヤー〉の魔法が発動される。飛散した窓ガラスの破片を悉く打ち砕く。


 教室に入ってきた黒い影が蠢く。

 ちょうど月明かりが、通りかかる雲によって遮られる。


 あれほど天候が良かったはずなのに、雲が顕現するなど、不可思議な現象だ。


 〈防壁バリヤー〉の魔法を解除し、すぐさま攻撃態勢に持ち込んだ。

 懐にしまっていた暗器を俊敏に取り出し、蠢く黒い影に向けて横一文字を放つ。


 しかし、対象ターゲットは身のこなしが軽く、体を捻ってエデルの攻撃を容易く躱す。その軌道を加えた、強力な蹴りをエデルの体にお見舞いしようとするが、瞬間――空を切った。


「……っ!?」


 対象ターゲットが息を呑む。

 軌道を加えた強力な蹴りが、机の足を両断する。

 対象ターゲットの足には、さながら魔法を行使しているかのようだ。


 通常の身体能力では机の足を両断してみせることなど、まず不可能に近い。考えられるとすれば、二つ。


 一つが魔法を行使。

 一つが超人的な身体能力。


 後者は圧倒的にエデルの立場だが、前者は対象ターゲットの立場。


 つまり対象ターゲットは魔法を行使しながら、蹴りをお見舞している可能性がある。


 (った)


 対象ターゲットが得意とする足蹴りで、決着を付けようとしたその時、


「ちょっと何してるの……っ!?」


 その愕然とした声により、エデルの足蹴りは対象ターゲットの首元寸前で止まった。


 教室に電気が付けられる。


「何って、対象ターゲットが攻撃してきたから、反撃をしたまでだが……?」


「反撃って。ちょっと、フィン君。また新入生を驚かせようとしてたんでしょ!」


 女性がそう怒鳴り始めると、黒い影に包まれていたはずの『それ』が無くなる。その黒い影から顕現されたのは、エデルよりも一つ歳上に見える男性だった。


 エデルは片足を下ろす。


「す、すいません、せんせい! つい出来心といいますか……」


「出来心で新入生を襲撃していいなんて、教育した覚えはありませんが?」


 と、その女性は普通では、言い表せないような〈威圧〉を放った。男性を口止めするには十分な威圧感だった。


「あら? あなたは私の威圧に怖気付かないようですね」


 女性の眼がエデルの方に向けられる。

 それは普通の眼ではなく、さながら獲物を刈るような眼だった。


「……」


 無言を貫くエデル。

 エデルにとって女性の威圧感は、ただただ涼しい風でしかなかった。


「無視ですか……。感心しませんね」


 そうおっしゃいながら、肩をすくめる女性。

 女性は続けて口を開いた。


「フィン君。少しここから外れてもらえるかしら?」


 女性から発せられていた威圧感がなくなる。


「え、あ、はい!」


 フィンと呼ばれた男性は速やかに教室から外れる。

 残ったエデルと女性の視線が交差する。


「まずは謝罪を述べさせていただきます。申し訳ございません」


 女性は腰を折り、深く頭を下げた。


「頭を上げてください。襲撃を受けることは、あらかた予想していた事ですし……あなたが頭を下げる理由はどこにもありません」


 女性は腰を正し、頭を上げた。


「寛大な心の持ち主なのですね」


 エデルは首を左右に振った。


「いいえ。自分に寛大な心など……勿体ないお言葉です」


「ご謙遜なさらず」


 淡々とその女性はおっしゃった。


「それで本題に入りたいのですが」


 その発言により、教室内の空気が一変する。


「なぜ、私の威圧をその身に受けても、何処吹く風でいれたのかしら?」


 不満そうにおっしゃる女性。


「威圧だけで相手を鎮めさせるには、どうにも生優しすぎます。どうせやるのなら――」


 エデルはほんの少しだけ、常軌を逸した殺気を漏らす。それをじかで目の当たりにした女性は、一歩ずつ後ずさる。


 (な、なん、なの……!? この殺気……っ!?)


 それはさながら、蛇に睨まれた蛙が体現されたかのようだった。そうして、ゆっくりと彼は口を開いた。


「――こんな風に、な」


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