招待状



 黒の死神ゼノアの〈触滅ルイン〉によって、穿たれる寸前の話。カールは恐怖心を押し殺しながら、頭の中で『黒の死神』について反芻する。


 (私があの『黒の死神』に殺されるなど……あってはならな――)


 彼らにとっては、一瞬の出来事に過ぎなかった。

 三人の護衛役の一人がカールの異変に気付くものの、『黒の死神ゼノア』の〈触滅ルイン〉によって、それは阻まれた。


 刹那のスピードで二人が腐食――滅尽し、残りの二人もあっさりと黒の死神ゼノアに穿たれる。

 彼らは声を発することすら許されずに、忽然と姿を消すような形で対象ターゲットは抹消されたのだった。



 黒の死神ゼノアが行使した〈触滅ルイン〉という魔法は、対象に触れただけで相手の細胞を滅ぼすことが可能な呪いの魔法だ。


 この魔法を行使できる人物は、今のところ黒の死神ゼノアを入れて九人の死神たちだけである。


 そんな黒の死神ゼノアは現在、神聖アストレウス帝国の白亜の塔に戻ってきていた。


『――こちらゼノア。対象ターゲットを抹消することに成功。直ちに帰還する――』


 黒の死神ゼノアはインカムの電源を入れ、パートナーフェリスに連絡する。


【――おつかれ様。それじゃあ、アジトに戻ってきてちょうだい――】


『――わかった――』


 了承の返事をし、インカムの電源を落とそうとした瞬間、パートナーフェリスがとめどなく言葉を紡ぎ出した。


【――あ、ああっ! 待って! もう一つだけ要件を思い出したわ――】


『――そんなに慌てるような要件なのか?』


【――い、いいえ。別にそんなんじゃないけど……――】


 歯切れが悪い。こんなパートナーフェリスを聞くのも久方ぶりだ。そんな、パートナーフェリスが口を開いた。


【――あなたのお父様から伝言をいただいてるの。帰還したら私のところに寄れ、とね――】


『――唐突だな――』


【――それほど重要なことなんだと、わたしは思うわ――】


 (パートナーフェリスに伝言するほど、重要な話って訳なのか? 相変わらず、父さんの考えが読めん)


 疑念が晴れない中で、黒の死神ゼノアは足元に魔法陣を描いた。


「〈転移ラジン〉」


 一瞬にして、黒の死神ゼノアの視点が真っ白に染まる。少しずつ視界が晴れていくと、黒の死神ゼノアの眼前には我が家が佇んでいた。


 どこにでもある普通の家。

 ただ一つだけ違うとすれば、少しだけ敷地面積が広いのと柵があるくらいだろう。


 黒の死神ゼノアは我が家の敷地内に入ると、仮面に右手を伸ばした。

 仮面を少しずらせば、健康的な肌が顔をのぞかせると共に、全身黒ずくめで覆われた服装が、光の粒子と化して、それは霧散する。


 私服姿の黒の死神ゼノア――否、エデル・ルシャードに戻ったのだ。


「ふぅ」


 エデルは小さく息を吐いた。


「やっぱ、私服が軽く感じるな」


 先程まで機械音のような声を発していた彼だったが、今度はちゃんとした男性の声が聞き取れる。

 エデルは我が家の扉の取っ手に手を伸ばし、引いた。


「……ただいま……」


「お帰りなさい」


 エデルの声に応答したのは、美しい私服に身を包んだ女性だった。外見年齢は二十代後半のようにも捉えられる。髪型はお風呂上がりなのか、髪が湿っているのが窺える。


「……父さんは……?」


「別室で仕事をしてるわよ……。お仕事、ご苦労さま……」


 ゆっくりと彼に近付き、母さんはエデルを優しく抱きしめた。


「ごめんなさい」


 突然、母さんが謝ってきた。


「……なんで謝るんだよ……」


「……エデルはまだ、こんなに若いのに、重大な仕事を押し付けてしまって、ごめんなさい。ごめんなさい」


 まるで懺悔するかのように母さんは平謝りをした。

 ――そんなオレが問いかけた言葉は、


「……仕方ないんだよ……。ルシャード家は代々から続く、暗殺の家系だ。オレ以外の適任者でもいたなら、話は別だった」


 ――けど、そんな責任を『アイツら』に押し付ける訳には、行かなかった。


 ルシャード家は、父のセテル、母のクレア、長男のエデル、次男のリアム、長女のミラと共に生活を送っている。


 裕福な家庭でもなければ、貧しい家庭でもない。

 どこにでもある普通の家庭。


 ただ一つ違うとすれば、暗殺の家系。


 ルシャード家は五歳から、様々な英才教育が施される。その中でも随一突出していた人物が、長男エデルだった。


 次男リアム長女ミラも歴代で類をみない才能を引き出したが、それでも長男エデルには適わなかった。


 ――アイツらには人を殺すという、覚悟が足りなかった。


 暗殺は他の職業とは全くの別物。人の返り血を浴びながらでも、進み続けるしかない。止まることなど、決して許されない。


 そうして、暗殺としての『適任』になったのが、長男のエデル・ルシャードだった。


 エデルは母クレアの背中に手を添え、優しく抱き返した。


「何千何万という人を殺めてきたオレが言うのもあれだけど、アイツらには幸せな未来を築いて行って欲しい。人の血で塗りたぐられる人生なら、オレだけでいい」


 エデルは続けて言葉にした。


「だから母さんは、アイツらが幸せな未来を築けるように、後押ししてやってくれ……。オレの願いはこれだけ……他は何もいらない」


「……エデル……」


 クレアは申し訳なさそうな表情で、息子の名を呼ぶ。

 クレアはエデルから離れる。


「……時間を取らせてしまって、ごめんなさいね」


「気にしないで。それよりオレは……父さんのところに行ってくるよ」


「うん。行ってらっしゃい」


 玄関を上がる。

 エデルは父セテルがいるはずの仕事部屋に向かった。



 セテルがいるはずの部屋の前にやってきたエデル。

 黒色で彩られた扉を、エデルはノックする。


 ノックした瞬間、扉の向こう側から父の声が飛んできた。


「失礼します」


 一言いって入室する。


 エデルの目先には、資料と睨み合うセテルがいた。

 仕事机の上に散らかしている資料諸共を、その眼で確認すると……。


「アイツから聞いて飛んできたんだが、要件はなんだ?」


 エデルは現在進行形で作業をしているセテルをお構い無しに、そう質問した。


「エデルか。依頼は無事完了したようだな」


 エデルの質問を無視し、セテルは無愛想な口調を発しながら、作業を続ける。


「ああ。いつも通りに終わった。それより、要件ってのは……?」


「まあちょっと待て。今これを終わらせる」


 そう言われてしまえば仕方がない。

 エデルは扉から入って、近いソファに座った。


 それから約五分。


「よし終わった」


 セテルはオフィスチェアから立ち、一つの封筒を手にする。そして、それをエデルに見せた。


「これは?」


「お前宛てのものだ。差出人は『暗殺学院』ってところからだ」


「ふーん」


 興味なさげな感じで呟き、エデルは手渡された封筒を確認する。今更学院に通ったって学ぶことなど何も無いのに、とそう心の中で言葉にする。


 封筒に貼られていた封蝋を開け中身を確認する。


 そしてそれは……達筆な字で簡潔にこう書かれていた。


『暗殺学院からの招待状をここにお贈り致します』


 (招待状?)


 エデルは封筒の中を再度確認する。

 すると、そこにはもう一枚――それもかなり上品な紙が入れられていた。


「これが、その招待状か」


 赤色で上品な紙を手にする。


「暗殺学院からの招待状なんて、珍しいこともあるもんだなぁ。あの学院、もう入学試験が終了してると聞いたんだがな」


 セテルは悠長にそんなことを言った。


「だったらなんでオレの元に招待状を贈り付けた? 入学試験が既に終了しているのなら、生徒一人を増やそうとするなど、おかしいにも程がある」


 暗殺学院は次代の暗殺者を育成するために創られた学院だ。しかし、その学院で優秀な暗殺者になれる生徒は一割を下回るという噂を耳にしたことが、少年にはあった。


 そもそも、今更学院側から招待状を贈り付けられても、エデルからすれば迷惑極まりないのだ。

 なにせ彼は裏社会で持ち切りとされる、あの『黒の死神』なのだから。


「古今東西。暗殺学院は卒業まで到達できる生徒の数が一割にも満たない。今年からそのような制度を大幅に改善するべく、『お前のような人材』を入学させる魂胆に決まったのだろうな」


「つまり、オレがその……『次世代を担う柱となれ』、というものになれというのか?」


「さぁな。そこまではわからないが、そうなんじゃないのか」


「イマイチしっくりと来ない発言だな」


「俺はそこまで頭脳が乏しくないんでな! ……ったく」


 鎌をかけるような発言はした覚えがないんだが、とエデルは胸中でそう呟いた。

 エデルは招待状を封筒の中に入れ直し、手に収めたままソファから立ち上がった。


「部屋に戻る」


 と、エデルはセテルに向けてそう放った。


「少し待て。最後に一つだけ言うことがある」


「なんだ?」


 セテルが出る次の発言に耳を傾ける。


「暗殺業界から通達を貰ってな。しばらくの間、お前は暗殺者から降りろ、とのことだ」


「は? いきなりなんで……」


「言うのを忘れていたが、暗殺学院は夜間登校が原則でな。暗殺者の雛たちにお前の正体がバレてみろ。火を見るよりも明らかだ」


「た、確かに」


 『黒の死神』はすべてが正体不明に包まれた暗殺者だ。その死神に憧れを持つ生徒が中にもいるだろう。セテルの言う通り、ここは暗殺者の仕事を一時的に降りるという、選択を取るほかないだろう。


「わかってくれるか?」


「そう、だな」


 エデルは首肯し、セテルの言葉を汲み取ったのだった。


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