暗殺学院と黒の死神

事務猫

第一章:暗殺学院編

暗殺の世界


 


 ルシャード家長男、エデル・ルシャード。


 先祖代々から続く暗殺者の家系で彼は育ったのだが、ルシャード家はそれほど名家な暗殺者という訳ではない。彼らの情報は全くもって不明であり、国に管理されてる『個人情報』ですら、荒唐無稽なものとなって登録されていた。



 何千何万の極悪人をその手で確実に仕留めてきた暗殺者。幼少期の頃から英才教育を施された彼は、ルシャード家の秘術・鬼才な魔法技術・超人的な身体能力に加えて、八歳で複数の魔眼が開花。そして、幅広い知識を獲得した結果、わずか十歳にして『世界最強の暗殺者』へと至った。


 そうして、彼が暗殺者の仕事を生業としてきた頃、裏社会ではいつしか彼のことを、こう呼ぶようになった。


 ――黒の死神。


 闇に紛れるその死神は、相手に気配すら感じさせない。死神から暗殺対象となった極悪人は、数日後、忽然と姿を消すのだそうだ。


 その死神がどのような恰好、どのような顔立ち、どのような声質をしているのかは、暗殺業界でも知る術はない。


 死神は『暗殺クラス』でトップに君臨する。

 トップは計九名とされているが、公式としては八名である。

 暗殺の歴史は古来からあり、年月で相応するならば、おそらく千年くらいだろう。



 三月三十一日。午後九時五十分。

 神聖アストレウス帝国・白亜の塔。


 塔の屋根に全身が黒ずくめに覆われたような男が、街の夜景をバックにしながら佇んでいた。顔は漆黒に彩られた仮面を付けており、真紅の色をした瞳がヤケに不気味である。


 その仮面を喩えるなら――骸骨。

 瞳の色だけは全くの別物だが……。


 (予定の時刻まで、あと十分か)


 左手首に装着していた腕時計に、その不気味な瞳を向ける。今回『暗殺者』が狙うターゲットは、暗殺者にとって定番な『貴族様』だ。


 依頼者は匿名であり、名を知ることができない。

 ただ、そのターゲットの情報はきっちりと掴んでいた。でなければ、このミッションを行うこと自体が不可能だ。


 それなりの代価は支払わせてもらっているのだから、失敗は許されない。まぁ、この男にとって『失敗』の二文字は微塵も存在しない。


 男は耳の部分に手を当て、機械音のような声を発した。


『こちらゼノア。応答を頼む――』


 ブツッ、と耳鳴りのような音が一瞬生じた後、凛とした声が男の鼓膜に届く。ちなみに『ゼノア』というのは、この男のコードネームである。


【――こちらフェリス。目的地に到着したようね――】


 更にブツッ、という耳鳴りのような音が生じれば、今度は男が口を開く。


『――少し前から街を俯瞰していたんでな。連絡が遅れたのはそれだ――』


 更にさらにブツッ、という耳鳴りのような音が生じる。男の耳には小型のインカムを取り付けており、任務用で使用するものとなっている。

 これで『パートナー』とのやり取りを、行っているのだ。


【――そうなのね。…………まあ『ゼノア』にとっては、お節介になるのかも知れないけれど、任務報告だけは忘れないでよね――】


『――死神にはいらぬ世話だが……忠告として受け取っておこうか――』


【――……頭ごなしに否定しないのね――】


『――死神と言えど、『パートナー』との関係は良好にしておかないと行けないしな。万に一つもないが、今後もし、オレが支障をきたすような事態があれば、対応が面倒になる。お前はそういうのが嫌だろ?――』


【――死神ゼノアにしては、随分と気の利いた事を言うじゃない――】


 気恥しそうな声がゼノアのインカム越しに届く。


 (嬉しそうだな)


 彼女フェリスとの関係は大分長い。

 彼女フェリスゼノアの〈情報源ナビゲート〉としての役目に適している。彼女フェリスは優秀だ。死神ゼノア本人が認める人材は、この先、現れることはないだろう。


 ゼノアが感慨深い気持ちになっていると、


【――ゼノア。そろそろ来るみたいよ――】 


 ゼノアはインカムから、帝国の夜景の方へ意識を傾ける。彼女フェリスの〈情報ナビ〉によると、その貴族様は『金と権力』の沼にハマり、各地方に滞在している女性との飲み食いなどは勿論のことらしく、自分の仕事を放ったらかしといった『社会不適合者』と化している。


 一見にして貴族当然の行為としてはみられているが、ある匿名から聞いた情報によると、その貴族は一度殺人の罪を犯しているのだそうだ。


 自分の犯した罪とは向き合いもせず、のうのうと暮らしているような輩には、制裁を降されるのが世の常だ。


『――だから貴族が作る政治は好きになれないんだよなぁ――』


【――どうかした?】


 インカムを切り忘れていたようで、彼女フェリスの声が耳に入る。


『――ただの独り言だ、気にするな――』


 ブツッ、とインカムの音声を一度切る。

 向こう側とのやり取りは、少しの間は出来そうにない。


 (正義執行もとい、暗殺を執行する)


 白亜の塔の屋根からゼノアは、跳躍する。

 神聖アストレウス帝国の所狭しと並ぶ、建物の屋根を跳躍しながら、ターゲットの元に移動する。


 その際、自分が移動したという痕跡を跡形もなく隠滅する。先程いた白亜の塔も例外ではない。


 (所定の位置に着けた。あとは、ターゲットの出方次第だな……)


 高層ビルの屋上からターゲットが通るであろう、往来付近にゼノアは、その不気味な瞳を向ける。


「〈索敵サーチ〉」


 索敵魔法・〈索敵サーチ〉。広範囲の索敵を可能とする魔法だ。初級の〈索敵サーチ〉の効果範囲は十m程度、しかし、練度を積んで行けば〈索敵サーチ〉の効果範囲は六kmは軽く超えるだろう。


 ゼノアの前には〈魔力因子〉によって形作られた、神聖アストレウス帝国の地形図が浮かび上がる。しかしその地形図は、ゼノアが〈索敵サーチ〉した六km圏内のものとなっている。


 地形図には青色と赤色、そして黒色が点灯していた。青が一般人、赤がターゲット、黒が自分自身となっている。


 かなり便利な魔法だが、人前で行使できるような場面は中々ないだろう。その理由が、〈魔力因子〉によって証拠が残る可能性があるからだ。


 といっても、痕跡魔法の〈隠滅デスラ〉によって証拠は一切残ってないのだがな。


 (ターゲットは近くにいるが……かなりの速度で移動しているようだな)


 貴族らの移動手段には二つある。

 一つは馬車による移動。

 一つは〈魔空車〉による移動だ。


 〈魔空車〉は魔力を原動力にしている。

 馬車よりかは、かなりの速度で移動できる代物だ。

 魔力の供給量によっては、凄まじい速度で発進することも可能なのだ。


 どうやら、今回の移動手段は後者のようだった。


 〈地形図〉を解除し、高速で移動する魔空車に、その眼を向けた。


 (護衛が三人、か。随分と手薄だな)


 なにか企んでいるのか? と憶測を立てるゼノア


 (なんにせよ、このオレからは逃げられないけどな)


 ゼノアは高層ビルの屋上から降下する。

 急降下しているので、風圧が物凄い。

 外套を靡かせながら、綺麗に地面に着地する。


「〈幻影偽装ファントム〉・〈隠匿魔力コルセル〉」


 ゼノアは〈幻影擬装ファントム〉と〈隠匿魔力コルセル〉の魔法を行使する。


 〈幻影擬装ファントム〉は第三者から確認すると、本来の自分とは異なった姿――擬装として認識される。


 〈隠匿魔力コルセル〉は魔力を隠匿させる魔法だ。周囲の人間には魔力が微塵にも篭っていないように錯覚させることが可能だ。


 また、この魔法は〈武装強化フォース〉との重ね掛けでも活用できる上に、騙し討ちが有効打になる魔法でもあるのだ。


 (〈幻影擬装ファントム〉と〈隠匿魔力コルセル〉の魔法により、俺の姿は『無』に等しくなった。あとは、ターゲットを刈れば……仕事は終了だな)


 姿かたちが見えない状態で、ゆるりと歩くゼノア。往来を行き来する人たちに接触すれば、たちまち接触した相手が違和感を覚えてしまう。


 そうなってしまえば、ターゲットを刈る前に本末転倒もいい所である。


 (黒の死神と呼ばれる所以ゆえんになってしまった一つが、これだと思うんだよな)


 〈幻影擬装ファントム〉と〈隠匿魔力コルセル〉の魔法を重ねがけするという発想を今のところ持ち合わせているのだとすれば、それはゼノアしかいないだろう。


 ゼノアは幼少期が経験するとは、思えないほどの英才教育を施されてきた。

 彼の年齢は現在、十六歳。わずか八歳で複数の魔眼を開花させ、そして、超人的な身体能力と幅広い知識と鬼才の魔法技術を会得し、十歳にして『世界最強の暗殺者』へと至ったのである。



 貴族ターゲットを乗せた魔空車が目的地に到着し、駐車エリアに魔空車を停めた。

 貴族ターゲットの護衛役と思わしき人物が、後部座席のドアを開ける。


「今宵の月は明るいのぅ」


 真空車から降りたその貴族は言った。


「そうですね、カール様」


 護衛役の一人がそう返答する。


 カール・アンテス。

 歳は四十~五十の間。

 薄らと白髪が混じっており、口周りの髭は綺麗に剃られている。白髪を除けば、清潔そうな見た目をしているのだが、この男の犯した罪は綺麗に拭えない。


 護衛役の三人は、カールを中心として前・左斜め後ろ・右斜め後ろに配置着く。


 アンテス家は神聖アストレウス帝国の中で、三番目に権力と地位、そして富豪を持ち合わせている。

 貴族のランクでは『大公爵』だ。


 カールは重たい足取りの中、先日、カールの従者から聞いた話を頭の中で思い出して行く。



 その時は確か、自室で作業をしていた時だった。急ぎ足で近付いてくる足音を耳にしたカールだったが、手を休めることなく作業を続けていた。


 自室の扉を強めに叩かれた時は、何事かと思ったが、そのまま入室の許可を与えてやると、


【カール様っ! 大変です!】


 と、カールの従者が真っ青に染まった表情で、声を張った。


【……何事だ……】


【か、カール様。本当に大変なんです! 『何者』かがカール様の『情報』を引き出し、暗殺の依頼を委任したそうなんです!!】


 その時のカールは絶句した。

 唖然とするカールをよそにして、カールの従者は、少しずつ落ち着きを取り戻してきたのか、冷静に言葉を紡ぎ出す。


【しかも、その暗殺者が――あの『黒の死神』だそうです】


 『黒の死神』――その呼び名は、素性不明、性別も不明、すべてが正体不明に包まれた謎の暗殺者だ。

 対象になっていた護衛ですら、その顔立ちを確認したことがなく、声帯も不明である。


 その『黒の死神暗殺者』に狙われたターゲットは、もれなく『死』の道を辿る、と言われている。


 何時どこから現れるかわからない謎の暗殺者。

 カールの恐怖心が体全体に隈無く駆り立てた。


 (この私が、暗殺者風情に狙われる、だと……っ!? 私にはなんの罪もない……なんの、罪も……っ!!)


 自分自身に嘘は通じないと言うのは本当らしいが、カールはそれでも自問自答と自己否定を、この時ばかりは繰り返したそうだ。



 神聖アストレウス帝国・午後十時頃。


 (カール・アンテスターゲットを確認。情報通りの男だな)


 カール・アンテスを含む護衛役三人の背後を見据えながら、ゆるりと歩く黒の死神ゼノア


 (〈触滅ルイン〉・〈隠匿魔力コルセル〉)


 黒の死神ゼノアは魔法を重ねがけし、右手の人差し指が滅紫けしむらさき色に染まり、その指が対象ターゲットの首に目掛けて放たれた。


 常人の眼では捉えられないほどの速度で、対象ターゲットの首を穿った瞬間、対象ターゲットの肉体は滅尽した。


 証拠を残さないように黒の死神ゼノアは、対象ターゲットとは無関係な護衛役三人に向けて、滅紫色に染まった指で穿った。


 (……何も知らないまま、あの世に行くなんて……哀れだよな……)


 漆黒に染まった仮面の内側で、彼は悲痛の表情を浮かべたのだった。


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