思いっきり笑って、そのまま逝け

高橋末期

思いっきり笑って、そのまま逝け

 第一の鐘が鳴った。目の前に出された、高坏に乗せられた琥珀色の神酒をわたしと栞奈は、太鼓の合図と共に飲み干し、それと同時に打ち鳴らされた太鼓の合図と共に次の言葉を言い放つ。


『ないさん、ないさん、にらめっこしましょ、笑うと負けよ!』


 有名な童歌の替え歌を大声で謡う。わたしと栞奈は、デコや鼻、唇、頬のパーツをグニャリと粘土細工のように変形しながら、時にユーモラスに、時にシリアスに、時にシュールレアリズムのように、わざと出した涎と涙と鼻水のグラデーションを加えながら、変形していくが、こういう事態を想定されて教育され、訓練されているわたしたちには、訳がなく、可笑しいという感情も沸き立たないように、無意識下で……自転車を当たり前に漕ぐかのようにコントロールしていた。


「やっぱ、笑わないか……」


 栞奈はガッカリした様子で、長い黒髪をたくし上げながら、千早の巫女装束を少しだけ着崩し、追加された神酒を水のように飲み干す。


「当たり前でしょ……あんたのそのアホなツラを何百と見たからね。さすがに飽きたよ」


 わたしもそう余裕ぶりながら、五回目の鐘に出された神酒を飲もうとするが、正直言うと、もう頭がクラクラしてきた。もう今が、栞奈とこうやって馬鹿げた「にらめっこ」をしている事でさえ、夢なのか現実なのか認識しづらくなっていた。それは、栞奈も思うことは一緒だろう。


 わたしが飲んでいるこの琥珀色の神酒……これはスズメバチやカバキコマチグモから抽出された神経毒とワライタケなどキノコが持つシロシビンと共に、「ないのにらめっこ」用に醸造された特別な神酒だ。飲めば体内に微量な神経毒とシロシビンが体内で循環され、アルコールの作用もあって、些細な幻覚と共にあっという間に心臓の心拍数はぐんぐん上昇する。


 互いの一分間の心拍数は、常人の四倍近い数を超えていている中、わたしと栞奈は厳かな神社の拝殿内で「にらめっこ」をしている。何が言いたいかと言うと、そんな心拍数の中で、笑ってしまったら……血圧を上昇させる「笑い」という行為を行ってしまったら……わたしたちのいずれかは――。



「死んじゃうよね」


 小学三年生の頃だ。公園で栞奈が、泥まみれの泣いているわたしを抱き起すと、ブランコに座らせながら、いじめっ子にやられた膝の傷をハンカチで拭き、そのまま唾で消毒し傷口を結ぶ。


「どうして、抵抗しなかったの? あなた伽藍ときあいの子でしょ?」


 わたしのいる村は、見渡す限りの景色が山と川と緑しかない田舎と呼ばれる場所であるが、東京、大阪から新幹線、私鉄を乗り継いで三時間、日本百名山に登録されている山も有し、二つの温泉街を保有し、それなりの観光資源によってもたらされる比較的豊かな田舎村という場所だった。


 伽藍家と鶴見家。この土地の住人なら、その名を知らない者はいないだろう。東西の二大温泉地……伽藍温泉と鶴見温泉の土地や源泉の権利を保有する一族は、平安時代から続くこの村を支える大黒柱であり、戦国時代における対立から代々、リニア新幹線が隣村を貫くこのご時世だというのに、両家は未だに反目し合う関係性となっていた。


「わたしの名前は鶴見栞奈。あなたは伽藍……」


「登紀子……」


 やっと泣き終えたわたしは、自分の名前をボソッと栞奈に言う。わたしが同学年や上級生に虐められていたのも、わたしが伽藍の家の者であるという、理由にしてはそれ以上でもそれ以下でもなかった。だからわざわざ、狭い村にある小学校でクラスをわざわざ分けられ、なるべく両家の子供が出会わないような時間差で登下校させているにも関わらず、鶴見の家の子供たちは、わたしを待ち伏せし、非力で臆病な無抵抗のわたしを格好の標的としていた。


 正義感の強い、栞奈はそれを見過ごすことは出来なかったらしい。


「でも、いいの? 伽藍の子を鶴見が助けちゃってさ……」


「いいよ、わたし偉いもん、あなたもでしょ登紀子。だからこれから、わたしのことも、栞奈って呼んでよ」



「それが、あなたと最初の出会いだった」


 十二回目の鐘が鳴り、わたしは神酒を飲み干す。身体がこれまで蓄積されていた抗毒血清がやっと順応し、心拍数や頭痛が落ち着いてきた。顔を変形させたり、手や足を使ったパントマイムやハンドジェスチャーも、大方出し尽くし。だからといって、漫談のレパートリーが豊富という訳でもなく、わたしと栞奈はあろう事か、「昔話」を語りだした。


「なんで、登紀子は虐めれていたんだっけ?」


「栞奈だってよく知ってるでしょ。塩漬けのスズメバチよ、虫食いの登紀子ってね、よく馬鹿にされていたわよ」


「わたしの場合、そのスズメバチを投げつけて、噛みついてやったわよ。わたしはおまえたちを殺せるほどの猛毒を持ってるぞー! って脅しながらね」


「栞奈らしい」


「わたしらしいでしょ」


 わたしたちは微笑んだ。決して本心で笑っている訳ではない。


 わたしたちはスズメバチやワライタケを、フグの卵巣の糠漬けのように、毒素を薄くさせた糠漬けを幼少のころから摂取していた。この神酒の為、身体を慣らす為にだ。


「子供の頃はそれが異常だと思わなったのが不思議だよね」


「ええ……それにやっと気がついたのは、中学生の頃だったよね」


 鐘がけたたましく鳴り出した。



 わたしたちは、有事の際、両家の取り決めた古来からの神事「ないのにらめっこ」によって、どちらかが「笑い死に」するまで命を賭す存在だと知ったとき、密かに連絡を取り合っていたたわたしと、栞奈はこの因習を残すこの村を逃げ出そうと画策していた。


「いいの?」


「バッサリやって」


 栞奈はその自慢の長い髪を切り、わたしもウィッグを被り変装をした。貯めていたお年玉を握りしめ、親が経営している旅館の従業員用の公用車に乗り込み、本とYouTubeで学んだだけの見様見真似で、エンジンをかけた。


「これで共犯だね、わたしたち」


 栞奈は必死にハンドルを切るわたしの横で、悠長に車の窓から腕を伸ばし、やっと手に入れた自由を謳歌するかのように、長い歓声を上げる。


 村の交通手段、バスやタクシー、電車でさえも、伽藍や鶴見の監視が行き届いているのは周知の事実であり、監視の目をかいくぐり、村の外へ出るには車を盗むしか方法は無かった。


 途中、警察にでも職質されれば、一発でアウトであるが、そもそも自分や栞奈の生死が関わることから逃げているのだから、警察が……無免許運転で捕まるのが、今更どうしたという話であった。


 大きな駅がある街の駅へと無事に辿り着き、車を乗り捨ててから東京行きの新幹線へうなだれるように、座った瞬間、栞奈はわたしに抱きつき、誰もいない車内でキスをした。


「これは吊り橋効果ってやつなのかな?」


「吊り橋ところか、綱渡りでしょ。二人三脚で渡る綱渡り。わたしには登紀子しかいないから」


「そう……わたしにも栞奈しかいないから」


 その後、東京の漫喫や安ホテルを転々としながら、SNSやマスコミ(警察は無免許運転の件もあり、怖くて連絡できなかった)に「ないのにらめっこ」の事を事細かに説明したが、なにせ中学生の言う事である。はじめから信じてもらえる訳がなかった。生死を賭けたにらめっこの事など誰も……。



「結局、捜索願によってわたしたちは、あっけなく警察の御用となったわよね」


「本当に怖かったのはその後、村へ戻った翌日、わたしの父さんも母さんも、わたしを𠮟りつける訳もなく何事もなかったかのように、普段と変わらぬ日常を送っていた事よ」


「この村や、家の連中は、あくまでもわたしらをこの神事の道具という扱いだったのよね」


 鐘が鳴り、わたしは物語という名の回想を栞奈に語り出す。段々と暑くなってきた。暖房を強くしすぎている気がして、もう我慢できそうにない。



「もう、我慢ならないの」


 互いに高校生となり、同学年からのわたしに対する扱いは段々と変わってきた。神事における村の二大御両家のご息女と巫女という事で、クラスメイトや教師はわたしと栞奈に干渉せず、だからといって無視をする訳でもなく、まるで、わたしらに対する取扱いマニュアルでもあるかのように、あしらい、胸がムカムカするぐらいに奉っていた。干された裸の王様のような気分だったが、だからこそ、わたしと栞奈は、裸の王様になってやったのだ。


「……栞奈……あっ! そこ!」


「恥ずかしい? 登紀子のその可愛い顔をもっと見せて」


 わたしと栞奈は保健室でエッチをしていた。制服のシャツを脱ぎ捨て、ブラのホックを互いに外しながら首筋から耳の辺りを舐め回し、パイプベッドをギシギシと揺らす。養護教諭がすぐ傍にいる横でだ。


 初めは栞奈の冗談だった。


「マニュアルがある扱いをされるぐらいなら、もっと予想外の事をしてみたらどうなるだろう? 例えば、わたしと登紀子が白昼堂々とエッチな事をしてみたりとかさ」


 授業中に、体育館の端で、準備室のソファで、理科室の机の下で、グラウンドのど真ん中で……わたしたちは半裸に近い状態となってヤリ合った。同級生や大人に見られながらも、わたしたちはそれでも構わないと言わんばかりにヤリ合ったのだ。不謹慎とか、不道徳とか、そういうのは関係なくマニュアルで接する村の連中が驚き、慌てふためく様を笑ってやろうかと思ったが、以外とこの行為が想定内だったのか、過去に前例があるのかは知らなかったけど反応は薄かった。それが返って、わたしたちを更に燃え上がらせた。



「身体に順応させた毒のせいかもしれない」


 栞奈は自嘲気味な笑みを浮かべながら、神酒を飲み干す。


「ぶっちゃけると、あの頃のわたしらはどうかしていたかもしれない。未だにあなたとわたしとの行為が、夢なのか現実だったのかの区別も出来ない」


「むしろ夢だったほうが幸せだったのかもしれないね」


 毒のせいなのか、身体が熱くなり汗が止まらない。


「神酒の毒によって副交感神経が狂っているのね、いいじゃない、あの時みたいにさ……脱いでよ」


 互いに裸の姿となり……わたしが神酒を飲み干すと、鐘が再び鳴り出す。栞奈は正座へと組み直し、わたしに物語を語りだす。



「準備はいい?」


 中学生の頃、二人でこの村を出て以来だろうか、真夜中に旅館の公用車を盗み、今はあまり使われていない、山中の廃材置き場に車を停める。

 

「長い紐っぽいものってこういうのしかなかったけど……」


 わたしは、夏祭りで使われた三十メートルのコードリールを持ってきた。栞奈は「それで充分よ!」と、意気揚々と準備を始めた。


 先週見たとあるニュースで、車を使った凄惨な自殺が報道されていて、栞奈はそれをヒントに真似しようとしていたのだ。


「わたしね死のうと思うんだけど、一人じゃ怖いから、登紀子も一緒に死の? 思いっきり笑って、そのまま死のうよ」


 今思えば、栞奈の独りよがりのワガママだったのだが、この狂った村で、頭のイカれた儀式で命を落とすくらいなら、いっそのこと栞奈と心中した方がマシなのかもしれないとそう思いこんでいた。


 服毒は、そもそも毒に対する抗体を持つわたしたちには論外だと思うし、刃物や、練炭による一酸化炭素中毒も、かなり苦しいと聞いた。飛び降りはどちらかが失敗したときのリスクも怖いし、なるべく二人同時に楽に死ねる方法としては、この大掛かりな、車を使った自殺方法しかない。


 コードリールの根本を建物の柱に結びつけ、先端のコードをお互いの首に巻き付けたまま、わたしは運転席へ、栞奈は助手席にへと座る。このままアクセルを踏めば、コードリールがわたしたちの首を締め付けて、晴れてあの世へと旅立てる寸法だ。


「怖い?」


 栞奈はわたしの手をギュッと握りしめる。


「怖いけど、栞奈と一緒なら怖くない」


 わたしも、栞奈の手を握り返す。


「最後にさ……聞こうと思ったけど、登紀子はさ……わたしのこと愛してる?」


 その質問にわたしは「えっ?」と、栞奈の方へと振り向く。栞奈の瞳が、車のヘッドライトに反射されて、うるうると涙ぐんでいた。


 そういえば、わたしは栞奈に対してどんな感情を持って接していたのだろうか。運命共同体? 肉体関係? 吊り橋効果によるまやかし? そもそも、わたしはこの「ないのにらめっこ」が無かったら、彼女と関係を持っていたのだろうか。得体の知れない黒い感情がこんこんと湧き出てくる。わたしには、栞奈を好きだという感情が――。


「……分からない」


 わたしは思っていたことを、そのまま口に出していた。ハンドブレーキを下ろして、アクセルを踏もうとしたら。


「待って!」


 栞奈が大声で叫び、アクセルを踏むのを制止する。


「待って……やっぱり、怖いの……ごめん、登紀子……わたし、まだ死にたくない……」


 栞奈はダッシュボードへとうなだれて、泣き出す。そんな彼女を呆然と見ながら、あろうことか、わたしはというと、彼女を同情し憐れむというよりかは、いつも自信満々な栞奈にも、こんな狼狽した表情をするのかという、妙な優越感を持っていたのだ。


 この自殺未遂以来、わたしと栞奈は学校で出会う機会は無くなった。というよりも、さすがに村の連中や親たちも、わたしらの自殺未遂によって、ようやくその危うさに気が付いたのだろう。わたしと栞奈はそのまま、別の学校へと転校させられ、互いに連絡を取るどころか、会う機会も無くなった。



「それに気付くには遅すぎたのよ。なにもかも手遅れ……」


 何度目かの鐘だろうか、提供される神酒も何十杯目なのかは分からない。混濁する意識の中、わたしと栞奈は裸のまま床へうつ伏せになりながら、「にらめっこ」を続けていた。いや……もはや、これは「にらめっこ」という、ゲームすら成立していない。このままどちらかが、神酒の毒によって、命果てるしかないだろう。いや……それも悪くないのかも。


「皮肉な話よね……」


「なにが栞奈?」


「やっと、二人で死ねる」


 わたしたちは笑った。本当に笑っていたら、死んでいるので、妙な話で、それ自体が悪いジョークのようで、笑いが止まらない。これは、笑いというより、嗤いだと思いながら。


「ねえ……最期に聞きたいんだけどさ、どうして戻ってきたの?」


 鐘が鳴り出した。



「どうして戻ってきたの?」


 彼女は村へ戻ってきたわたしの頬に平手打ちをした後、そのまま一夜を共にした。そう……わたしは「ないのにらめっこ」をする為に、この村へ戻ってきたのだ。


 高校を卒業し、わたしの家……伽藍家は、わたしが東京の大学にへと進学する事を意外にも許可したのだ。大学へ通いながら、就職の事などを考えながら、わたしの村の因習の事、栞奈の事なども忘れそうになっている矢先、例の事件が起きた。


 伽藍家と鶴見家の源泉が突如として枯渇したのである。ここ最近に頻発していた大きな地震と関係性があるのかもしれないが、伽藍家と鶴見家の源泉が突然枯渇するのはよくある話であるらしい。


「ないのにらめっこ」の「ないの」とは「ないの神」の事であり、「ない」というのは地震の事を意味する。古来から村の者どもは、温泉が枯渇した原因を地震の神の仕業だと信じていて、あろうことか、毒を飲んだ巫女二人に「にらめっこ」をさせて、生け贄を捧げるという、非科学的で呪われた因習を未だに残していたのだ。恐らく、この悪習が残り続けているのも、この「にらめっこ」を続けた結果、再び両家のどちらかの枯れた源泉のどちらかが復活するのであろう。


 その復活した源泉の権利を、伽藍家か鶴見家のどちらかが保有するが為に、それを穏便に済ませるために、わたしたちのどちらかをスケープゴートにする……そんな話だ。そして、この「ないのにらめっこ」は、別にそれに参加しなくても、どちらかが生け贄になってしまえば、それで済む話だ。生け贄になった方は、相手側の不戦勝という事で、その源泉の権利を主張できる。もちろん、わたしは参加したくはなかったが、一方的に死ぬ栞奈の事が不憫でならない。


 栞奈は大学へ進学せずに、実家の鶴見家の温泉旅館の若女将修行をしていると聞いて、わたしは驚くのと同時に、彼女だけを一方的に死なせるのは冗談でもないし、そんなつまらない理由で死なせたくもなかった。だから……だからわたしは――。



「だから、戻ってきたのね」


 ぐにゃりと曲がった拝殿の天井梁を見ながら、わたしと栞奈は手をつなぎ、次第と遠くなっていく意識に身を委ねながら、妙な心地良さを感じていた。


「栞奈が独りぼっちで死ぬのも、可哀そうだからね」


「ありがとう」


 栞奈を握る手先の感覚もだんだんと無くなっていく。わたしと栞奈が共倒れになった場合、伽藍と鶴見の両家はどうするんだろうか。……まあ、そんな事を気にしている場合じゃないか。


「ねえ……登紀子……返事をもう一度聞きたいけれど、わたしの事、愛していたの? ねえ、愛しているって言ってよ」


 その答えはもうとっくに栞奈は知っているかと思っていたが、まただ……またあの黒い感情が……死の間際だというのに……どうして。


「分からない」


 わたしは、光を失いそうな涙ぐんだ栞奈の瞳を覗きながら、そうハッキリと言った。それは最後まで嘘ではないと、ハッキリと意思表示する為にだ。


 するとどうだろう……栞奈は、突然、大声で笑いだした。電気が流れているように、身体をビクビクと痙攣させながら、両手で腹を抑え、顎が外れそうに大きな口を開けて、目を見開き、涙と鼻水と涎を垂れ流しながら、裸の四肢を蛇のようにくねらせて、踊り狂うように笑いだす。蓄積された毒素が一気に彼女の全身へと駆け巡り、栞奈の心拍数は、血圧と共に急上昇を続け、糞尿を垂れ流しながら、流れ続ける涎と鼻水は、いつしか血の赤へと変化して、その血だまりに栞奈はそのまま倒れ、二度と動かなくなった。


「……嘘」


 わたしは、一瞬のその出来事を呆然と眺めていた。しばらくした間、勝負が決着した合図なのか、鐘と太鼓が豪勢かつ一斉に鳴り出す。神社の外では、怒号と歓声が沸き立ち、ゾロゾロと袴姿の医者と思しき人物たちが、栞奈の検視を開始している。


 解毒剤なのか、医者が持つ注射針がわたしの腕へ刺そうと手を伸ばした瞬間、わたしはその注射針を払いのけて、栞奈の亡骸の元へと這っていく。そして、その間抜けな死に面を見ながら、わたしも思い切って笑い出した。


 分からない。笑っても、笑っても、わたしは死ねなかった。栞奈を愛しているのが分からない。何が可笑しいのか分からない。可笑しい筈なのに、わたしはどうして泣いているのだろう。


 それも、未だに分からないまま。わたしはひたすらに笑い続けていたのであった。思いっきり笑って、そのまま逝きたかったが、どうして、栞奈のように逝けないのか、今のわたしには分からないままだったのだ。

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