カタツムリに乗って流れ星を聞きながら金貨を齧る

夢月七海

カタツムリに乗って流れ星を聞きながら金貨を齧る


 ノックの音が響いて、俺は目線を漫画から背後のドアに向けた。


「ドライブ行かないかー」


 間延びした声の主は、兄貴だった。今日一日、ガレージに籠っていた兄貴からの誘いだったら、あれだろう。

 ベッドで寝転んでいた俺は、そのまま立ち上がった。


「今行く」


 漫画を机の上に置き、ズボンと靴下を履いて、いつも使っているリュックに適当なものを入れて、部屋の外へ。

 ガレージに行くと、兄貴はすでにカタツムリ号を歩道に移動させていて、運転席に乗っていた。


「よし、行こう」

「俺が回すのか」


 クリーム色の車体の、後ろにぶっ刺さった巨大なぜんまいのネジを指さしながら尋ねると、兄貴は満面の笑みで頷いた。

 ……兄貴はいつも、このカタツムリ号をメンテナンスしてくれているし、今は疲れているだろうから、今回は仕方ない。帰りは絶対に回させよう。


 このカタツムリ号は、俺たちの爺ちゃんが遺した、二人乗りのぜんまい仕掛けのシルバーカーである。形はワゴンのようなオープンカー、ただし壁とドアはなく、運転席にはハンドルとブレーキのみ、後ろのネジを最後まで回すと、三キロは走れるというへんてこな代物である。

 ただ、スピードはカタツムリ並み、二人で並んで乗るので、歩道を殆ど埋めてしまうほどの幅のある車体ということもあり、今のように夜遅くか早朝など人があまりいない時間帯に走らせている。実用性度外視で、面白いものを発明するのが好きな爺ちゃんらしい。


 カタツムリ号の後ろに回って、ぐるぐるとネジを一心不乱に回していく。だんだんネジが重たくなっていくが、変なところで止まっては面倒なので、踏ん張るしかない。

 最後まで回したところで、兄貴が踏んでいたブレーキを離した。勝手に出発するカタツムリ号だが、大股で歩いても追いつけるので、いつものように助手席に乗り込む。


「どこに行くんだ? 公園?」

「もちろん」


 低い車体から、ダイレクトにアスファルトの凸凹が伝わってくるので、声と体をガタガタさせながら兄貴に訊くと、ドヤ顔でそう答えた。

 自宅から二キロちょっとの距離にある公園は、運動用のもので、サッカー場や野球場、遊歩道などが完備されている。この時間帯なら、余りジョギングしている人もいないだろうから、そこでのんびりするつもりらしい。


 爺ちゃんの運転で乗っていた子供の頃は、低い目線から見える景色にわくわくして、あっちこっちを見てた。しかし、今はすっかり慣れてしまって、助手席でスマホを操作している。

 ハンドルを握る兄貴の方も、のんびりとしていて、「今日は星が見えないな」とか「向日葵が咲いてるぞ」とか、どうでもいいことを呟いている。カタツムリ号で気を使うのは、後ろや前から人が来た時くらいなのだから仕方ない。


 その内、カタツムリ号のヘッドライトに照らされて、公園に入り口が見えた。

 ここから先、道は三つに分かれているのだが、兄貴は左の方にハンドルを切った。それから数分後、進行方向に小さな丸い池が現れた。


「こっちの池に来るのも久々だな」

「確かに」


 ケロケロと、蛙の声が響いている池の周りを、カタツムリ号がゆっくりと走る。どこに蛙がいるのだろうかと目を凝らしてみるが、公園の街灯とヘッドライトだけでは見つけられなかった。

 その内、ただでさえ遅いカタツムリ号のスピードが、さらに落ちていく。兄貴が、遊歩道の池側ギリギリに寄せたタイミングで、ぴたりと止まってしまった。


「さすが、熟練のドライバー」

「まあな」


 褒められて、兄貴は鼻高々だ。爺ちゃんも、カタツムリ号をタイミングよく止めるのが上手かった。

 ここに目的があったわけではないだろうが、すぐに再出発するつもりはないらしい。兄貴は、ハンドルの隣にある、カタツムリ号に内蔵されたテープレコーダーを指さした。


「これ、確かめてみたら今でも使えたよ」

「へえ。でも、爺ちゃんがいた時も、あんまり使っていなかったよな」


 カタツムリ号で散歩する時間帯では、オープンカーでのカセットテープは騒音になるので、あまり動かしていなかった。だったら、なんで付けたんだという話だが。

 兄貴は、腰に付けていたポーチを開けて、一本のカセットテープを取り出した。俺に見せてくれたテープに貼られたシールには、「星の流れる音」と書かれていた。


「何これ? なんかの曲のタイトル?」

「ガレージをあさっていたら見つけたんだ。俺が幼稚園生の頃、爺ちゃんが聞かせてくれたんだよ」


 そう軽めに説明した後、兄貴は急に真剣な顔になった。


「これは、爺ちゃんが自分で小型のロケットを宇宙に飛ばした時に、流れ星の音を録音したものなんだってさ」

「マジ?」


 俺が目を見開いたのに神妙な顔で頷いて、兄貴はカセットテープをセットした。

 カチッと再生ボタンを押す。すると、左右のスピーカーから流れだしたのは、「シャララララン」と言い合わらすような、美しい音だった。


「これ、流れ星じゃないだろ」

「なんだと思う?」

「あのー、あれだ、小学校の音楽室にあった楽器。金属の棒がたくさん並んでいるヤツ」


 頭の中で、茶色い木の板と垂直になるように、長さの異なる金色の棒が背の順で並んでいる楽器を想像した。それをうまく伝えられないので、名前と写真を探そうとスマホを操作する。

 その様子を、兄貴はにやにやしながら見ていた。この間にも、等間隔で、カセットテープの音が流れ続けている。


「兄貴、爺ちゃんの話、信じたのか?」

「いや、最初は疑ったよ。宇宙では音は聞こえないはずだから、これは偽物だと」

「そりゃそうだ」

「そしたら爺ちゃんが、流れ星は、大気圏に入ってから光るものだから、音が聞こえるのはおかしくないと説明して、なるほどなと」

「納得したのかよ」

「中途半端な知識がある方が騙されやすいという、いい例だな」


 俺が苦笑している横で、兄貴は懐かしそうに目を細めていた。俺たち兄弟では、どちらかというと兄貴の方が、爺ちゃんに懐いていたというか、馬が合うようだったので、二人はいつもガレージにいた。

 兄貴は爺ちゃんと似て、理数系の夢想家、俺は親父と似て、文系の現実主義だったからなぁと思っていると、お目当ての画像を見つけた。


「ああ、あったあった。ツリーチャイムだ」

「なんだそれ?」

「ほら、この流れ星の音の正体。この楽器だろ」


 俺がスマホの画面を見せると、兄貴は大きく頷いた。


「そうそう。初めて小学校で、誰かが鳴らしているのを聴いた時、ひっくり返りそうになったな」

「流れ星の音じゃん! って感じか?」


 俺はスマホをポケットに戻しながら、ついでに膝に乗せていたリュックを開いて、金貨のような包装をされたチョコの入った袋を取り出した。

 それを見た兄貴が、ちょっとだけ眉をしかめる。


「お前、それ好きだな」

「安価で、たくさん入っていて、旨いチョコを追求していったらここに辿り着いただけだ」


 幼い頃からのチョコ好きを、こうしていじられるのは心外だ。それでも、兄貴に食べるかと一枚差し出したら、いいと首を横に振られてしまった。

 気を取り直して、ぺりぺりと金色の包装をはがして、丸くて小さなチョコを、ちびちび小さな一口で齧る。その隣で兄貴は、ポーチから煙草とライターを取り出した。


「とうとう、工学部の喫煙所も無くなったよ」

「兄貴、喫煙者代表みたいに言うけれど、そんなに吸わない方じゃないのか? そもそも、大学構内で吸ったことないだろ」

「まあな」


 兄貴は加えた煙草に火を点ける。息を吸うと一瞬だけ、煙草の先の炎が強くなり、それが収まると指で挟んで、ゆっくり煙を吐き出した。

 爺ちゃんが愛飲していたわかばを、兄貴も吸っている。爺ちゃんを偲ぶ時とは別に、兄貴が煙草を吹かす時はとあるサインを示していた。


「なんか、行き詰ってんの?」

「……」


 俺の質問に、兄貴は何も答えなかった。ただ、その沈黙が一番の肯定だった。

 兄貴は非常に分かりやすい。何か、思い通りにいかないことがあれば、自分を落ち着かせるためにやることが決まっていた。例えば、爺ちゃんの形見と思い出が詰まったガレージに引きこもる、カタツムリ号で出かける、煙草を吸う、など。


 悠々と煙草を吹かしている兄貴だが、目を細めて、何にも浮かんでいない夜空を睨んでいる。俺も、無理に聞き出そうとはせず、隣でチョコを齧っていた。

 いつまでも流れていると思われていたテープの音が途切れて、蛙の声が再び聞こえてきたころ、兄貴はやっと口を開いた。


「爺ちゃんはさ、本物の車を一から作るのが夢だったんだ」

「へえ、知らなかった」

「そのための第一歩がこのカタツムリ号だったんだけど」


 兄貴は、愛おしそうにカタツムリ号のハンドルを撫でる。確かこれは、爺ちゃんがどっかから拾ってきたハンドルをくっつけたものだったっけ。


「これ以上のものを、作ることができなかったんだなって思って」


 俺はちょっと、いやかなり驚いていた。兄貴の口から、爺ちゃんにマイナスの評価が出るところを初めて見た。

 確かに爺ちゃんは、「下町のエジソン」なんて言われて、変なものばっかり発明してきた。しかし、ちゃんと特許を取って、工場とかで役立っている発明品もあるので、それを知っているから兄貴は誰よりも爺ちゃんを尊敬していたのではなかったのではないのか。


「そんな、悲しいこと言うなよ」

「いや、でも、色々すごいもの発明した爺ちゃんでも、叶えられない夢があったのなら、まだ何も成し遂げていない俺なんかはーとか思っちゃわないか?」


 兄貴は、真剣な顔で俺を見据えて言った。右手の煙草が、どんどん小さくなっていくのすら、お構いなしだ。

 これは大分、根が深そうだと思いながら、兄貴を見つめ返す。黒い瞳が、何もかもを落としてく穴のように見えた。


 俺は沈黙に耐えかねて、もう一度カセットテープを再生した。

 きらびやかな音は、この場の緊張感とは相反するもので、空気が柔らかくなっていくことが分かる。兄貴は、はっとしたように、煙草の灰を備え付けの灰皿に落とした。


「……俺、思うんだけどさ」

「うん」

「爺ちゃんは寄り道の天才だったと思うんだよね」

「ん?」


 煙草を咥えようとする兄貴が眉をしかめたので、俺は、なんて言うのかなーと腕を組んで言葉を探した。


「もしも、本気で車を作りたいと思うんだったら、ぜんまいで動く車なんて、作らなくてもいいじゃん」

「確かにな。まだ、電動の方が現実味がある」

「でも、爺ちゃんは作った。多分、思いついちゃったから、衝動的に。それが役立つかどうかなんて関係なく」

「そうだよな。これとかも、損得関係なく、俺を驚かそうと思って用意したのだろうし」


 兄貴は、顎でしゃくって、テープレコーダを、正確にはそこから流れるツリーチャイムの音を示した。


「爺ちゃんはきっと、どんなに意味ないものでも、作ることを全力で楽しんでいた。むしろ、特許を取れたことも、寄り道の副産物だったのかもしれない。そんな爺ちゃんだったから、俺たちは大好きだったんじゃないのか?」

「……俺、ちょっと肩に力が入りすぎていたのかもな」

「そうだよ。もっと遊ぼうぜ」


 俺が肩をビシバシたたくと、兄貴は苦笑しながら、短くなった煙草を灰皿に落とした。丁度、流れ星の音も途切れて、蛙の合唱が再び響き始める。

 そして、出発前よりもすっきりした顔で、兄貴はハンドルを握った。……さも当然のように。


「よし、帰るか」

「ちょっと待て、兄貴」

「なんだ?」

「帰りも俺が回すのか?」

「うん」

「……」


 俺がネジを指さして尋ねると、兄貴は純粋無垢な瞳で頷いた。

 悩みが解決されたんだったら、その元気になったパワーでネジも回してくんないかなぁと思いつつ、これ以上兄貴に何を言っても意味ないので、俺は別の提案をする。


「よし、兄貴、こうしよう。このチョコをコイントスのように投げて、当てられた方が運転する」

「いいよ。どっちが表?」

「顔が書いてある方で」

「じゃあ、俺は裏」

「俺が表ね」


 金貨のチョコは、普通の小銭よりも大きいくて厚みもあるけれど、これを普通のコイントスのように投げられるというのが、俺の一番地味な特技だった。

 右手の親指がはじいたチョコは、ゆっくりと回転して落ちてくる。それを手の甲で受け止めて、すぐに左手で隠した。


 実を言うと、暇つぶしに何回もコイントスしたから、俺はどのくらいの力を入れれば何回転して、裏になるか表になるのかを調整できるようになっていた。もちろん、兄貴はそれを知らない。

 左手をどかして、兄貴に表が上になった金貨チョコを見せればいい。しかし、それを確認するよりも早く、兄貴がチョコをひょいと掴み、包み紙をはがし始めた。


「あ、おい、」

「裏だったよ裏。俺が運転ね」

「……」


 金貨のチョコを齧りだした兄貴に呆れて、何の言葉も出てこない。

 まあ、いつもメンテナンスしてくれているし、今回ぐらいは大目に見よう。そんなことを自分に言い聞かせながら、俺はカタツムリ号から降りた。


「帰りに、星が見えるといいなぁ」

「そうだな」


 のんびりとした兄貴に気のない返事をして、俺はカタツムリ号のネジをひたすらに回していた。





















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