第13話「プリンセス・オブ・恭子」

「はい、今すぐ降りていきます」


 九州へと発った純一が不在のマンションで姫紀の秘書の樋本から到着の電話を受けた恭子は、急ぎマンションを出て駐車場へ向かった。


 時刻は20時より少し前。


 少し息を切らせながら急ぎ早に駆けていた彼女が玄関前で待機していた樋本を見つけて礼を述べようとするが、彼に短く制止される。


「恭子様、詳しくは車の中で」


 恭子はコクリと頷いて、暗闇を照らす照明が続く駐車場へと足を運んだ。


「先方と会う場所はカラオケBOXに設定させて頂きました。そのような大衆が利用する場での面会になってしまい恭子様も大変困惑されておられるかもしれませんが、誠に申し訳ございません」

 

「えっ、いえ、やめてくださいっ。寧ろ樋本先生にご迷惑かけているのは私の方ですし、わざわざお逢いする場所まで構えて下さって申し訳ないのは私の方です!」


 樋本にとっては吉沢の正当後継者の恭子が人と会うのに利用するのは未成年であれど料亭や高級ホテルに構えられている面会室など、由緒ある場ではないといけないという認識が当たり前のようにあり、逆に一般家庭で育って未だ一般的な生活しかしていない恭子にとっては実感できない感覚の差があった。


「今晩恭子様の行動に私が関わっている件に関して、吉沢のSPには『防音の効いた場所でダンスの練習を望まれた恭子様の送り迎えと警護』と説明しております。吉沢会長には内密ですので、もしSPが疑念を持って姫紀様に連絡されたら―――」


 皆まで言わずとも樋本が言わんとしていることを多少なりとも理解する恭子。彼女の顔が少し陰っていくのがその証拠だった。


 もし、自分がしていることが姫紀や純一にバレたら自分だけでなく協力してくれている樋本にまで迷惑がかかる。


 実際には事前にバレてしまったら樋本の今後の人生に大きく関わる問題になってしまうのだが、恭子にもそこまで発想はいかずとも、凄く迷惑をかけてしまうことくらいは容易に想像できた。


「本当に本当に申し訳ありません、樋本先生」


「ッ―――」


 吉沢の全てを僅か16歳の少女に托す覚悟を決めた樋本にとっては、寧ろ縋っているのは自分の方であるのに、より申し訳なさそうな顔をしている彼女に告げる言葉が見つからず、結局は口を紡ぐことしかできなかった。


 

 車で数十分走った先にある郊外にある大きなカラオケBOXに到着した樋本は恭子を連れて入店すると、カウンターの店員に事前に予約していた部屋へと案内される。


 お互い、自分たちが一緒にいることを吉沢のSPに怪しまれないかという事ばかり心配しており、普通は社会人の男性と女子高生が夜にカラオケBOXに入って行くことの方がいかがわしくて不自然極まりないという事実に気づいていないのが滑稽だっただろう。


「先方は既に入室して待機しておりますので」


 複数の企業に渡る旧吉沢組合連合の委員長が先に入って待っていると告げられた恭子は、予約している部屋に入る直前に反射的に慌ててスカートを払ったりして身だしなみを整えながら改めて勇気を振り絞った。


「しっ、失礼します!! 私は渡辺恭子と申します! 今回は私の我儘なお願いの為にお時間を割いて下さって―――」


 とにかく非礼が在ってはいけないと、相手の顏も見ないまま言葉を捲し立てた恭子だったが、瞑っていた目を開いたときに相手が土下座している姿を見て、瞬時に言葉が詰まる。


「この度は我々組合員一同が、総帥と殿下にご心配とご迷惑をおかけした事、組合連合の委員長を務めてさせて頂いております、この烏丸が代表してお詫び申し上げます。何卒ご容赦頂きたく存じますッ!」


「やっ、やめてください! 烏丸さん、何でそんなことをっ」


 自分の最愛の叔母と夫を救う為に助力を乞う恭子と、雲の上の存在である彼女たちを苦しめているのはこれから反乱を起こそうとしている一部の組合員とその流れを止められない自分たちであることを承知いている烏丸の両方の立場と想いがわかる樋本は、静かに首を振りながら、せめて彼らの姿を他の客に見られないようにドアの小窓にスーツコートを掛けていた。


 そして、監視カメラでその様子を見ている可能性がある店員への口止めの買収工作も失念してはいなかった。



 改めて週刊誌へのリーク記事による『旧吉沢社員の人員整理』から始まった、組合員の姫紀への疑念と失望、そして反乱の流れを一番近くで知っている烏丸から事の全貌を聞かされた恭子だったが、彼女の想いが変わることがなく、あの日、樋本に告げたように、恭子は同じ想いを烏丸にもぶつけた。


「もちろん、私はわかっております。殿下のお気持ちも、総帥が我々のことを大事にして下さっていることも」


「しかし、人の心は『信じる』ことよりも『疑念を抱く』ことの方が他者に感染しやすく、一度芽吹いた不信感はあっという間に増大するものでございます」


「私も、樋本さんと様々な対抗策を模索しておりますが、近日中に数十万人の組合員が集まる多胡中央スタジアムで実施される吉沢組合連合大会(決起集会)で、謀反の流れを断ち切るのは困難であるとの結果しか予測できておりません」


「私の実力不足をどうかお許し―――」


「わかりません」


 必死で説明している烏丸だったが、恭子は納得できず、最後まで言い終える前につい彼の言葉を遮ってしまう。


「わかりません、わからないです。姫紀お姉ちゃんは偉い人かも知れませんが、私は殿下なんかじゃありませんし、お姫様でもありません。それに烏丸さんや樋本さんのように色んな計算ができるわけじゃないですから、自分の気持ちを正直に話すしかできません」


 恭子は自分の伝えたいことが整理できないことを自覚しつつも、どうしてもお願いしたいことを言う為に言葉を発した。


 彼女の願いはひとつ。


「私にその吉沢組合連合大会という場で吉沢の皆さんに話させてください」


「えっ――「恭子様っ!それはっ!」」


 烏丸が恭子の申し出を理解する前に、その意に気づいた樋本が悲鳴のような声を上げた。


「恭子様が何十万人といる組合員の前に立つというのですか!? それだけはいけません! 絶対になりませんっ!!」


 樋本の言葉でその意味を理解した烏丸も同様に声を上げる。


「殿下―――、神海様―――わ、渡辺様! 何を言われるか!? ご乱心にも程がありますぞ」


 混乱する烏丸の口調が乱れる。


「乱心なんてしていません。私が吉沢の皆さんに姫紀お姉ちゃんの気持ちを知ってもらうために話すだけです。たったそれだけのことです」


「樋本先生は言いました。『姫紀お姉ちゃんが弁解しても、火消しに走っていると思われるだけ』と。なら、姫紀お姉ちゃんの唯一の肉親の私が姫紀お姉ちゃんの気持ちを伝えるのが一番じゃないですか!!」


「いや、いえ、いや、いやいやいや、それは―――」


「本当にゼロなんですか? 全くの可能性がないんですか? 私の気持ちは絶対に皆さんに伝わらないと断言されるのですか!?」


「私は計算できません。でも全力でぶつかることをせずに諦めたくはないんです。上手にできるかなんてわからないですけど、後悔するのなら、おじさんのようにいつも全力でぶつかってからにしたいんです!!」


「本当に私がしようとしていることは無意味でしかないんですか」


 秀才と呼ばれる烏丸と樋本にとって、今まで解いてきたどんな難問より難題で、どんな方程式を以てしても解けない難問だったであろう。


 何故なら、無数にIFを繰り返して辿り着いた分岐の先にも完全否定の結論は非ず、少なくとも自分たち彼女に動かされている心は誤魔化がなかった。


 どんなに計算を尽くしても解決に至らなかった吉沢組合問題をもし解決できるとすれば、奇跡的な確率だろうがもしその可能性があるとすれば、それは絶対無二の唯一方策であり、今、目の前にいる彼女に託す他にない。


 私は殿下でもお姫様でもないと訴えた彼女だったが、彼らには恭子を他に認識する術はない、彼女は紛れもなく吉沢の姫殿下なのだと。


 そしてお互い静かに顔を合わせた彼らが、互いに導き出した結論が同じであると確信するに至ると、足りないのは自分たちの覚悟なのだと悟る。


 決意を固めた彼らにもはや連ねる言葉は必要なかった。



「「御意に」」



 半ば彼らが折れないこと心配していた恭子は、その承諾に感激のあまりに涙を浮かべて感謝の言葉を並べ立てたが、その後、自分のことを再び姫だと殿下だとか呼び出す烏丸たちに必死で抵抗していた。


  せめてプリンセス恭子だけは絶対に恥ずかしいので止めて欲しいと涙ながらに訴えていた。

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長い経緯アフター ~おっさんとJKの恋愛から始める夫婦生活~ あさかん @asakan

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