第54話 本能寺

 本能寺が燃えている。


 攻められているのだ。

 攻めているのは明智の旗印。

 そうか。


 そうか。


 ぼくとしたことが、ここまで来て油断してしまった。


 明智は特に重用している部下の一人で、この度中国攻めの一環として軍を任せたところであった。

 部下だから謀叛しない、ということはない。

 信用しているから裏切らないということもだ。

 もちろんそうならないよう努めてきたが、実際に裏切られた経験は数多くある。

 それでもなお今このとき謀叛したというのは、つまり僕の過失だろう。


 本願寺講和に続き甲州征伐の成功によって天下の趨勢は定まったかに見えた。

 朝廷も大喜びで、ぼくに新たな官職の任官の打診をしてきた。

 征夷大将軍、太政大臣、関白、いずれも一つの頂点を意味する官職だ。

 当然先日の左大臣よりも上である。

 そしてその時の答えからして、ぼくの対応はわかるだろう。

 譲位と合わせて任官を受けると。

 そうやって、これから新たな天下の体制を築いていこうというところだった。


 ここまで来た以上、弱点があるとすれば、ぼくの死である。

 現状はぼくの一強体制で維持されている。新体制づくりはまだこれからだ。

 そのぼくが死んでしまうと、状況が変わる。三好も、武田も、上杉もそうだったように。


 だが仮にぼくが死んだとしても、既に織田の家督を継いだ信忠がいる。

 実績も詰ませてきたし、親王殿下との関係も良好だ。

 天下を継ぐに十分な器に育ってくれた。

 これまでぼくがやってきたことを見て育ち、これからやるべきことを考えてくれるはず。


 しかし今、その信忠も京にいるのだ。

 また、戦線が外に向いているために、中央たる京には多くの兵を置いていない。

 少なくとも、中国攻めの援軍として編成した軍に奇襲を受けて対抗できるほどではない。


 そして攻め手が有能な明智とくれば。

 信忠を逃がすような無様な真似はしないだろう。

 ぼくを攻める以上、信忠も始末するはずだ。


 隙があった。油断である。

 ぼくの過失だ。


 だが、わからないのは謀叛の理由である。

 不満があった?

 誰かに何か吹き込まれたか?

 ぼくの下でとはいえ、天下でも有数の軍を率いる立場があるのだ。それを引き換えにして何を求めたのか。


 それに、その後のことまで考えているのか?

 だが入念な根回しをしていたなら耳に入ってくるはずだ。

 そういう動きの報告は挙がってきていなかった。

 京近辺を抑えても四方に同格の勢力、ぼくが軍を預けた者たちがいるのだ。

 謀叛は朝廷のおぼえも悪くなるだろう。

 ぼくを殺した者に協力するより、謀叛した悪役を倒して実権を得るほうがよほどあとがやりやすいはず。つまり皆が謀叛人を征伐しようと殺到することだろう。


 案外できてしまいそうだからやってしまっただけかもしれない。

 深く考えずにはずみで、勢いで。

 明智ももう結構な年だからな……働かせすぎて疲れで判断が鈍ったのか。ないか。


 まあ。

 わかっているのは、ここがぼくの死に場所だということだ。

 無念はある。

 しかし。


 もはや是非もなし。


 天正十年六月二日。

 ぼく、信長は命を落とした。


 完。

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ぼくは信長 ほすてふ @crmhstf

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