第30話 ダンジョンキャンプ


 パチパチと火がはぜる音だけが辺りに響いていた。

 リヒトは地面に座って、火にかけた鍋をかき混ぜている。隣に座るユエルは鞘から抜いた剣の整備――というのはとう昔で、今はただにんまりとしながら刀身を眺めているだけだ。小型魔導コンロの光に照らし出されるその姿は、見ようによっては異様な雰囲気を放っていた。


「ユエル、ご飯できたよ」

「ああ、すまない」


 ようやくこちら側の世界へと帰ってきたユエルが剣を鞘に戻す。ちゃんと言葉を喋れることにこれほど安堵したことは今までにない。

 二人が今いるのは30層の正道からわずかに逸れた小さな部屋だ。道は正道と奥へと続く道の二つだけ。最初にユエルがここでキャンプをすると言った時には少し驚いたものだ。もちろん知識としてダンジョン内で野営をすることは知っていたが、こうして本当にただダンジョンの片隅でというのは実際にやってみると違和感だった。


「口に合うかな?」

「心配いらない。ダンジョンでここまでのごちそうを食べたのは初めてだよ」


 ニヤリと笑うユエルが口にしているのは、言葉とは遠く離れた携帯食料を煮込んだだけの簡素なものだ。それでもこうして喜んでくれているのがリヒトは本当に嬉しかった。

 だがそんな様子を見ているとどうしても思ってしまう。

 今回のダンジョン探索は確証のないものだ。この笑顔が、失意と絶望に染まってしまうのではないかと不安になってしまう。


「……ユエルは本当にユニコーンがいると思う?」

「突然どうした」


 不安を口にしてしまうリヒトに対して、ユエルの声は静かだ。


「ユニコーンの話を持ってきたのはリヒトの方じゃないか」

「でも、このセェベロ迷宮にいるなんてやっぱり不自然だろ?」

「……確かにセェベロ迷宮は通常人型のモンスターが多数存在するダンジョンだ」


 モンスターの種類はダンジョンによって傾向が違う。セェベロ迷宮は人型のモンスターが多く生息し、サイズもおおよそ人間と大差ないのがほとんどだ。


「ユニコーンだったら、もし見つかるとしても《アニムス遺失世界》の方じゃないかと思うんだ。あそこは動物型のモンスターが多いし、ダンジョンも草原や森ばっかりだしね」

「そうだな。私も今回の件で再度調べてみたが、以前ユニコーン狩りが行われていたのもアニムス遺失世界だった」

「じゃあ……!」

「だが、だからこそ大規模な狩りが行われていないこのダンジョンに生き残りがいた、という説はないと言えないだろう」


 ユエルの言葉にリヒトは口を閉ざさざるを得なかった。確かにないとは言い切れない。言い切れないのだが……


「この前ダンジョンが崩落した時、ラスティさん達と助けた女の子がいたんだけどその子が言ってたんだ。『馬のモンスターに襲われた』ってね」


 女の子はかなり錯乱している様子だった。ダンジョンから助けだされた後、ラスティの仲間のジーナと会う機会があって、女の子のことを訊ねたのだがあまりいい状況とは言えないようだった。

 女の子はあの後孤児院に引き取られたのだが、夜になるたびに事件の事を思い出して泣き叫び、ほとんど寝られていないと言う。ジーナはたびたびその女の子に会いに行っており『もう冒険者なんてやめてあの子と一緒に暮らそうかしら』なんて冗談を言っていた。


「それならいる可能性は十分にあるのではないか?」

「でも、ラスティさん達もこのダンジョンでそんなモンスターは見たことないって……」

「もし見つかっていれば既に捕らえられているさ」


 確かにそれはそうかもしれない。

 リヒトも納得して頷く。

 ふとその時に出会った異様な冒険者を思い出してユエルに尋ねる。


「そう言えば、その時『ヘベッタ兄妹』って言うのに会ったんだけど……」


 心臓が芯から凍りそうな声の女だった。


「あいつらに会ったのか!?」

「えーっと、知り合い?」

「……あまり会いたい相手ではないな。奴らに関してはあまりいい噂を聞かないのだ」


 そう語るユエルの顔は暗い。


「実際私もモンスターをけしかけられたり、証拠はないが幾度か奴らに罠を仕掛けられたことがある」

「罠?」

「分かりやすいものだったから回避したが、かかっていればかなり危険なものだった。他にも奴らに関わったいくつかのパーティが姿を消しているという話も聞く」

「そんな……同じ冒険者なのに」

「同じ冒険者だからさ。私達が求める物は必ずしも平等に手に入るとは限らない。相手を殺してでも手に入れたいと考える者もいる」

「……」


 ユエルの言葉にリヒトは押し黙る。今回のユニコーンの角だって、もし同じ目的でここにきている冒険者がいれば奪い合いになると言うことだからだ。ここに来るまでにそのことを考えなかったわけではない。だが、急に現実味を感じ始めていた。


「だが、奴らに関してはもっと直接的に私を狙ってくる可能性がある。用心しろ」

「……わかった」


 リヒトはそう頷くのが精いっぱいだった。


   ◇


 話が終わった後はすぐに休息を取ることにした。

 お互い4時間ずつの仮眠。

 最初はユエルが起きていて見張りをしてくれることになりリヒトは横になった。

 ダンジョンで眠るなど初めての事で、眠れるか不安だったリヒトだったが以外にも早々に眠気がやってくる。

 頭の中ではユニコーンの角を手に入れられるのか。いなくなったリーデルトの事。ヘベッタ兄妹の罠。幾つもの不安要素が渦を巻いていたが思っていた以上に緊張して疲れていたのだろう。

 ふっと気が付くとユエルに体を揺すられていたのだった。


「リヒト、そろそろ交代だ」

「……うん」


 寝起きで顔のまじかにユエルの顔があったことの方が今日ダンジョンに入って一番心臓に悪かったかもしれない。

 内心の動揺を押し隠して大きく伸びをする。


「ありがとうユエル。今度はユエルが休む番だね」

「ああ」


 しかし頷くユエルの顔色が若干悪いように見える。寝ている間に何かあったのだろうか。


「どうしたのユエル?」

「いや、リヒト。前にも言ったが私のスキル《幻憬幽灯》は一日に一度解除しなければならない。だからこのタイミングで一度スキルを解除する」

「うん、そう言う予定だったよね」


 解除した後にはクールタイムが存在する。使用し続けた時間によって数時間程度能力が使用できなくなるのだ。

 もしかしたらスキルが使えない間何か不安なことがあるのか。息を呑んで待っているとユエルが重々しく口を開いた。


「初めに言っておく。あっちの私はこの状況にどれほど耐えられるか分からん。だから――頼むぞ」

「え?」


 それだけ言うとユエルの体が光に包まれる。

 能力を解除したのだ。


「あ、あっ、あ……」


 身長が一気に縮んでいる。着ていた装備は体にフィットしたサイズに代わっていた。剣だけがサイズが変わっておらずアンバランス感が激しい。

 視線をあちこちに泳がせたと思ったらいきなりしゃがみこむ。


「ゆ、ユエル?」


 はっと駆け寄って肩に手を置くと、いきなりユエルがリヒトの胸に飛びかかって来た。


「うわ、っとと……どうしたの?」

「こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい」


 リヒトの胸に顔を埋めたユエルは体を小刻みに振るわせながらずっと小声で繰り返していた。そこにはいつもの『銀月』の姿はまるでない。ただの12歳の女の子がいるだけだ。


「……大丈夫?」


 リヒトが肩を抱いてそう訊ねると、しばらく荒い息を整えた後で小さな声が返って来る。


「だ、大丈夫なワケッ、ないでしょッ……!」


 目尻に涙を浮かべながら、リヒトの胸元をさらに強く握る。

 完全に怯えている。

 まるで小動物のようなその姿には庇護欲を掻き立てられるだけではなく、尊敬の念を抱かずにはいられない。

 こうなることは予測済みだった。

 《幻憬幽灯》の代償は感情の発露。ダンジョンでそんな状態になれば、戦うことはもちろん最悪いきなり逃げ出そうとする可能性すらあった。子ども状態のユエルも大人状態のユエルもその時なってみないと自分の感情がどう動くのか全く分からないと言っていた。

 いっそ恐怖から失神した方が楽だとは半分本気だっただろう。

 だが今目の前のユエルは震えて涙を浮かべながらも耐えている。ユエルが自分で予想していたよりもずっと頑張っている。

 自分の姉を救うために。

 だからリヒトは今、自分がダンジョンで戦うすべをほとんど持っていないことがこんなに苦しいと初めて思った。

 もし自分にユエルと同じだけ、せめてユエルを守って逃げられるだけの力があればもう少しくらいは安心感を与えてあげられたかもしれない。

 そう思うと自分の無力さが憎らしくてしょうがなかった。


「大丈夫、僕がずっと見張ってるから。あと4時間、こうしてていいから」


 精一杯の言葉をかけて、リヒトは腕の中のユエルを抱きしめる。

 ごそごそとユエルの頭が動いてユエルの肯定を伝えて来た。

 まだ夜は長い。


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銀月の騎士は帰りたい 橘トヲル @toworu

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