第29話 悪意の咎


 壁の上からゴブリン達が一斉に降下する。

 池になっている部分を除いて、津波の様にゴブリン達が押し寄せて来る。


「下がっていろ。お前からもらったこの剣の力、今こそ見せてやろう」


 手に持った剣を高く掲げる。それと同時に目の前の池が大きく盛り上がり、水が樹木の様に高く伸びあがった。そして根元から凍り付いていく。


「さぁ、行け!」


 大樹の如く伸びあがった氷樹が膨張し、一気に解き放たれた。蛇の如くうねる氷の枝が、槍となってゴブリン達へ一斉に押し寄せる。


「ギュギャガッ!?」


 津波の如く押し寄せてきていたゴブリン達はそれによってあっという間に立場が逆転してしまう。

 枝に当たる部分が無数の棘になりゴブリン達を一気に串刺しにしていく。氷でできた太い枝は大人の胴回りほども太さがあって、先端が貫いた後ゴブリン如きの小柄な体躯は粉々にはじけ飛んでしまう。

 あるいは氷の枝が鞭のようにしなって、逃げまどうゴブリン達を一瞬で床の染みにかえて行った。

 これがユエルの剣に付与した魔法氷華乱舞である。

 ユエルはまだ中等部に進学していないため、魔法を使うことが出来ない。だが方法を知らなくとも魔導具が勝手に魔力を吸い上げて、魔法を行使することは可能だ。故にリヒトは剣が装備者の魔力を使用して、周囲の水分を氷結させたものを操ることが出来る魔法を付与した。剣には使用者の魔力が一定以下になると魔力を吸い上げられなくするセーフティもかけてあるのでユエルが魔力枯渇に陥ることもない。

 本来一対一でしか戦うことが出来なかったユエルが、これで一対多の戦闘すらもより楽に戦えるようになるだろう。

 だが――


「正直、ここまで魔力があるとは思わなかったな」


 天上まで刺し貫いた氷樹を仰いでリヒトはポツリと漏らす。

 せいぜいが周囲の水分を氷結させて、小石程度の氷弾を射出する程度の魔法のつもりだったのだが、ユエルの魔力が高すぎて操れる水分の量が想定の数倍以上になっていた。家の庭で試し打ちした時からその可能性は考えていたのだが、実際に最大威力で放っているのを見ると呆れてため息しか出てこない。

 リヒトの目から見て今ユエルが起こしている現象は最低でも第6階梯クラスの魔法だ。これは一般的な魔法使いとしては最大のレベルで、これ以上の魔法の使い手となれば王城に召し上げられて魔法師部隊にスカウトされてしまうレベルだ。もしかしたら既にその第7階梯に届いていると言ってもいいレベルかもしれない。

 それゆえにユエルの声は興奮を抑えられないと言った様子だ。


「素晴らしいぞリヒト。これならばどれだけの敵に襲われても勝てる気がするぞ!」

「魔力がなくなったり、周囲の水分が無かったりすると発動できないから気を付けてね」


 今いる部屋の様に、水場があればそこから水分を補充できるので魔力が続く限りいくらでも攻撃は可能だ。だが炎天下やそれこそ砂漠のような場所ならばそうはいかない。心配になったリヒトが庭で試した時と同じことを重ねて忠告するが、ユエルの興奮はさらに上がっているようだった。


「これはもはやただの魔導具などではないぞ。もはやこれは――魔剣と言っていい代物だ!」

「そこまでは言い過ぎだと思うけどね……」


 魔剣、それは強力な魔法を秘めた武器の総称である。

 この都市では時たま武器自体が魔法を持つ武器が出土する。それは遠い昔に誰かがダンジョンへ持ち込み帰って来ることが出来なかった遺物であったり、あるいはダンジョンの中で生まれた物が知能の高いモンスターの手を経て武器へと姿を変えた物だったりする。中にはモンスター達の住む世界からやって来た異物だと考える学者もいるほどだった。

 武器に魔法を付与する行為は一説によるとこの魔剣を模倣したのが始まりだとも言われていた。

 そしてそう言った魔剣の秘めた力は恐ろしく高いと言うのが通説である。

 故にリヒトとしては未だ自分の作品がそこまでの境地には至っていないと言うのが自己評価なのだが、褒められる分には悪い気はしない。


「存分に使って」

「無論だ!」


 そう言いながら天井から今度は氷柱を落とし始める。

 高い天井から一気に面で攻撃を仕掛ける恐ろしい攻撃だ。尖った氷の柱が強力な弾丸と化して床を逃げまどうゴブリン達を殲滅していった。

 だが、中にはその限りでない者もいる。


「グウウオオオオオオオォォォ」

「む、ヒュージ・ゴブリンか」


 そのゴブリンは筋骨隆々とした大柄の体躯を持ち、手には腕ほどの太さもある棍棒を握っている。振り下ろされたそれは一瞬で氷の枝を粉々に打ち砕いた。肌はゴブリンなどよりもよほど強靭なのか、降り注ぐ氷柱をものともせずはじき返している。


「これだけの数のゴブリンだからな。一体くらいは統率している者がいるとは思っていたが、思っていたよりも大物だな」

「大丈夫?」

「誰に物を言っている」


 心配するリヒトに笑みを深めると、ユエルは大股でヒュージ・ゴブリンへと歩み寄っていく。周囲には既に生きているゴブリンの姿はない。天井から降らせていた氷柱を止めて、目の前に立つヒュージ・ゴブリンとユエルは対峙していた。

 ゆっくりとした動作でユエルが剣を引き絞るように構え腰を深く落とす。それに合わせてヒュージ・ゴブリンも半身になって棍棒を頭上に高く構えた。

 離れたところで見ているリヒトのところまでビリビリとした緊張感が伝わって来る。

 目の前で剣が交差したのは一瞬の事だった。


「グルルルオオォォォォォ!」

「ハァッ」


 先に振り下ろされたのはヒュージ・ゴブリンの棍棒だった。豪速で風を切って振り下ろされた棍棒がユエルの頭をカチ割らんと迫る。それに対してユエルの選択は真正面からその棍棒を迎え撃つという物だった。棍棒とは逆の軌跡を描いて跳ね上げられた剣が爆発的な破壊力を秘めた棍棒にぶち当たり――甲高い音を立てて跳ね返した!


「グルォォッ!?」


 ドスッ、という音を立てて剣の切先がヒュージ・ゴブリンの分厚い胸板にいともたやすく突き立てられる。一瞬だけ身を固くしたヒュージ・ゴブリンだったが、モンスター特有の異常な生命力で棍棒を再度振り下ろそうとする。

 だが、振り落とそうとしたところから棍棒が下りることはなかった。

 ピキピキと音を立ててヒュージ・ゴブリンの皮膚に霜が立つ。青白く染まっていく体は内側から凍り付いていく。

 ヒュッ、とユエルが剣を引き抜くと同時にヒュージ・ゴブリンの体が音を立てて崩れ落ちた。


「ふむ、やはり開かないか」


 ユエルの眼が閉じたままの扉を向いて呟く。

 ゆっくりと剣尖が持ち上げられ扉を指すと、再び氷の枝が猛スピードで動き扉に体当たりをかます。轟音を立てて扉は吹き飛んだ。


「これでいい」


 ユエルは満足げに頷いて剣を鞘へと戻した。鈴が鳴るような音を残して、部屋の中を圧迫していた氷樹は粉々に消え去った。ダイアモンドダストの様に氷の粒がわずかな間、部屋を漂った後は何も残らなかった。


「お疲れ、ユエル。剣の具合はどう?」

「文句のつけようがないな。元からいい剣だったが……お前の付与魔法のおかげでさらにいいものになっている」

「っ……気に入ってもらえたなら嬉しいよ」


 率直すぎる褒め言葉にリヒトは言葉を詰まらす。かろうじて言葉を探して跳ね上がった動悸を隠すが、赤らんだ顔は隠せないだろう。


「そ、そんなに気に入ってくれたなら名前を付けたら?」

「だが、サトラ氏は自分の作った武器には全て名前を付けているのだろう? 私が名づけるのはよくないのではないか」

「心配いらないよ。前に言った通り自分でつけた名前は誰にも言わないし、何よりそこまで自分の作った武器に愛着を持ってもらえることの方が喜ぶ人だから」

「ふむ、そうか。ならば……」


 ユエルは数秒、手の中の青白い魔法紋の浮き上がった剣を眺めて頷いた。


「『氷蓮華』と呼ぶことにしよう。先ほど作り出した氷の大樹は私にとっても予想以上の美しさだった」

「いいね氷蓮華か」


 キン、と音を立てて氷蓮華を鞘に納める。

 その音が、この部屋での戦闘の終了を告げたような気がして、リヒトは大きく息を吐いた。今回セェベロ第二迷宮に入って大規模な戦闘を行ったのはこれが初めてで、自分で思っていた以上に緊張していたらしい。

 だから、今になって気になる。


「結局、あのリーデルトって人は何がしたかったんだろう」


 再度周囲を見回してみるが、部屋のどこにも彼の姿はない。

 それどころかそもそもゴブリン達が湧き出して来た壁上のスペース以外に扉や抜け道のようなものは見当たらない。壁は結構な高さがあり、他に道があるとすれば池の中だがそちらは底が見えなかった。


「怪我をしたって言う仲間もいなかったし」

「そうだな。確か奴のパーティはあと女戦士と女魔法使いがいたはずだが……まぁ嘘だったのだろうな」


 もともとここに来る途中で警告されていたことだ。リヒトとしても納得こそすれ落ち込むことはなかった。


「奴が何をしたかったのかはわからないな。だが気を付けろリヒト。ダンジョンの中ではああ言った奴がいるのは常だ。ここは欲望渦巻く場所、なのだからな」

「……うん」


 死と隣り合わせのダンジョンにわざわざ挑むのは欲しいものがあるからだ。

 富。

 名声。

 探求心。

 あらゆる欲を満たすために人はダンジョンに潜る。その過程でぶつかることがあれば、人はそれを排除することに何らためらいはしない。

 それは歴史が証明していた。


「さぁ、行こう。寄り道してしまったが当初の計画だった30層まではあと1階層だけだ」

「うん」


 二人は部屋を後にしたのだった。


   ◇


「あらあら……厭味ったらしいくらいに簡単に蹴散らしてくれちゃってぇ。あれだけの数をそろえるのにどれだけ時間が必要だったと思ってるのかしらぁ」


 ほとんど天井に近い隠し通路から下を覗きこんでいたピンク髪をツインテールに結んだ女がニタニタと笑いながら言った。言葉の内容とは裏腹に、声には喜色が混ざっている。


「グゥゥゥゥ」


 頷くように地鳴り声を上げたのは上半身裸の巨漢だ。

 一度は閉じ込められた部屋を無事に抜けて行ったリヒト達を二人――ヘベッタ兄妹は見下ろしていた。


「ま、ゴブリン程度じゃぁそんなもんよねぇー。相手はあの『銀月』なわけだしぃ……こぉんな簡単に死なれたらそれこそ困っちゃぁう」

「グゥゥゥゥ」

「な、なぁあんた達、そろそろいいだろ?」


 背後から二人に声を掛けたのはついさっきリヒト達をこの部屋に連れて来たリーデルトだった。額には大量の汗をかき、憔悴した様子が見える。


「これでもう5パーティ目だ! あんた達との約束は果たしたんだ。だから仲間を返してくれ!」


 リーデルトの悲痛な声に、ヘベッタ兄妹の妹の方――シリンは一瞬眉根を寄せたがパッと笑顔になる。


「あぁ、そうだったわねぇ。そうね、そう言う約束だったわぁ。お兄様、この方をお仲間のところへ案内してくださいな」

「グゥゥゥゥ」


 そう言われてヘベッタ兄妹の兄――シグニートは巨漢を揺らしながら歩き出した。

 筋肉が大きく張り出した背中を見ながらリーデルトははやる気持ちを抑えながら狭苦しい通路を歩く。

 ここは28階層と29階層の間にある中間層だ。セェベロ迷宮は古い遺跡型をしているダンジョンで、階層がはっきりと分かれているためにその存在を知るものはほとんどいない。メインとなる層の上下には蜘蛛の巣状にこういった隠し通路やフロアが存在するのだ。ついさっきリヒト達を撒くのに使った隠し通路もその一つだった。

 通路を何度も曲がる。

 リーデルト達『マルスの樹』が『毒霧』のヘベッタ兄妹の罠にはまったのは3日前の事だった。捕らえられたリーデルトは二人の仲間を人質に取られ言われるがまま何組ものパーティを今の部屋へおびき出したのだ。そして見せつけられた。自分の愚かな行為によって引き起こされた現実を。リーデルトはただ仲間の顔を思い浮かべ、必死に命乞いをする憐れなパーティたちの声に耳と目を塞ぐしかなかった。だがそれも、約束の5パーティを連れてきたことで終わる。

『マルスの樹』の3人は同じマルス村で育った幼馴染だった。喧嘩っ早い戦士のフィエル。臆病で怖がりな魔法使いのスミナ。そして二人の兄貴分だったリーデルト。3人は吹けば飛ぶような寒村であるマルス村から夢を抱いて数年前にこのファブリアへやって来た。

 もう少しで大切な幼馴染たちを助けられる。地上に戻ったらフィエルには甘いものをいっぱいごちそうしてやろう。スミナとは一緒に図書館に籠って新しい魔法の研究を手伝うのもいいかもしれない。


「グゥゥゥゥ」


 シグニートが立ち止まり、顎で通路の先にある扉を示す。それを見た瞬間にリーデルトは駆け出していた。

 大きな音を立てて扉の中に飛び込む。


「フィエル! スミナ!」


 部屋に飛び込んだリーデルトの目に入ったのは、だが見知った幼馴染の姿ではなかった。


「ゲギャ?」

「ギャギャ!」


 部屋の中からこちらを見て来るのは無数の黄色い瞳。

 ゴブリン達だ。


「え、な? あっ」


 視線が幼馴染たちの姿を探して部屋をさまよう。

 そしてリーデルトは見てしまった。


「あっあっあっ」


 部屋の片隅。天井からぶら下がっている影。服はボロボロで、既に布ですらない。肌は全身くまなく青あざだらけ。どこにも美しく気高かった幼馴染たちの姿はなかった。


「あ、あ……」


 よろよろと2人に歩み寄ると、天井からぶら下がった二人を棒で小突いて遊んでいたゴブリンが道を譲るかのように体を引いた。

 二人は、死んでいた。


「あああああああああああああああああああああああ!」


 慟哭が小部屋を満たす。

 現実を認識して、リーデルトは嗚咽と涙を流すことしかできない。


「あらあら、死んじゃったのぉ?」


 そこへ場違いな笑い声が響いた。

 部屋の入り口から惨状を見下ろしてシリンがにやにやと笑っている。


「今朝までは生きていたのにねぇ。惜しかったわねぇ」

「……惜しかった、だと?」


 低い、しわがれた声がリーデルトの口から洩れる。


「ええ。この子達にはあなたがせっせと働いてくれている間、増えたゴブリン達の遊び相手をしてもらってたのよぉ。何しろ数が多くてアタシのスキルでも完全には抑え込めないしぃ。ちょうどよかったわぁ」

「おまぇっ……!」


 目の前にぶら下がって並ぶ二人の遺体、その首に深く巻きついたロープを見ながら怒りをにじませた声を出す。


「それにしても、せっかく朝食と一緒に差し入れたロープだったのにぃ。まさかこんな形で使われるなんて不本意だわぁ。もっと物語みたいにロープで窓から脱出するぅ、みたいなのを期待してたのにぃ。あ、ここ窓もなければ地下だったわぁごめんなさぁい」

「おまえええええええええええ!」


 リーデルトは立ち上がると身を翻し、入口に立って笑うシリンへと素手で躍りかかった。


「グゥゥゥゥ」


 だがリーデルトの指先がシリンのツインテールに触れるよりも早く、背後から伸びて来た太い腕がリーデルトの顔面をわしづかみにした。恐ろしいほどの圧力が顔面にかかりミシミシと嫌な音たてる。


「ぐ、あっ、が……!」

「あらありがとう、お兄様」

「グゥゥゥゥ」


 シグニートの腕によってつりさげられたリーデルトは全く身動きが取れなくなった。


「もうちょっと楽しめるかと思ってたけどぉ、残念ねぇ。行きましょ、お兄様」


 その言葉と共にリーデルトの体が床に勢いよく叩きつけられた。床を割るほどの勢いに、リーデルトは灰の中の空気を全て押し出されて体を痙攣させることしかできない。指先一つも動かすことが出来なかった。


「お前達、それは好きにしていいわよ」

「ギギッ」

「ギャギャギャ」


 シリンの言葉が理解できるのか。リーデルトを取り囲んだゴブリン達が喜びの声を上げるのが、朦朧とした意識の中聞こえた。


「さぁ、次は『銀月』で遊びましょ。あの女ならもっと楽しめるはずよぉ、お兄様」


 立ち去っていく足音を聞きながら、けれどリーデルトは視線を向けることすら出来なかった。仰向けに横たわったまま、天井にぶら下がったままの幼馴染たちの姿を目に焼き付けることしかできない。

 やがてゴブリン達の振り下ろす棍棒の感触がなくなったころ、リーデルトの意識は闇に消えた。

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