第28話 一匹見たら百匹いると思え


「むっ……リヒト」

「うん、わかってる」


 小声で話しかけられた時にはリヒトも気が付いていた。

 正道の道から逸れる通路から、戦闘音が聞こえるのだ。剣と剣が激しくぶつかり合う音。爆発音や風を切って何かが飛翔する音は魔法だろうか。

 頷きを返すと、今までよりもさらに慎重に音を殺して歩く。先を歩くユエルが通路の角から覗きこんですぐにさっと通り抜けた。

 リヒトもそれに倣って素早く通り抜ける。

 一瞬だけ見えた脇道の先では複数のゴブリンを相手にする冒険者たちのパーティが見えた。

 しばらく歩いて、音が聞こえなくなったところで二人とも、大きく息を吐いた。


「これで何パーティ目?」

「ふむ、8つ……いや9つか」

「それって多いの?」

「どうだろうか。私も普段この辺まで潜ることはほとんどないからな……」


 既に28層目となっていた。

 ここに来るまでの間いくつものパーティとすれ違ったが、30層を目前にして急に他のパーティとの遭遇が増えている。妙に気なっての確認だったが、ユエルも普段はこの層まで来ることはあまりないため参考にならなかった。


「ともかく基本方針は変わらん。他のパーティとは極力接触を避ける」

「そうだね。横槍と勘違いされても困るし」


 ダンジョン内では基本的に見つけたモンスターとの戦闘はそのパーティに優先権がある。だが時折モンスターから採れる素材欲しさに後から来たパーティが強引に横槍を入れることがあり、それはマナー違反とされていた。

 揉め事を避けるためにも二人はここまで極力他のパーティとの遭遇を避けていた。


「この中に僕たちと同じくユニコーンを探しに来ているパーティもいるのかな」

「何とも言えないな。目撃情報があったのは45層付近だ。もう少し下まで潜って、そこで出会ったパーティならば可能性はあるだろうが」

「他にどんなパーティがユニコーンを狙ってるのか分かる?」

「ああ、ギルドで聞いた話によると少なくともあと2パーティは狙っているようだ」


 隣から覗き見たユエルの顔が少しばかり険しくなる。


「知ってるパーティなの?」

「ああ。どちらも有名だ」


 パーティの説明をしようと口を開いたユエルだったが、その視線が通路の先を見て固まる。

 薄闇の先をリヒトも目を凝らしてみれば、下の階層への階段が口を開けているようだった。


「このことは30層についてから話すとしよう。話に夢中になって階段を踏み外したりでもしたら厄介だからな」


 薄く笑うユエルに頷いてリヒトも階段を下りた。

 下りながら、リヒトは密かに身震いする。それはここまでのどの感じた寒さによるものだ。一つ階層を下るごとに体を包む気温が下がる。そんな錯覚を覚えるのだ。

 だから階段を下り切ったところへいきなり足音が聞こえてきて、リヒトは心臓が飛び出そうなほどに驚いてしまった。


「た、助けてくれ! な、仲間が死にそうなんだッ!」


   ◇


 目の前に立つのは20歳くらいの青年だった。

 身に着けた防具はところどころ破損し、モンスターの返り血と思しき物も付いている。腰に下げた剣を入れているはずの鞘はなぜか空だ。二人の姿を見て気が抜けたか力尽きたか、青年は両膝を地面につく。

 未だ肩で息をする青年を上から下まで眺めまわして、ユエルはようやく構えていた剣を下げた。

 それを見てリヒトは大丈夫だと判断して青年へ近づく。


「大丈夫ですか? 怪我はしていませんか?」

「あっ、ああ。すまない。ずっと走ってきたものだから。怪我はないから大丈夫だ」


 ポーションを出そうかと悩んでいるリヒトに青年は礼を言って顔を上げる。


「む? 貴様は『マルスの樹』のリーデルトか?」

「俺を知ってるのか? ――って『銀月』じゃないか!?」


 ユエルが眉を寄せながら訊ねると、リーデルトと呼ばれた青年もユエルの顔を見て驚きの声を上げる。


「知り合いなの?」

「いや、私の方が一方的に知っているだけだ。『マルスの樹』は有名なパーティだからな」

「『銀月』のあんたに言われるのは、なんだかこそばゆいな。いや、今はそんなことを言ってる場合じゃないんだ」


 一瞬だけ、緩んだ表情を見せた青年だったが、すぐに顔を引き締める。


「仲間が大変なんだ! 助けてほしい!」

「……何があった」


 ユエルの表情が一気に険しくなる。視線が鋭くなり、リーデルトの動きを一つも見逃さないと言うような様子だった。


「この階層の奥の方でオークの群れに出会って仲間が大怪我をしちまったんだ! もし薬があれば譲ってほしい!」

「それは大変ですね。その仲間は今どこに?」

「安全そうな場所に隠れてもらってる。俺も、他の仲間たちももうポーションが尽きちまって……怪我した仲間も動かせる状態じゃないから正道を通る冒険者に薬を譲ってもらおうと思って、一番足が速い俺が来たんだ」


 それならばすぐにでも薬を、と思ってバックパックから薬を取り出そうとするリヒトだったが、それをユエルが手で制す。


「薬を譲ってもらいにか。武器も持たずに?」

「っ、ああ。オークとの戦いで折れちまってな。走るのにも邪魔だったしさぁ」

「ユエル、どうしたの?」

「……いや」

「なぁ、すまないが時間がないんだ。売ってくれるのか、くれないのか!?」


 リーデルトの声はかなり切羽詰まったものだった。

 だからユエルが何か言う前にリヒトはバックパックから薬を取り出した。


「これを使ってください。よほどじゃなければこのポーションで何とかなるはずです」

「おお、ありがたい。悪いんだが、他にも怪我して身動きが取れない仲間もいるんだ。礼はするから一緒に来てくれないか?」

「分かりました、行きましょう」


 リヒトが頷くや否や、リーデルトは通路を早足で歩き出した。


「こっちだ!」


 リヒトもバックパックを背負いなおしてそれに続く。

 その耳元にユエルが口を寄せて小さく囁いた。


「気を付けろ」

「え?」

「何か妙だ」


 ユエルの声は緊張に満ちたものだった。

 さっとリーデルトに目を向けるがこちらに気が付いた様子はない。


「どういうこと?」


 リーデルトに聞こえないように小声で聞き返す。


「奴の所属する『マルスの樹』こそがユニコーンの角の事を知っているパーティの一つだからだ」

「それは……」


 はっと息を呑むリヒトにユエルが頷く。

 リーデルトは変わらず急ぎ足で道を進んでいく。仲間を心配して焦っているように見えた。もしユエルから彼の所属するパーティがユニコーンの角の事を知っていると聞かなければ、疑いもしなかったことだろう。

 とはいえ今更行かないとも言えない。


「……気を付けて進もう」


 そう言うのが精いっぱいだった。


   ◇


 リーデルトの足はすぐに正道を逸れた。

 細い迷路そのものの通路を彼は迷うそぶりを一つも見せずに奥へ奥へと進んでいく。リヒトは正道を逸れた時からこの29階層のマップを取り出して見ながら進んでいたのだが、それでも迷いそうになるほどに複雑だった。

 まるでわざと道に迷わすかのように。

 やがてたどり着いたのは29階層の端。マッピングされている限りではそこより先に道はない場所だった。


「あの角を曲がった先だ。急いでくれ!」


 そう言うなりリーデルトは本当に走り出していってしまう。


「あ、待って下さい! 危ないですよ」


 そう言いながらリヒトが後を追いかけるのにユエルも続く。

 角を曲がった先には広い部屋があった。真四角な部屋で異様に天井が高い。高い天井につくまでの間の壁は真っ平ではなく逆ピラミッドのような段々になっている。そして床の一部はどこかから水がしみ出しているのか池となっていた。

 部屋の中で動けるのは池を囲んだコの字型の空間だけだったのだが、なぜかそこにリーデルトの姿がない。


「リーデルトさん、どこですか!」


 そう訊きながらもリヒトは彼が返事をしないであろうことを半ば察していた。


「いないな」

「うん」


 リーデルトだけではない。どこにも彼が助けたいと言っていた仲間の姿がないのだ。

 リヒトは腰からナイフを抜いて周囲を警戒する。ユエルは既に手の中に剣を握っていた。緊張感が高まりリヒトの呼吸が浅く、短いものとなっていく。


「我々をここに足止めするのが目的か?」

「ユニコーンの角のためにそんなことまで……」

「しないとは言い切れまい。お前が言ったのだぞ。王族や貴族献上される可能性すらある高価な代物だとな」


 ユエルの言葉と共に、足もとから振動が伝わって来る。

 はっとして振り向くと、今しがた入って来たばかりの入り口がゆっくりと閉まろうとしていた。


「くそっ!」


 反射的にダッシュして扉に駆け寄るが、扉が閉まる方が早い。

 リヒトの目の前で扉は固く閉ざされてしまった。


「ユエル、これ……」

「ああ。閉じ込められたな」


 二人、背中合わせになって周囲を警戒する。

 わざわざこんな場所に閉じ込めたのだ。ただ閉じ込めておくだけとは考えにくい。


「ギャギャッ」


 そんな二人に耳障りな声が届く。

 二人同時に振り向けば、天井へと続く段々から一体のゴブリンが顔を覗かせている。


「なんだゴブリンが一体だけか」

「リヒトよ、それはダンジョンではフラグというのだぞ」

「え?」


 現れたのがゴブリン一体だけだったので、わずかに気を抜いたリヒトにユエルがやれやれといった調子で声を掛ける。


「奴らが一匹で出てくるわけなかろう」


 その言葉と共に始まる大合唱。


「「「「「ギャギャギャギャ」」」」」


 どこから現れたのかわからない。気が付けば天井まで続く段々に無数のゴブリン達がひしめいている。その数は数え切れないほどだ。


「ほら、言った通りだろう」


 目に好戦的な光を宿しながらユエルが一歩前に出る。


「まぁここは私に任せておけ。お前からもらったこの剣の力、見せつけてやるとしよう」


 そう言って剣を構えて凄絶に笑むのだった。

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