姫の恋とその結末について

「クリスティーヌがわしの話を聞いてくれないんだよ~~~~~」


 僕の目の前で、おいおいと涙を流しているのは、この国の国王陛下その人だ。話を聞けば、泣きたくなるのも分かる。最近のクリスティーヌ様との関係はこんな感じなんだそうだ。


「クリスティーヌ、お前のけっこ…」

「お父さま、失礼いたします」


「クリスティーヌ、けっこ…」

「あら、用事を思い出しましたわ」


「け…」

「…(残像)」


 可愛い娘に声をかけても無視され続けている陛下がお可哀相だと思うと同時に、姫様らしいなとも思ってしまい、思わず緩みそうになる頬に力を入れて真顔を作る。


「“け”しか言ってないのにいなくなるなんて、バズもひどいと思うだろう?わしは娘の喜ぶであろう提案をしようとしておるのに…」


 うじうじと落ち込む陛下をなぐさめてから、姫様とのお茶会に向かう。

 未婚の男女が密室で歓談するのは外聞が悪いので、天気の良い日はテラスでお茶をすることが多い。今日も姫様はテラスで待っていてくれた。


「姫様、お待たせしてしまい申し訳ありません」


「いいえ、お父さまに捕まっていたのでしょう?最近しつこいんだから」


 先日十七歳の誕生日を迎えられた姫様は、より一層お美しく成長された。先月の月刊王国新聞に掲載したクリスティーヌ様の十七歳記念の写真付き記事は大反響を呼んだ。一般的にポートレートは斜め向きに撮影する場合が多いが、このときは姫様本人の強い意向で、真正面から撮影した。


 現像してみると、それは自分でも素晴らしい写真と言わざるを得ない出来栄えだった。写真を見ている側を逆に見つめ返すような姫様の強い眼差しと、口元に浮かべた柔らかな微笑みが完璧なバランスで、王国の至宝と呼ぶにふさわしい美しさに、これまでなかなか国民に見せられなかった凛とした強さが加わった印象だ。もちろん、僕の腕ではなく被写体である姫様が素晴らしいという一言に尽きる。街の人々は天使が女神になったとこの写真を見て大騒ぎだった。


 僕としては、この写真が姫様のお見合い写真も兼ねていることを知っていたので、「自分に相応しい相手は自分で見つける」と言わんばかりの姫様の表情が、とても彼女らしいとも感じていた。王族は十八歳までに結婚することが一般的で、まだ婚約もされていない姫様に対し、陛下が焦っているのは事実だった。そして王家に近い者しか知らされていないが、僕は姫様から長年話を聞いているため、王家の呪いの話も知っている。可愛い娘に呪いなどかけられないと思うからこそ、陛下は必死なのだ。


 そんな美しさ極める姫様だが、僕の前では変わらず自然体だ。そして国王陛下と同様に、こちらも荒れていた。挨拶もそこそこに本題に入る。


「大体、お父さまが悪いのよ!もう十年もずーーーっと断り続けているのに、しつこくお見合い話ばっかり持ってきて!」


 最初は怒っていた姫様だが、愚痴を吐き出しきったら、今度は急に弱気になっていった。


「…でもね、わたくしも十七になったでしょう?小さい頃は呪いなんてって思っていたけれど、現実が近づくと不安な気持ちになってきてしまったの……それでね、良いことを考えたんだけど!」


 一瞬不安げな表情を見せた後、姫様の碧い瞳がキラリと怪しく輝いた。こういうときの姫様の言う「良いこと」は、大抵良いことではないと知っているのだけれど、素直に続きを聞く。



「ねえバズ、わたくしと駆け落ちしてくださらない?」


 思わず口をつけていたコーヒーを吹き出さなかった自分を褒めてやりたい。



「えーと、姫様?ちょっと冷静になりましょうか」


「わたくし、冷静よ。ねえ、バズはいや?」


「いやかどうかをお答えする前に、いろいろと確認しないといけないことがあります」


 僕は混乱しつつも、脳内で整理しないといけない事柄を列挙する。



「まず、姫様は誰とも結婚したくないのでは?」


「ええ、そうね」


「では、結婚ではなく、駆け落ちがしたいのですか?」


「別に駆け落ちがしたいわけではないけれど、バズとは身分差があって結婚できないから、だとしたら駆け落ちになるでしょう?」


「では、別に駆け落ちがしたいわけでもないけれど、僕と一緒にいたいと思ってくださっていると理解して良いのでしょうか?」


「…そう言われると照れるけど、ええ、そうよ。わたくしはバズと一緒にいたいし、バズみたいに取材であちこちを飛び回るのが夢なの」


「そこはもう少しはっきりさせましょうか。僕と一緒にいたいのと、遠くへ行きたいのは、どちらの気持ちの方が強いですか?」


「バズと一緒にいたい」


「即答されましたね。では、最後の質問ですが…言いにくいことをお尋ねして申し訳ありません。クリスティーヌ様は、僕のことを好いてくださっているのでしょうか?兄みたいとか、幼馴染として、という意味ではなく」


 情報を整理しながら自分も恥ずかしくなってきたけれど、ここはハッキリさせないといけない。


「…ええ、そうよ。わたくしはバズが好き。幼い頃から、バズだけが好きなの。兄みたいだなんて思ったことないわ。男性として、バズが好きよ」


 姫様は、あの十七歳記念の写真と同じように、真っ直ぐに僕を見つめていた。少し赤らんだ顔は真剣で、とても魅力的だ。そして王国の至宝と言われる姫様に告白させてしまったという事実に少し動揺する。


「分かりました。…姫様、駆け落ちに関してのお返事ですが、申し訳ないのですが今すぐには回答いたしかねます。近日中にあらためてご返答しますので、もう少しだけお待ちいただけますか」


「分かったわ。本当は今すぐ攫ってほしかったけれど、バズにはお仕事だってあるんだし、そうはいかないわよね。駆け落ちに関しては良い返事を待ちます。でも…わたくしの気持ちに対しては、答えてもらえる…?」


 碧い瞳が不安げに揺れている。言いたいことはいろいろあるが、今はまだ言えないことが多すぎた。


「申し訳ありません、それについても今は明言することが僕にはできません。ただ、一言だけ言わせてください」


 僕も姫様の瞳を見つめ返して答える。


「姫様のお気持ちは、本当に嬉しく思っています。だから、ありがとうございます」


「…少しは、期待しても良いのかしら?」


「…ご期待に添えるようにはしたいと思っております」


「…分かった。じゃあ、待つわね。バズの言うことなら信じられるもの」


 姫様は、顔いっぱいに笑顔を浮かべた。言葉を返すことのできない僕も、精一杯の笑顔で返した。



 ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴


 幼い頃は、呪いなんて怖くないと思っていた。別に禿げたって太ったって、バズと結婚できないならどうでも良いと思っていた。


 でも、十七歳の誕生日が近づくほどに、わたくしは段々怖くなっていった。王家の呪いにはケガや病気はないと言われているけれど、声や外見が変化してしまうという。

 急にぷくぷくやガリガリになってしまったら、バズはわたくしをどう思うだろうか。醜いわたくしを嫌うだろうか。国民にどう思われるかはそれほど気にならなかったけれど、バズに嫌われる可能性だけが怖かった。


 誕生日の記念写真を撮影した日、写真機越しにバズにどう見えているかが気になった。お父さまからは懲りずに今回の写真をお見合い写真にすると言われていたけれど、わたくしには他の人なんてどうでも良い。ただ、バズにわたくしを見てほしくて、わたくしの想いを伝えたくて、写真機を見つめる視線に精一杯の想いを込めた。



 お父さまは口を開けば結婚の話ばかりで、最近は心底うんざりしているけれど、わたくしの中でも徐々にその問題は大きくなっていった。バズ以外の人となんて結婚したくない。でも、バズは平民だから、王族とは結婚できない。そしてわたくしは閃いたのだ。だったら駆け落ちしてしまえば良いのではないかと。


 駆け落ちだって、周囲に祝福される形ではないけれど、形を変えた結婚に他ならないはず。だったら、駆け落ちさえできたなら、呪いにはかからないかもしれないと思った。何より、ずっとバズと一緒にいたかった。


 今年二十四歳になるバズは、平民の結婚適齢期後半に差し掛かっている。いつか誰かと結婚してしまうかもしれない。

 何度かバズに恋人の話題を振ったことがあるけれど、これまではいつも「祖父の後を継いだばかりだから仕事第一」という回答だった。しかし、番記者を継いでから四年が経ち、最近のバズからは大人の余裕のようなものも感じられるようになっている。


 同じ新聞記者一家で、少し年下の幼馴染の女の子がいると聞いたこともある。バズは気づいていないみたいだけど、話を聞いた限り、女の子の方はバズのことが好きなのだとわたくしは確信している。このままでは、わたくしは呪いで見るに堪えない容姿になり、バズは他の女の子に取られる未来しか見えない。


 だからこそ決めたのだ。なんとしても駆け落ちしてもらうのだと。



 その次の取材の日、わたくしは勇気を出してバズに告白をした。バズは戸惑っているようだった。いきなり王女から駆け落ちしてほしいと言われたら、いくら優秀で冷静なバズでも困るのは当然だった。返事は保留だと言われたけれど、すぐに振られたり、否定されたりしなかったし、可能性はあるのだと信じたい。


 その後、翌月の王国新聞の取材や国家行事でバズと顔を合わせることが数回あり、わたくしは必死でバズにアピールした。バズは昔からわたくしのことを大切にしてくれているし、とても優しいけれど、どうにも妹のようにしか思われていない気がするのだ。

 だからこそ、今さらだけど必死で女の子らしい仕草をしてみたり、流し目をしてみたり、そっと手に触れてみたりしたのだけど、あっさりと躱されてしまった。


 ちゃんと返事をすると言ったバズが嘘をつくとは思えないけれど、いつになったら返事をもらえるのだろうか。女の子として、わたくしのことを少しでも意識してくれているのだろうか。もやもやと不安な気持ちが胸に溜まっていった。




 さらに翌月の取材の日、わたくしは応接間に懐かしい人物がいることに驚いた。四年前に番記者から引退した、バズのおじいさまだった。


「姫様、お久しぶりでございます。大層お美しゅうなられましたなあ」


 にこにこと挨拶をしてくれるバズのおじいさまは、年を取ったせいか、わたくしの記憶よりも随分小さくなっていたけれど、変わらず元気そうで安心した。

 しかしすぐに、そこに本来いるはずのバズがいないことに気づく。代わりにおじいさまの隣にいた壮年の男性が一歩前に進み出た。優しい目が、少しバズに似ている気がする。



「クリスティーヌ様、お初にお目にかかります。バズガルドの父のウォルドと申します。実は今回より、月刊王国新聞の『しあわせ国王ご一家』のコーナーを、息子に代わり私が担当することとなりました」


「…!そんなっ!では、バズは…」


 わたくしはウォルドの丁寧な挨拶に返事をすることも忘れ、動揺してしまった。バズの両親は長いこと取材の旅で不在だったはずだ。それなのに急に国に戻ってきて王家の番記者になるなんて話は聞いていなかった。


 そして今ここにバズがいないということは……これが、わたくしへの返事なのだろう。


 王家番記者という立場上、姫と駆け落ちして遠くへ逃げることなどできないと考え、職を辞したのかもしれない。それほどまでに、わたくしの一方的な想いで大切な人を追い詰めたのかと思うと、バズへの申し訳なさと混乱で頭の中が真っ白になっていく。


 バズは自分の仕事に誇りを持っていた。記者の仕事は大変だけど、やりがいがあるのだといつも言っていた。それなのに、わたくしのせいで、大好きなバズの仕事を奪ってしまった…


「ああ!姫様、そんな顔をなさらないでください。バズは大丈夫ですよ!何もお知らせしておらず申し訳ございませんでした」


 わたくしがよほどひどい表情をしていたのか、慌てたウォルドがフォローを入れる。バズが大丈夫というのはどういう意味なんだろうか…。



「陛下、シュライベン伯爵がご到着です」


「良いタイミングだな。通せ」



 混乱中のわたくしをよそに、お父さまが来客をこの場へと通した。これから取材が始まるのに他の人を通すというのはおかしな話だし、そもそも、我が国の伯爵家でシュライベンという名前の人物に心当たりがなく、頭の上に疑問符が浮かんでしまう。



「取材中のお忙しいところ失礼いたします、ご挨拶のため馳せ参じました」


 シュライベン伯爵なる人物の声が部屋に響き、わたくしは驚いて振り向く。それはよく知っている人の声だったから。



「……バズ…?」


 思わず疑問形になってしまったのは仕方ないと思う。そこには伯爵という名のとおり、仕立ての良い貴族の礼服に身を包んだ男性がいた。しかしその人物は、どこからどう見てもバズなのだ。



「陛下、恐れ入りますがクリスティーヌ様が大いに混乱されていらっしゃるので、先にお話をさせていただいてもよろしいでしょうか」


「ああ、よかろう。我々は一度退散しよう」


 お父さまの言葉で、その場にいた全員が一度退散する。普通ならば護衛や侍女のひとりくらいは残るのだが、気を遣って完全にわたくしたちをふたりきりにしてくれたようだ。



 驚きすぎて言葉も出ないわたくしの前に、バズがやってきた。


「姫様、申し訳ございません。かっこよく跪きたい場面なのですが、付け焼刃の貴族知識では作法が分からないのです。ソファーに座ってお話いたしましょう」


 すっとバズに手を差し出され、わたくしは自然に彼の手に自分の手を重ねた。ソファーまで数歩の距離だったけれど、優しくエスコートされる。ソファーに二人並んで腰かけても、バズの手はそのままわたくしの手を握っている。わたくしの手が震えているのを思い遣るように。


「まず、長い間お返事をお待たせしてしまったことを謝罪させてください。申し訳ございませんでした。いくらクリスティーヌ様のご希望であっても、国の至宝である姫様と駆け落ちするわけにはまいりませんので、次善策として僕が貴族になってまいりました」


 うん。状況を考えればそういうことなのだろうけれど、まったく思考が着いていけない。



「あらためまして、お初にお目にかかります、クリスティーヌ殿下。この度、陛下より伯爵位を賜りましたバズガルド・シュライベンと申します」


「え、ええ。…えええ?」


 わたくしが生まれた頃から知っているバズに初対面の挨拶をされる。戸惑いすぎて変な声しか出ない。もしやすでに呪いが発動したのかと不安になる。



「そして初対面でこのようなことを申し上げるのは畏れ多いのですが、お待たせしてしまったのですぐにお伝えしましょう。…クリスティーヌ殿下、私と結婚してくださいますか?お恥ずかしながら伯爵とは名ばかりで、田舎に領地も賜ったのですが、ひとりではうまく治められる自信がまったくないのですよ。殿下のような明るく賢く元気いっぱいな方がそばにいてくださると、とても心強いのですが」


 バズはいつもと変わらない優しい瞳で、わたくしの目をじっと見ながら、ゆっくりと告げる。手は彼に握られたままで、動悸が治まらない。


「ええと…バズ…じゃなかった、シュライベン伯爵…?」


「はい、姫様」


 彼を呼ぶと、いつもと同じ返事が返って来たので、少し拍子抜けすると共に、わたくしも落ち着きを取り戻してきた。


「どういうことなのかまったく分からないの。…いえ、違うわ、結果については理解できたんだけど、過程の部分をわたくしに分かるように説明してくださるかしら?」


 調子が出てきたら、わたくしもいつものように少し拗ねたような可愛げない言い方になってしまった。しかしバズは嬉しそうに微笑んで、順を追って説明をしてくれた。



 まず第一に、彼の出身である王家番記者一家は、実は国王直属の諜報特務機関であるということ。まずその前提の段階でわたくしはひっくり返りそうなほど驚いた。曰く、バズ自身もおじいさまの後を継ぐまでは知らされていなかったらしい。


 任務内容は主に国内外の情報収集や不穏な動きに関する調査、海外では新たな人脈づくりと共に情勢を探ること。もちろん月刊王国新聞の記者としての仕事も本当だが、そちらを隠れ蓑にして世界各地で活動しているのだそうだ。



 バズがおじいさまとおばあさまに育てられたということはわたくしも知っていて、幼い頃はそんなバズが可哀相だといつも思っていた。お母さまはバズの乳離れが済んだ途端に他国で仕事中のお父さまを追いかけて行ってしまったのだと聞いていたけれど、これでようやく謎が解けた。


 お母さま自身も元々は月刊王国新聞の記者のひとりで、結婚してからは王家番記者一家の一員として諜報の仕事も任されるようになっていたそうだ。仕事がしたくてウズウズしていたことは事実だけれど、いちばんの理由は遠い国へ潜入するのに、男性ひとりよりも夫婦の方が怪しまれないということだった。ちょうどバズのお父さま、つまり先ほど会ったウォルドが、ある国で身動きが取りづらく行き詰まってしまい、それを助けるために急遽仕事に戻ったというのが真相だった。


 そして、バズの年の離れたお兄さまやお姉さま方も、皆同様に諜報特務機関の仕事であちこちに散らばっているそうで、一家全体がこれまでに上げた功績は、とんでもないものになっていた。

 戦争の火種を潰したり、非常に危険な麻薬が国へ持ち込まれそうになったのを未然に防いだり、隣国の晩ごはんを追い続けた末に国交のなかった国と貿易協定を結んだり…聞けば聞くほどバズ一家の働きは王国にとって大きな価値のあるものばかりだった。


 国王であるお父さまとしては、長年成果を上げ続けている彼らに報いるべく、褒賞や叙爵をずっと検討していたそうだが、全員が現場主義者のバズ一家は、目立ちたくもないし、そんな重い物は邪魔だと拒み続けていたそうだ。今回、わたくしと結婚するために爵位が必要となったので、バズからお父さまに打診したところ、あっさりと通ったのだという。


 この爵位も通常であればバズのおじいさまもしくは父親であるウォルドへ与えられるものなのだけれど、ふたりともバズを当主に据えることで一も二もなく同意したそうだ。むしろ、長年褒賞を拒んでしまったが、国王の気持ちに報いることができるし、自分たちはそのまま仕事を続けられるということで、大喜びだったという。


「…爵位のことは理解したわ。でも、それと結婚の話はまた別でしょう?よくあっさりとお父さまが許可したわね」


「…それがですね、非常に申し上げにくいことなのですが、実は姫様が十七歳の誕生日を迎えられた後、陛下からすでに姫様との結婚を打診されていたのです」


「なんですって⁉」


 この返事に私は驚愕した。お父さまにはわたくしがバズのことが好きだなんて一度も言ったことはないし、いくら呪いの発動期限が近づいて焦っていたからと言って、いきなり平民に姫をもらってくれだなんて普通は言わないはずだ。


「…きっかけは、姫様の十七歳の記念写真だったそうです」


「あの、バズが撮ってくれた写真?」


「はい。その写真は、本来であれば姫様のお見合い写真として広く世界中に配布し、大規模なお見合いの舞踏会が開催される予定でした」


「何ソレ怖イ」


 寝耳に水の恐ろしい情報に、思わずわたくしの口調もカタコトになってしまう。


「だからこそ、姫様をとびっきり美しくお撮りするようにと、陛下から言われておりました。しかし、現像した写真を陛下と妃殿下がご覧になって、お考えを変えたそうです」


「お父さまとお母さまが?どうして?」



「……姫様が、恋する瞳をしていたからだと」


「……!」



 バズの顔も赤いし、思わずわたくしも赤面してしまう。確かにそうかもしれない。あの写真は、バズにわたくしを見てほしくて、敢えて真正面から撮影してもらった。バズに想いが届くようにと、視線に願いを込めて。


「それで、陛下はおっしゃったのですよ。クリスティーヌ様が誰とも結婚しないと昔から言っていたのは、本当は僕と結婚したいけれどできないので、だったら誰ともしないという意味だったのではないかと」


 わたくしは今年の誕生日を過ぎた頃、何度もお父さまから話しかけられたことを思い出す。明らかに結婚のことを言おうとしているのが分かったので、いつも適当に逃げてしまっていたが、あれはバズとの結婚について言おうとしていたのか。…ごめんなさい、お父さま。あとできちんと謝ります。



「ええ、それはお父さまの推測どおりね。そしてそんなときに、わたくしがバズに駆け落ちの誘いをしたと」


「はい、そのとおりです。僕としては、陛下から姫様をもらってほしいとは言われたものの、戸惑っていました。姫様ほどの方が、僕のような七歳も年の離れた平民に嫁がれるなどあんまりだと思いましたし、僕としては姫様には気楽な兄のように思われているだけではないかと思ってましたので。そんなときに、姫様に駆け落ちしてほしいと言われたときにはどうしたものかと思いました」


「それで、あんな風にわたくしの気持ちを確認したのね?」


「ええ。申し訳ないとは思ったのですが、そこは僕にとって非常に大事でしたから。姫様が幼い頃から自由な世界に憧れ、遠くへ行きたいと願っていたことは知っていました。だからこそ、わざわざ記者である僕を選んだのは、駆け落ちすることよりも、遠くへ行くのに都合が良いからではないかと」


「わたくし、否定したわよね?」


「はい、きっぱりと。僕と一緒にいたいと、僕のことを好いてくださっているとおっしゃってくださったので、僕としても腹を決めました」



 バズはわたくしの手を握る強さを少しだけ強めてから、わたくしの顔を見つめる。


「あのとき、すぐにお答えできず申し訳ございません。姫様を正々堂々と娶ることのできる立場になってから、駆け落ちなんかではなく、僕の妻になってほしいときちんと伝えるつもりでした」


 バズの言葉に涙が出そうになるけれど、こらえる。この大切なときを、この目で見て、ちゃんと覚えていたいから。



「クリスティーヌ様、お慕いしております。あなたが天使でも、女神でも、少しわがままな女の子でも、変な髪型でも何でも良いのです。自然のままのあなたと一緒にいたいと思っています。僕と結婚してくださいますか?」



 この幸せを、どうやって伝えたら良いのだろう。わたくしも精一杯、彼の手を強く握り返した。


「はい。ご存知のとおり、欠点ばかりのわたくしですが、どうぞ末永くよろしくお願いいたします」



 ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴


 これは、今やこの王国の民ならば、誰もが知っているお話。


 月刊王国新聞に掲載された、美しく幸せな姫と新進気鋭の伯爵の仲睦まじい写真は、婚約発表の知らせと共に一日にして国中を駆け巡り、それはそれは大きな話題となった。


 そして、女神のような姫様は、十八歳の誕生日より一週間前の今日、王都の大神殿にて式を挙げた。国中から祝福の声が溢れている。



 当初は、生まれたときから毎月紙面で見守ってきた姫様が、『しあわせ国王ご一家』のコーナーからいなくなってしまうことを嘆く声もあった。しかし、これからは『伯爵夫人の宝物』という新たなコーナーで、田舎の領地での新生活で見つける大切な物を紹介すると共に、夫人の写真も掲載されることが発表されると、国民は喜びに沸いた。




「ねえ、バズ。聞きそびれていたんだけど、あなたはいつからわたくしを想ってくださっていたの?」

 

 大神殿の扉から退場した瞬間、街に集まった国民と、彼らが用意していたフラワーシャワーで、視界にはたくさんの鮮やかな色が舞っている。笑顔を振りまきつつ、夫となった大好きな人に尋ねた。



「たぶん、初めて姫様の瞳を見たときからですよ」


「あら、じゃあわたくしと同じね!」



 目を合わせて微笑み合うと、バズはわたくしの肩に手を回してギュッと抱き寄せた。同時に周囲から大歓声が上がる。



 これからわたくしは、彼の妻として生きていく。

 

 そしてもちろん、秘密の王家番記者のひとりとしても。



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王家番記者と姫の恋 ロゼーナ @Rosena

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