姫の独白
わたくしには、ずっと大好きな人がいる。
バズと出会ったのは、わたくしがまだ十か月だった頃のこと。
もちろん覚えているはずなどないのに、わたくしのいちばん最初の記憶には、優しい瞳でわたくしの顔を覗き込む、彼の姿がある。
いつから好きだったのかなんて分からない。恋なんて言葉を知るよりも、ずっと前からバズのことが好きだったし、わたくしが彼を好きなのは、日が昇ったら必ず沈むのと同じくらいごく自然で当たり前のことだと感じている。
物心ついた頃には、いつもバズを追いかけていた。月に一度会える日を、ずっと楽しみに待っていた。
第一王女として生まれたわたくしに、自由な結婚は許されていなかった。それをわたくしが理解したのは、七歳のときだ。それまでの幼いわたくしは、ただバズが好きで、好きだからずっと一緒にいられるのだと信じていた。
その日は、朝から慌ただしかった。
「食器の数は問題ないわね?今日は特別なお茶会なんだからもう一度確認して!」
「はい、かしこまりました!」
「お茶菓子の準備は完了しました!」
「まもなく最初のお客様がご到着予定です」
「分かりました、では出迎えにまいりましょう」
お城中の使用人たちが、忙しそうに動き回っているのを見て、わたくしはどなたか大事なお客様がいらっしゃるのだと理解した。だから、今日はこれほど動きにくいドレスを着せられたのだとも。
「クリスティーヌ様、こちらのお菓子をどうぞ。我が家秘伝のレシピなのです」
「我が領地で採れた新鮮な苺を摘んでまいりました。ぜひお試しください」
「姫の瞳の色と同じ宝石が手に入ったので首飾りにいたしました。お似合いになることでしょう」
「こちらの花を受け取っていただけますか、クリスティーヌ姫。女神よりも尊くお美しいあなた様にはかないませんが」
「ひめさま、あちらでぼくと追いかけっこ…じゃなかった、おしゃべりしませんか?」
それは変なお茶会だった。わたくし以外に呼ばれているのは、この国や近隣諸国の貴族の息子たちばかり。中には他国の王族も混ざっているそうだ。わたくしの妹と同じくらいの年齢の子どももいれば、十歳以上離れていそうな青年もいる。
延々と続く挨拶とプレゼント攻撃に、わたくしの堪忍袋の緒がブチブチと音を立てて千切れていく気がした。よく知らない人から自家製のお菓子なんてもらいたくないし、苺よりリンゴの方が好きだし、初対面で首飾りなんて呪われそうで怖いし、女神様には失礼だし、追いかけっこは…この中ではいちばんましな提案だと思ったけれど、この子とお喋りは別にしたくない。
この気持ちを全部言葉にして吐き出せたら良いのに、淑女であれと教育されているわたくしに言えるはずがなかった。わたくしは本来、お淑やかな性格とは程遠いのだ。できるものなら裏庭を走り回って遊びたいし木登りもしたいし川で魚釣りも山で虫取りもしたい。でも、第一王女という立場がそれを許さない。
前にお忍びで街へ行ったときに、広場で月刊王国新聞が貼り出されるところを見たことがある。集まった街の人々は、わたくしの写真を見て口々に褒めたのだ。
「姫様はなんとお可愛らしいのだろう、まさに天使だ」
「お顔だけじゃなくて性格までお優しくて素晴らしい方と聞いたぞ」
「うちの娘も姫様みたいに女の子らしくなってほしいわ~」
バズのおじいさまが毎月書いているわたくしを含めた王家に関する記事には、どこにもわたくしの性格なんて書いていない。というか、わたくしの性格をよくご存知のバズのおじいさまは、うまくぼかして書いてくれている。それにも関わらず、どういうわけか国民はわたくしの性格は優しく淑やかで女の子らしいと誤解しているのだった。
王家に生まれ、国のために生きよと教育されたわたくしとしては、できる限り国民の望む姫の姿であろうと、公の場ではかなり気を付けている。また、その分、家族や気の置けない侍女やメイドの前でだけは自然体でいても多めに見てもらっている。
さて、話を戻そう。民のイメージを崩さず、嫌な場面から逃げ出す方法について、わたくしは幼い頃から研究を重ねている。この場面も切り抜けてみせよう。
「…あの、みなさま、申し訳ございません。気分が優れませんの…。本日は下がらせていただきますわ。大変な失礼をお許しください」
わたくしは深窓の令嬢のごとく、顔色を青くし、ふらりとして見せる。すぐに気心の知れた侍女がわたくしを支え、下がらせてくれた。これで後はこの場にいる兄たちがなんとかしてくれるだろう。
お茶会から下がった後、わたくしはお父さまに詰め寄った。一体今日のお茶会は何のつもりなのかと。お喋りして楽しいと思えるような相手がひとりもおらず、あからさまにみんなでわたくしをチヤホヤするだけの集まりで鳥肌が立ちっぱなしだったのだ。知っていたら絶対に出なかったし、それが分かっていたからわたくしには詳細が伏せられていたのだろう。
怒り心頭のわたくしに、お父さまは渋々語り出した。今日のお茶会は、わたくしの結婚相手を探すための会だったのだと。王女であるわたくしには、立場上、それなりの家柄以上の相手との婚約が求められるのだと。自分でもまだまだ子どもだと分かっていたわたくしは、婚約なんて気が早すぎると思った。それに、もしも結婚するとしたら、バズ以外の相手なんて嫌だ。
「まだ幼いクリスティーヌには可哀相だと思うけど仕方ないんだ…王家には呪いがあるのだから」
「呪い?」
おとぎ話でしか聞いたことのない言葉にわたくしは驚いた。お父さまによると、我が王家には十八歳になるまでに結婚しなかった王族には、生涯消えない呪いが降りかかるのだという。それは命に関わるようなものではないが、例外なく何かしらの悪い現象が発動するのだと。
十七歳で結婚しなかった三代前の王弟が、十八歳になったとたんに急速に頭が禿げ上がってしまったこと。二代前の王姉は、見目麗しかったのに、十八歳を過ぎたら急にぷくぷくと太りだしたこと。他にも、突然老けてげっそりした見た目になってしまった者や、見た目は変わらないけれど声がガラガラになってしまった者など、内容は地味だが確かに「呪い」と言うべき嫌な現象ばかりだった。
呪いがなぜ王家に受け継がれているのかも、どうやったら解けるのかも謎ばかりで、避けるためには必ず十八歳になる前に結婚するしかないのだという。そのため、早いうちから婚約を固めるべく、わたくしのふたりの兄たちには七歳から婚約者探しをして、すでに素敵な婚約者がいるのだと。そして今度はわたくしの番なのだと。
わたくしは絶望した。今理解したばかりの、姫という身分ではバズとは結婚できないという事実と、バズ以外の男性に十八歳までには嫁がねばならないという事実に。
そして決めた。バズと結婚できないくらいならいっそ呪われてやろうと。
「お父さま、わたくし決めましたわ。誰とも結婚しません!呪われたって構いませんわ、ケガや病気をするわけではないのですから」
「バカなことを言うでないクリスティーヌ!可愛いお前を呪わせてたまるものか!ダメだ!」
「いいえ、わたくしもう決めましたから。今日みたいな男の方に囲まれるのは気持ち悪いだけでしたわ。二度とごめんです。結婚なんてしたくありません!」
「おい、クリスティーヌ!」
お父さまがギャーギャー言っていたけれど、わたくしは気にせず走って逃げだした。
それからというもの、お父さまや宰相が引っ切り無しに持ってくるお見合いやらお茶会やら夜会を、わたくしは適当な理由をつけてサボり続けた。女性だけのお茶会には普通に出席していたので、数年も経つと「クリスティーヌ姫は可愛らしいが、男嫌いなのだそうだ」という噂が広まっていた。してやったりと思った。
しかしその一方で、公の場でのわたくしのお淑やかイメージが悪い方向に作用し、「男嫌いの姫に恋を教えて差し上げたい」「運命の出会いを待っているロマンチストな姫様だ」といった勘違い野郎が湧いてくるようになった。愚かにも城に忍び込んで来た者や、女性だけのお茶会に同伴してくる者など、迷惑極まりない輩が続発したため、仕方なくわたくしは作戦の変更を迫られた。
お見合いは断固として断り続けているけれど、女性も多く出席する夜会にはたまに顔を出し、男性とも当たり障りのない会話はするようにした。その一方で、私のイメージを打ち壊す作戦に出た。わたくしの虚像を好んでくれている国民には申し訳ないけれど、どうしてもわたくしは結婚したくないのだ。
手始めに、髪の毛をグリングリンのケバい縦ロールにしてみたり、ドレスをぼてぼてとしたダサいデザインに変えてみた。もちろんお母さまには叱られたり泣かれたりもしたけれど、わたくしの人生のためには背に腹は変えられなかった。ところが、大きな誤算が発生したのだ。
「まあ!姫様のドレス、露出を抑えて体をしっかりと守ってくれるデザインで素敵ですわね!」
「個性的な髪型もお似合いですこと!私にもその髪型の作り方を教えてくださらない?」
なぜか、流行った。変な髪型と変なドレスが。
縦ロールくらいでは甘かったのかと、う〇…ゴホンゴホン、とぐろを巻いたような形状の髪型にしてみたり、頭の上に船の模型を乗せてみたり、はたまた髪飾りに旗を立ててみたり、わたくしは迷走した。
取材に来たバズのおじいさまには苦笑いされたし、大好きなバズの前でこんな恥ずかしい髪型をしていることに泣きそうになりながら、その頭で写真にも写った。当然ながら月刊王国新聞の紙面にも掲載された。
…なぜか、流行った。国中の若い女性たちが、わたくしの変な頭を真似するようになってしまった。
さすがにこれでは国の評判に悪影響が出かねないので、わたくしは仕方なく、派手な方向ではなく地味方向に舵を切った。それ以来は常にアクセサリーは最小限に、髪型はひっつめ、ドレスも貧相じゃない程度に地味でくすんだ色を纏うようにした。
すると次第に「姫様は慎ましやかで贅沢を好まない民の味方だ」といった評判が立ってしまい、泣きそうになった。どう足掻いてもわたくしのイメージは良くなる一方で、婚約希望者も後を絶たないのだ。
空回りに疲れたので、今はもう「適当に姫らしい服装で」と言って、ドレス選びも髪型も侍女に任せている。
わたくしと三歳違いの妹のマーガレットも、“王国の至宝”と呼ばれ、国民から親しまれている。私との大きな違いは、妹は本当に天使だということだ。それも素の性格で。美化されるまでもなく、国民の期待する姫様像そのもので、愛らしい少女なのだ。
マーガレットはダメな姉と違ってあっさりと七歳のお茶会で同い年の男の子と恋に落ち、めでたく婚約が結ばれた。相手は筆頭侯爵家の長男なので、降嫁先としても申し分ない。マーガレットはわたくしにとっても可愛い妹だけれど、このときは少しばかり恨み言を言いたい気持ちになった。だって、これによってお父さまとお母さまの関心事が、百パーセントわたくしの結婚に向いてしまったのだから…。
人前では猫を何重にも被り続けたわたくしにとって、数少ない本音で話せる相手がバズだった。いつもおじいさまの取材に同行して王城に上がり、お父さまとバズのおじいさまが歓談している間は、わたくしの愚痴や悩みを優しく聞いてくれた。
でも、わたくしが十三歳、バズが二十歳になった年に、おじいさまの後を継いでバズが王家番記者となってからは、あまり話す時間が取れなくなってしまった。大人になったバズは王家の取材以外にもたくさんの仕事があるし、わたくしもお稽古や勉強に時間を取られるようになってしまった。わたくしのストレスは溜まる一方だ。
そこで、バズが取材旅行に行くときには、取材先の街や村について徹底的に調べるようになった。姫として王国内外のことを学ぶのは良いことなので、家庭教師の先生にも喜ばれた。最初は、ただ遠くへ出かけることができるバズが羨ましかったので、わたくしなりに調べることで、彼と共通の話題を持って、疑似的に一緒に旅行に行ったような気持ちになれたら良いと思っただけだった。
だけどある日、旅先で見つけた可愛い置物をバズがお土産としてプレゼントしてくれたときに、ふと気づいたのだ。
もしも、少しだけ難しいお土産をおねだりしたら、バズは旅先でもわたくしのことを思い出してくれるんじゃないかと。我ながらひどくわがままな願いだという自覚はあったけれど、好きな人が自分のことを遠くにいても考えてくれたらと一度思いついてしまったら、実行せずにはいられなかった。
実際、結構手に入れにくい物をお願いし、持ち帰れなくても仕方ないと思っていたのに、バズはいつもあっさりと「はい、姫様。お土産です」と笑って持って帰ってきてくれる。嬉しいけれどなんとなく悔しい気持ちになったわたくしは、少しずつおねだりの内容をエスカレートさせていった。
バズの滞在日程を事前に聞いて、その時期に現地で手に入る、少しだけ入手困難な物を考えて、バズにお願いする。いつの間にかその一連の流れは日常になってしまっている。もし一度でもバズが迷惑そうな素振りを見せたら止めようと決めているのだけれど、彼はいつも楽しそうにわたくしのおねだりを聞いてくれる。その度にわたくしの胸はときめいてしまうのだけど、彼は一体どう思っているのだろう。わがまま姫だと呆れられていないだろうか。
そうこうしているうちに、ついにわたくしは十七歳の誕生日を迎えた。王家の呪いが発動するまで、あと一年だ。
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