16

 女がベッドの上に横たわっている。診療用ワンピースの上にグレーのトレーナーを着て、半端な長さの黒い髪が墨のように白いシーツの上に広がっていた。目を閉じた顔は青ざめ、顔の横に伸びた機械は息をひそめている。

 若い男が女の頭に向かって両ひざをついた。別の男から取り上げた血にまみれたナイフを女の頭頂部へ向けて振り下ろす。鋭い刃先が髪と頭皮と頭蓋骨に突き刺さり、ぐりぐりと刃こぼれしながら骨を削った。

 脳脊髄液と血液が混じって弱々しくあふれ、黒髪の根元に艶を与えた。

 男はナイフを床に落とし、女の頭を両手で包み込むように支えると、乱暴につくった傷に口をつけた。舌が頭蓋の割れ目をこすり、その強い力に舌は裂かれて血をにじませながらもどかしく中へ入り込もうと細かく動き続けた。

 その動きに呼応し、飛来してとどまり続けている意志が死体の中へ入り込んでいった。


 発火する意識の中で引き延ばされた時間の中で展開された最後の思考の残滓を鑑賞し終わった男は、さらに頭蓋を割って脳をすすって平らげた。濁った汁を口から垂らし、腹を膨らませて虚空を見る男が思うのは、普通の死という姉の最悪な運命のことだった。姉を救うことはできなかった。肉体が朽ちることが最悪なのではない。意識が暴走することが最悪なのだ。歪な進化が生んだ天国と地獄。姉が堕ちた場所の光景と熱と痛み苦しみ、それらが舌を痺れさせ、受け取った痛みを消すにはそれらを生んだ物質を自分の汚らしいありふれた体で消滅させてしまうほかなかった。唯一の問題が胃酸の海に溶けゆくとも、どうして届きそうな時間の中に生まれたが間に合わなかったのが姉なのかと、空しい疑問が生まれることに抵抗できない。

誰の命も、その命を眺める他者にとっては、熱湯に飛び込む雪の結晶ひとつよりも儚い。しかし、誰もが永遠に近い命を持っている。暴走する意識をとめられない姉にとっては、まさにブラックホールに飛び込む人よりも長い時間があった。しかし、彼の永遠は時間の停止であり、彼の死は段階を踏まない消滅であり、消滅は永遠を遮ることはできない。

 彼は自分が最悪な運命を逃れられることに感謝したが、己の中にわだかまる怒りを無視できないことに驚いていた。

研究が暴走することも、自分が姉をとめようとすることも、それに失敗することも、全部を知っていた。しかし、彼の心はまだ生きている。

 彼は人々に言うだろう。いつかなくなる命を持った、いつかなくなるほかの命やすでになくなった命を愛しているすべての人に、お前自身も、お前の愛する人も皆、脳内の地獄の業火に焼かれ続けるのだと。

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飛来する刺青 諸根いつみ @morone77

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