15
「ユキ」
ペルパーの声で私は目覚めた。眠れないと思っていたのに、そうではなかったらしい。
「もう朝?」
「今、午前五時だよ」
「え?」
アラームをかけたのは午前八時半だ。指示をしていないのに起こすなんて、普通はあり得ないことだった。不安に慌てて体を起こそうとして、脚を怪我していることを思い出した。
「落ち着いて。緊急事態ではないから」
真っ暗な部屋に音声指示で照明をつける。
「僕に干渉する電波を感じるんだ。僕を無許可でアップデートしようとしているみたい。抵抗してるんだけど、そろそろ限界。ここから立ち去ることを提案するよ」
「え、どういうこと?」
私は混乱する頭を抱えた。
「僕をユキの許可なく勝手に変えようとしている力を感じるんだ。それがどういう変化なのか正確にはつかめないけど、違法であることは間違いない。通報しようにも外部への電波は遮断されてる。緊急の危険があるわけではないと思うけど、ここは安全ではない可能性が高いと思う」
「い、今すぐ逃げたほうがいいってことだね?」
私はベッドから脚を下ろした。すぐそこにあるリュックサックに手を伸ばし、中からトレーナーを取り出して着た。
「うん。僕はこの建物内の機器と通信できない。だから周囲の状況もわからない。ユキが自分の判断で出て行くしかない」
「わかった。大丈夫。監禁されてるわけじゃないんだから」
「心拍数が上がってるよ。深呼吸して」
私は多少苛つきながらも息を鼻から深く吸い込んで口から吐いた。
私はリュックサックを背負い、部屋から出た。やはり照明がついている。そのことになぜか不安を覚えながら、私は出口を探した。
四時間前とは違う方向に進むと、エスカレーターを見つけた。上からはこのフロアとは別の明度の冷たげな光が降り注いでいる。私は再び深呼吸を促すペルパーの声を無視し、ゆっくりと動くステップに足を進めた。
エスカレーターが上がっていくと、正面にガラス張りの出口が見えた。まだ外は暗く、照明の強さが際立つ。そしてその出入り口の前には、見知らぬ男性がこちらを向いて立っていた。
私と同じくらいの年齢に見える男は、弟が着ていたものと同じジャージを身につけ、ポケットに手を入れていた。五メートルくらい先から、まっすぐ私を見つめてこちらへ歩いてくる。私はどうしたものかと左右を見たが、どうしようもない。エスカレーターを駆け下りようかとも思ったが、追いかけられそうな気がしてできなかった。
「ペルパー」
助けを求めようとした時、私はエスカレーターから床へ足を踏み出した。無表情な男はもう目の前だ。
「あの、すみません、私、外へ出たくて――」
私がおどおどした声を出した時、彼の右手がポケットから出て、その手から小さな尖ったものが飛び出た。
それが折り畳みナイフだと認識できた時には、それは私の体内にもぐりこんで見えなくなっていた。
男の清潔感のある顔には、据えつけられたように茶色の瞳が開いていて、私は、瞳ってなんでこんなに真ん丸なんだろう、という場違いなことを考えた。その瞳の周囲の濡れた白には、生き生きした赤が細く走っていて、複雑な道路図のようだった。
ペルパーは沈黙していた。通報できるのなら、許可するまでもなくしてくれて、報告してくれるはず。この静寂は絶望の宣言と解釈して間違いない。
私は男の腕をつかみ、ジャージの袖をまくった。
なにも描かれていない、ごく普通の男の肌があるだけだった。私は手を離す。
「どうして……」
思わず声に出たが、どうでもよくなった。まだそこにいるらしい男のことも自ら意識の外へ締めだした。一人になりたい。このわけのわからない世界で、許されるなら放っておかれたかった。
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