月下のアリス

ふじ

第1話

 夢の中では、苛められていた。

 上履きに隠された大量の画鋲。

 消えた机。

 宙に身を投じられた筆箱。

 埋められた自転車の鍵。

 どれもこれも、夢の中だ。

——————————

 

 どこかに放り出されたような浮遊感を味わい、俺はガバリと起き上がった。パジャマやシーツは、汗に溺れている。

 嫌な夢だな、と小さく息をついて呟いた。少し前から観るこの夢。なぜか、世界も、登場人物も、現実と変わらない。

 

 校門付近、ナリ、と呆けた声が後ろからした。バスケ部の古見。

 息を弾ませながら俺の肩に手を置き、よう、と言った。

 「ナリさ、帰りラウワン行かね?俺今日部活ないし」朝から大きな声で騒ぎ立てる。

 いーよー、と間延びした声で返し、お金あったかな、と思い返した。

 唐突に予鈴が鳴り響き、周りの足音のテンポが早くなった。

 

 もし神様が人間にアンケートを取るとして、一番人生を謳歌しているのは誰か、と聞かれたら、俺はなんの迷いもなく自分だ、と答えるだろう。

 騒がしい仲間、それを引き連れる自分。

 トイレで遊んで、教室で騒ぎ立てて、カワイイ女子と喋って。

 うるさい古見、発想力のある柳瀬、とにかくアホな利根…。

 ずっとこの時間が続けばいいのに、と思う。

 ——————————


 上履きに詰まっていた画鋲をゴミ箱に捨て、乾いた音を立てて教室へと向かった。

 右手で扉を開ける。喧騒が、一瞬にして自分を包み込んだ。

 席には、花が置かれていた。女子の下品な笑い声が、俺を突き刺した。

 自分に向ける視線は三種類。

 嘲り、蔑み、憐み。

 消えたくなる。


 二度とここ来んなよ、とサッカー部の古見が俺の尻を蹴る。

 ガン、と鈍い音。それを覆った嘲笑。

 バレやんようやるんやで、と柳瀬が言った。


 前に一度、何故自分を苛めるのかを彼らに聞いたことがあった。なんとかして対処法を探っていた頃の話だ。

 帰ってきた返答に、二の句を継ぐことさえ忘れてしまったことを覚えている。

 ——ただの娯楽だろ。

 落ちた消しゴムを拾うように自然に言い放ち、そして俺の鳩尾を蹴った。

 ——————————


 今、俺らの中で流行っている遊びがある。

 ——悪者退治。

 クラスの前田を学校から排除する遊びだ。

 前田の悪行は見るに耐えないものだった。親の自慢、家の自慢、持ってる物の自慢、自慢、自慢、自慢…。

 ——悪は排除されなくてはならない。

 このポリシーを理由に、俺たちは玩具で散々遊んだ。

 鞄に水を入れた。

 自転車の鍵を校庭に埋めた。

 前田の好きな人の前で無理矢理告白させた。

 「何かご褒美をあげないと」柳瀬はこう提案した。

 ——飴と、ムチ。

 一緒に昼メシを食いに行ったり、俺の仲のいい女子とデートさせてあげたり、とご褒美を与えた。

 壊れないように。


 柳瀬と利根が、隣で次のゲームについて話し合っている。相変わらず、利根は馬鹿みたいなことを言っている。

 「次、机隠さへん?」柳瀬が俺に問いかけた。

 俺は左手に持っていたシャーペンをクルリと回して、いいね、と笑った。

 妙な既視感が、胸を覆った。

 ——————————


 「居場所ねえんだから、さっさと帰れよ」

 轟然としていた古見が、俺の弁当に入っていたおにぎりを俺の頭に投げつけ、叫んだ。

 頭の中で、何かが切れる音がした。教室の緑色のカーテンが風になびいた時だった。

 「煩い、煩い、煩い!夢の中だからって、調子乗ってんじゃねーよ。本当は俺の金魚の糞のくせによ」気づいた時には、言葉は口外に投げられていた。

 同時に、俺は古見に投げられていた。

 少し黒ずんだ教室の天井が見えた。そしてすぐに、視界がシャットダウンされた。

 ——————————


 放課後、担任に呼び出された。

 成績が低下しすぎている、という話だった。

 右から左に聞き流していたその時、胸に小さな違和感が生まれた。

 それはどんどんと大きくなって胸を蝕んでいき——。

 ——この話、知ってる。

 夢の中で見た話だ。状況も、内容も、そっくりそのまま。確か担任は最後にしっかりしてくれ、と言ったはず——。

 「——だから、しっかりしてください」

 

 途端に、視界がぐらりと揺れた気がした。

 担任の顔が、火にあぶられた蝋のようにぐにゃりとまがった。

 息を飲み、立ち上がり、後ずさる。

 そのまま、化け物に背を向けて走り出した。人気の無い廊下に靴音と俺の片息が響く。

 後ろを振り向かずに、教室の扉を開けた。風でクリーム色のカーテンが揺れた。

 窓のサッシに手を置いて考えをまとめる。

 道に吐き捨てられたガムのように、胸に張り付いて取れないこの不安。

 ぱさり、と胸ポケットに入れていた生徒手帳が落ちた。徐に左手を伸ばす。

 ——左手?

 俺は右利きのはずなのに。

 その時、堰き止めていた水が流れるように、疑問が一気に俺を襲った。

 古見は本当にバスケ部か?

 カーテン、本当にこんな色だっけ?

 本当に苛められてたのは、誰?

 

 ——どっちが、本物の世界なんだ?

 

 糸が絡まったまま解けないように俺の頭もこんがらがって、考えるのをやめた。

 空は俺の心には似合わず、寒気がするほど綺麗な青空で、一人の心模様で景色は変わらないんだな、とぼんやりと考えていた。

 ——————————

 

 どこかに放り出されたような浮遊感を味わい、俺はガバリと起き上がった。パジャマやシーツは、汗に溺れていた。


 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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月下のアリス ふじ @Jun18999345

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