合法同棲:リライト 〜with"元"女子高生の家出少女〜

第9話 出発の午前に

　水が流れてドアが閉まる音で、俺は目を覚ました。

　ニシキアナゴを抱いてる体を起こすと、廊下に電気が付いているのに気付いた。

　小さく欠伸（あくび）をして、時計を見る。

　およそ7時半。

「あ、おはよう」

　起床一番に聞く声は、トイレの方から聞こえて来た。

　やはり風葉だった。

　まだ起きてそこまで経ってないのか、寝癖が右に左に荒れている。

「おはよ。今日は早かったんだな」

「うん。体調も回復してる」

「そうか……‼︎それなら良かったよ」

　俺の喜びに、風葉の顔にも微笑みが表れる。

　確かに見た感じは良好だ。それに表情も疲れ切って窶（やつ）れていた、あの時の様子は既に消えている。ただ一つ気になるのは…………少し微笑みに、その窶れとは違う、モヤっとした感情を覗かせている…………そんな気がした。

(まぁ、今は置いておこう)

　さて、今日の目的は、風葉の親御さんの所へ向かって、和解させる事だ。

　風葉のその姿を見て、俺は提案する。

「風呂、入って来たらどうだ。体調も崩してたし暫（しばら）くだろ？綺麗になるし、リラックス出来るぞ」

「え、いいの？」

「俺が許可してんだ。入りな」

「じゃあ、お言葉に甘えて……」

　俺の提案に風葉はそう言って、バッグから着替えとタオルを取り出して、浴室へと向かっていった。

「さて、顔でも洗うかな」

　シャワーのお湯が浴室の壁を叩くのを聴き、洗面所のドアを開けた。

　洗面台で水を1口飲んだ後に、3、4回と顔を濯（ゆす）ぎ、タオルに顔を埋める。今日はまぁまぁ安眠出来たので、顔を洗うだけで大分目が覚めた。

　そして、どうしてか、俺はふと風呂場に目線をやった。水を浴びて目覚めたせいか、雑念が脳内に直行して来た。

(待てよこの状況…………女の子が、すぐ側（そば）でスッポンポンでいやがるって事じゃねぇか……⁉︎)

　一気に気不味（きまず）くなった。

　いや理愛華も昨日浴びてたろ、ってツッコまれるかもしれない。

　しかし、本来なら他人である女の子(未成年)と自分の彼女じゃ話が違う。

　もしも理愛華が風呂場から出て来たのと同時に洗面所のドアを開けてしまったとしても、タライが飛んで来るかもしれないが、俺は『あースマン』で退出する自信がある。

　でも、こいつは違う。今日でサヨナラする予定の他人だ。

　そんな人相手にラッキーなんとかを起こしてしまったら、気不味いし、相手の気持ちを考えると心が痛む。

　だから余計な考えは捨てよう。

　俺は心を鎮めて、自立しようとする前髪の一部を元に戻す。そして、整え終わった俺は、昨日使っていたタオルを洗濯物入れに入れようとした。

　実は、俺は洗面所のタオルの交換を翌日の洗顔時に行うのだが、今回はそれが最悪だった。

　洗濯物入れの隣に、風葉の着ていた服と今日の着替えが置いてあった。もしかしたら下着もあったかもしれない。

　やばい。見てはいけない。

　そう思って目を背けようとして、左を向く。

　その時、俺の目が今度は風呂のドアの方を向いてしまっていた。

　向こうで手が、頭が、腰が動いている。曇りガラスが、小さな身体の曖昧（あいまい）な輪郭（りんかく）を描いている。

(バカヤロォ……‼︎)

　俺はタイミングの悪さと己の肥沃（ひよく）な感性を恨みながら、再びタオルに顔を埋めてしまった。

　暫くして、風葉が出て来た。

　オールバックで纏（まと）めて後頭部でシニヨンを作った彼女の姿は、風呂上がりなのも相まって、今までとは違う雰囲気を感じる。

　そんな事を見ていながらも、冷静さを取り戻していた俺は朝飯の準備をしていた。

　昨日の残りと、コーンフレークと、サラダと、インスタントの味噌汁と、ヨーグルトをテーブルに用意して、席に着いた。

「いや多くね⁉︎」

　食事に来た風葉がツッコむ。

　俺は首を傾（かし）げる。俺は大食いだから、この程度は普通だと思っていたけど。

「そんな事はないだろ」

「あるよ。なんで主食2つなの⁉︎」

　2つ……？昨日の丼物とコーンフレークの事を言ってるのか……？

　確かに、朝をコーンフレーク主体で進める人もいるとかなんとか。

「……いやでも、コーンフレークはおかずだろ？」

「いやないない」

　そうなのか……？俺がおかしいのか……？

「まぁいいや……いただきます」

「あっ、私も。いただきます」

　俺と風葉は、朝食を次々に口に運んでいく。

　風葉の顔にも、美味しいと書かれているかのような、満足した表情が浮かんでいる。作った立場として、本当に嬉しい事だ。

(ま、しっかり作ったのは昨日の残りだけなんだけどね)

　そう言えば、風葉は料理が得意とか言ってたっけな。

　出来る事なら、こいつが料理する姿を見てみたかった。作った料理も食べてみたかった。

　きっと、俺よりも上手いんだろう。

　きっと、俺よりも美味いんだろう。

　でも考えるだけ無駄だ。今日帰らせる以上はその願望を叶える事は出来ない。

　そう、この生活はもう終わりだから…………

　ふと、机で通知音が震える。

　理愛華からのメッセージだった。

　ーー

　もうすぐ着くよ！！

　どうする？

　ーー

　下には、何かスタンプが送信されてあった。地味に可愛らしい。

　すぐに行くという旨を伝えて、箸の進みを速める。

　数分後、皿の上には何も無くなった状態にして、俺は立ち上がった。

「ごちそうさま。恐らく理愛華が下で待ってるから行って来る」

「はーい」

　俺は鍵だけ持って、下へと急いだ。

「……ウチも……料理、作ってあげたかったな………………」

　下に降りると、高級そうな黒塗りの日本車セダンが既に止まっており、その中から理愛華が出て来た。

「やっほ」

「あぁ。今日は涼しいな」

「そうだね」

　理愛華がドアを閉めた直後に、運転席の窓が開いて、自分達の親と同じ位の年齢に見える女性が顔を出した。

「おはようございます、礎さん」

　静かな、落ち着いた声で俺に挨拶（あいさつ）を送る。黒塗り高級車にマッチするリスペクタブルな雰囲気は、忠誠心を感じさせる。

「和泉（いずみ）さん、お世話になってます」

　和泉さんという人だ。

　高槻家の使用人らしく、今日もここまで理愛華の送迎をしてくれている。

　イメージとは違って馬鹿真面目ではなく、篤厚（とっこう）かつ話の通じる人なので、今みたいな機会に言葉を交わす事が多い。

「いえいえ、理愛華お嬢様が迷惑をおかけしてはいませんか？」

「そんな事ないですよ。今回なんて、寧ろ俺が巻き込んでますし」

　そう、間違いなく俺が迷惑をかけた。俺が保護しただけであって、風葉と関わる義務はなかった。

　もしかしたら、理愛華は俺に巻き込まれるのは嫌だったかもしれない。そう考えると何だか、申し訳なくなって来た。

「巻き込まれて嫌だった、なんて思ってないわよ」

　……え？

　少し不機嫌そうに、肘でツンツンとやられた。漫画とかなら、ほっぺたをプクーと膨らませていそうな様子で、こっちを見ている。

　可愛い。

　しかし、そんな様子とは裏腹に、彼女の言葉はまるで心を読まれてるかのような答えだった。

「私だって、手伝いたい。勝幸が頼ってくれてんだもの。そこで手伝うのが、彼女でしょ？」

「理愛華…………」

　その言葉に、偽りの様子は感じなかった。嫌じゃなかったかどうか、俺は聞いてないのにそう答えてくれたのは、きっとそれが本心であってくれてる証拠だ。

　理愛華は優しく微笑んで、俺の方を向く。この笑顔も、俺の信用。

　何て良い奴なんだろうか。こんな素晴らしい人が彼女で、俺は良かったとしみじみと感じる。

「そう言えば、その件についてですが」

　和泉さんが、元の話題に引き戻す。

　車内からのガサガサとする音を聴き、俺は和泉さんが取ろうとしている物を覗き込む。

　車内から、包装された紙箱が入った袋が手渡された。俺はそれを受け取る。すると、そんなに大きくないのに、ズッシリとした重さを感じた。何が入っているのか。気になった俺は箱を取り出し、中身を確認する。

「……パッションフルーツタルト？」

「えぇ。会社の出張帰りの者がワクワク気分で15箱も買った結果、癖が強過ぎると半数以上の社員に不評で余ったうちの1つです」

「」

　家に戻ると、部屋に置かれてあった風葉の荷物の殆どが1つのバッグに集合していた。

「おはよ、風葉」

　理愛華の挨拶を聞いて、歯を磨いていた風葉はこっちを向いて、ペコっと小さく頭を下げた。

　風葉の髪型は既に整えられており、ツーサイドアップに仕立て上げられていた。両側にあるリボンがアクセントになって、同時に垢抜（あかぬ）けない雰囲気を醸（かも）し出している。

　そんな事を観察しながら、俺も自分の荷物をバッグに用意する。

　俺は昔から、学校にも旅行にも友達の家に行く時も、同じバッグで出掛けていた。やはりその性格は大学生になっても変わらない。

　幾つかの荷物を詰め込んで、玄関前に置いておく。

「風葉、用意はどうだ？」

「多分……大丈夫な、はず」

　よいしょ、と風葉はバッグを持ち上げる。

　生活必需品だったり大切な物が入ってるのだろうか、バッグはパンパンに詰まっていて、背負うのにも苦労しそうだ。

「よし、そろそろ出るか」

　軽く用を足して、手を洗いながら、もう一度鏡に顔を近づける。

　自分の頭は、幾分かシャープな黒い輪郭を形成している。少しだけ整髪料使ってツンツンさせてみたのだけど、変になってたりしないだろうか。

「大丈夫だよ、その髪型似合ってる」

　なんて思っていたら、鏡に人影が現れる。

　振り返ると、俺の挙動に気付いたのか、理愛華が洗面所にピョコっと顔を覗かせていた。

　何だか少しだけ恥ずかしい……

「お、おぉ、ありがとう…………」

「どういたしまして」

　彼女はニッコリと優しく笑って、再び姿を消した。

　恥ずかしさが理愛華の可愛さに打ち消されると、崩れた表情を戻して俺は玄関へと進んだ。

　3人で靴を履いて、ドアを開ける。

「お世話に、なりました」

　風葉は部屋の方向に振り向いて、軽く一礼する。

　そんな動作を見守りながら、俺は微笑みを浮かべていた。

　僅かな時間しかここにはいなかったが、風葉にとって、ここは何か意義のある場所になったのだろう。もしそうなら、保護した身としては嬉しくもある。

「よし、目的地に向かおう」

　俺達はマンションを出て、駅へと向かう。

　曇天の空は、心地良い気温を演出している。雲は厚くないし、このままなら雨は降ってこないのでないか。

　俺達は、今から風葉の親御さんに会いに行く。上手く話をつけて風葉と仲直りさせられれば、それが最善の結果だ。

　そうして、俺の仕事はおしまい。

　でも、どうしてだろうか…………

　風葉と別れる事に、少しだけ俺の中に心残りがあるように思うのは………………