都市に散骨する。

君足巳足

都市に散骨する。


 かつて親だった他人から、届くはずのない仕送りが届いて、わたしは吐き気をこらえてうずくまった。送り主の欄に書かれた十年ぶりに見る親の名前を、しっかり確認しないで受け取ってしまったのが果たして良かったのか悪かったのか。とにかく配達員はもう帰っていて、それだけはまあ、よかったと思う。他人に見せたい姿ではない。


 それにしても、なんで今更あのひとたちに住所がばれるのか。考えられる情報源ルートはひとつしかない。妹だ。最悪だな。くそ、引っ越さなきゃ。死んだ後にまで姉に面倒をかけるんじゃないよ。


 口元を押さえたときに、かけていた眼鏡に思い切り指紋を付けてしまった。舌打ちをひとつしてよろよろと立ち上がり、ティッシュで眼鏡のレンズを拭う。そして、仕方がないので荷ほどきを始める。無駄にでかい段ボールの中身は、たぶん重しでしかない米、捨てるつもりだったのだろうぼろぼろの毛布に父親のものだろう、男物の服。そしてそれらのカモフラージュをどけた先に、本命。


 遺書と、骨壺。

 妹の名前がしっかり記されていた。


「なにがしたいんだよ、ほんと…………」


 ぐしゃりと五指を髪に絡ませ、ふたたび、みたび、舌打ちをする。ずれた眼鏡の位置を戻す。あまりにわかりやすく苛苛している自分が、嘘くさくて気持ち悪い。毛布だの服だのはどうせ捨てるからいいが、米は、どうだ? 捨てるのも忍びないけど食べられる状態の米なんだろうな、これ。違う。そういう現実逃避的な考えは、違う。混乱していないであの子の遺書と向き合え。


 自分を叱咤し、折り目を伸ばして遺書を開く。

手書きの文字を眺めるが、あの子の筆跡なんてはっきり覚えていない。

あの子は、こういう字を書くんだっただろうか。

そもそも、わたしはあの子の何を覚えているのだろうか。


 笑った顔。泣いた顔。二重瞼に笑い黒子。

 細っこい肩、長い脚。わたしが開けてあげた、両耳のピアス穴。

 トマトが嫌いでお寿司が好き。

 初恋の相手と高校卒業まで付き合って、浮気されて別れた。

 初めての化粧に大失敗して、笑いながらわたしが直した。

 おおきな熊のぬいぐるみを後生大事に持っていた。

 ミントの色のスクーターで、自慢げにうちに遊びに来た。


 その帰り際が、直接見た最後の顔になった。


 かわいいあの子。わたしの妹。


 いや、葬式にも出なかったくせに、死んだと知っても泣きもしなかったくせに、かわいいも何もないのか。ここ数年は直接顔を合わせていない。そもそも死んだと知ったのだって、インターネットを介してだ。死因すら知らない。でも、病死ではないのだろうと思ったんだった。それならそう言うだろうから。変に濁した死亡報告を書いた、あの子の友人を名乗る人が結局誰なのかだってわたしは知らない。遺書がこうしてあったのだから、自殺だったんだろうなと思った。なんで死んだんだろう、逃げてくればよかったのに、って他人事みたいに思った自分に吐き気がした。


 なんとか吐かずに、遺書を読みきる。そもそも長い文章ではなかった。迷惑かけてごめんねとわたしに謝っていた。迷惑。親に住所をばらしてしまうことだろうか。それとも、死んでしまうことだろうか。ともかく、わたしのもとにこんなものが届いた理由だけは、はっきりわかった。


 妹は散骨を望んでいた。

 できれば東京がいいな、と書かれていた。


■■


「……違法行為じゃん」


 ノートPCの画面に向かって独り言つ。検索窓には『散骨 町中』の馬鹿みたいな文字が並んでいる。当然だが私有地に骨を撒いてはいけない、できてもせいぜい海や山で、そもそも遺骨を墓以外に埋葬するのは違法である、らしい。どうも、まっとうな手段では、妹の望みは叶わないらしい。なぜかそれが無性に腹立たしかった。


 わたしは思い出す。父は暴力を振るっていた。かつて。いまは?

 わたしは思い出す。母は助けてくれなかった。かつて。いまは?


 知らないし、知りたくもない。それにこれ以上思い出したくもない。わたしは過去のディティールを喪失させたくて逃げたんだし、それはおおむね成功していたんだし、こんな風に、いきなり過去が箱詰めで届いたりしなければきっと思い出さずに済んだ。そのはずだった。十年、逃げ続けた。


 でも、あの子は逃げなかった。

 家族だからね、と言っていた。

 そして死んでしまって、いま最後の望みもまっとうには叶わない。


 ねえ、むかつくよね、本当に。


「叶えてあげるよ」


 なにをしても。

 なんとしても。

 まっとうで、なくても。


■■


 寝て起きたわたしは思いつき、山手線のすべての駅の近くに骨を少しずつ埋めることにした。丸一日かけて、一周する。歩いてやろうと、そう決めた。

 決めたから、仕事を休んだ。

 山手線の駅の数を調べて、同じ数の小さいジップロックに、骨を分けて詰めこんだ。

 犯罪の準備、と脳裏によぎる。


 つまり、これは悪なのか。

 なにか、悪いことをしているのだろうか。


「なにしてんだろうな、わたし」


 すっかりまとめられた荷物を前に、つぶやいて、それを背負った。玄関のドアを開けると、すべてのやる気を削ぎ溶かすような、馬鹿みたいに強い真夏の日差しと、けたたましい蝉の叫びがわたしを刺した。


 そうして長い一日が始まる。


 わたしが起点に選んだのは上野だった。自宅の最寄りから一本で行ける駅だったからだ。そして、反時計回りに、鶯谷、日暮里、西日暮里、と回っていく。歩きながら、骨くらいは埋められそうな、そして人気ひとけのない場所を見つけては、そこを掘り返して埋めていく。当たり前だが、墓地や寺や神社は避ける。数は少ないが教会だって避ける。むしろなんてことはない路地裏を探し、土の地面を掘り返しては、小さく砕けた骨を埋める。そのたびに、馬鹿なことをしているな、と思う。


 ところでわたしは馬鹿なことをしているだけではなくて本当に馬鹿だったので、山手線が一周何キロかなんて調べてもいなかったのだけど、午前中をまるまる使っても骨ジップロックが七つしか減らなかったあたりで流石にこのペースはまずいのでは? と感じ始める。昼食がてら入ったマックで山手線について今更ながら検索をすると、山手線は南北に長く、端を結ぶと十一キロ、東西は狭く、八キロ、という形の楕円っぽい形をしているらしい。一周あたり、三十キロは軽くあることになる。炎天下に一日で歩ける距離ではなかった。それも、余計な寄り道をしながら。


「二日かけるなら、どっかで一泊したいな……」


 家に帰れば済む話なのだが、物事には勢いがある。

 勢いがないとできないことも、おなじようにある。


 骨を十五袋、半分まで減らしたのを区切りに、わたしはビジネスホテルに入った。流しすぎた汗をシャワーでさらに流し、落とした。日焼け止めはしていたはずだが、シャワーの湯は首に滲みた。痛みに顔をゆがめる。憑き物を落とす、とそう思った。逃げないために、食事をとった。棒になった脚をマッサージした。大丈夫だよと骨に語った。眠りにつけると、そう感じて、眠った。


 夢を見たけどほとんど忘れて目を覚ました。あの子が出てきて言った一言だけは覚えていた。死んだらホトケサマになるって言うじゃんとあの子は言った。かわいくないよね、一重だし、太ってるし、絶対イヤ、とそう言った。


 ねえ、だったら、なんで死んだの?


 朝食は簡単なバイキングで、トングを持つたび、骨を拾うことを連想した。わたしが行かなかった、逃げた、あの子のお葬式のことを思った。火葬場で、骨になって、まだ熱いそれを拾ってあげられなかった、そういう連想は、不快ではなかった。けど、わたしは何か間違えたんだなと思ったし、間違ったわたしがいま何かをやり直している、もっと間違った形で、とも思った。スクランブルエッグと目玉焼きと卵焼きを全部皿に乗せていたことに、食べ始めるまで気づかなかった。


 出発し、さほどたたないうちに一袋、骨を埋めた。

 あと十四。


 十三。


 十二。


 十一。

 昨日より早く、休憩をする必要を感じた。

 タリーズで、コーヒーではなくアイスティーを飲む。

 店を出るとき、大きなくまを撫でた。


 十。


 九。


 八。


 七。

 昼食には回転寿司を選んだ。きっと景気をつけようとしていた。

 それと、あら汁を頼んだ。

 骨を丁寧に取り分けて、食べた。


 六。


 五。


 四。



 そして、三。

 家系ラーメンを食べた。ひどい汗で崩れた身なりでも、抵抗なく入れたから。

 あるいは、塩分を欲してなのか。

 ともかく、美味しい、と心から思った。



 二。

 セブンイレブンでビールを買って、歩きながら飲む。

 黒ラベル。白と黒。金色の星。

 そろそろ陽も落ちる。



 一。

 陽はすっかり落ちたけれど、空に星はなかった。



 そして、ゼロ

 最後の土をかけ、踏みしめると、不意に涙がこぼれていた。

 下を向いていたから、涙は頬を流れずに眼鏡のレンズに落ち、水滴になって留まった。


 ああ、やっと泣けた。

 よかった。


 レンズを拭くために外したはずの眼鏡を、わたしはそのまま地面に置いていた。

 はなむけとして、そうした。きっと。

 そして、おかしな連想をした。空想を、妄想をした。そこは未来の発掘現場で、体の一部の骨が見つかる。人間の骨が。それは三十度繰り返される。組み上げるとひとつの人体になるのだとわかる。傍らにはこの眼鏡も発掘されていて「きっとこの人の持ち物だったのだろう」と予想される。間違った予想を。


 わたしはもう泣いていない。

 間違った妄想で笑っている。

 暑い暑い東京の夜、ぬるい夜風が涙の跡を撫でる。

 ねえ、もう会えないね。

 さびしいよ。



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