迷子になった話

アンジェラ・スー

迷子になった話

 昔自分が千葉県に住んでいたときの話で、小学校1年生くらいの出来事だったと記憶しています。その頃の私は学校の授業が終わると、すぐ家に帰って一人で玩具で遊ぶか本を読んでいるような子供でした。

 そんなインドア系の私がある日突然散歩に出かけようと思い立ち、母親には歩いて七〜八分くらいの所にある駄菓子屋さんに行ってくると言って出かけました。

 自分の家は路線バスが運行されている幹線道路から通り一本入ったところにあり、バスで駅に向かう時以外は表通りに出たら反対側へはほとんど行ったことがありません。

 そんなわけで普段足を踏み入れたことのない、表通りの反対側へ探検に出発することに決めたのでした。

 通りの反対側へ渡ってみると、視点が違うせいか新鮮というか妙な違和感みたいなものを感じ、若干興奮ぎみに歩いていたのですが、数分も歩いているとさすがに慣れてきてもう少し刺激が欲しくなり、幹線道路の交差する丁字路の先に高速道路の高架があったのですが、その高架を下をくぐって直ぐの脇道に入ってみました。

 そこは高速道路が適度に埋立地特有の退屈な碁盤目状の地形を崩していて、カーブや三角土地とかがあってとても興味深かった。

 コの字に交差点を曲がって、すぐに表通りに出ないように気をつけながら二回ほど十字路を曲がると、進行方向の左側が個人経営の飲食店が混じっている見慣れた住宅街。しかし右側は、地上二階まで達するようなコンクリート製の土留があり。更に視点を上に移動させると、四〜五階建てくらいの集合住宅の上の部分が見えた。

 その集合住宅を見ながら歩いていて、ふとあることに気がつく。

 高速道路や幹線道路からそんなに離れていないはずなのに、自動車の通過音が

まったく聞こえてこないのである。

(あれ?なんでだろう?)今までささやかな冒険を楽しんでいたのに、途端に不安になってきた。

(今来た道を戻って帰ろうか?)などと思いつき、後ろを振り返ってみると……

先程曲がってきた十字路が、丁字路になっているのである。

(ええええええええ!!)声こそは上げなかったが、私はその場に固まってしまった。自分の勘違いかとも考えたが、丁字路にある建物に全く見覚えがないのである。戻ろうにも全く見覚えがない道を戻れるものでもなく、途方に暮れてしまい(やはり前進するべきか?)と、更に踵を返してみる。

 するといつの間にかこちらに向かって歩いてくる女性がいた。

 その女性は白っぽい──薄く緑がかってたかも──ワンピースを着ていて、通りに立ちすくんで途方に暮れている私に気づくと、こちらに近づいてきて。

「あなたどうしたの?一人?どこから来たの?」

……と尋ねてきた。

 私が自分の家の住所を教えるとその女性は……。

「聞いたことのない地名ねぇ」

 ……と、身も蓋もないことを言ってくる。

 私はこの女性が最近この土地に引っ越してきたのかと思った。

 なぜなら自分の歩いているはずのところはまだ自分の家の住所と同じ町名のはずだからだ。

(ああ……ついてないなぁ)などと思っていると、その女性は進行方向であった方角を指差し。

「ずっと先にトンネルみたいなものが見えるでしょ?あなたの住んでいるところはその先かも!」

「うん!わかった‼」

 なにか釈然としないものはあったが、この場合大人の言うことは聞いておこうと思った。

 そして指さされたトンネルのようなものを一瞥いちべつする。距離はここから二〇〇メートルくらいであろうか。それから、ふたたびその女性に向き直ってみると……。

 今そこにいたはずの女性は忽然こつぜんと姿を消してしまっていた。

 全くもって訳がわからない。しかしこのまま立ちすくんでいても埒が明かないと思い、そのトンネルのようなものめざし歩き始めた。

 歩きだしてみると、自分の足音以外聞こえてこないのが不気味に思えてきた。

 しかし小さな子供の歩みではなかなか目的地には近づかない。


 怖さで自然と早足になってくる。

 焦りで動悸が高まるのを感じてくる。

 緊張で自然と握られた手から汗が滲んでくる……。


 そしてついに怖さに耐えられなくなって、早歩きから小走りへと転じていった。

 しかし普段からの運動不足がたたって、小走りから早歩きになるまで、さほど時間がかからなかった。それでもどうにか目的地に辿り着くことができた。

 いろいろと疲れたので、一旦立ち止まって中の様子を見てみる。

 中を覗いてみるとトンネルのように見えていたのは、立体交差のアンダーパスのようであった。

 それも歩行者用のものと思われるちっぽけなもので、全長がおよそ十〇メートル。短い故なのか中には照明が無いようで中央のあたりは闇に覆われていた。

 自分は怖がりなので、迂回路はないかと左右を見てみる。

 何故かどちらのルートも数十メートル先で行き止まりとなっていた。

(ここしかないのか……やだなぁ、怖いなぁ)などと思いつつ正面をうかがう。

 出口の方は眩い光で真っ白に見えて他は何も見えない。

 いつまでもビビっていては埒が明かないので、恐る恐る中に入ってみる。

 入り口は明るかったが、すぐに暗くなる。うかつに横とか見ようものなら、この世のものではないものを見てしまいそうで、正面の出口をガン見しながら、ぎこちない足取りでアンダーパスを出口に向かって進んでゆく。

 そして出口まであと少しのところで、あることに気がついた。

 出口の先の景色が全く見えない。そして光も中に差し込んでいない……。

 光の壁のようなものが、そこに鎮座していたのである。

 進むのも怖いし、かと言って今更来た道を戻るのも怖い。前進か撤退か悩んだ末に仕方なく前進する選択肢を選んだ。

 歩き始めると、みるみる白い壁のようなものが迫ってくる。

 恐怖で顔がひきつり、額からは冷や汗が出てくるのがわかる。

 さらに歩を進めると、視界一杯に白い壁がひろがってきた。

 音も匂いも風も何もかもがない、その白い壁に突入した次の瞬間!

 自身が眩い光に包まれる。あまりの眩しさに顔を両腕で覆う。

 …………眩い光が収まり、周りの状況が明らかになる。

 いつの間にか私は幹線道路の歩道に立っていた。左右を見渡すと左側に来るときに通った丁字路が見える。後ろを振り返ってみると、今しがた通ってきたはずのアンダーパスが消えてしまっている。あるのは高架下に設けられた薄暗い公園だった。

 なんとも釈然としない気持ちのまま家に帰ってみると……。

「どこまで行ってたの!!」と、エライ剣幕で怒られた。

 私はせいぜい三〜四十分程度と思われた外出が、実際は二時間も経過していたらしい。

 なんとも不思議な一日だった。


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